膵臓ガンになった兄
「 オラも膵臓ガンになったゾ。」
74歳の兄の声が受話器の向こうから聞こえた。
心臓病を抱えた兄の次の試練だった。
「親父といっしょの病気になったワ。」
独特の徳島弁で話す兄の言葉から
永遠の別れが そんなに遠くないことが伝わってきた。
飛ぶように月日が過ぎ去り始めた今の私にとって
兄との永遠の別れは
きっとすぐにやってくるだろう。
受話器の向こうで義姉は言った。
それは高知と徳島の方便が混ざり合った
義姉独自のしゃべり方である。
「だぁな。
わたしを おいて 行けんでヨ~ って
言よんゼよ。」
私が高校生の時に兄と結婚し家族の一員となった義姉は
私の母を看取り
私の父を看取ってくれた。
年の離れた兄は
私にとって 兄妹と言うよりも父親のような存在であった。
決して避けて通ることの出来ない肉親との永遠の別れが
迫ってきていることが感じられた。
4人兄姉の末っ子で育った私は
年の離れている兄や姉に
「自分が 盲腸ガンにかかった」ことを内緒にしていた。
主人にも 娘たちにも
私の兄姉に言わないようにと口止めしていた。
心配の余り心を痛めてくれることが
目に見えていたからである。
余計な心配をかけさせたくなかったのである。
年が離れている私は
いつも元気でいなくてはならない。
それにしても
いつか兄もいなくなる。という当たり前が
現実として目の前に迫ってきたのであった。
私は早いうちに兄に会っておきたかった。
心臓にも重い病気を抱えている兄が元気なうちに
伝えておきたいことがあった。
私は兄への感謝の気持ちを伝えていなかった。
兄に面と向かって伝えておきたかった。
ず~~と 可愛がってくれたことへの感謝の気持ちを
向き合って伝えておきたかった。
両親を支え
家族を守ってきてくれたことへの感謝の気持ちを
伝えて起きたかった。
高校生の頃から一緒に家族となった義姉が
私の両親と暮らし看取ってくれたことに対し
どれだけ感謝してきたことかも
兄に話したかった。
21歳の時に九州へ嫁いできた私は
じっくりと兄と話す時間を持たなかった。
このまま
永遠に兄と別れたくなかった。
私は自分を納得させるためにも
兄と二人で
子供の頃の話や
親の話し
祖父母の話をしておきたかった。
兄の定命がどの地点にあるのか
神様にしかわからないだろうが
兄が還らぬ旅に出てしまう前に
会って目を合わせ話をしておかなくては
大きな後悔で私の心はつぶれてしまいそうな気がした。
「一日だけ 休みをください。」と
私は社長に有無を言わさず願い出た。
福岡から徳島行きの高速夜行バスの時刻をチェックした。
昨年の夏に
孫のHAYATOを連れて帰省し
HAYATOを遊ばせたこの綺麗な川で
私は兄や姉のあとを追って育った。
この大自然の中の小さな村が私の生まれ故郷である。
この場所から歩いて数分のところに生家があった。
兄に伝えたかった。
この故郷の山や川で過ごした幼少時代の思い出を
しっかり覚えていると。
ず~~と可愛がってもらって育ってきたことが
どれだけの重みをもっていたのか
ちゃんと理解していた事を伝えたい。
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