亡き兄との約束 「父の残した写真」

パールじゅんこ

2018年05月23日 03:05

私は
相変わらず 仕事に追いまくられていた。

夕方6時過ぎ
HAYATOが
私の帰りを待ちわびている日々が続いている。

「 ばあば
     野球しよう! 」

「 又 ボールが山まで飛んで行ってしまうよ・・・」

「 なら バトミントンしよう。 」

「 いいよ! 」

夕食の時間まで
私はHAYATOとバトミントンを楽しむ日々が
続いている。

HAYATOと遊ぶのは楽しかった。

私が投げたボールを
隣の家の屋根を飛び越え山まで
ホームランを打つようになったので
広い空き地でないと野球ができなくなった。

風のない夕方
バトミントンの羽根は
HAYATOと私のラケットを
いつまでもピストン運動を繰り返した。

私は歌や絵を描くのが苦手だったが
運動神経には恵まれていた。
そのことが
男の子の孫と遊ぶことに非常に役に立った。

バトミントンの羽根が飛んでいった草むらで
スイカズラが
豊艶な匂いを漂わせながら
私達を見つめていた。
  
   

スイカズラが咲き
  ホタルブクロが咲き
    バラの花が満開の頃となった。

「 HAYATO 
     庭のバラも満開だよね。

  蛍が飛んでいるはずよね。」


  
   ( 飛鳥乙女  )



  我が家では
  決まって 
  この季節になると家族で交わす言葉である。

   主人が言う。
   「 おい。 バラの花が満開ぞ。」

  みいが言う。
   「 お母さん バラの花が綺麗ヨ。」

  私は密かに待っている。
   「 ばあば。 バラの花が咲いてるね。
     蛍が飛んでいるはずだよ。」と
   HAYATOが言いだす日が来ることを・・


  家の周りを流れる「不老の下川」で
  蛍の乱舞が始まったのは
  言うまでもない。




  初々しい緑に囲まれた季節が過ぎ去った。

  畑の隅で
  清楚な「なんじゃもんじゃ」の花が咲き誇り・・


   


 なんじゃもんじゃの花から
 バトンを渡され
 畑の真ん中で 可愛い花が咲き誇った。



 強風に弱いこの高木・・・
 大きなとげを持っているニセアカシアに似たこの木・・
 え~~と なんだったっけ?
 名前を忘れてしまった。
 庭で群生を始めたというのに・・。

 強い風で 簡単に根元から折れてしまうが
 藤に似た綺麗な花が風に揺れる様子は
 この季節にとても似合っている。

 5~6mの高さになると
 すぐ 折れてしまうのである。
 がっかりしても
 次の年には 又グングンと成長して高木となり
 可愛い花を咲かせる。

 そして
 又 強風で簡単に折れてしまう。

 繰り返しながら
 一本  二本 三本と増え続けているのである。

 


 風を感じ
 緑を愛で
 花を愛しんでいると
 平和な時代を生きてきた幸せをしみじみと 
 感じさせられるのである。

  
  溢れるばかりの新緑を眺めていると
  まるで
  心が 柔らかい掌でそっと包み込まれ温められ 
  心地良く揺すられているような
  幸せな気分で満たされるのであった。
 
  綺麗な優しい季節が
  私の人生において一つの節目をつくって
  過ぎていこうとしている。

  退職をした主人と二人で
  兄の供養のため四国 徳島へ里帰りしてから
  一ケ月という時間が過ぎた。

  私は
  亡き兄との約束の
  「 牛島満大将 」の写真のことが頭から離れなかった。

  沖縄戦で有名な「牛島満大将」の横で
  父が写っている写真は
  たくさんの戦地の写真と共に
  実家で大切にされているのである。











  この写真を 公開するということは
  禁止されているのだろうか?

  私は   国から罰せられる?

  それとも
  「表現の自由」で守られている?


  日本国憲法第21条
   日本国憲法 第21条は、
   日本国憲法の第3章にある条文で、
   集会の自由・結社の自由・表現の自由、
   検閲の禁止、通信の秘密について規定している。

  私は想像がつかない
  大きな問題を抱え込んでいるのだろうか  

  
  私はこの写真を公開してはならないのだろうか。

    

   父は 激しい時代を生きた。  
   母は運命に導かれて父に添った。 

   私は二人から命を授かり   
   平和で幸せな時代を生きたのである。   
   主人に守られて。