亡き兄との約束 「父の残した写真」
私は
相変わらず 仕事に追いまくられていた。
夕方6時過ぎ
HAYATOが
私の帰りを待ちわびている日々が続いている。
「 ばあば
野球しよう! 」
「 又 ボールが山まで飛んで行ってしまうよ・・・」
「 なら バトミントンしよう。 」
「 いいよ! 」
夕食の時間まで
私はHAYATOとバトミントンを楽しむ日々が
続いている。
HAYATOと遊ぶのは楽しかった。
私が投げたボールを
隣の家の屋根を飛び越え山まで
ホームランを打つようになったので
広い空き地でないと野球ができなくなった。
風のない夕方
バトミントンの羽根は
HAYATOと私のラケットを
いつまでもピストン運動を繰り返した。
私は歌や絵を描くのが苦手だったが
運動神経には恵まれていた。
そのことが
男の子の孫と遊ぶことに非常に役に立った。
バトミントンの羽根が飛んでいった草むらで
スイカズラが
豊艶な匂いを漂わせながら
私達を見つめていた。
スイカズラが咲き
ホタルブクロが咲き
バラの花が満開の頃となった。
「 HAYATO
庭のバラも満開だよね。
蛍が飛んでいるはずよね。」
( 飛鳥乙女 )
我が家では
決まって
この季節になると家族で交わす言葉である。
主人が言う。
「 おい。 バラの花が満開ぞ。」
みいが言う。
「 お母さん バラの花が綺麗ヨ。」
私は密かに待っている。
「 ばあば。 バラの花が咲いてるね。
蛍が飛んでいるはずだよ。」と
HAYATOが言いだす日が来ることを・・
家の周りを流れる「不老の下川」で
蛍の乱舞が始まったのは
言うまでもない。
初々しい緑に囲まれた季節が過ぎ去った。
畑の隅で
清楚な「なんじゃもんじゃ」の花が咲き誇り・・
なんじゃもんじゃの花から
バトンを渡され
畑の真ん中で 可愛い花が咲き誇った。
強風に弱いこの高木・・・
大きなとげを持っているニセアカシアに似たこの木・・
え~~と なんだったっけ?
名前を忘れてしまった。
庭で群生を始めたというのに・・。
強い風で 簡単に根元から折れてしまうが
藤に似た綺麗な花が風に揺れる様子は
この季節にとても似合っている。
5~6mの高さになると
すぐ 折れてしまうのである。
がっかりしても
次の年には 又グングンと成長して高木となり
可愛い花を咲かせる。
そして
又 強風で簡単に折れてしまう。
繰り返しながら
一本 二本 三本と増え続けているのである。
風を感じ
緑を愛で
花を愛しんでいると
平和な時代を生きてきた幸せをしみじみと
感じさせられるのである。
溢れるばかりの新緑を眺めていると
まるで
心が 柔らかい掌でそっと包み込まれ温められ
心地良く揺すられているような
幸せな気分で満たされるのであった。
綺麗な優しい季節が
私の人生において一つの節目をつくって
過ぎていこうとしている。
退職をした主人と二人で
兄の供養のため四国 徳島へ里帰りしてから
一ケ月という時間が過ぎた。
私は
亡き兄との約束の
「 牛島満大将 」の写真のことが頭から離れなかった。
沖縄戦で有名な「牛島満大将」の横で
父が写っている写真は
たくさんの戦地の写真と共に
実家で大切にされているのである。
この写真を 公開するということは
禁止されているのだろうか?
私は 国から罰せられる?
それとも
「表現の自由」で守られている?
日本国憲法第21条
日本国憲法 第21条は、
日本国憲法の第3章にある条文で、
集会の自由・結社の自由・表現の自由、
検閲の禁止、通信の秘密について規定している。
私は想像がつかない
大きな問題を抱え込んでいるのだろうか
私はこの写真を公開してはならないのだろうか。
父は 激しい時代を生きた。
母は運命に導かれて父に添った。
私は二人から命を授かり
平和で幸せな時代を生きたのである。
主人に守られて。