乳がん 宣告
主治医ははっきりと告げた。
「乳がんです。」
乳がんの疑いがある・・・・とは言わなかった。
マンモグラフイー検査をするまでもなく
細胞検査をするまでもなく
CT画像を見たうえではっきりと言った。
「乳がんです。 乳がんの担当医の診察を今から受けてください。」
私は待合室にでることも無く横にある診察室の別の医師の前に座った。
29年1月に盲腸ガンを手術してから
半年間の抗がん剤治療を受け
更に数か月おきにCT検査を受けている。
今回一週間前のCT検査の結果を聞くために来院したのであった。
「肺も 腎臓も 膵臓も 綺麗にしていますね。」
ほっと安心した私に
主治医はさら~~と言った。
「ここに白い影が映っています。
前回には見られなかった陰です。
乳がんでしょう。」
私は思い当たることがあった。
2ヵ月ほど前から
夜布団に入ると 左胸に痛みが走っていたのである。
左のおっぱいを揉んでみても「しこり」は感じられなかった。
ガンであるというふうには感じられる「しこり」は
解らなかったのであった。
なので ただ乳腺が腫れるか・・・
胸の下にある神経に異常がおこっているか・・・・
と 一人勝手に思っていたのであった。
「乳がんですね。」
CT画像を見ただけで医師は告げた。
「マンモグラフイーを受けてください。
それから組織をとって検査に出します。」
私はそれぞれの検査を受け
再び医師の説明を受けた。
「左胸を全摘出します。」
私は鈍いのか 神経が図太いのか
自分でもわからなかったが
即座に頭に浮かんだことがあった。
年が明けるとすぐに家族での旅行を計画していたのである・
孫のHAYATOが2年前からあこがれ続けている
オーストラリア ダーウインへの旅行である。
1月3日出発~1月10日帰宅
そろそろ 準備に取り掛かる時期を迎えていた。
医師は早めの手術を勧めた。
私は即座に行った。
「来月初めに海外へと旅行に行きます。
行けますか?」
「なんの問題もありませんよ。
一週間の入院後 1日休みを取れば
次の日から職場に復帰できます。
生活も普段通り行えます。
旅行は大丈夫ですよ。」
医師が予定した手術日は12月14日だった。
私は
請求書作成にも追われない・・・
10日の支払日も終わっている・・・
旅行にも行ける・・・
即座にその日に手術を受けることに決めた。
9時診察予約だったが
病院を出たのは午後1時をとっくに過ぎていた。
私は
又 新たな試練を迎えた。
ただ思ったことは
HAYATOに沢山の思い出を残してやりたかった。
バアバである私との思い出を・・・
私は
心をこめて仕事に没頭しようと考えた。
私は
鈍いのか 図太いのか
自分でも解らなかった。
ただ
今日も元気に出勤だ。
季節は すっかり冬となった。