働き方改革
強風の一日が始まった。
日の出前に事務所を開けて
釣り客を迎えなければいけない日々を
過ごしている私は
強風 高波の為
定時である8時に出勤していい朝を迎えた。
明るい時に自宅で朝を迎えるのが
とっても
珍しくなった。
久々に出勤前に眺めた
我が家の庭は
春の花で溢れていた。
亡き姑からもらった八重咲の雪柳も
花瓶にさしてやることも無く
花盛りだった。
娘の中学卒業の記念樹の
アザレアも見事に咲き誇っていた。
名前は解らないが
野原から移植した紫の花は
今年も可憐な花を咲かせていた。
2017年 盲腸癌 発症 ステージⅡ
2018年 乳癌 発症 ステージⅢ
私は癌という病気になるまで
死を考えたことが無かった。
健康そのものだった私は
平凡に70歳は迎えられると
疑ったことは無かった。
癌に侵され
何時までもはない命だと考えた時
大事にしてきた庭の草は誰がとるんだ?
きっと
庭は雑草だらけになっていまうはずである・・・
と 非常に気にかけた。
加入していた癌保険をつかって
私は庭の草ひきをしなくていいように
舗装をし石畳を施した。
二つの癌を克服してから
私は
ますます元気で
ますます仕事人間で
プライベートな時間を
取れなくなってしまった。
大好きな庭を
余裕をもって眺めることも出来ず
一日のほとんどを職場で過ごした。
年を取るにつれ
仕事の重圧が私にのしかかってきた。
嫁いでいった娘達家族を招待して
BBQが出来るように
BBQコンロをおくスペースも
石畳の中に作ったというのに
娘たちと食事をすることも
話をする時間さえ
私は取ることが出来なくなってしまった。
長女 4人家族
三女 5人家族
私は音信不通のような過ごし方をしている。
こんなはずでは無かったんだが・・・
外で暮らす孫たちに
手料理を振る舞い
頻繁に行き来し
可愛がり
おばあちゃんとして慕ってもらいたかったが
私は忙しすぎた。
仕事は面白かった。
事務をしても
釣りのお客様の
予約を受ける電話の応対も
出港のお手伝いする時間も
帰港時のお迎えも
船舶修理の雑用的な手伝いも
船舶の塗装や
船舶の上架 下架の補助も
事務所周りや工場の掃除も
仮眠所の掃除も
どの仕事もおもしろかった。
貸し別荘 颯ん家の掃除も楽しかった。
全てが充実していた。
だが
大切にしなければならない
かけがえのないはずの
プライベートな時間が
すくい取った手の平の
指の間から
零れ落ちているように思えた。
定年を迎えた主人と
二人でのんびりと過ごす時間を
私は失っていた。
孫たちを
おばあちゃんとして可愛がる時間を
私は失っていた。
庭の山椒の新芽をとり
酢味噌をつくり
主人から喜んでもらえた
そんなささやかな時間をも
私は
指の間からこぼしてしまっている。
こんな働き方をしてはいけない・・
と
考えながら
私は仕事に没頭している。
大切な
ささやかな幸せを
こぼしてしまっているように感じながら・・・
てんてこ舞いの日々が過ぎて行っている。
ただ
一緒に住む孫の颯仁(はやと)は
高校生になり
時間の取れる範囲内は
全て私の職場で
意気揚々とお手伝いをしてくれている。
新品エンジンを改造する助手を務めたり
溶接を教わったり
修理工場の様々な仕事の手伝いが
面白くてたまらないようである。
170cmを越え体力のついた颯仁は
すっかり
修理の様々な助手が務まり
楽しそうに働いていた。
二つの道は通れないが
颯仁の為には
私は充実した日々を送れているように
思える。
癌という怖い病気を抱え
どれだけの命があるのか
不安になりながら
もう少し颯仁の成長を
見守ってみたいという
強い思いに駆られるのである。
主人は
「 お前 ぽっくり逝くぞ!」と
本気で言う。
視力が落ちた私が老眼鏡を
買い直すのに付き合った主人は
メガネの調整を受けながら
店主から
「眼下に行って
眼底検査を受けるように」と
勧められたのを聞いていて
「仕事ばかりしないで
病院に行け」と強い口調で言う。
連休が終わったら受診を・・・
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