大阪に住む姉と叔母に再会

パールじゅんこ

2022年07月22日 00:54


あれから1か月が経った。 
姉の育てた満開の紫陽花の咲く
6月17日・18日の
出来事である。


午前10時30分
会社の駐車場で
1.3トンの
おんぼろトラックの荷台に
白い塗料を塗った。
タイムリミットは
午前11時である。

1時間前に
急きょ 大阪の取引先まで
中古エンジンを
仕入れに行くことになった。

貸し船に搭載されているエンジンが
故障したのであった。
私は自宅にいる主人に電話を入れた。
「 暇?
    大阪まで付き合って!
 貸し船のエンジンが壊れた・・。

 大阪に同じ中古エンジンがあるので
 明日中に買って帰り
 土曜日中に
 エンジンを乗せ換えたいので・・。」

私の頼みに対して
首を横に振ったことが
今まで一度もなかった主人である。

阪急フェリーに予約を入れた。
新門司港17時30分出港
翌朝大阪泉大津6時着

頻繁に利用するフェリーである。
福岡新門司の阪急フェリーの乗り場まで
休憩をとりながら
いつも4時間かかるとみている。
会社を12時にでないといけない。

それにしても
1,3トンのトヨタライナの荷台は
サビてぼろぼろだった。
おんぼろの上に
この汚いトラックは
さすがに恥ずかしかった。

ジーパンの上に
ヤッケのズボンをはき
腕カバーを付けた私は
作業用のペンキの突いている
長靴に履き替えた。
白いペンキに
少しアイボりーのペンキを混ぜて
大急ぎで荷台を塗装した。
船の塗装の仕事には
慣れている私である。

12時
会社を出て自宅に戻った。
もちろん
荷台はペンキ塗りたてである。
ロープやチエーンブロックなどを
助手席の足元に詰め込んだ。

自宅では
昼食を済ませた主人が
一泊分の荷物を準備して
待っていてくれた。

トラックなので
(それもおんぼろ・・)
ジーパンとシャツの仕事着のまま
一日分の着替えを
小さなバックに詰め込んで
13時少し前に自宅を出た。

もちろん
ハンドルを握るのは主人

ガタガタと音のする
おんぼろトラックは
クーラーがきかない
過酷な条件で働き慣れている私は
クーラーがきかないことは
さほど 気にならなかった。
坂道は
ギヤチェンジを巧みに操らなければ
スピードが落ちてしまう・・。
それはそれで
主人は運転テクニックを駆使して
面白そうに楽しんでいた。

2回ほどのトイレタイムをとり
16時過ぎ
新門司港の
阪急フェリー乗り場に到着した。

トラックでの乗船は初めてだった為
普通車専用のチケット販売の窓口に
並んでしまった。
窓口の間違いを指摘され
端っこにある
トラック専用の窓口に
並び直した。

気さくなドライバーさんを
相手にしているからか
とても朗らかな女性が
テキパキと明るく業務を行っていた。
電話で予約を入れていたのは
デラックス洋室2人部屋で
乗船料は54,000円ちょっとだった。

その気さくさに魅かれ
「お風呂のついているお部屋は
 空いていませんか?」と尋ねた。
「スイートルームでよろしいですか?」
「お風呂とトイレがついているお部屋を。」
田舎者丸出しの質問である。

       
 
美人ではないが
とても明るい彼女は
気さくに可愛い笑顔を向けた。

「割引対象になる条件はありますか?
シニア割引などがありますが・・。」
私達は顔を見合わせた。
もちろん二人とも60歳以上である。
四捨五入をすると
70歳である。
免許証を提示すると
51,000ちょっとになった。
「デラックス洋式」から
部屋のランクを上げ
「スイートルーム」にしたのに
シニア割引で安くなったのである。
おまけに朝食の割引券までもらった。

慌ただしく過ぎた一日だったが
主人と二人
旅行気分で
海を見ながら夕食を済ませ
広くて清潔なスイートルームで
快適に過ごした。

早い夕食を終えた私は
大阪に住む姉に電話を入れた。
せっかくだから
姉に逢いたいという気持ちが
抑えられなくなったからである。

そして
中古エンジンの仕入れ先からの
帰り道に住む大阪の叔母にも
一目会いたくなり
連絡をとった。

思いがけず
大阪堺市に住む姉にも
大阪摂津市に住む叔母にも
私は会えることとなった。


徳島の深い深い山の中の
小さな集落の景色が
懐かしくよみがえってきた。

私と姉はもちろん
93歳の叔母家族も
徳島の奥深い山村が故郷である。



その懐かしい景色とともに
そよぐ風の心地良さも
降り注ぐ日の光も
流れる清らかなせせらぎも
私達の記憶の中から
あったかい優しいオブラートに
包まれていて
いつでも引き出すことが出来た。

翌朝予定通り
午前6時泉大津港にフェリーは着岸した。

6時30分 
私達夫婦は
堺市泉北ニュータウンで暮らす姉と
他愛もない話を交わしていた。
80歳の義兄もとても健康で
姉と共に
平凡な一日を繰り返していた。


突然の訪問なのに
家中
姉が育てている花で飾られていた。
1時間の訪問で充分だった。
交わす言葉も
多くはいらなかった。
平凡な時間の流れの中で
幸せに暮らしている様子は
居間に通されただけで
一目で伝わってきた。

二人に見送られて
取引先の会社に向かった。
中古エンジンをトラックに積み込み
淀川を渡り
河川敷公園の駐車場に到着すると
小学生卒業まで
家族同様に育った従弟が
待っていてくれた。

主人とも親しい従弟は
私よりも主人と話を弾ませながら
摂津市鳥飼の
叔母の家に向かった。


門を開けると
ノウゼンカズラが頭の上で
ユラユラと揺れていた。
手入れの行き届いた畑には
トマト きゅうり 茄子 かぼちゃと
夏野菜がたくさん実っていた。
雑草の生えていない庭は
93歳の叔母の手で
毎日手入れされているのが
一目瞭然だった。

今年春に亡くなった
叔父の仏壇に手を合わせ
お昼前まで
雑談を交わした。

子供の頃に親密に過ごし
可愛がってくれた叔母との再会は
母にあっているような気分になり
私の心に
潤いを与えてくれた。

ノウゼンカズラの花の下で
見送ってくれる叔母に別れを告げて
従弟と共に
淀川河川敷駐車場へと向かった。

 
 
荷造りをチェックし
クーラーのきかない
おんぼろトラックに乗り込んで
従弟に別れを告げた。

感傷的な気分は
自宅へ帰ることに
切り替わった。

山陽自動車道を
ひたすら九州へと向かった。
時速100キロしか出せない
おんぼろトラックを
主人は巧みに操作し
下り坂で到着時間短縮を図った。

主人は
ミッションならではの
運転のおもしろさを
楽しんでいた。
岡山を通り越し
広島を通り越し
下関王子PAで運転を
私に変わった。

午後7時前である。
王子PAでうどんを食べて
私がハンドルを握った。
乗り慣れたトラックである。
だが私のテクニックでは
時間短縮を図れなかった。

九州に入り
福岡を通り越し佐賀に入り
西九州自動車道 川登SAで
再び主人がハンドルを握った。

「少しは眠った?」
と言う私に
「心配で目が冴えたぞ」と
軽く流した。
私は66歳である。
自分の年を私は忘れている。

    

午後11時過ぎ
自宅の駐車場に到着した。
玄関の照明がつき
はやとが迎えにでてきた。

私達の帰りを待っていたはやとは
トラックの荷台に乗り込んで
エンジンをチエックした。
とても綺麗なエンジンに
満足を示した。

6月18日(土) 
貸し船のエンジンは
載せ替えられた。
もちろんはやとも
整備助手を務めた。

 

思いがけないエンジントラブルで
私は
プチ旅行を楽しむことが出来た。
無理やり
有無を言わせず
付き合せられる主人も
変化のある行動に
まんざらでもない様子である。

私が一人で
そう思い込んでいるだけかな・・・

    






関連記事