2011年11月05日 04:59
雨だね。
みぃちゃん。
午前2時30分
すっきりと目が覚める。
というか
隣に寝ている孫の蹴りをくらってしまった。
激しい雨音に何だか落ち着く。
このまま睡眠をむさぼるか・・
はたまた
思いっきり起きようか・・・・
一瞬迷ったが
ふとんから出ることにした。
ローンをくんで
新しく購入したパソコン Windows’7の言語バーが消えた。
変換不可能になったので、使用できなくなってしまった。
ずーと付き合ってくれていた Windows’XPを立ち上げる。
反応が非常に遅くイライラしながら
ホットミルクを手に
パソコンの前に座る。
私だけの時間が流れ始めた。
昨夜
入院中の娘 みぃとの電話が頭から離れない。
「今日は胃カメラ飲んだヨ
綺麗だった。
胃潰瘍の後もまったくないヨ 」
」「へ~~~
あんたもよっぽど強いんだねえ。
あんなに ストレス受けてきたネ 」
「 ねぇ
もう 1ヶ月過ぎたよ。
食事のメニューが一回転してしまった。 もう
来週帰るよ。 退院する。
こんなところにおれん!」
「 ここは、私のおるとこじゃない。」
「 医者から 今度 部屋を出たら
9階の精神科病棟の鍵のかかる病室に入れるよ・・・て言われた。
ここは、ストレスがかかる!!」
「じゃあ どうするの?
帰ったら3日で死ぬよ・・・。」
「じゃあ行くよ!」 どこへ?
「あのよぉ~~~。」
「あのよ~~~じゃなくって、あの世? 」
私はすかさず答えた。
またまた
あの娘にあって この母親
腹水を抜いて又体重が減少した。
はっきり言おうとしないが
25kg~26kgくらいのはず。
身体はもちろん、もう肉がついていない。
顔も日増しにこけていく。
肉がなくなった顔は
まるでミイラの用な様である。
11月1日(火曜日)は
娘のためにとった休日である。
爽やかな秋晴れの空の下、
10階建ての病院の屋上庭園は暖かい優しい陽だまりだった。
昼食時
相変わらず、食事時を私に見られたくないため
娘は私を病室から追い出した。
さやさやと枝を広げた木の下に腰をおろし
「柴田トヨ」の処女詩集 「くいけないで」を開いた。
私は
こんなゆっくりと ゆったりと流れる時間を久々に持ったような気がした。
あたたかい晩秋の風は
ちらちらと私の上に木漏れ日を注ぎ
私は 99歳の詩人 柴田トヨの詩に没頭した。
くじけないで
ねえ 不幸だなんて
ため息つかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
私 つらいことが
あったけれど
生きていて よかった
あなたもくじけずに
94編の詩を読み終えた頃
娘は 後ろに手をくみ
ひょこひょことやってきた。
「 うち すごい顔になったね・・。」
そう 嘆く娘に きっぱりと言えた。
「 病院にいたら おかしくないよ。
皆 病んでいるから・・・ネ 」
娘はぽつんと言った。
「 なんで こんな事になったんかなぁ・・
あんなに皆に結婚反対されたのにナ・・」
言っても仕方がない !
過ぎた日は、時は二度と戻らない。
娘より
私が言いたい。
なぜ あの時 断固として反対しなかったんだろう。
「 あの男はやめときなさい
あんたとは合わない・・・!」 と
2004年初夏 帰宅した娘は
100本のピンクのバラの花束にうずもれて
居間のドアを開けた。
潮風の吹く
芝生が張られた小高い丘の上で
トランクから出てきた100本のピンクのバラの花束・・。
素晴らしく演出されたプロポーズだった。
みぃは バラの花束より野菊が似合う。
私は 戻りたい。
娘がプロポーズを受ける前の時間に。
大切に育ててきた私のみぃ。
生きて・・・!