摂食障害の娘へ 病院探し
娘のオーラが変わったように思えるのは気のせいだろうか。
「 娘を完全に引き取らせてください。」と告げた日から・・・。
婿からの連絡が途絶え、
行動が把握できなくなったようだが
娘は気のせいか
肩の力が抜け明るさが戻ったかのように見えた。
陸上自衛隊の婿は
訓練のため入山していたり
突拍子もない平日に休んでいたり
相変わらず不規則な生活をしているようであった。
娘は
寝起きと共に 家の周りを散歩する。
1kmほどで行き止まりの山の斜面に
30軒ほどの民家が点在する。
我が家は
その中腹に建っている。
東側にそびえる山の中腹から流れ出てくる源流は
不老の下川(ふろうのもとがわ)と名付けられ、
2kmほどのちいさな流れを作り出し
本流 江迎川に合流して
更に
5kmほどで海につながっていく。
不老の下川は
春には
クレソンが茂り
カワニナが育つ。
庭の
ホタルブクロが開花し・・・
我が家の庭の
ミニバラ「飛鳥乙女」が満開になると
一斉に
ホタルが飛び交う季節を迎える。
小学生だった娘たちは
引っ越した時点から
自然いっぱいのこの場所に馴染み、
野山散策、野イチゴ狩り、蛍狩り、小川遊び、
一年を通して屋外で遊んだ。
三人娘の中でも健康優良児で明るく姉御肌の次女 みぃは
近所の子供たちにも好かれ
我が家の前の道路は
いつもみぃを中心に子供たちの遊び場であった。
中学に入り
バスケットボール部に所属した娘のチームは
顧問に恵まれめきめきと上達し
3年生最後の公式試合は県大会出場まで成し遂げた。
早朝トレーニングに参加する娘は
ごはんと味噌汁の朝食を済ませ
サランラップに包んだおにぎりをかばんに入れ
更に
トーストした食パンを食べながら
元気で登校していく・・・という溌剌とした中学時代を過ごした。
この時に作られた肉体が
今の娘の極限状態を支えているように思える。
熱心な若い女性顧問の教師は
部員たちに勉学も強制した。
部員全員が熱心に勉強も強いられ
娘は長崎県北でも伝統ある進学校に進んだ。
我が家は
ごく普通で平凡な幸せに満たされていた。
生きるか
死ぬか
なんて問題を抱えるなんて想像もしていなかった。
人生 山あり 谷あり
平凡なこの言葉が
今の私の支えであるように思える。
谷なんだ!
絶対 歯を食いしばって登って見せる。
そう 自身に言い聞かせる。
私にはたくさんの夢がある。
いろんなささやかな夢を頭の中で整理して
思い浮かばせ
叶うために
今という時を乗り越えなければ・・・・。
沢山の方の差し伸べてくれる手は
そんな私の背中を押してくれる。
私は歯を食いしばる中で
私の背中を押してくれる様々な方の
暖かい手を
暖かい心を
忘れてはいけない と
自分に言い聞かせる。
娘をいたわる姿がいつもと違う孫に
私も主人も不思議に思った夜に
孫のいない時を見計らって娘が言った。
「お母さん あいつが 別れようと言ってきた。」
極限状態の娘の声は 明るかった。
ママ 大好き !!
こうしてしまいたいほど好き !!と
その夜に
ママの首に腕を回し
お休みのあいさつをする孫の姿には
目を見張るものがあった。
言葉を発しない時から
人の心を読むことのできる
孫である。
家族の考えていることを
口に出さなくても言い当てる力を持っている孫である。
何も言わなくても大好きな人の
悲しみ 苦しみが
解るようである。
その 翌日
暖かい休日の午後。
孫は私と娘を散歩に誘った。
「 ママ 手をつなごう 」 と
大好きな補助付き自転車を道端に止めた。
暖かい日差しが降り注ぐ午後
私は カサコソと枯葉が舞う山道を
三人で歩いた。
娘の歩調に合わせて・・・・。
懸命に娘をいたわる孫と手をつないだ
娘のオーラは
確かに明るく前向きに感じられた。