摂食障害の娘へ 離婚届

パールじゅんこ

2012年01月09日 07:14

静かに正月が過ぎていった。
長男の家族としての毎年恒例の親戚寄りを延期したため
のんびりとした休みを送った。

みいは
入院前の生活が戻った。

しかし
体力がなく
足元が危なっかしい。

捕まるところがない階段は登れない。
壁でもいいから手を添えるところがいるようである。

正月の朝
か細い声に驚いて勝手口に駆け付ける。
「 おかあさん・・・。   こけた・・・。」

洗面所から外に出るところで後ろに転び
腹の上には 洗濯物のカゴが乗っている。

「 あたま・・・。  うった・・・。」

首の筋力がなくなっているため
転ぶときは頭から落ちる。

たんこぶだけで済んだのでほっとした。
昨年の4月にスーパーで後ろに転倒して
床は血の海となり、4日間入院した。
その入院を皮切りに 娘の入退院が始まったのだった。

「 いつも 毛糸の帽子かぶっときなさいヨ 」と
笑い話で済んだ。


正月も終わり
私も主人も 孫も平凡な日常生活が戻った。

還暦を迎える義姉夫婦の祝いの席を設けるため
正月集まりを延期していたのを
1月7日(土)に新年会 還暦祝いを兼ねて集まった。

前日
もう二度と訪ねてこないだろうと思って涙した長女から電話が入った。
「 みいと電話で話したら
  うちが腹を立ててるのに 
  みいはなんとも思っていないみたいで
  お母さんと喧嘩しているのがバカらしくなった。」
「 親戚寄りには 参加していい?」

もちろん 私は待ってましたとばかり承諾した。

毎年我が家で行っていた集まりを
今年は
佐賀県嬉野温泉のホテル「和多屋別荘」で行った。
近くに舅 姑の実家がありそれぞれの墓参りもかねての場所設定だった。

長崎の西の端っこに住む我が家近くに高速が出来たため
短時間での移動が可能になった。
義弟 義姉夫婦とともに墓参りを終わらせ ホテルに到着すると
沢山のお客さまでにぎわっている広いホテルのロビーに
長女家族がくつろいでいた。

みいの息子は長女夫婦が大好きである。
長女夫婦はみいの子供に触れてから
子供の愛らしさに心打たれ 
二人だけの優雅で気楽な生活にピリオドを打ち長女は子供をみごもった。
長女夫婦はみいの子供を自分の子のように可愛がる。

孫は長女の息子二人を見つけると
ゴーカイレッド ゴーカイブルー ゴーカイグリーンを握りしめ
広いロビーを喜んで駆けていった。

2時間30分の食事の後
ホテル内の中庭に設置された足湯を楽しんだ。

暖かい冬の日差しは足湯に浸かる私たちの上に注ぎ
四方を囲んだ壁は風を遮り
孫たちはズボンを脱ぎ 良質の温泉水の流れる足湯場で遊んだ。
義姉たち夫婦もともにのんびりと足湯に浸かっている。
孫たち三人の喜びはしゃぐ姿に誘われて
廊下を行き来するたくさんの客が足を止め ガラス越しに中庭の足湯場をのぞいた。

一人っ子のみいの息子のために
長女の子供と常に触れさせておきたいと願う主人はご満悦の様子である。

私はとうとう
長女と目を合わさなかったが
時間をかけて ゆっくりと誤解を解いていかなければならないが
急ぐことはないと思った。

主人は言う。
  「 お前から 機嫌をとる必要はないぞ!」と。
機嫌は取らないが
  言葉の誤解は取り除かなければならない・・・・。
が 急ぐことは無いように感じた。



自宅に戻った私たちは
一人留守番をしていたみいの準備した 七草粥を食べた。
主人にだけ
ナマコを準備していた。

1月7日の夜は七草粥にするのが我が家の恒例行事の一つである。

何も話し合わなかった献立だが
みいは
私が築いてきた家族の在り方が どっぷりと身についているようである。
年間行事をとりこんだ食生活を重ねてきたこと・・・・
常に主人にだけ 家族より一品多く肴を準備すること・・・・・が
身についているようである。

後片付けが終わり
ストーブの前に座ったみいが言った。
  「あいつと話し合ってきたよ。
   心がどうにかなりそう・・。」
 
  「 離婚出来た後 ほっとして死んでしまうかもしれない・・。」

入院中 血小板の輸血最中にやってきて離婚手続きの話をした婿に
冷静に対応した娘は
翌日メールしてきた・・。
  
  「 悔しくて 眠れなかった。」
  「 こんなにボロボロになって捨てられるんだネ 」

勤務中の私はそっと隠れてメールを返した。

  「 元気になろうね  
    元気になって 綺麗になることが 仕返しだよ・・。」

私は望んだ。
ゆっくりでいいから明るいみいが ゆっくりでいいからふっくらとしていく事を。

私は娘の肩をふれた。
肉のない硬い骨だけの感触が伝わってくる。
意地でいいから 強い気持ちを持って立ち直ってくれることを願った。