摂食障害の娘と共に 平凡
同じテンポで一日一日が繰り返していく。
生活は
一定のリズムを刻み始めた。
みいは時の流れに沿って規則正しい日々を過ごし始めた。
みいの心が安定し始めたのが
手に取るように伝わってくる。
娘の摂食障害による命の危機に直面した私達家族に
平凡な日々が戻ってきた。
平凡というのにはほど遠いかもしれない・・・が
心を痛めることは無くなった。
摂食障害という心の病は
平凡であるはずの娘の生涯の軌道を少しずらしてしまった。
私は
次女の一生の歯車が少しずつ狂い始めるのを
止めることが出来なかった。
しかし
土壇場で目に見えない何者かよって
娘は命を繋ぎ止めることを許された。
あの時点で・・・・ と
修正するべき時点が沢山思い出される。
本当に それは沢山ある。
母親として
私は失格だろう。
いいえ
あの時点・・においては失格だっただろう。
親として
子供たちに待ち受けている
目の前の小さな出来事の一つ一つを
心を開いて
目を凝らして
耳を澄ませて
一瞬たりとも見逃さなかったら
私は今のような状況を味わうことは無かっただろう。
娘にこんな道を歩ませることは無かっただろう。
常に
家族に対して
アンテナを張り巡らしておれば
最愛の娘をこんな状況に追い詰めることは
決してなかったはず。
この場に及んで
私は本当に無力だった。
何者かの不思議な力によって
娘の命は救っていただいた。
たくさんの医学という武器を持った医師たちによって。
その医師たちとの出会いをもたらしてくださった方々や
崩れてしまいそうな私の心を支えてくださった実に多くの方々。
私の心は主人にもたれかかり
その重い空気はHAYATOによって浄化され
1年という歳月を乗り越えてきた。
昨年 平成23年4月初旬
低血糖で倒れ
スーパーの床を血の海とさせ救急車で病院へと運ばれてから
今年 平成24年5月末まで
様々な病院への入退院を繰り返してきた娘 みい。
全ては
心身ストレスからくる摂食障害が招いた不幸である。
その根本は母親である私の不注意である。
31年前 次女が誕生した。
身よりもない
知り合いもいない
九州の端っこの土地に引っ越し
主人だけを頼りに
2歳の長女を抱え
次女を産んだ。
そして
更にその3年後 三女が誕生した。
私は誰もと同じように
多くの母親が行うように
常に家庭を見つめ 整え 守ってきた。
娘たちの一挙一動に喜び 怒り 腹を立てながら」
共に家族と笑い合って過ごしてきた。
南に面した居間には
常に陽光が差し込み
春夏秋冬 流れ込んでくる風は
レースのカーテンを心地良く揺らし
私達家族の時を流した。
家族の生活は主人の働きにより
規則正しく安定したスタイルを作り上げた。
人並みのささやかな幸せに満ちていた。
ごく普通に 平凡に私達は暮らした。
次女は明るく活発な長所と
頑固で優柔が聞かない短所を持ち合わせ
育ってきた。
長女と三女に囲まれ
小さな取るに足らない諍いに目をつぶるなら
仲良く楽しそうに成長してきた。
お友達と喧嘩をした。
熱が出て学校を休んだ。
早く寝なさいとしかりつけた。
前期より成績が上がった・・下がった・・・。
バスケ部 県大会出場の応援に駆け付けた。
免許を取得した。
彼氏が出来た。
プロポーズされた。
ママになった。
たくさんおっぱいが出て赤ちゃんが丸々と育った。
本当に平凡に時は流れてきた。
その月日は愛しいほどに輝いていた。
私の小さな不注意で
娘の心の中に隙間風が吹き始めるのを
見落としてしまった。
死まで招くほどの苦しみを娘が味わうなんて
私は
思いもしなかった。
娘の人生を少し狂わせたのは
成長し、親元を離れていった娘たちに安堵し、
一瞬心を離した私の過ちであったように思われる。
私は
成長した娘たちにほっとした。
自分自身の時間が取れることに
憧れに似た不思議な感情にとらわれた。
私は
ほんの一瞬・・・
永い年月から見ればほんのわずかな時間
娘たちから目を離した。
心を離した・・・。
大人になった娘たちから・・。
成長した娘たちに私は安心し
握りしめてい手綱を緩めてしまった。
ほんの一瞬。
きっと
私の間違いは
この一瞬の出来事であったように思われる。
もう子供じゃない。
自分の決めたことは
自分で解決しながら進んでいくはず・・と
一瞬
心を離した。
次女 みいにとって
その隙間はきっと私が想像する以上の
大きな深い淵だったんだろう。
娘の落ち込んでしまった暗闇に気が付き
母親として
手を差し伸べて
引きずりあげていたなら
私はHAYATOを父親の居ない子供にしてしまう事は
無かっただろうと後悔する。
あの時点で・・・と後悔する出来事が多すぎる。
思い当たることが鮮明に浮かんでくる。
私はこの一年
沢山の方から
励まされ
エールを頂き
暖かい涙を流して頂き
娘の命と向き合ってきた。
私には祈ることしか能がなかった。
そんな愚かな私を
沢山の方々が支えてくださった。
それは
ともにこの時代を生き抜いている
同志ともいえる多くの方々によって支えられた。
人間は
独りぼっちじゃない。
決して
独りぼっちなんかじゃない!
心の目を凝らして
心の耳を澄ませば
包んでくれるたくさんの愛情や
絡んでくる深い情に気付くはず。
延びてくる多くの暖かい手が見えるはず。
私は二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
いくら自分が自由な時間を得たとしても
いくら最愛の子供たちが大人になろうとも
母親という大きな役目を担っている私は
一瞬たりとも
心の手綱を離してはならないと
強く自分自身に言い聞かせる。
私は
亡き姑の言葉がいつも頭の中を駆け巡る。
「 あんたたちの幸せを願っている。
あんたたちが守られるように
いつも祈っているよ。 」
仏壇の前に座り
手を合わす姑の背中が鮮明に思い出される。
姑の願いは祈りとなって
天に通じて
育ててきた4人の子供たちの家庭を
守ってきたように思われる。
私も姑のように
常に娘たちの行く末を案じ
見守り
祈りを込め
必要な時にはすぐに手を差し伸べられるように
生きていかなければならない。 と
そう強く自分自身に言い聞かせる。
こんな
簡単なことを
みいは
身を以て
命を懸けて
私に教えた。
私は ブログの中で
娘を死なせてしまうのではという
気が狂うほどの不安で押しつぶされそうな
心の中をつぶやきながら
前に進んできた。
「 摂食障害の娘と共に 」 生きて来れた。
今
そのタイトルを外す時がやってきたように思われる。
応援してくださったたくさんの方々
祈っていただいたたくさんの方々
有難うございました。
おかげさまで・・という言葉を添えて
タイトルを外すことにします。
しかし
私には
私の家族には まだまだ
沢山の試練が待ち受けていることでしょう。
でも
明日が見える。
明日が信じられる。
・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・
もし
私と同じような悩みを抱えている方が
いらっしゃるなら
心を込めてお伝えします。
あなたは決して
一人で悩みを抱えないで。
心を澄ましてみて・・。
たくさんの愛情があなたを包んでいるはず!!
たくさんの親愛なる方々が
あなたの悩みを軽減してくれるはず!!
私の体験が少しでも
悩みを抱えたあなたを救えるなら
このちっぽけな私もいつでもあなたの味方になれるはず。
苦しくて眠れない夜。
つぶされそうな心に耐えきれない時
どうぞ
私の世界へおいでください。
私もあなたの味方に加えてください。
私が救っていただいたように
私も悩みを抱えたあなたの味方になりましょう。