摂食障害 克服への道のり 秋の気配
ご近所の奥様達3人をを相手に
喰ってかかった!
原因は 摂食障害の娘を詰られたことにあった。
悔しくて 泣きながら
喰ってかかった・・・。
20年 30年来のお付き合いの方ばかり。
・・・・・
はっと 目が覚めた。
午前4時。
夢だったんだ・・・。
胸がドキドキと脈打っている。
夢だったんだ。
良かった。
ご近所の奥様とは喧嘩などしていなかった。
窓の外で ザーと雨の音がしている。
台風15号は去ってしまったはず。
Uターンして一躍話題を集めた14号の影響かな・・・。
身支度を整え
お風呂の掃除を終わらせ
洗濯機の中で出来上がっている洗濯物を
かごの中にしわを伸ばして取り出した。
干すのはみいの仕事。
パソコンを立ち上げ一息ついた。
台風情報に目をとおした。
仕事がら 数日先の天気が気にかかる様になった。
私は
自分が作り上げてきたライフスタイルに限界を感じ始めた。
出来ない。
思うように
考えているように
今までこなしてきた様々な処理が出来なくなった。
時間が足らなくなった。
懸命に支えてきた職場でも
私は今までのように
多すぎる雑用を処理できなくなった。
事務が滞るようになった。
事務を完全に行おうとすると
雑用が滞る。
会社の決算期がやってきた。
毎年残業をして
一人事務所に残って処理してきた決算処理を
昨年はどうやって行ったんだろう・・・?
HAYATOをかかえ
みいの入退院に振り回されていたはずなのに。
昨年のことなのに覚えていない・・・。
昨夜
夕食の後片付けを終えたみいが
封筒の中から数枚の写真を取り出して
嬉しそうにつぶやいた。
昨年の秋のHAYATOの写真だった。
七五三の記念写真の折のスナップ写真と
運動会の写真である。
「 これは・・・? 」
HAYATOの羽織袴ですましている写真を見て
みいはつぶやいた。
「 あれ? HAYATOの七五三の時
みいは病院だったかなあ・・・」
「 そうよね。 入院していたのかなあ
覚えてない。」
HAYATOの運動会の写真を見て
「 HAYATOは走るの早いのかなあ?」
最近までに見られなかった
母親としての温かいまなざしで
HAYATOの写真を何回も見直していた。
「 HAYATOは早いような気がするよね・・・。
今年の運動会は応援に行けるね。
アルバムに整理しないといけないね。」
「 そうよね。」
いつまでも
繰り返しHAYATOの写真を見つめるみいの姿から
みいの感情に
母親としての感情が
立ち上がってき始めたことが感じられた。
私は
摂食障害により
生死の境をさまよった娘を抱えた一年を過ごした。
摂食障害という病気により
婿は娘と孫の元から去っていったしまった。
私は娘家族の仲を取り持つことが出来なかった。
孫を父親のいない子にさせてしまった。
積み木崩しのように
ガラガラと壊れてしまったかのように思われた
娘の人生だが
歳月が流れ
すっかり回復した娘が
人並みの生活が送れるようになり
HAYATOがすくすくと育った後に
何が・・・
どんなことが
待ち受けているだろうか?
更に歳を重ねた私には
何が どんなことが見えるのだろうか?
この一年の私達家族が味わってきた思いに
何か
意味があるのだろうか?
ひとつだけ言えることがある。
嫌なことは
苦しかったことは
つらかったことは
綺麗に忘れられる日が来る。
昨夜のみいの母親らしいまなざしに触れた時
みいの入退院の繰り返しにより
少し つまずいた私自身のライフスタイルが
取り戻せる日が来たように思える。
HAYATOのために注いできた母親の代理業を
みいに返していく時が来たように思える。
みいは
少しずつ ふっくらとしてきた。
食生活も安定してきた。
抜けてしまっていた髪の毛もふさふさと育ち始めた。
時折 感情の起伏をおさえられない時もあるが
温かく包み込んでやると
さほど 気にならなくなった。
HAYATOから手を引いて
バトンをみいに渡す時期が近づいてきた。
野山は目を見張る様に
黄の色彩が増してきた。
間もなく 実りの秋が訪れる。