桃の節句
「お雛様のお祝いは
桃の花の咲く
4月3日にしようね。」
亡き姑は3月3日にお雛祭りをしなかった。
私には
嫁いできた我が家だけの家風なのか
地域の風習なのか
解らないままに
我が家の床の間では
3月3日直前の日曜日から
4月3日が過ぎた日曜日まで
お雛様を飾るのが恒例となっていた。
亡き両親から娘たちに送られたお雛様は
35年の歳月を経て
なお
優しく微笑みかけている。
娘しか育てなかった我が家で
雛壇を組み立てるのは
主人の役目だった。
男の子の孫ばかりの祖母となり
さまざまな初体験を味わっている私は
この日
またしても
男の子と女の子の特性の違いに
新鮮な驚きを味わった。
暖かい日曜日
この日は主人が留守をしていた。
二人のチビッコ達は
意気揚々と
2階の屋根裏の物置から
たくさんの小さな箱を抱えて下り
協力して雛壇を組み立て始めた。
目を輝かせて
雛壇のねじを締め
協力して棚を取り付けた。
娘たちには
見られなかった光景である。
雛壇が出来上がり
赤い毛氈を雛壇に敷き
お内裏様 お雛様を飾り始めたころ
二人は
興味を示さなくなった。
雛壇を組み立てた時の
意気込み 目の輝きが
見えなくなった。
そして
二人で 徒歩15分
坂の下のスーパーへと
雛あられを買いに出かけて行った。
私は
ひとり 亡き両親へ思いを馳せながら
お雛様を飾り付けた。
駕籠のオルゴールは
「 ひなまつり 」を奏でた。
ゆっくりとネジが緩み
三人の娘が育った昭和の時代が
懐かしくよみがえってきた。
いつも
寄り添って仲良く育っていた
彼女たちの
柔らかい頬っぺたが思い出され
涙がこぼれそうな懐かしい思いにかられた。
ぼんぼりのような
ほのかな光りを放ちながら
春の気配に包まれて
ゆっくりと 夕陽が沈んだ。
平凡に 幸せに
そして 穏やかに
時が巡り始めた。