摂食障害の娘と共に 克服への春夏秋冬
はっと
心の扉が音を立てて開いた。
仕事から帰り
トイレに入ると
そこは、良い香りで充満していた。
みいの心が・・
みいに豊かな 情緒が・・
追いついてきた。
私は思わず ほっと胸をなでおろした。
摂食障害を患い
生死の狭間をさまよった次女みいは
ゆっくりと
止まることなく 回復し続けている。
それは
春の兆しが見え始めた2月のことである。
毛糸の帽子をかぶり
履き心地は良いだろうがボロボロになった靴を履き
すっぽりと着心地の良いお父さんのジャンバーを着て
毎日 家の周りを散歩するみい。
田んぼの畔に・・・
道端の木立の根元に・・・
野生の水仙が咲き誇っている。
散歩中のみいは
その可愛らしさに
そっと 手を伸ばした・・。
そして その一輪をトイレに飾った。
私は
いつも いつも
みいの回復が
「 ここまでかな 」と言う思いを添えながら
余計な言動を一切言わずに
みいを見つめてきた。
健全なる精神は健全なる身体に宿る
待ちわびていた事が
みいの心に戻ってきた。
その日から
トイレの一輪挿しがみいの手によって
飾られ始めた。
摂食障害を患った次女みいを
藁にもすがる気持ちで
回復を望んできた日々を送った。
ストレスを与えないように
平凡で
あたたかい日々を送ることが
娘の回復への道のりであることを
念頭におき
春夏秋冬 余計な口を挟まぬように
過ごしてきた。
先がみえない事への
不安を抱きながら
私は
仕事を辞めることもなく
娘から距離をおき
心だけを副わせた一年という月日が過ぎた。
勤めながら
沢山の楽しい家族の行事を
日々の暮らしの中に盛り込んでみた。
みいは
徐々に 徐々に
回復していった。
それは
目に見えてよくなった部分や
ある日 突然
はっと思わせられる部分があった。
「 放っておけ。 放っておけば治る!」と言う
主人の言葉を胆に据え
建設的な言葉をみいに投げかけることが
処方箋であると自身に言い聞かせ
毎日を過ごしてきた。
春の兆しが見え始めたころ
家の周りの散歩が日課のみいに
豊かな情緒が ・・
心に潤いが ・・
戻ってきた。
居心地がいいのか
玄関脇で栄え続けている
亡き姑から 株分けしてもらった
名も知らない小さな花に
みいの手が そっと伸び・・・
HAYATOのお気に入りの
砂場を覗き込むように
花開いた水仙に
みいの気持ちが添えられ・・・
生活に 潤いが生まれた。
ひらひらと
ひらひらと
ひらひらと
陽光を浴びて 庭先の山吹の花びらが舞った。
「 山吹は屋敷に植えるものではないよ。
実がならないから
子孫が途絶えるよ。」と言いながら
山吹を愛した母を思い出した。
七重八重花は咲けども山吹の
みのひとつだになきぞかなしき
みいから
障害が消え去る日も
そんなに遠い日のことではないように思える。
みいの命を奪わないでと
祈った日々から
間もなく一年が来ようとしている。
一年前
明日が信じられず苦しみの中で見上げた
佐世保の市街地の街路樹は
昨年となんら変わることが無く
遠慮がちな 青い空の下で
柔らかく空を仰いでいる。
この街の中を
間もなく爽やかな薫風がそよぐことを信じて。
人生 苦しい事ばかりでは 無いんだね・・・。
なぜだか
ほっと 胸が軽くなった。