鹿児島・宮崎・熊本そして長崎の旅 その二
8月15日
( 鹿児島~宮崎~熊本~宮崎)
湯煙の上がる霧島温泉郷に朝がやってきた。
午前5時30分
家族そろって目が覚めてしまった。
上機嫌のHAYATOは
4人分の布団でいっぱいの部屋が珍しく
一つの部屋で家族がそろって寝ていたのが
よほど嬉しいのか
横になっているみんなの上に
ゴロンゴロンと乗りあがっては転げ
愉快そうにふざけていた。
午前6時すぎ
そろって 温泉(今朝は大浴場)へと出かけた。
広い浴場には
さまざまな湯船があり
更に露天風呂もあって(昨夜利用した露天風呂とは違う)
ゆったりと
朝風呂を楽しむことができた。
午前7時
朝食会場は多くの人で賑わっていた。
バイキング形式の朝食は
メニューも豊富で
旅の朝のスタートには申し分なかった。
バイキングが好きなみいの
旅行中でもっとも楽しそうな一時であるのは
言うまでもない。
食後 出発までの時間
みいは一人でホテル周辺の散策に出かけて行った。
いつもの習慣である。
昨年の今頃
一人で外出するみいを
「 ちゃんと 家に帰って来れるのかなぁ 」と
目に見えないみいの脳への障害が
不安でたまらなかったのが
ウソのように感じられるようになった。
摂食障害による身体の異変で
結石に悩まされ
尿路結石の手術後の状態から記憶をなくし
高次脳機能障害と診断されたみいは
奇跡的に回復を成し遂げた。
もう なんの心配も必要ない。
ただ 身体の極限状態を味わっていた頃の
記憶は戻ってきていない様であるが
「 人間 忘れてしまいたくて苦しんでいるんだから
みいは忘れた方が よかゾ! 」という
主人の言葉に支えられて
今の私は
離婚前後に行った様々な諸手続きの内容が
みい自身が行ったにかかわらず
みいの記憶に残っていないが
さほど問題にすることはないと
軽く流せるようになっている。
数冊の旅雑誌をチェックしてから
ホテルの売店で
焼酎
「深山酒」を買い込んだ。
昨夜の試飲でとても美味しかったので
土産を買うのが下手な私だが
大判風呂敷を広げ沢山買い込んだ。
この思わずたくさん買い込んだ焼酎が
後で役にたつなんて思いもしなかったが
この時は無意識だった。
後で役に立つ・・・・ 又後ほど。
午前9時前 霧島国際ホテルを後にして
宮崎 照葉樹林都市 綾町へと向かった。
カーナビの目的地に
「 綾照葉大吊橋 」をセットして
出発した。
車は
昨日参拝した
南九州最大の規模と歴史を誇る
霧島神宮の大きな鳥居の前を通り
宮崎県へと入った。
昨日
霧島神宮を後にするときくぐった鳥居を
誰よりも早く目にしたHAYATOは
興奮した声で
「 おとうさん ほらほら 昨日のおおきな鳥居だよ。」と
鳥居横の信号機でストップした嬉しさに
身を乗り出すようにして
主人に教えた。
昨日
視界を遮られるほどの夕立にあい
土砂降りの中 ハンドルを握り
目を凝らしていく先を見つめていたため
鳥居を見ることが出来なかったのは
主人だけだった。
そのことを意識して
HAYATOは興奮して教えた。
HAYATOは
幼稚園の頃から
じいじのことを「 おとうさん 」と呼ぶようになった。
それは 父親を意味して呼ぶのとは違い
家族中が「 おとうさん 」と呼びかけるので
呼んでいるだけにすぎない。
森林セラピー基地の中を走る道は
緩やかなカーブが続き
道脇の覆いかぶさる様な深緑が
陽が高く猛暑のはずの夏の朝を涼しげに演出していた。
霧島バードラインと呼ばれる国道223号線を
高原町へと下っていった。
霧島高原を後にしてから
観光バスで高い位置から車窓見物をするなら
きっと
ドイツのロマンチック街道に引けを取らないような
のどかでなだらかな農村風景が望まれる場所が
数か所見られた。
更に
カーナビは
平凡な街並みを通過して
再び、森林セラピー基地に認定されている
宮崎県東諸県郡綾町の照葉大吊橋へと
導いた。
地図の大好きな私は
常に後部座席で地図を広げ
所在地を確認することを怠らなかった。
私にとって
現在自分がどこに居るのか
地図上でどの位置に立っているのか
どの道を通っているのか
何よりも興味があることであり
旅をする大きな楽しみのひとつである。
穏やかに広がる農園地帯を抜け
道は照葉樹林の広がる山あいに入り込んでいった。
ところどころの川では
川遊びを楽しむ人たちの姿が
目についた。
四国の山村で幼少期を過ごした私には
山里での夏ならではのこの光景が
当たり前のように想像できたので
できれば
川でHAYATOを川で泳がせたかったから
トランクにはHAYATOの水泳バックと
私たちのサンダルを入れて来ていたが
深い川岸まで下りていくのは
ちょっと無理があったのであきらめることにした。
更に谷深い山間に車を進めると
大橋が見えてきた。
大橋の下をくぐり
駐車場へと到着した。
142mの高さに架設された
250mの長さの橋の下には
見渡す限りの照葉樹林の森が
広がっていた。
シイ カシ タブ ヤブツバキなどの
一年中緑の葉をつけている広葉樹の森が
眼下に広がっていた。
吊り橋を渡り終えると
左下への遊歩道への案内と
右上に山神さまの所在が案内されていた。
今日の行程はこの後再び車窓見物が続くので
ここで
元気の有り余っているHAYATOを
運動させたかったので
更に山道を登ってみる事にした。
飲み物を持ってこなかったことを後悔しながら
山の神様「 照葉大山神 」に参拝した。
葉が茂り
陽が射さない山道をひたすら登り
小さな神社にお参りをした。
みいが祠の中のノートに記名を残して
山を下った。
少しヒールの高いサンダル履きの私は
足元に注意しながら降りた。
後数年で60歳を迎えようとしている私は
ここで足をくじいたら
楽しい旅が台無しになってしまう・・・と
念頭に置き
山神さまにお参りしたにも関わらず
頭の中はそのことで埋め尽くされていた。
清い心 気高い心・・・とは程遠かった。
元気の有り余っているHAYATOは
くねくねと下る急な山道をさっさと降りていき
視界の中にはいなかった。
かすかに揺れる吊り橋は
広大な山肌を渡ってきた風がそよぎ
遥か眼下に流れる川は清涼感にあふれ
スリルのある感覚は
しばし
降り注がれる太陽に日差しを忘れさせた。
吊り橋を渡り終えたHAYATOは
数人の行列に並んでかき氷を求めた。
私達は
車のトランクの中のクーラーから
よく冷えた飲み物を取り出した。
主人は
私の望む場所にカーナビをセットした。
亡き母の育った故郷への住所に向かって
車を発進させた。
私たちは
カーナビを信じ
私は 逸る心をおさえ話を弾ませた。
きっと
すごい田舎だろうから
途中でお弁当をかって
涼しげな川沿いで食べようと計画した。
みいが軽くつぶやいた。
「 お母さん 変わってるよね。
私は
お母さんの生まれ育った土地を見てみたいなんて
思ったことなんてないよ。 」 と。
そう
きっと 私は変わっている・・。
そう 思える。
だからこの私を育てた母の生い立ちを知りたい。