漫画 ペコロスの母に・・

パールじゅんこ

2014年05月27日 23:05

昨年の初冬の頃
あわただしく過ぎていく朝のひと時に
テレビで紹介された映画があった。



舞台は長崎
「赤木春恵」扮する
80歳を過ぎ認知症が始まった母親と
介護をするその息子を 「岩松了」が演じる
エッセイコミックをもとにした映画だった。

興味をひかれたが
映画館に出かけていく時間が取れなかった。

その興味を
私は一冊の本で満たした。

  著者 岡野雄一
「ペコロスの母に会いに行く」


田舎の書店に並んでいなかったその本を
取り寄せてもらうことにした。
私は
その本が届くまで
原作「ペコロスの母に会いに行く」が
漫画であることを知らなかった。

映画を観に行きたかったその思いを
一冊の本にこめて
真新しいページを開いた。

  

  エンドレスシアター春
  エンドレスシアター夏
  エンドレスシアター秋
  エンドレスシアター冬

  

  
・・・と母親の日常をつづった
      漫画が描かれていた。




そのやり取りの言葉は
長崎弁で綴られていた。

 義姉さんあん人はどげんしとんなっとですか?

 あん人・・  どん人

 あん人ですよ。 ほらあの

 ああ あん人 あん人はあげん目におうて
 あげんなってしもうたもんネ
 あいで良かったかしらん

  ~~~  ~~~

 そん人は誰ですか

 だい(誰)って
 あん人ですよ  ほらあの

 ああ あん人  あん人はあげん目におうて

 だい(誰)そい?
 


         

徳島で生まれ育ち
大阪で主人と知り合い
九州に嫁いできた私は
もう37~8年 九州弁の中で暮らしてきた。
九州弁にはなじんでいると自負しているが
正直
方言で綴られている会話は
活字となると非常に読みづらかった。

しかも
認知症の母親を主人公としたその内容は
現在の出来事と過去の記憶が
常に交差していた。


私は
漫画なのに
非常に頭を使って読まなければ
理解が出来ないところに
軽くストレスを感じた。

軽い気持ちで読み進めていると
内容は
ずーと過去にさかのぼっていたり
かと思うと
今の出来事が描かれていたり・・

なんだか
こんがらがって
肩に力が入ってしまった。

この漫画のどこが
第42回日本漫画家協会優秀賞受賞なのかなぁ・・
と思いながら
やっと
読み終えて本棚になおしてしまった。

亡き父と母 そして舅と姑
亡き叔父や叔母
誰一人として認知症を患っている人はいなかったので
認知症という病を理解することが出来なかった。 



一緒に働いているパート勤務の○○やんが
仕事中に
すぐ近くの自宅に帰ることが多くなった。

「 親父を病院に・・ 」
「 親父の点滴が済んでから出勤する・・・」
「 親父を入院させた。」
「 帰る帰る・・とうるさいので退院させる・・」

お父さんどう?
  急に高熱が出たがもう大丈夫。

お父さんどうだった?
  訳 分からんことばっかり言う。

お父さん落ち着いてる?
  ボケた。

  ・・・・・   ・・・・・  ・・・・・

私より10歳若い○○やんは
心根の優しい親孝行息子である。


私は
ふと 本棚の漫画を再び読んでみた。
「ペコロスの母に会いに行く 」

あんなに
ストレスを感じ
せっかく買ったのだから・・という思いだけで
やっと完読した漫画本が
読み直してみると
今度は不思議とすんなり 内容を理解できた。

そして 感動を覚えた。

著者の
お母さんを見つめる愛情を
感じるとることが出来たのであった。

最終ページに寄せられた
詩人 伊藤比呂実の言葉が
頭から はなれなくなった。

 人には人の老い方がある。
 生き方がある。
 死に方がある。
 そして
 人には人の介護のかたちがある。

私はすでに両親 舅姑に会うことは
夢の中でしか叶わない。

姑と関わった10年間は
施設に入れていることへの罪悪感にとらわれていた。


介護を必要とするものを
介護する者
 

倒れてしまいそうな
介護する者の心を支える者

私は
若い○○やんが突入した
認知症の父親の介護という日々に
適切な 優しい言葉をかけてあげることが出来るだろうか。


「ペコロスの母に会いに行く」が
こんなに
あったかく 切ない物語であることを
○○やんをとおして理解できたのである。