つかの間の里帰り

パールじゅんこ

2015年03月30日 02:11

春休みを迎えた土曜日、日曜日を利用して
兄の見舞いのため
徳島への里帰りを実行した。

長旅である。

ひたすら
車を走らせなければならない。

いろんなコースの中から
孫くんを連れての道中の計画を練った。

金曜日の午後8時出港の阪急フェリーを
利用して翌朝神戸に到着。
明石海峡大橋を通り
淡路島経由で徳島入りをした。

兄を見舞った後
徳島から高松経由で愛媛に移動し一泊して
八幡浜 もしくは 三崎から
九州へと帰る計画が実行された。


27日金曜日
午後8時に福岡 新門司港を出た阪急フェリーは
翌朝 午前8時30分に神戸に到着した。


肌寒い神戸の朝は晴れ渡っていた。


どちらを選ぼうかと迷った
大分発のフェリー「さんふらわぁ」が
一足早く 神戸に到着していた。



今回は
一仕事してからの自宅を出発だったので
若干近くて出港時間が遅い阪急フェリーを選んだ。

「さんふらわぁ」は娘の大好きなバイキングで
夕食を楽しめるので捨てがたかったが
出港時間の関係上
阪急フェリーを選んだ。




いつものように
淡路SAで休憩をとり
淡路島を横断して徳島へと入った。


 3月15日に
 鳴門から徳島への区間を
 高速が開通してずいぶん時間が短縮されていた。

 しかし
 カーナビが更新されていなかったので
 何だかカーナビに振り回されて迷ってしまい
 ずいぶん時間が無駄になった。

 脳出血で倒れた兄を見舞ってから
 午後に香川県高松に向かった。

 高松で孫くんの為に
 一つの楽しみを準備しての里帰りだった。


 リハビリの専門病院を出てから
 次々と新しい高速道路が出来ている徳島市内で
 再び 更新が出来ていないカーナビに振り回され
 道に迷ってしまい
 沢山の時間が無駄になってしまったのである。
 更に市内までの道路の渋滞に巻き込まれた。

 徳島~鳴門を経由して高松道に入ったすぐに
 
 午後2時出港の
 高松発女木島行きのフェリーには乗れそうにないことが
 明らかになった。


 里帰りを前に
 桃太郎が鬼を退治した島を見に行く約束をしていた為
 ここで
 あきらめるわけにはいかなかった。

 私は
 ハンドルを握り 時速120キロで進む主人の横で
 高松の海上タクシーに電話を入れて
 高松から女木島への移動を予約した。

 一時間後の午後2時30分の予約が取れたので
 高松港へと向かった。

 高松港は
 立派な桟橋が4基設置されており
 瀬戸内海の島々への小さなフェリーが次々と発着して
 賑やかで洗練された港だった。
 
 
 

 急きょ予約した海上タクシーは
 一番離れた桟橋の
 一番離れた場所に停泊して 待っていてくれた。
 


  34フィートのクルーザーは
  
  高松港の目の前の女木島へと向かった。

  

 プレジャーボートに乗り慣れている娘と孫くんだが
 フライングブリッジが珍しくて
 クルーザーに乗り込むとすぐに2Fへと上り
 風を受けて島までのクルージングを楽しんだ。

 10分ちょっとで鬼ヶ島伝説の女木島へと到着した。
  







       





 約3時間
 桜の開花を待ちわびている瀬戸内海の島で
 ハイキング( ???  )した。

 ひと汗かいた おとぎの国の出来事は  次回に




 高松を後に愛媛まで移動し一泊した後
 日曜日には
 適当に息抜きをし乍ら・・・

   
      
          

 愛媛 三崎港に移動し
 午後3時30分の 国道九四フェリーで四国を後にした。

   


 午後4時40分 大分 佐賀関へと到着した。



 
                   


 兄は 突然襲った病のための
 後遺症と戦わなければならない日々が始まった。

 リハビリ専門の病院の廊下を看護師さんに付き添われて
 杖を突き
 足首から足に装具を付けた兄が歩いてやってきた時には
 心を締め付けられる思いがした。

 
 
 
 63歳の兄が
 歳月がかかるだろうが
 後遺症を克服できる日がやってくることを
 私は心底信じることが出来る。

 あんなに生死の堺をさまよった娘が
 ここまで回復できたのだから
 心の底から 
 人間の治癒力を信じることが出来るのである。

 遠く離れて暮らす
 兄と 兄を支える義姉の未来が
 肩の力を吹いて笑いあえる日が来ることが来るはずである。
 偉そうだが 生意気だが
 私にはわかるような気がする。

 二人を
 亡き父や 亡き母が 
 見守ってくれているような気がするのである。

 
 兄は
 さんさんと春の暖かい陽ざしが差し込む病室で
 「 元気になって 九州に出てくるぞ 」と
 言った。

 言語障害が残った   と言われる兄の言葉は
 はっきりと聞き取ることが出来た。

 兄が約束を守ってくれる日がきっとやってくると
 信じることが出来る。