盲腸ガン(大腸ガン) 術後補助化学療法
私は叱られた。
「 お前は ガンをなめとる!」 と。
2月に盲腸ガンの手術をして
今までと同じように
がむしゃらに働いている私。
61歳
ステージⅡと診断された私は
静脈侵襲が考えられるので
術後補助化学療法として
「ゼローダ」を服用することになった。
2週間ゼローダを服用し1週間休薬する。
その3週間を1コースと設定し
6ヶ月間抗がん剤治療が進められていた。
体調はすこぶる良く
私は疲れも知らず
今までと同じように・・・・
今まで以上に仕事に没頭していた。
2コース目の4月中旬
私の手足は色素沈着が始まり
足の裏裏はかかとや指の周りが黒くなり
大きな濃いあざが出てきた。
掌もしわの中が黒くなり
手のひらの皮膚の中から黒いしみが
沢山浮き出してきた。
大きな黒いしみが増え
指の周りが黒くなった。
足の裏も全体的に色が黒くなった。
掌はしわの中が驚くほど黒くなった。
皮膚の中から
黒いしみが浮き出してきた。
太陽の下で働く私はもともと肌の色が黒い。
特別気にもならず
日々元気に暮らしていた。
3コースが終わり
4月中旬に通院した私は
ゼローダの服用をストップすることになった。
これ以上ゼローダを服用することよって
指先に水泡が出来き皮膚が破れ
足の裏も皮が破れ
歩くのも困難になってしまうからである。
私は3週間置きに通院し受診している。
最近ではの6月6日に通院した。
まだ黒味が取れない私の指先や足の裏を診た担当医は
指先をぬらさないように手袋を着用して
水仕事をするように指示をした。
指先も 足の裏も
保湿剤をぬって皮膚の乾燥を防ぐことの大切さを
私に指導した。
紫外線に当たりすぎないように説いた。
ゼローダが良い効き目を現しているのだから
出来るだけ副作用を起こさないようにして
抗がん剤治療を進めたい旨私に伝えた。
私は
甘く考えていた。
指先や 足の裏が乾燥しているように感じなかった為
保湿剤を小まめに塗っていなかった。
手袋も使わず水仕事をし
タオルでさっとふくだけだった。
医師の瞳の奥から
真摯に「人の命を預かる」という真剣さが
伝わってきた。
仕事に対する熱心さが感じられた。
充分に!
目から鱗が落ちる。
まさにそんな思いがした。
私は
私の命を救おうとしてくれる医師の指導を
真剣に受け止めなければならない。
早速数枚のビニール手袋を購入して帰った。
極力素手で水仕事をしないことにした。
職場では
ひっきりなしにやってくる沢山のお客さまの
コップを洗わなければならないが
必ずビニール手袋をして洗うことにした。
屋外に出ての作業は分厚い手袋をはめた。
水に触れた後は
必ず処方されている保湿剤と軟膏を指先に塗った。
通院してから1週間ほどで
指先の症状は見る見るうちに緩和していった。
私は
一つの命を救おうとしてくれている担当医に
ぴったりと足並みをそろえて
治療を受けていかなければならない。
のほほんとしている私は
「 お前はガンをなめている! 」と
主人から叱られた。
返す言葉がなかった。
毎日のように会社にやってくる資材の卸屋さんは
屋外で働く私の体を案じてくれる。
本人が数年前に胃ガンの手術を受けている為
ガンに対して知識があるからである。
私は
今は仕事に没頭する前に
第一に体を労わることをしなければならない。
患者の一人として
優等生になれないかもしれないが
担当医の真摯さにこたえなければならない。
私は疲れ知らずの体を持っている。
そのことに甘んじることなく
なめてかからず
自身を大切にしていかなければならない。
この綺麗な世界で
一日でも長く生きて行きたい。
大切な家族と 思い出を積み重ねたい。
「 HAYATO 次はどこに行こうか 」
毎晩入浴前に
洗面所に張られた世界地図を眺めるHAYATOに声をかけた。
「 ばあば オーストラリアのダーブィンに行って釣りをしたい。」
「 楽しそうねぇ・・。
行ったことがない国を経由していこうか!
ダーブィンまでの直行便はないから。」
私は再び新しい希望が出来た。
体を労わりながら
真剣に働き 収入を得て
又見知らぬ土地へと旅に出かけよう・・・と。
「 お前はガンをなめとる ! 」
主人の一言を忘れてはならない。
何事も 我儘な私の望みを叶えてくれる主人と
巡り合えたことの大切さを心して
与えられた命を無駄にしないように
生きて行かなければ・・・!
家族と共に。
神さましか知らない私の人生の行く先が
どうか楽しいものでありますように。