2019年01月02日
乳がん (ステージⅡB) 手術~退院

12月14日(金) 午前7時30分
主人に付き添われて 家を出た。
乳がんの手術の日である。
玄関の南天がたわわに実をつけていた。
そっと
手を差し伸べて支えてあげたいほどに頭を垂れて
艶っぽく私を送り出してくれたのである。

12月14日(金) 入院日 手術
午前8時10分 病院着
入院支援室で手続きを済ませ
外来窓口へと向かった。
午前8時50分
主人に荷物を渡し手術室へと入った。
1年10ケ月前に
盲腸ガンの手術を受けていたので
勝手がわかっているためか
落ち着いて行動することができた。
午前9時 手術開始
静かに冬の日の時間が流れていった。
意識のない間に
私の身体から病巣が取り除かれたのである。
切り取られた
左のおっぱいと
脇の下のリンパ節(5~6cmを10本ほど)は
主人に説明された後
病理診断検査に出された。
その結果により
術後の抗がん剤治療が方向づけられるのである。
午前11時30分
4人部屋の窓際のベットで
すっきりと意識が戻った。
だが
その後 再び強い睡魔が襲ってきて
夕方までぐっすりと眠っていた。
目が覚めると
枕元にはすでに主人の姿はなかった。
私の体には
酸素吸入 尿の菅 点滴 ドレーンが装着されていた。
窮屈ではあったが
痛みもなく なんの苦痛も伴わなかったので
厄介な病気の手術を行ったように思えなかった。

夕方6時
夕食が運ばれてきた。
普通食であることが 嬉しかった。

ベットに起き上がり
カーテンで仕切られた狭い空間の中で
独りぼっちで 味気ない晩御飯を終わらせ
又
ぐっすりと朝まで眠った。
トイレに行きたかったが
尿管がつけられていたので
尿意を無視して眠り続けた。
「起きなければいけない」ということを
考えなくても良いことが
なんだかとっても幸せだった。




12月15日(土) (入院2日目)
すっきりと目が覚めた。
午前8時
朝食が運ばれてきた。
ふりかけをたっぷりかけて
よ~~~く噛んで
時間を引き延ばして朝ご飯を食べた。
又もや
独りぼっちの味気ない食事だった。
野菜が欲しいな・・・・
味噌汁・・・ 次回入院するときにはだしの素もって来よう・・
なんて
我が儘がむくむくと湧いてきた。






午前10時 点滴と尿管が外された。
体は手術後の痛みもなく
快適なベット生活を送った。
「矢作 直樹」の単行本を読みふけった。




12月16日(日) (入院3日目)
朝

昼

晩

読書を楽しんだり
「大人のぬりえ」に没頭したり
気楽な一日が終わった。




12月17日(月) (入院4日目)
ドレンが外された。

シャワーの許可が下りた。
早速シャワーの順番をとり
シャワーを使い
洗濯を終わらせすっきりと気分爽快となった。
夕方より
左わきの下の感覚がなく
腕の上げ下ろしには影響がないが
しびれているように感じられた。




12月18日(火) (入院5日目)
手術後安定して快復していたので
木曜日に退院が確定した。







12月19日(水) (入院6日目)
傷口のテープを外し
数本だけ 抜糸を行った。
シャワーを浴び 洗濯をして乾燥機にかけた。
お昼ご飯のうどんがとても美味しかった。

相変らず
読書や 塗り絵
タブレットで
退院後に控えている旅行の情報収集に追われた。
最初で最後のリハビリに声がかかった。
アッというう間に時間が過ぎて行った。




12月20日(木) (入院7日目) 退院
朝食を済ませ
荷物をまとめ退院の準備をした。
午前10時30分
入院費が計算されて 退院の運びとなった。
左脇がしびれているが
痛みもなく 元気に自宅に戻った。
庭では山茶花が 咲き誇っていた。


愛犬レオンのいない庭では
金柑がたくさんの実をつけていた。

私が この世から旅立ち
別の世界へと移行したときに
14歳でこの世から旅立ったレオンとも再び会えるのかな・・・
東大病院救急部のトップとして
生と死の現場で命と向き合ってきた医師
「矢作直樹」氏の
究極の死生観は
倒れそうな私の心を支えてくれたのである。
古神道に「中今(なかいま)」という言葉があります。
過去はどうあったにせよ
今を生きることが大切だという意味です。
過去も未来も今の連続です。
時間というのは
今の意識が連続して作り出された集合体です。
だから
過去が 未来が とことさら終着する必要はないのです。
今を楽しむこと
たったそれだけで人生が変わります。
お天道さまに見守られて
私は この命をどこまで全うすることができるだろうか・・・・
退院した翌日12月20日から仕事に復帰した。
12月30日まで主人に助けられながら仕事を熟した。
目覚ましをかけない大みそかの朝を迎え
またまた
目覚まし時計のスイッチを切った元旦の朝を迎えた。
平成31年1月1日
昨年まで
欠かすことなく行ってきた「白岳登山」を
今年の元旦はあきらめた。

(昨年平成30年 元旦 白岳登頂)



残念だが
今年の私の左腕は
この岩場を登るのは無理だった。
12月27日
私はすこぶる快調で診察室を訪れたのだった。
抜糸の為の診察時に担当医の言った
「痛み止めのお薬を出しておきましょうか」という言葉を
受け入れなかったことを
少々公開をし始めている。
日増しに
リンパ節を切除した左脇が痛み始めた。
それと同時に
左胸全体が
歩くことによって受ける振動で
痛みが強くなり始めたのである。
オーストラリア ダーウインへの旅行の出発日まで
二日となった元旦に
二階の屋根裏の倉庫から
主人におろしてもらったスーツケースに
家族の荷物をまとめた。
私は体が思うように身軽に動かなかった。
少しだけ弱気になった気分を
家族に隠し
準備万端 整えた。
パスポート
ETAS証明
eチケット
常備薬
クレジットカード
様々なチェックを済ませた。
一年間の自分へのご褒美の旅は
「 ワクワクと今を生きることの中に
すべての答えがあります。」という
矢作先生を応援する榎本孝明氏の言葉を
見習ってみようと思うのである。
時の流れは早いもので
すでに
平成31年の元旦を過去のものとしてしまった。
旅立ちまで
28時間となった。
白岳の神様
その麓に暮らす我が家族ををどうかお導き下さい。
新しい年を幸せに過ごせますように・・・。

Posted by パールじゅんこ at 01:26│Comments(0)
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