
2019年04月18日
長兄の遺言 亡き父の望み「牛島満氏の写真」
春分の日は長兄の三回忌だった。
前日 主人と二人で四国へと向かった。
大分臼杵港から
愛媛県八幡浜港への
オレンジフェリーを利用した。
(11:35出発 → 13:55到着)
予定より早く臼杵に到着したので
港の近くの臼杵城に立ち寄り
時間の調整をした。
桜の開花時期には少し早かったが
ほんわかと降り注ぐお日様の下で
境内をゆっくりと散策した。
1時間ほど臼杵城を散策した後
港へ向かった。
予約していたオレンジフェリーに乗り込んだ。
船室は清潔で
過ごしやすかった。
空いていたので2等客室でも
静かで過ごしやすかった。
2時間30分の航路を
うとうとと眠り体を休めた。
定刻通り八幡浜港に到着した。
八幡浜港から197号線を通り
四万十川の上流から高知へと向かった。
高知市内を通り
更に南国市を通り過ぎ
室戸岬の手前で一泊した。
ホテルなはり(安芸郡奈半利町)
大浴場を利用した主人と共に
夕食会場へと向かった。
残念なことに
乳がんの術後の私は大浴場へとは
行けなかった。
マグロ料理の夕食はとても美味しかった。
朝食前に
主人は快適だった大浴場に向かい
ひと風呂浴びた。
朝食も豪華で美味しかった。
バイキングに慣らされているので
「ホテルなはり」での食事が
新鮮でとても満足した。
雨の春分の日がスタートした。
雨降りの四国道は
長い里帰りで初めての事だった。
道沿いには
雨具に身をまとった沢山のお遍路さんがいた。
室戸岬から約1時間で実家へと着いた。
小雨の中
懐かしい父や母
優しかった祖母や祖父と共に眠る
兄に手を合わせた。
大里松原の海岸に隣接した墓地は
太平洋から寄せては返す波の音が
途切れることは無かった。
私はやらなければならないことがある。
亡き父の
生前に望んでいたことを
受け継いだ長兄の遺言を
叶えなければならなかった。
牛島満氏の右後ろに父が写っている。
実家の兄嫁から
父の写真と共に
牛島満氏から頂いたと思われる文を
託された。
牛島満(うしじま・みつる)
1887年7月31日~1945年6月23日)
第二次世界大戦の沖縄戦にて
第32軍司令官を務めた。
沖縄戦で散った日本の軍人である。
亡き父は
牛島満氏の写真を
家族に届けたかったのである。
お孫さんである牛島貞満氏は
今も
「牛島満と沖縄戦」をテーマに
平和学習に取り組んでいるはずである。
私は 兄の他界する前に
牛島貞満氏と連絡がついていた。
が
そのまま保留となっていたのであった。
私はやり残している
大きな問題を抱えているのであった。