2020年07月08日
貸し別荘 颯ん家(はやてんち)
平成31年
突然の病に襲われた義弟は
あっけなく私達の住む世界から
旅立ってしまった。
主人の義弟は
愛犬ジョンを家族に暮らした
ログハウスを残して逝ってしまった。
私は義弟の残したこの写真が好きだった。
弟がこの世を去る1年前に他界したジョンの
写真だった。
家族を持たない義弟が
こよなく愛情を注いだジョンを見つめて
シャッターをきったこの一枚の写真には
ジョンの足元に
影として義弟が写っているのである。
この一枚の写真から
この穏やかな地で
ジョンと暮らした義弟の生きてきた証しが
脈々と感じ取れるのである。
ふたりは寄り添って
春夏秋冬
朝 昼 夕と
この景色を眺めて暮らしたのだった。
主人と兄弟仲が良かった義弟は
常に行動を共にしていた。
私とも20歳の頃からの付き合いであった。
住人がいなくなったこの家を
手放さずに
大切に守って行く事に決めた時
「この家を維持していくためには
金がかかるぞ。」 と主人
現実をしっかり見つめる主人と
現実離れした思想の持ち主の私
きっちりと物事を考えて生きる主人は
この家に必要な経費を算出した。
それはそうだ。
固定資産税
誰も住まなくても水道光熱費
修繕費を含む維持管理費
周りは野山である・・・当然常に草刈り
夢のようなことばかり考える浮ついた私・・
「貸別荘として
誰かに喜んで使ってもらうようにしよう。
手放したくないよね。
知らない人の手に渡したくないよね・・
KOUZIさんもその方が嬉しいと思うよ。」
「お前が言うなら
それで良かたい。」
いつものパターンである。
いつも言い出しっぺはこの私。
そして
それに付き合わされて
尻拭いは主人である。
私達夫婦は
二人で立ち向かっていく一つの目標を
義弟からもらったのである。
ログハウスの進むべきレールが引かれてから
相続の為の法的な手続き
古くなっている家の改築
家の周囲の整備 等に取り掛かった。
定年退職を迎えた主人は
仕事で培ってきた知識で
難問を着々と片付けて行った。
難問・・・
え? 家の登記ができていない・・
無知な私。 そんな事あるの?
だってKOUZIさん名義だよ。
ちゃんと税金も払っているのに・・
「未登記建物」で義弟本人が暮らしていく上では
なんら問題は発生することはなかったらしい。
え? 道路から玄関先まで他人名義の土地?
家の敷地は道路に面しているが
斜面で石垣を継いであるから
他人名義の土地を通らないと
玄関先までは行けない。
元 田んぼだった一部分の数メートルを
そのまま埋めて使わせてもらってきたのである。
田舎である・・・
善良な地主さんであり問題はなかった。
だが長い将来を考えると問題が起こるはずである。
地主さんにお願いして
荒れている田を原野に地目変更した上で
購入し 主人名義に変更手続きができた。
え? 車庫の確認申請出していなかったの?
なんで・・・
あんなにきっりしたKOUZIさん どうしたの。
大工さんがついていながら・・・?
じゃあ 何年かにさかのぼって税金払わなくてはね。
え?
家の敷地の境界がはっきりわからない?
じゃあ 家の周り草ボーボーだが
どこまで整備したらいいのかわからない・・・
測量し直してもらうには
費用がかかる。
やれやれ・・・の諸問題。
そこは定年前の職場での経験を生かした
主人の得意分野である。
お陰で定年後だったので
時間がたっぷりあったのが幸いだった。
なんだかんだと
面倒な手続きを全て終了させるまで
主人は奮闘した。
私は
貸し別荘として貸し出すために
家の中を整理し掃除を進め
宿泊の為の準備を進めていった。
頭の痛い問題を片付ける主人の傍らで
夢を抱いた能天気な私がいた。
主人は私の行動に・・
とんでもない発想に・・
付き合わされて振り回される。
きっと
もう一度人生やり直されるなら
私みたいな女はまっぴらご免だと考えるだろう。
様々な とても面倒な諸手続きが終了し
ログハウスの名義は
義弟から主人へと受け継がれた。
私と主人の共同作業が始まったのである。
傷んでいた屋根や壁の塗装も終わり
赤い屋根のログハウスが
海を見下ろす丘の上に誕生した。
一級土木施工管理技士の資格を持つ主人は
自らパワーショベルに乗り
家の周りの整備に励んだ。
私は相変わらず 一方的に物事を進めてしまう。
器用で生真面目な主人は相変わらず
全て尻拭いを強いられた。 が
楽しそうだった。
季節は停まることなく 回り続けた。
主人は・・・
私がネットで注文したテーブルセットを組み立て
私がネットで注文したBBQコンロを組み立て
大工仕事にも精を出した。
玄関先までの入り口に
スロープの登り口をつくったり
更に
ベランダから車いすで庭に降りられるように
スロープの登り台をつくった。
そして
足の不自由な方が車いすで
上の段にある庭から
下段のBBQ広場に降りて行けるように
スロープで舗装を外注した。
雑草に悩まされた庭に真砂土を敷き詰めた。
主人のDIYへの取り組みは
益々磨きがかかり
素敵なテーブルとイスまで出来上がったのである。
宿泊利用してくださった方が
仲間といつまでも
主人が造ったテーブルに着き
親睦を深められる姿を想像すると
心の中に
ほんわりとした灯りがともったような
優しい気持ちになった。
我が家のご近所さんの
「チエンソーアート 尾崎」さんから
譲ってもらった「タカ」が庭越しに海を眺めた。
下の段の庭にBBQコーナーが出来上がった。
ここでも
一羽のタカ(チエンソーアート)が見下ろしていた
D I Yを楽しむ主人の傍らで
私はせっせとガーデニングに精を出した。
時間を忘れて
大画面で映画鑑賞でもしてもらえればと
75インチのテレビを据えた。
テレビの前でくつろぐお客様の姿を想像すると
わくわくした。
3部屋ある寝室の寝具を
夏バージョンに変えた。
1階の寝室は
車いすの方が宿泊できるよう
ベットの横に車いすが入れるスペースを確保してみた。
昼間仕事をしている私は
午後5時過ぎからの時間を利用して
娘が準備してくれる夕食の時間までの
数時間をここで過ごした。
主人と一緒に
黙々と働く時間は満たされていた。
私は
毎朝舅や姑と共に義弟が眠る仏壇に手を合わせ
笑顔の写真の義弟に
ログハウスの変化の様子を報告するのが
日課となっている。
私に付き合わされ
コツコツと働く主人は7月終わりで66歳
腰部脊柱管狭窄症が進み始めた。
二つのガンにも負けずせっせと働く丈夫な
私は64歳
「後鼻漏」という厄介な病気に悩まされ始めた。
このプロジェクトは二人のどちらかが掛けたら
おしまいである。
私達ふたりの定命がどこにあるのか・・・・・
私達の合言葉は
「早いもの勝ちだよ。」
