2024年05月04日
娘の摂食障害を乗り越えて。
我が家は
嫁いだ娘の摂食障害という病気を抱え
苦しい時間を強いられていた。
沢山の方に支えられ
はげまされながら
大きな試練を乗り越え
一歩 前に踏み出した。


2014年 2月 東京
摂食障害で
何回も入退院を繰り返し
生死の狭間をさまよったみいは
記憶喪失を患い
この時
「 高次脳機能障」と診断されていた。
はやと 小学1年生
知人と共に7名で東京見物に出かけた。
私は
みんなの心配と反対を押し切って
はやととみいを二人っきりで
ディズニーランドの入場門の前でおろし
東京湾アクアラインへと
ドライブに出かけた。
みいが
当たり前のことができるか否か
周りはもちろん
母親である私にもわからなかった。
みんなから
「無謀だ
」と言われながら。

「何かあったら ばぁばに連絡しなさいね」と
はやとの首に携帯電話をかけて別れた。
私は
今日のために
みいとはぐれたとき
どうすればいいのかをはやとに教えこんだ。
千葉~東京湾アクアライン~東京を
ドライブを楽しんで
再びデズニーランドに戻った。
一度だけ
はやとから電話が入った。
なんの問題もなく
みいと遊んでいるのが伝えられた。
二人を車から降ろしたときに
約束した場所で
きちんと約束した時間に
みいとはやとは笑顔で待っていた。



あれから10年の歳月が流れた。




私たち家族は
みいの病気で
苦しくつらい時期を乗り越えてきた。
楽しみを見つけて暮らしていこうと
懸命に働き
様々なところへと
旅行に出かけ
かけがえのない思い出を積み重ねてきた。



2015年2月 ベトナム



2016年1月 マレーシア



2017年1月 オーストラリア パース




2017年1月
オーストラリア パース ~
シンガポール経由 ~帰国



2018年1月 ニュージーランド



2019年1月 オーストラリア ダーウイン


ダーウィン ~ シンガポール経由 ~ 帰国
世界各国へと飛び立つ飛行機を見ながら
「まだ 帰りたくないね・・・。 ばぁば」
とつぶやいたはやと。
どこへ出かけても
旅行の最後の日
帰国の飛行機の出発を待つとき
はやとは
必ずと言っていいほど
この言葉を口にしてきた。
現実離れした楽しい旅先の日々を
終わらせたくない思いは
幼いはやとの胸の中も
年老いた私の胸中も同じだった。




2020年1月 台湾
時代と共に
搭乗手続きが進歩していった。


はやと中学1年生
台湾旅行から帰国した数か月後
コロナという大病が世界中を震撼させた。
家族そろっての海外旅行が
数年間
閉ざされてしまった。
その間
はやとは高校2年生になった。
人々は
再び世界へと旅に出かけるようになった。
「俺 一人で海外両行する。」
と言い出したはやと。
17歳という年齢制限に阻まれたため
母親のみいを誘って
シンガポールへと出かけた。
2013年12月~2014年1月
はやと 高校2年のお正月。

これまでの体験は
しっかりと
はやとの脳裏に刻まれていて
成長したはやとは
一人で行動を起こせるようになり
私たち夫婦と
行動を共にする必要がなくなった。
ゆっくり流れた月日は
みいはすっかり回復させ
なんの問題もない生活を
送るようになっていた。
私は
心底 ほっとした。
肩の荷が下りたように思えた。
今から12年前 2012年4月
みいは病院のベットの上で
記憶をなくしたまま
数日間の眠りから目を覚ました。
記憶をなくしていたなかで
幼いはやとの手を握りしめた。
自分が母親であることを忘れていた。
みいがはやとを握りしめたのか
はやとがみいを握りしめたのか・・

重い重い摂食障害を患い
何度も命の灯を消しそうになりながら
どうにか命を繋いでいたさなか
尿路結石まで併発し手術に及んだ。
体重22kgほどの体で受けた
手術の翌朝
みいは意識が戻らなかった。
数日後目を覚ましたみいは
記憶を失い
ベットの上で
母親である私を大声でののしり拒んだ。
1か月ちょっとの闘病生活を送り
記憶が定かでないまま
病院から退院を強いられた。
新緑が目にまぶしい
とてもきれいな初夏の日に
みいを病院から自宅へと連れて戻った。




これも
周りから大反対をされての私の行動だった。
とにかく
生活していかなければならなかった。
生きていかなければならなかった。
なにか楽しみをみつけながら・・・。
その第一歩を
ハウステンボスのビィラで一夜を明かし
雨の日のハウステンボスですごした。

みいは
どこまで息子を息子として
認識しているのか・・・
自分が母親であることを解っているのか
外部にはわからなかった・・・・
しかし
二人の間が
あたたかいぬくもりで繋がっているのは
間違いなかった。
そして
時間はゆっくりと流れた。
私には
みいが正常に回復していくのか
このままなのか
まったくわからなかった。
しかし
たくさんの方々に包まれて
ゆっくりと沢山の時間は流れていき
みいは
ゆっくりと回復していった。

何よりも
はやとが
心身ともに成長を積み重ねていった。




大きくなったはやとは
みいに気使い
みいを思いやりながら

新たな日々を展開していくはずである。

長い年月だったように思えるみいの闘病生活は
過去の笑い話になった。
私と主人は
二人に 愛情を注いでいくだけで
十分となった。
差し出す手は必要がないように感じられた。

今
摂食障害の娘さんを抱えた
お母さまへ。
親として
出口のない苦しい時を
過ごしているかもしれませんが
どうか
娘さんの病気から目を離し
ともに楽しめることに目を向け
ゆっくりと
時間を流してみてください。
長い年月が必要かもしれませんが・・
きっと
笑い話にできる日がやってくるはずです。

Posted by パールじゅんこ at 00:59│Comments(0)
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