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2024年07月02日

災難を乗り越えた後の希望に満ちた道

 ただいま68歳進行中!
 
 私は
 やっぱりしぶとい♪黒

 身体に起こった異変に
 持ちこたえることができた。

  


 😏   😏   😏

 梅雨を迎えた朝

 娘からのプレゼントの合羽を着て
 日の出とともに出航していく釣りのお客様を
 見送った。

 背中をかばいながら。

 日の出前から
 私といっしょに出勤して 
 貸し船の出航のお手伝いをしてくれている
 はやとと共に一日が始まった。

災難を乗り越えた後の希望に満ちた道


 5月中旬

 このたくさんの貸し船を前に
  私は落胆していた。

災難を乗り越えた後の希望に満ちた道

 16隻あるこの貸し船を
 お客様が使用した後
 掃除をし
  燃料を補給しなければならない。

 平日は船の貸し出しが少ないので
 アルバイトがいない。
 私を見るに見かねた主人が
 手伝ってくれて
 高齢者二人で
 燃料補給と掃除をおこなっている。

 私は
 自分の年を忘れて働いている。
 いや
 働いていた。

 そんな5月中旬
 重量物を運んで仕事をした。
 そのことによって
 急に背中に違和感を覚えた。
 腰と背中にまったく力が入らなくなって
 しまったのである。

 歩けなくなった。
 背中に力がなく
 直立できない。
 数メートル歩くのに
 言いようのない負担を体に感じた。
 腹と背中が骨を支えられない・・・・
 そんな風に感じた。
 痛みは全くなかった。

 ただ事ではない・・・
  笑いごとでもなかった・・・

 私は家族に進められて
 整形外科を受診した。
 「 歩けないんです。 」と
 症状を告げた私に
 かかりつけの労災病院の
 整形外科の若い女医は言った。
 「 歩いてきたじゃないですか 」
 
 なるほど
   誰が見ても歩けている。


  😓  😓  😓

 だが
 やむをえず歩いているだけである。
   直立が異様に困難だった。
   立っているのが苦痛だった。
   歩けない !!

 私は
 レントゲンもMRIもとって診てもらった。

 はっきりとした原因はつかめなかった。
 「強いて言うならば
  腰の周りの血管が狭くなっているので
  しばらく薬を服用してみてください。
  
  薬に即効性がないので
  1か月半くらい服用して
  様子を見てみましょう。」

 歩けない ガ-ン
 
 腹と腰と背中に必死に力を入れて
 体を保ち
 女医に頭を下げて
 病院の中を必死で歩き諸手続きを済ませ
 駐車場の車に乗り込み
 自宅に戻った。
 
 忙しい中
 植えた花が
 玄関先で見ごろをむかえていた。
 

 私は
  まだまだ働けると考えていたので
  この時点で
  自分の体に起こった異変に
  落胆していた。

 このまま
  腰が極端に曲がってしまい
  歳を取ってしまうのかな・・・と
  悲しかった。

  こんなはずではなかった・・


 心の中で
 無念な気持ちが
 大きく 大きく 膨らんでいった。
 無念な気持ちは
 大量の涙といっしょに
 あふれ出してしまいそうだった。

 明るい昼間の時間に
 自宅で過ごすことができなくなってしまった
 私の目に
 たくさんの実をつけた柿の木が
 優しくささやきかけてきた。


 とても頑張って働いてきたので
 もう
 良いんじゃないのと
 慰められたように感じた。

 まもなく70歳だよ。
 おばあちゃんだよ。

 初冬を迎えるころには
 たくさんの干し柿を作れるよ・・・
 のんびりと
 庭の手入れをしたり
 ゆったりと家事をこなして
 自宅で
 平和に過ごせば良いんじゃないのと
 ささやきかけられたように感じた。

 一人勝手に
 弱い心に逃げ込んだ。


 自慢の庭は
 あまりにも
 仕事ばかり強いられているうちに
 たくさんの雑草が
 生い茂っていた。

 
   

 歩くのがとても辛かったが
 早朝より
 お店を開けないわけにはいかなかった。

 受診した翌日から
 再び
 日の出に間に合うように出勤すると
 駐車場では
 すでに多くの釣りのお客様が
 出航の準備を進めていた。

 午前5時10分を少し過ぎたころ
 ほとんどの船が
 出航していった。


相変わらず
沢山の雑務に追われ一日が過ぎていった。
おもい体をいたわりながら
泣きたい気持ちをこらえ
主人に助けられながら
仕事に精を出していた。

毎日とても平和に暮れていった。
平戸の島に傾く綺麗な夕日を
見送る日が続いていた。



早めに仕事を終わらせた夕方。
自宅近くの整骨院で治療を受けた。

 そこで
 ストレッチを勧められた。

 朝目が覚めた時
 目覚ましをとめて布団の上で
 3分ほど
 指導を受けたストレッチをおこなった。

 昼食後の15~20分ほどの
 ひと眠りの後
 体を横たえたまま
 同じストレッチをおこなった。

筋肉を整えるしかないのかな と
私は
  藁にもすがる思いだった。
ここで
 年齢を理由に
 挫折するわけにはいかなかった。

毎日 真剣に
 適度に 無理をせず
 指導を受けた方法でストレッチを続けた。

 それは
  火を見るよりも明らかであった。

私は
  背中に力が入らず歩けなかったことを
  短期間に克服できたのである。

この場に及んで
私はまた神様にすがってしまった。

「 神様
 もう少しだけ私を働かせてください。
 その後
 少しだけでいいから
 主人と共に
 自宅でのんびりできる時間を
 私の生涯に残しておいてください。」と


 
 新しい朝が始まり
   雲がゆっくりと流れていった。
災難を乗り越えた後の希望に満ちた道


災難を乗り越えた後の希望に満ちた道


災難を乗り越えた後の希望に満ちた道

 私には
  この時点で
  仕事を退けられない大きな理由があった。

  
 18歳を迎えたばかりの孫
 高校3年生のはやとを
 3か月後に会社の代表取締役に
 就任させようと考えた。

 
 32年務めた超零細企業の株を
 過半数以上所持している私だが
 代表取締役として
 世間の表面に出る人間ではない。

 そんな器の人間ではない。

 へそが 茶をわかすよね。!(^^)!

 はやとが
 高校を卒業すまで待って
 大人になるのを待って
 はやとに会社を託そうとしていたが
 この半年
 はやとは目に見張る成長を遂げていた。

 年老いていく私を気使い
 高齢の先代社長が透析治療を始めたという
 現実をしっかり捉え
 自らの意思で
 会社の業務を手伝い始めたのである。

 私は
 真剣に
 高校生のはやとを社長の座を譲ろうと考えた。
 何回にも及ぶ話し合いを
 はやとと交わした。
 はやとには異論がなかった。

 素直で誠実で根気のあるはやとは
 会社を
 立派に継続していくだろう確信が持てた。

災難を乗り越えた後の希望に満ちた道

  
災難を乗り越えた後の希望に満ちた道


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プロフィール
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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