
2011年11月26日
摂食障害の娘へ 一族会議
午前8時
孫を幼稚園に送った。
「ママー。 いってきまーす。」
はつらつと 大きな元気な声は
静かな野山や 点在する閑静な近所に響き渡る。
私は
孫と娘の朝の挨拶にずいぶん気を使うようになった。
これが最後だったら・・・という思いが頭から離れない
通園路では
すがすがしい朝の日差しを一身に浴びて
柿の葉が素晴らしい紅葉を見せている。

悲しい出来事に心が埋め尽くされていても
苦しみにもがいていても
季節の移り変わりは何一つ変わらず
地球は決して自転を止めようとしない。
闘病生活が長かった舅も、姑も送った。
主婦業と仕事と病院通いであっという間に過ぎてしまった
40歳代の10年間は
優しかった姑の世話で明け暮れた。
自慢の三人娘たちも仲良く成長し、 嫁がせた。
子供のころから旅が大好きな私は
理解のある主人、健康、経済的に
それなりに恵まれている為、いろんな夢があった。
それは
近所の野山へのプチ旅行から
世界の国への旅行を実行し続けることだった。
娘たちと共に
家族そろって旅をしてきた国は数知れない。
居間に飾ったたくさんの写真では
私と主人に囲まれた三人の娘が笑っている。
● マーライオンの前で笑う中、高校生の娘たち・・・
● お洒落なコートを着て微笑むパリの街角・・・
● スイスの山頂 ユングラウフ・ヨッホの吹雪の中で・・・
● アンコールワットの前で手を振る娘たち・・・
● 大きな像の背中に揺られたタイ旅行・・・
● ダイビングスーツを来て潜ったオーストラリアの海・・・
● ニュージーランド 大聖堂の前の学生の頃の娘たち。
● 沖縄 姫ゆりの塔の同年代の女の子たち
鹿児島 知覧の特攻隊の同年代の男の子たち
それぞれの
同年代の子達の手紙や文集から戦争への思いを馳せた瞬間
時間が止まったかのように見えた娘たちの背中・・・。
私は
懸命に働き
万全とは言えないだろうが 長男の嫁としての務めを果たし
主人と共に娘たちを愛し、育て、親元から旅立たせた・・・。
娘たちはそれぞれ私達夫婦から巣立っていった!
はずであった。
今から
主人とふたり のんびり
近場の山にでも登ろうか・・・・と
ささやかなたくさんの旅を夢見ていたのに
何よりも
娘の命という大きな問題を抱え込むことになるなんて
思ってもいなかった
「 お母さん ごめんばってん
みぃの摂食障害は
育ててきたお母さんに100%原因があるよ。
お母さんの愛情がおかしかったんだよ!
母親の愛情の欠如だよ!
私もお母さんから受け入れてもらえなかった気がする。」
小さいころから長女として
私を支え、相談相手になってきていたみぃの仲良しの33歳の娘から
信じられない言葉が出たのは
みぃの症状が悪化し始めた今年の夏である。
私は
温めてきた、
なぜだか必死になって守ってきた家族を
崩壊させてしまったように考えた。
「 こんなふうになるなんて・・・・
私の子育てのどこが悪かったんだろうね。 」
楽天的な主人から
救いの一言がかけられた。
「 なんもお前に原因はないぞ。
成人した大人のみぃが自分の考えでやってる事だ。
お前が悪いわけじゃない!。
山あり谷あり。 それが 人生というもんさ ! 」
私は解っている。
みぃが結婚したとたん相手に合わすことが出来ないのは
私の育て方が悪かったんだろうと、
摂食障害を患ってしまったのも
私の育て方の間違いで
みぃの精神の成長が欠如していることも
母親である私に何かが賭けていたんだろうと解っている。
しかし
いくら悔やんでも
過ぎ去った日は戻ってこない。
二度と子育てに懸命だった日々は戻ってこない。
もう一度やり直すことはできない。
娘たちを持家で育て
嫁がせたいと願って建てた我が家の2階の屋根裏部屋には
三人娘の育児記録 育児日記
娘たちの幼稚園のお便り帳
幼いころの作品
数々の表彰状などが びっしりと詰まった段ボール箱がある。
独りよがりの子育ては
娘たち自身の胸の中には届いていなかったんだろうか
私は楽天的な主人の一言に
束の間 救われ、
呪文のように自身に言い聞かせる。
「 悲しい出来事もたくさんある。
つらい出来事もいっぱいやってくる。
思いどうりに行かない事も多すぎる。
でも 今日も生きている。
それが 人生だ! 」
再び、晩秋の陽射しを浴びた柿の木の見下ろす坂道を通り、
自宅に戻り
主人 娘と共に
娘の自宅である公団住宅に向かった。
やせ細った娘の体は痛々しい。
公団の4階に住む娘は
入り口の緩やかな階段を登ることができず
裏庭につながる自転車置き場へのスロープを登り
郵便受けのある踊り場に回ってきた。
階段横の壁に吸い付くように
右に左に 腕を伸ばし
骨だけの腰をギクシャクと動かしながら
時間をかけて登っていった。
婿の父親はまだ来ていなかった。
4階にある団地の部屋は
さんさんと日が差し込み
ポカポカと暖かかった。
棚の上におかれた家族三人の写真から目をそらした。
赤ちゃんを抱いた娘
娘の方を抱いた婿
無邪気に笑う孫
どこにでもある幸せな家族写真である。
優しく微笑む婿
娘のかたに置いた手からは優しさが溢れているように感じられる。
家族を守るたくましい力が感じられ、
私は
その写真から目をそらさずにはおれなかった。
何で
こんな風になってしまったんだろう。
目をそらした私の決意は固かった。
私は
婿の電話を一方的に切ったあの時から
冷静に考えた。
主人の言葉を
娘みぃの言葉を
胆に据え
考え抜いた答えを頭の中で整理した。
婿の父親が私達から10分くらい遅れて訪れた。
舟木一夫を少しだけ太らせたような風貌の婿の父親は
婿が小学生の頃離婚して
男手で婿を育ててきた。
穏やかで物静かな婿の父親とは久々の再会である。
私の決心はさらに固まった。
この人には
「 あなたの息子が浮気をしています。」などと私の口からは言ってはならないと。
全員がそろった。
娘は ぎくしゃくと歩き お茶を差し出した。
主人が簡単な挨拶をして
本題を私に振った。
娘も、主人も、婿も私が何を言い出すかわかっていない。
私は落ち着いて口を開いた。
婿の父親に娘の体の状態を説明した。
そして結んだ。
「 〇〇君 みぃがこんな風でごめんね。
〇〇君に迷惑をかけるね。
しばらく我が家で完全に預からせてもらいたいのでしばらく
この団地から出て行ってもらえんでしょうか。」
私は婿にみぃの我儘を詫びた。
婿の心の中には
娘を心配してどうにかしようという気持ちなどないことを百も承知で詫びた。
・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・
娘だけ我が家に引き取ればいいことだが
目と鼻の先にある住まいに婿が生活していると
娘は
掃除に、浮気証拠探しにと団地を訪れ
エネルギーの消費 ストレスを抱え込んだままになってしまう。
何よりも
二人を離してみたかった。
みぃから
婿を完全に離してみようと試みた。
婿の浮気心を封鎖するのは不可能だろう。
よっぽどのことが無い限り
舞い上がっている
婿の浮気相手への恋心は止まらないだろう。
なら
みぃの見えないところですればいい!
どんな男性でもみぃの体は抱けるはずがない。
若い健康な男性には性欲がある。
解りきっていることである・・・・。
「 私の話はそれだけです。 」
浮気の話をみんなの前で暴露されると思っていたはずの婿の顔は
硬く、緊張と戸惑いを隠せないような表情を見せていた。
「 今月いっぱいに
団地から引っ越してもらえませんか? 」
正座して聞いていた婿は 強制的な私の言葉に
「 はい 」 と答えた。
わずか10分で終わった本題から
世間話に移すこと20分。
私達夫婦は
婿と娘と 婿の父親の前から腰を上げた。
11月12日(土)
冬が始まろうとしている穏やかな朝であった。
孫を幼稚園に送った。
「ママー。 いってきまーす。」

はつらつと 大きな元気な声は
静かな野山や 点在する閑静な近所に響き渡る。
私は
孫と娘の朝の挨拶にずいぶん気を使うようになった。
これが最後だったら・・・という思いが頭から離れない
通園路では
すがすがしい朝の日差しを一身に浴びて
柿の葉が素晴らしい紅葉を見せている。

悲しい出来事に心が埋め尽くされていても
苦しみにもがいていても
季節の移り変わりは何一つ変わらず
地球は決して自転を止めようとしない。
闘病生活が長かった舅も、姑も送った。
主婦業と仕事と病院通いであっという間に過ぎてしまった
40歳代の10年間は
優しかった姑の世話で明け暮れた。
自慢の三人娘たちも仲良く成長し、 嫁がせた。
子供のころから旅が大好きな私は
理解のある主人、健康、経済的に
それなりに恵まれている為、いろんな夢があった。
それは
近所の野山へのプチ旅行から
世界の国への旅行を実行し続けることだった。
娘たちと共に
家族そろって旅をしてきた国は数知れない。
居間に飾ったたくさんの写真では
私と主人に囲まれた三人の娘が笑っている。
● マーライオンの前で笑う中、高校生の娘たち・・・
● お洒落なコートを着て微笑むパリの街角・・・
● スイスの山頂 ユングラウフ・ヨッホの吹雪の中で・・・
● アンコールワットの前で手を振る娘たち・・・
● 大きな像の背中に揺られたタイ旅行・・・
● ダイビングスーツを来て潜ったオーストラリアの海・・・
● ニュージーランド 大聖堂の前の学生の頃の娘たち。
● 沖縄 姫ゆりの塔の同年代の女の子たち
鹿児島 知覧の特攻隊の同年代の男の子たち
それぞれの
同年代の子達の手紙や文集から戦争への思いを馳せた瞬間
時間が止まったかのように見えた娘たちの背中・・・。
私は
懸命に働き
万全とは言えないだろうが 長男の嫁としての務めを果たし
主人と共に娘たちを愛し、育て、親元から旅立たせた・・・。
娘たちはそれぞれ私達夫婦から巣立っていった!
はずであった。
今から
主人とふたり のんびり
近場の山にでも登ろうか・・・・と
ささやかなたくさんの旅を夢見ていたのに
何よりも
娘の命という大きな問題を抱え込むことになるなんて
思ってもいなかった
「 お母さん ごめんばってん
みぃの摂食障害は
育ててきたお母さんに100%原因があるよ。
お母さんの愛情がおかしかったんだよ!
母親の愛情の欠如だよ!
私もお母さんから受け入れてもらえなかった気がする。」
小さいころから長女として
私を支え、相談相手になってきていたみぃの仲良しの33歳の娘から
信じられない言葉が出たのは
みぃの症状が悪化し始めた今年の夏である。
私は
温めてきた、
なぜだか必死になって守ってきた家族を
崩壊させてしまったように考えた。
「 こんなふうになるなんて・・・・
私の子育てのどこが悪かったんだろうね。 」
楽天的な主人から
救いの一言がかけられた。
「 なんもお前に原因はないぞ。
成人した大人のみぃが自分の考えでやってる事だ。
お前が悪いわけじゃない!。
山あり谷あり。 それが 人生というもんさ ! 」
私は解っている。
みぃが結婚したとたん相手に合わすことが出来ないのは
私の育て方が悪かったんだろうと、
摂食障害を患ってしまったのも
私の育て方の間違いで
みぃの精神の成長が欠如していることも
母親である私に何かが賭けていたんだろうと解っている。
しかし
いくら悔やんでも
過ぎ去った日は戻ってこない。
二度と子育てに懸命だった日々は戻ってこない。
もう一度やり直すことはできない。
娘たちを持家で育て
嫁がせたいと願って建てた我が家の2階の屋根裏部屋には
三人娘の育児記録 育児日記
娘たちの幼稚園のお便り帳
幼いころの作品
数々の表彰状などが びっしりと詰まった段ボール箱がある。
独りよがりの子育ては
娘たち自身の胸の中には届いていなかったんだろうか
私は楽天的な主人の一言に
束の間 救われ、
呪文のように自身に言い聞かせる。
「 悲しい出来事もたくさんある。
つらい出来事もいっぱいやってくる。
思いどうりに行かない事も多すぎる。
でも 今日も生きている。
それが 人生だ! 」



再び、晩秋の陽射しを浴びた柿の木の見下ろす坂道を通り、
自宅に戻り
主人 娘と共に
娘の自宅である公団住宅に向かった。
やせ細った娘の体は痛々しい。
公団の4階に住む娘は
入り口の緩やかな階段を登ることができず
裏庭につながる自転車置き場へのスロープを登り
郵便受けのある踊り場に回ってきた。
階段横の壁に吸い付くように
右に左に 腕を伸ばし
骨だけの腰をギクシャクと動かしながら
時間をかけて登っていった。
婿の父親はまだ来ていなかった。
4階にある団地の部屋は
さんさんと日が差し込み
ポカポカと暖かかった。
棚の上におかれた家族三人の写真から目をそらした。
赤ちゃんを抱いた娘
娘の方を抱いた婿
無邪気に笑う孫
どこにでもある幸せな家族写真である。
優しく微笑む婿
娘のかたに置いた手からは優しさが溢れているように感じられる。
家族を守るたくましい力が感じられ、
私は
その写真から目をそらさずにはおれなかった。
何で
こんな風になってしまったんだろう。
目をそらした私の決意は固かった。
私は
婿の電話を一方的に切ったあの時から
冷静に考えた。
主人の言葉を
娘みぃの言葉を
胆に据え
考え抜いた答えを頭の中で整理した。
婿の父親が私達から10分くらい遅れて訪れた。
舟木一夫を少しだけ太らせたような風貌の婿の父親は
婿が小学生の頃離婚して
男手で婿を育ててきた。
穏やかで物静かな婿の父親とは久々の再会である。
私の決心はさらに固まった。
この人には
「 あなたの息子が浮気をしています。」などと私の口からは言ってはならないと。
全員がそろった。
娘は ぎくしゃくと歩き お茶を差し出した。
主人が簡単な挨拶をして
本題を私に振った。
娘も、主人も、婿も私が何を言い出すかわかっていない。
私は落ち着いて口を開いた。
婿の父親に娘の体の状態を説明した。
そして結んだ。
「 〇〇君 みぃがこんな風でごめんね。
〇〇君に迷惑をかけるね。
しばらく我が家で完全に預からせてもらいたいのでしばらく
この団地から出て行ってもらえんでしょうか。」
私は婿にみぃの我儘を詫びた。
婿の心の中には
娘を心配してどうにかしようという気持ちなどないことを百も承知で詫びた。
・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・
娘だけ我が家に引き取ればいいことだが
目と鼻の先にある住まいに婿が生活していると
娘は
掃除に、浮気証拠探しにと団地を訪れ
エネルギーの消費 ストレスを抱え込んだままになってしまう。
何よりも
二人を離してみたかった。
みぃから
婿を完全に離してみようと試みた。
婿の浮気心を封鎖するのは不可能だろう。
よっぽどのことが無い限り
舞い上がっている
婿の浮気相手への恋心は止まらないだろう。
なら
みぃの見えないところですればいい!
どんな男性でもみぃの体は抱けるはずがない。
若い健康な男性には性欲がある。
解りきっていることである・・・・。
「 私の話はそれだけです。 」
浮気の話をみんなの前で暴露されると思っていたはずの婿の顔は
硬く、緊張と戸惑いを隠せないような表情を見せていた。
「 今月いっぱいに
団地から引っ越してもらえませんか? 」
正座して聞いていた婿は 強制的な私の言葉に
「 はい 」 と答えた。
わずか10分で終わった本題から
世間話に移すこと20分。
私達夫婦は
婿と娘と 婿の父親の前から腰を上げた。
11月12日(土)
冬が始まろうとしている穏やかな朝であった。

Posted by パールじゅんこ at 06:02│Comments(4)
この記事へのコメント
パールじゅんこ様へ
母親の愛情を本当に感じます。
お婿さんへの対処、私は、それで良かったと思います。
冷静に行動されているのに、感心します
ネットで調べましたら、大阪ですが、ネットで見る限りとてもいい病院がありました。
一度、メールか電話で相談なさるか、パールじゅんこさんおひとりで、行かれてみてはどうかと思います。
娘さんの命 と言う事を考えた時、遠いなんて言ってられないと思います
お仕事も本当に大変なようですが、命にかえられません。
九州を調べてみたのですが、良い専門医を見つける事ができませんでした。
パールじゅんこさんが、九州で良い専門医を御存じでしたら、おせっかいと言う事で、すみません。
見方によっては、お医者さんでも、治療法や考え方が違うので、同時進行で、いろんな専門医の先生のお話を聞き、自分で結論を下すのも大切かと思います。
早い方が良いかと。
宜しければ、お手数ですが、今日の私のブログに「こちらをクリック」が3つありますので、クリックしてご覧になって欲しいです
おせっかいですみません。
母親の愛情を本当に感じます。
お婿さんへの対処、私は、それで良かったと思います。
冷静に行動されているのに、感心します
ネットで調べましたら、大阪ですが、ネットで見る限りとてもいい病院がありました。
一度、メールか電話で相談なさるか、パールじゅんこさんおひとりで、行かれてみてはどうかと思います。
娘さんの命 と言う事を考えた時、遠いなんて言ってられないと思います
お仕事も本当に大変なようですが、命にかえられません。
九州を調べてみたのですが、良い専門医を見つける事ができませんでした。
パールじゅんこさんが、九州で良い専門医を御存じでしたら、おせっかいと言う事で、すみません。
見方によっては、お医者さんでも、治療法や考え方が違うので、同時進行で、いろんな専門医の先生のお話を聞き、自分で結論を下すのも大切かと思います。
早い方が良いかと。
宜しければ、お手数ですが、今日の私のブログに「こちらをクリック」が3つありますので、クリックしてご覧になって欲しいです
おせっかいですみません。
Posted by ME
at 2011年11月26日 12:44

MEさん
本当にありがとうございます。
是非
連絡してみます。
私はたくさんの心療内科の門をたたいてきました。
いつか
きっといい出会いがあるんでは・・・という思いからです。
その ほとんどががっかりしてきました。
でも
いつかきっと娘の閉ざされた心を開いてくれる
専門家医に出会いたいという望みは
捨てていません。
あなたの心使い非常にうれしく思います。
是非 電話してみます。
大阪は私達夫婦が出会った場所です。
姉が住んでいる街です。
今もよく出かけていきます。
決して遠くないところです。
まず 電話を入れてみます。
本当にありがとうございます。
是非
連絡してみます。
私はたくさんの心療内科の門をたたいてきました。
いつか
きっといい出会いがあるんでは・・・という思いからです。
その ほとんどががっかりしてきました。
でも
いつかきっと娘の閉ざされた心を開いてくれる
専門家医に出会いたいという望みは
捨てていません。
あなたの心使い非常にうれしく思います。
是非 電話してみます。
大阪は私達夫婦が出会った場所です。
姉が住んでいる街です。
今もよく出かけていきます。
決して遠くないところです。
まず 電話を入れてみます。
Posted by パールじゅんこ
at 2011年11月27日 06:00

パールじゅんこ様へ
ブログ見てくれてありがとうございます
やはり、そうだったのですね。
たくさんの病院を回られたんですね。
母親ならそうですよね。
大阪が身近で良かったです
どうか、この病院が、患者様の立場に立った、真の医療をしてくれる良い病院であります様に。
パールじゅんこさんの望む
「良い出会い」が、どうかこの病院であります様に。
ブログ見てくれてありがとうございます
やはり、そうだったのですね。
たくさんの病院を回られたんですね。
母親ならそうですよね。
大阪が身近で良かったです
どうか、この病院が、患者様の立場に立った、真の医療をしてくれる良い病院であります様に。
パールじゅんこさんの望む
「良い出会い」が、どうかこの病院であります様に。
Posted by ME
at 2011年11月27日 13:32

MEさん
真の医療・・・。
私はこの4年間たくさんの内科医の前で涙をこらえて頭を下げてきました。
どんな診療がおこなわれているのか全く分からない心療内科の待合室で
幼い孫に絵本を読ん診察室から出てくる娘を待ったことか・・・・
長崎県北のすべての心療内科のダイヤルを回し泣きながら受話器を置いたことか・・・。
いつかいい先生に、いいスタッフに出会えるはず・・という思いからです。
今では
やっぱり無理なんだ。
他人に頼る自分が悪い。
母親である自分がすべての悩みの根源なんだと考えるようになりました。
そんな中
私は今年の7月にほんの足元に、自宅からわずか車で10分のところにある
入院設備を整えた小さな病院の若い院長先生に出会いました。
知り合いの看護師の紹介です。
娘の命はこの先生との出会いによって救われました。
「 このまま 放っておくわけにはいかない」という熱意ある先生のおかげです。
「 お大事に。」の言葉だけでくるっと背を向ける多くの医師の中で
私はたくさんいるはずであるこんな医師に一人でも多く出会いたいのです。
そして
納得して引き下がりたい。
真の医療・・・。
私はこの4年間たくさんの内科医の前で涙をこらえて頭を下げてきました。
どんな診療がおこなわれているのか全く分からない心療内科の待合室で
幼い孫に絵本を読ん診察室から出てくる娘を待ったことか・・・・
長崎県北のすべての心療内科のダイヤルを回し泣きながら受話器を置いたことか・・・。
いつかいい先生に、いいスタッフに出会えるはず・・という思いからです。
今では
やっぱり無理なんだ。
他人に頼る自分が悪い。
母親である自分がすべての悩みの根源なんだと考えるようになりました。
そんな中
私は今年の7月にほんの足元に、自宅からわずか車で10分のところにある
入院設備を整えた小さな病院の若い院長先生に出会いました。
知り合いの看護師の紹介です。
娘の命はこの先生との出会いによって救われました。
「 このまま 放っておくわけにはいかない」という熱意ある先生のおかげです。
「 お大事に。」の言葉だけでくるっと背を向ける多くの医師の中で
私はたくさんいるはずであるこんな医師に一人でも多く出会いたいのです。
そして
納得して引き下がりたい。
Posted by パールじゅんこ
at 2011年11月28日 05:06
