
2011年12月15日
摂食障害の娘へ 戦い
私は
娘を救うことが出来るだろうか・・。
私は
時を止めて
娘と婿の決断を待っている・・・。
娘の心と身体が
持ちこたえてくれることを願って。
12月14日(水)
いつものような平凡な朝
又
みいの身体に変化が起こった。
起きたばかりの孫の着替えを手伝っていると
スマホの着信音が鳴った。
早朝の散歩を欠かさないみいからだった。
散歩中に具合が悪くなった!
とっさにそう思った。
相変わらずユーモアを忘れない。
「 グットモーニング お母さん・・・。 」
「 どうしたの! どこから? 」
「 ベットの中だよ・・。 痛くて苦しい 背中が・・。」
私は 慌てて2階に駆け上がった。
ベットの中では
顔面蒼白なみいが苦しそうに訴えた。
「 背中が痛い・・・。
具合が悪い 吐きそう・・・。 」
私はこの緊急事態を 冷静に 頭を整理した。
救急車は呼ばず
娘の主治医に電話を入れた。
主治医からの指示の電話が入るまでの間に
孫と主人に朝食を急がせた。
午前7時過ぎ
台所で立ったままごはんと味噌汁を食べる主人の横で
孫におにぎりを作った。
みいを着替えさせて
暖かくなった車に乗り込んだ。
車で10分で病院に到着。
出勤してきたばかりの検査技師たちが
白衣のボタンをかける時間もなく応対してくれた。
小さな田舎町の個人病院の院長先生に出会うまで
私は
ずいぶん遠周りをしてきた。
そっけなく背中を向けて診察を終える
沢山の大きな総合病院の医師の前で・・
心療内科の廊下で・・
泣いてきた。
娘を救ってくれる
病院を探していた私は
どこの医師にも 娘を診てもらえない・・とあきらめた時
知り合いの看護師の紹介で
自宅近くの小さな病院を訪ねたのは
今年の7月だった。
私よりはるかに若い院長先生の出会いによって
娘は夏を越し 冬まで延命された。
院長先生の熱意は
どの医師にも心を開かなかった娘の心に届いた。
夏を越せないかもしれない・・・と宣告された娘が
どうにか
冬を迎えた。
ストレスから解放して
ゆっくり治してやりたいと願っていたある朝の突然の出来事に
又
新たな不安が出来わいてきた。
様々な検査が手際よく行われ
院長先生の説明を受けた。
心電図
胸部レントゲン
CTスキャン
血液検査
娘の腎臓には大きな石灰の影が映し出されていた。
吐き気を伴った激しい痛みの原因がわかった。
座薬を使って
痛み止めを投与した。
娘は
これから
どれだけの時間をかけて
この
病気と闘っていかなければならないんだろうか・・・。
私は
この熱意ある医師のいる
小さな病院の前を素通りして
大きな病院ばかり探して回っていた。
インターネットで
有名な 心療内科ばかり検索していた。
今
娘の治療が始まった。
遅かったのかもしれないが
娘の命を託すことが出来る
小さな町のお医者さんに出あえたことは
私達親子の宝であったと信じたい。
娘の入院している部屋は
少しシミのついている壁に
部屋にはポータブルトイレが置かれている・・。
ドアは最後まで手を添えてやらないと
パタンと音がして又開いてしまう・・。
隣の部屋の話し声が聞こえてくる・・・。
決して立派な施設ではないが
信頼できる
娘の命を託す熱意ある医師やスタッフたちがいる。
娘の体の治療が
やっと
今 始まったような気がする。
どん底まで落ちたところで
やっと
ここから 始まったように思われる。
娘を救うことが出来るだろうか・・。
私は
時を止めて
娘と婿の決断を待っている・・・。
娘の心と身体が
持ちこたえてくれることを願って。
12月14日(水)
いつものような平凡な朝
又
みいの身体に変化が起こった。
起きたばかりの孫の着替えを手伝っていると
スマホの着信音が鳴った。
早朝の散歩を欠かさないみいからだった。
散歩中に具合が悪くなった!
とっさにそう思った。
相変わらずユーモアを忘れない。
「 グットモーニング お母さん・・・。 」
「 どうしたの! どこから? 」
「 ベットの中だよ・・。 痛くて苦しい 背中が・・。」
私は 慌てて2階に駆け上がった。
ベットの中では
顔面蒼白なみいが苦しそうに訴えた。
「 背中が痛い・・・。
具合が悪い 吐きそう・・・。 」
私はこの緊急事態を 冷静に 頭を整理した。
救急車は呼ばず
娘の主治医に電話を入れた。
主治医からの指示の電話が入るまでの間に
孫と主人に朝食を急がせた。
午前7時過ぎ
台所で立ったままごはんと味噌汁を食べる主人の横で
孫におにぎりを作った。
みいを着替えさせて
暖かくなった車に乗り込んだ。
車で10分で病院に到着。
出勤してきたばかりの検査技師たちが
白衣のボタンをかける時間もなく応対してくれた。
小さな田舎町の個人病院の院長先生に出会うまで
私は
ずいぶん遠周りをしてきた。
そっけなく背中を向けて診察を終える
沢山の大きな総合病院の医師の前で・・
心療内科の廊下で・・
泣いてきた。
娘を救ってくれる
病院を探していた私は
どこの医師にも 娘を診てもらえない・・とあきらめた時
知り合いの看護師の紹介で
自宅近くの小さな病院を訪ねたのは
今年の7月だった。
私よりはるかに若い院長先生の出会いによって
娘は夏を越し 冬まで延命された。
院長先生の熱意は
どの医師にも心を開かなかった娘の心に届いた。
夏を越せないかもしれない・・・と宣告された娘が
どうにか
冬を迎えた。
ストレスから解放して
ゆっくり治してやりたいと願っていたある朝の突然の出来事に
又
新たな不安が出来わいてきた。
様々な検査が手際よく行われ
院長先生の説明を受けた。
心電図
胸部レントゲン
CTスキャン
血液検査
娘の腎臓には大きな石灰の影が映し出されていた。
吐き気を伴った激しい痛みの原因がわかった。
座薬を使って
痛み止めを投与した。
娘は
これから
どれだけの時間をかけて
この
病気と闘っていかなければならないんだろうか・・・。
私は
この熱意ある医師のいる
小さな病院の前を素通りして
大きな病院ばかり探して回っていた。
インターネットで
有名な 心療内科ばかり検索していた。
今
娘の治療が始まった。
遅かったのかもしれないが
娘の命を託すことが出来る
小さな町のお医者さんに出あえたことは
私達親子の宝であったと信じたい。
娘の入院している部屋は
少しシミのついている壁に
部屋にはポータブルトイレが置かれている・・。
ドアは最後まで手を添えてやらないと
パタンと音がして又開いてしまう・・。
隣の部屋の話し声が聞こえてくる・・・。
決して立派な施設ではないが
信頼できる
娘の命を託す熱意ある医師やスタッフたちがいる。
娘の体の治療が
やっと
今 始まったような気がする。
どん底まで落ちたところで
やっと
ここから 始まったように思われる。
Posted by パールじゅんこ at 03:23│Comments(0)