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2011年12月22日

摂食障害の娘へ エール

午後から暖かい日差しが差し込む娘の個室は
明るく居心地がいい。

窓際に置かれた椅子に
毛糸の帽子をかぶった岡田さんは腰かけている。


少し耳の遠い岡田さんは
その体に似合う大きな声で話しかける。

 「血の病気の時は
  赤やピンクの綺麗な下着をつけんばばい! 」
  
  
 
娘が出産で退社するまで
いっしょに勤めていた岡田さんは
70歳半ばのおじいちゃんである。

岡田さんは
娘ほど年の違う私を「じゅんこちゃん」と呼ぶ。
10数年前に知り合った岡田さんは
娘を非常に気にかけてくれる。

娘が結婚を決めた時
婿の近所に住む岡田さんは結婚を反対した。
結婚と同時に
笑顔を失った娘を非常に気にかけてくれた。

お互い 退社した後も
四季折々新鮮な野菜を持って・・
新米を持って・・
いつも娘の顔を見に来てくれていた。



娘が痩せ始めたころから
岡田さんは誰よりも離婚を進めた。


会うたびに痩せていくみいを見て
  「 ありゃりゃ・・・。
    じゅんこちゃんなんば しよっとや。
    早く連れ戻させんば!」
と玄関先で嘆いて帰っていくようになった。



みいの入院がわかった途端
毎日のように
午後にはお見舞いに駆け付ける。

独り暮らしで少し耳の遠い岡田さんは
暖かい窓際の椅子に座り
聞き役の娘を相手に
独りおしゃべりをして帰っていくのが日課となった。



 岡田さんはいう。
   「 みいちゃんが入社して来て
    自己紹介をしたとき
    おれの昔の彼女と同じ名前で
    非常にかわいかった。

    かわいい顔しているのに
    こんなに痩せてしまって・・・。」

   「 100本のバラの花なんかに騙されて・・・・
     そいけん
     おれが あの男はつまらんと言ったのに 」


   「 早く別れろ!  悪いことは言わん。 」

岡田さんは
痩せていく娘にずーと離婚を進めてきた。




 これほど
 周りのすべての人が離婚を進めても
 娘は自分から首を縦に振ることが出来ずにいた。
 私達親も積極的に離婚に踏み込むことが出来なかった。



    娘は
    夫婦の仲がうまくいかないのは
    自分のせいだと考えていた。


    大阪吉本興業に就職させようと言っていた
    ムードメーカーで明るい娘の
    ジョークやユーモアは
    婿との家庭には通用せず、
    何事にも自信を失い
    婿の顔色ばかり伺う日が続いた。


    いつかきっと
    自分自身の考え方を変えることが出来れば
    仲良くやっていける日が・・
    自分が合わせられる日が来ると信じていた。

    「 あいつ
      そんなに悪い奴じゃ ないよ」
    が 娘の口癖であった。


私も思っていた。
  そんなに悪い男性ではなさそうだし・・・
  真面目に仕事には言ってるし・・・
  暴力を振るっていないし・・・
  非常に人当りがいいし・・・
きっと 娘の育て方が悪かったため
家庭生活を円満に営むことが出来ないような
精神的発達に何らかの障害を
娘は持っているんだろうか・・・と思ったきた。

   


    いつかきっと仲良くなれる日が来る・・・・前に
    体が壊れてしまった。




 いつ死んでもおかしくない状態の今
 離婚を持ち出した婿に
 私は何の迷いもなく心が座った。
 「 離婚しなさい。
   別れたら 絶対みいはよくなる! 」




私は岡田さんが
娘の結婚を反対してきた理由を聞かされた。


  今までそれとなく
  別れさせなければ・・・・と感じながらも
    娘の人生を
    孫の人生を
  私の行動で変えるのが怖かった。
 
  「 お母さんが
    チビをパパのいない子にしてしまった。!
    うちたちの人生を狂わせた 」
  と罵られるのが怖かった。


しかし
死の淵にいて
尚 明るい娘を見ていると
今 ここで 流れを変えなければ・・・。と 確信する。

こんな時に非常識だと思うが
こんな時だからこそ流れをかえなければいけない。




岡田さんはマッサージが得意で
職場では
多くの同僚の腰痛を直していた。

岡田さんは
抗生物質で腫れあがった両足をマッサージしてくれる。
そして
大きな声で言う。

 「 家族が 仲間がみんなが会いに来て
  元気なパワーをみいちゃんにやれば
  絶対よくなるはずだ。
 
  なぁ じゅんこちゃん。
   
  みんなでみいちゃんにパワーを分けてやろう !」



私は徳島の親元から遠く離れた九州に
21歳で嫁いできて
更に 
主人の両親とは別居していたので
こんな風な深く暖かい愛情を知らない。


私は
いろんな方の情けに触れながら
今を過ごしている。
死の淵にいる娘を持ちながら
こんなに笑いながら過ごしている自分が不思議だ。


そっと
蕁麻疹の痕が痛々しく残る胸元から目をそらし・・
突発性血小板減少紫斑病を引き起こしている
皮膚からも目をそらす。



  私はその日の夕方
  仕事帰りに娘のために買い物をした。

  岡田さんのアドバイス通り
  お店で一番暖かくて
  綺麗な明るい肌色の肌着と
  赤い綺麗なハイソックスを
  娘のために買った。


  
そして 主人や孫
娘を中学の頃から可愛がってくれる私の会社の社長と
病院に向かった。


社長のお見舞いは
サンタのついた
クッキーの詰め合わせである。

娘は非常に喜んで
自分の好物でないお菓子を孫に持たせていた。


 「 クリスマスには 帰りたいんですけど
   って 先生に言ったら

   だめ!  って 振り返って怒られた。 」
 

娘のゼスチャーにみんなで大笑いして
病室を後にした。


 階段で主治医から声をかけられた。

   「血小板輸血で 数値が3万台まで上がりました。」
  
   「輸血で上がっているだけなので
    安心はできません。」

   「 週末帰りたいというので怒っときました。」


  薄暗い階段で
  先生をはじめみんなで大笑いした。
 
  先ほどの娘のゼスチャーを思い出し
  余計におかしかった。

  徳田先生のお人柄に心の中がホンワカ
  暖かくなった。



  お風呂に入ろうとしたら娘から電話があった。

    「 今 あいつが寄って行ったよ。
      離婚を進めようって。  」

  孫がそばにいるので話を遮断した。



  今日はたくさんの元気なパワーをもらって
  娘の声は 明るい。


 午後9時20分
 娘からメールが入った。

    クッキーなどありがとうハート
    おいしく 頂いたわキラキラ 
    ケーキも食べてしまったよニコニコ
    私にも心のさんたがいるね、シアワセ~~~ニコニコ

    社長にもサンキューをハート



 さらに30分してメールが入った。

    充分してもらい過ぎくらいよね。
    気持ちは元気なんだけどね、
    体がついてこないな~~~ぐすん



 私は冗談はさておいて
 祈るような気持ちになった。








Posted by パールじゅんこ at 01:51│Comments(0)
 
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
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100%信じている私こと じゅんこです。


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