
2012年04月03日
摂食障害の娘と共に メンテナンス
しばらくの間穏やかな日和が続いた。
神様は
摂食障害の娘のシナリオを書上げるのに
苦労しているのか
楽しんでいるのか
私は察しがつかなくなった。
ペンを置こうとしていた神様は
再度 再再度
終止符を打とうする寸前に
娘のシナリオを書き直してきた。
私は主人と共に
「 これまでかなぁ。 これ以上救えないんかなぁ 」と
涙する事以上に深い悲しみの淵に落ち込んだ。
しかし
寸前に 又 一筋の光がさし
娘は命を救われてきた。
その
一筋の光はみいに新たな「人との出会い」をもたらしてきた。
徳田圭亮先生とに出会いは
まさしく
そんな風に思える。
何回も死の淵に立たされたみいを前に
私と主人は娘との永遠の別れを予想して落胆してきたことか・・。
しかし
医学という武器を持って
常に懸命な努力と熱意で
引き戻してくれた徳田先生。
徳田先生との出会いも
ふとしたきっかけでもたらされたものである。
ふとした・・・・
しかしそこにはある一人の方の熱意があった。
そして誠意があった。
「 娘さんを何が何でも説得して徳田病院に連れて行きなさい。
先生にはお話していますから!」と。
徳田先生との出会いをもたらせて頂き
娘は救われ続けてきた。
今日
徳田先生から
又新たな出会いのチャンスを頂いた。
徳田先生は結石が原因で苦しむ娘を救いながら
そのむごい症状から救い出して
今日という日を調整した。
両手 両腕から皮膚の下に滲み出してくる出血を食い止め
献血、抗生物質を投与しながら
血液検査による基準値内に全ての数値を納めた。
「 先が見えない・・。
帰りたい・・・。
もういいよ。 家で好きなことをしていたい。」
うつむいて
うなだれて
泣いたみい。
その言葉の陰に小さな声でつぶやいた。
「 破砕術でもなんでもいいから
いっそ 手術してこの石を取り出してよ。」
私は主人と顔を見合わせた。
体重20数キロ
血小板 カウントぎりぎり。
全ての血液検査がはるかに基準を下回っている。
そんなリスクを背負った患者を診てくれる医師はいないだろうと
誰もが考えた。
しかし
徳田先生は
小さくつぶやいた娘の声を聞き逃さなかった。
そして
娘に希望を持たせてくれた。
「 結石を取り出す手術に挑んでみましょう。」と
体が痛くて横になれない。
全身がヒリヒリして眠れない。
溜まる腹水が苦しくて座っておれない。
指先がジンジンと痛みを伴っている。
そんな数々の苦しみから
手術をして結石を取り出すという新たな挑戦が始まった。
徳田先生は専門医を探した。
これだけのリスクを背負って
手術に挑んでくれる医師を探した。
そのうえで
娘の体をベストコンデションに整えた。
昨日
徳田先生は私に告げた。
「 非常に良い状態です。
鬱血もすーと治まりかけました。
両手 両足のむくみも納まりかけました。
血小板も輸血により補われました。
その他も
ほぼ基準値に収まっています。
とても良いときです。
今を逃さずに!
泌尿器科の先生が診察してくれます。
連れていきましょう。」
「 今日 娘さんの病室を訪ねました。
ちょうど食事中でした。
ほぼ半分ほど 食事を食べていました。
私が入っていったのでやめてしまいました。
相変わらず人前で食べようとしません。 が
半分の量は食べ終わっていました。
このことは
時間をかけて治していきましょう。」
4月3日(火)
雨を伴った春の風は
山肌の木々を揺らし 我が家にあたり
駆け抜けて行く。
長い冬眠から目覚めたカエルたちが
窓の外で大合唱を始めた。
午前8時
私は娘を30分離れた佐世保市街地にある
総合病院へと連れて行く。
娘と私たちは 又 新たな出会いがもたらされた。
風は家全体を揺らし続けている。
思いっきりサイドブレーキをひき
落ちていく娘の人生にブレーキをかけた。
ほっとして
慎重に方向転換したものの
あまりにも傷が多すぎて発進できないでいる。
沢山のメンテナンスが必要とされている娘の体は
誠意ある医師の力で
修復されていこうとしている。
新たな出発のために!
私は
病室の愉快なみいに支えられて
今日という日を
元気に
明るく
生きて行っている。
優しく見下ろす桜を仰ぎながら。

神様は
摂食障害の娘のシナリオを書上げるのに
苦労しているのか
楽しんでいるのか
私は察しがつかなくなった。
ペンを置こうとしていた神様は
再度 再再度
終止符を打とうする寸前に
娘のシナリオを書き直してきた。
私は主人と共に
「 これまでかなぁ。 これ以上救えないんかなぁ 」と
涙する事以上に深い悲しみの淵に落ち込んだ。
しかし
寸前に 又 一筋の光がさし
娘は命を救われてきた。
その
一筋の光はみいに新たな「人との出会い」をもたらしてきた。
徳田圭亮先生とに出会いは
まさしく
そんな風に思える。
何回も死の淵に立たされたみいを前に
私と主人は娘との永遠の別れを予想して落胆してきたことか・・。
しかし
医学という武器を持って
常に懸命な努力と熱意で
引き戻してくれた徳田先生。
徳田先生との出会いも
ふとしたきっかけでもたらされたものである。
ふとした・・・・
しかしそこにはある一人の方の熱意があった。
そして誠意があった。
「 娘さんを何が何でも説得して徳田病院に連れて行きなさい。
先生にはお話していますから!」と。
徳田先生との出会いをもたらせて頂き
娘は救われ続けてきた。
今日
徳田先生から
又新たな出会いのチャンスを頂いた。
徳田先生は結石が原因で苦しむ娘を救いながら
そのむごい症状から救い出して
今日という日を調整した。
両手 両腕から皮膚の下に滲み出してくる出血を食い止め
献血、抗生物質を投与しながら
血液検査による基準値内に全ての数値を納めた。
「 先が見えない・・。
帰りたい・・・。
もういいよ。 家で好きなことをしていたい。」
うつむいて
うなだれて
泣いたみい。
その言葉の陰に小さな声でつぶやいた。
「 破砕術でもなんでもいいから
いっそ 手術してこの石を取り出してよ。」
私は主人と顔を見合わせた。
体重20数キロ
血小板 カウントぎりぎり。
全ての血液検査がはるかに基準を下回っている。
そんなリスクを背負った患者を診てくれる医師はいないだろうと
誰もが考えた。
しかし
徳田先生は
小さくつぶやいた娘の声を聞き逃さなかった。
そして
娘に希望を持たせてくれた。
「 結石を取り出す手術に挑んでみましょう。」と
体が痛くて横になれない。
全身がヒリヒリして眠れない。
溜まる腹水が苦しくて座っておれない。
指先がジンジンと痛みを伴っている。
そんな数々の苦しみから
手術をして結石を取り出すという新たな挑戦が始まった。
徳田先生は専門医を探した。
これだけのリスクを背負って
手術に挑んでくれる医師を探した。
そのうえで
娘の体をベストコンデションに整えた。
昨日
徳田先生は私に告げた。
「 非常に良い状態です。
鬱血もすーと治まりかけました。
両手 両足のむくみも納まりかけました。
血小板も輸血により補われました。
その他も
ほぼ基準値に収まっています。
とても良いときです。
今を逃さずに!
泌尿器科の先生が診察してくれます。
連れていきましょう。」
「 今日 娘さんの病室を訪ねました。
ちょうど食事中でした。
ほぼ半分ほど 食事を食べていました。
私が入っていったのでやめてしまいました。
相変わらず人前で食べようとしません。 が
半分の量は食べ終わっていました。
このことは
時間をかけて治していきましょう。」
4月3日(火)
雨を伴った春の風は
山肌の木々を揺らし 我が家にあたり
駆け抜けて行く。
長い冬眠から目覚めたカエルたちが
窓の外で大合唱を始めた。
午前8時
私は娘を30分離れた佐世保市街地にある
総合病院へと連れて行く。
娘と私たちは 又 新たな出会いがもたらされた。
風は家全体を揺らし続けている。
思いっきりサイドブレーキをひき
落ちていく娘の人生にブレーキをかけた。
ほっとして
慎重に方向転換したものの
あまりにも傷が多すぎて発進できないでいる。
沢山のメンテナンスが必要とされている娘の体は
誠意ある医師の力で
修復されていこうとしている。
新たな出発のために!
私は
病室の愉快なみいに支えられて
今日という日を
元気に
明るく
生きて行っている。
優しく見下ろす桜を仰ぎながら。

Posted by パールじゅんこ at 06:40│Comments(0)