
2012年04月05日
摂食障害の娘と共に 息抜き
春の猛烈な
嵐が日本中を襲った。
その翌日は
とてもさわやかな一日が訪れた。
私は職場の駐車場に散乱したごみを集めながら
遠慮がちに優しい空気を醸し出していた
桜の木の周辺の雰囲気が違う事に気が付いて
そばへ近寄ってみた。
開き始めていた花弁は
離れまいと必死で枝にしがみついていたんだろう。
すっかり痛んでしまい
うすく淡い 優しいピンク色の花びらは
しっかり枝に止まりながらも
見るも無残な姿になっていた。
茶色くなってしまった花弁は
暖かいお日様の誘いにも応じる事が出来ず
ボロボロになったまま
一日中うなだれていた。
なんだか
娘の人生にかぶさって悲しかった。
昨日は
徳田圭亮医師の紹介で
佐世保市街地にある病院を訪ね
半日を検査や医師の説明等に費やした。
4月9日入院
4月10日手術
「 早急に手術をしてあげたいのだが・・
スケジュールの調整が利かないので
10日に手術しましょう。」と
共済病院 泌尿器科部長は娘を引き受けてくれた。
娘は
徳田先生に退院を要求して
苦笑いの中先生の承諾を得て
再入院までの日を自宅で過ごすことになった。
私は娘を一人家に残し
職場に向かった。
沢山の事務処理に一日中追われた。
娘のことを気使いながら・・。
昨日 4月3日
病院の診察の待ち時間に
娘はつぶやいた。
診察券をまじまじと見つめながら・・・。
「 お母さん
うちの結婚は・・
あいつとのことは・・・
なんだか夢を見ていたような気がするよ。」
「 夢じゃなかったよ。
HAYATOがいるよ。
」
「 でもね。
昨年のずっと具合の悪いときに
意識がもうろうとしている中で
話が進んでいき
離婚届もあいつが出して
その後も入院生活で苦しくて
いろんな処理をお母さんにしてもらって
自分が何もしない内に終わったから・・・。
名前が元に戻ったのをこうして見てみると・・
あいつとの生活は
夢だったような気がするよ・・・。」
「 HAYATOは
お父さんとお母さんの子供で
うちには弟が出来たような そんな気がするよ。」
さらに娘は続けた。
「 でも
うちは一人ぼっちじゃないって思えるよ。
お父さんとお母さんが死んでしまっても
お姉ちゃんがいるし 〇〇(妹)がいるから
一人ぼっちじゃないよ。 」
容赦なく傷み付けられた桜の花びらは
見るも無残な姿になりながらも
決して枝から離れなかった。
強風が吹き荒れた翌日は
うなだれたままだったが
きっと又生気を取り戻し
お日様に答え
風のささやきに答え
生きていく事だろう。
みいも
どんなに傷み付けられても必死で枝から離れなかった。
私は
根っこから栄養を吸収して
枝の先に必死にしがみついているみいに
栄養を送り続けてみせる。
短いようで長かった結婚生活は
みいの心を傷つけ
傷ついた心は
自らの体を傷み付けた・・・・。
「 死んでしまいたい
でも
自分から死ぬ勇気もないし・・。
食べなければ死ねるんだ・・・! 」
結婚生活でのみいの悲しみは
自分自身を追い込んでいった。
自分自身によって苦しめられた肉体は
今
さまざまな障害を残してしまった。
いったん座れば
立ち上がれない。
でもね・・・。 みい。
しゃがめなければ
しゃがまなければいい!
相手に合わそうと苦しんできたみい。
時には
自分に合わせてもらっていいんだよ。
ほらね。
みいに合わせて
料理の好きなみいに合わせて
野菜があがってきたよ。


みい
臨機応変という言葉があるじゃない!
ね!
生きていこう。
楽しみながら!!
死の淵にあったみいは
私にメールしたよね。
「 みいの名前はEMI。
笑み 笑み
笑っていこう 」 って。
みいの言う通り笑って過ごそうね。
悲しんでいると疫病神がくっついてくるね!
笑って疫病神を吹き飛ばそう!!
笑って過ごそう!!
あるがままに・・・。
明日を信じて。
お母さんはみいの生命力を信じているよ!
決して離れなかった花弁は
又
生き抜いていくはず!!

嵐が日本中を襲った。
その翌日は
とてもさわやかな一日が訪れた。
私は職場の駐車場に散乱したごみを集めながら
遠慮がちに優しい空気を醸し出していた
桜の木の周辺の雰囲気が違う事に気が付いて
そばへ近寄ってみた。
開き始めていた花弁は
離れまいと必死で枝にしがみついていたんだろう。
すっかり痛んでしまい
うすく淡い 優しいピンク色の花びらは
しっかり枝に止まりながらも
見るも無残な姿になっていた。
茶色くなってしまった花弁は
暖かいお日様の誘いにも応じる事が出来ず
ボロボロになったまま
一日中うなだれていた。
なんだか
娘の人生にかぶさって悲しかった。
昨日は
徳田圭亮医師の紹介で
佐世保市街地にある病院を訪ね
半日を検査や医師の説明等に費やした。
4月9日入院
4月10日手術
「 早急に手術をしてあげたいのだが・・
スケジュールの調整が利かないので
10日に手術しましょう。」と
共済病院 泌尿器科部長は娘を引き受けてくれた。
娘は
徳田先生に退院を要求して
苦笑いの中先生の承諾を得て
再入院までの日を自宅で過ごすことになった。
私は娘を一人家に残し
職場に向かった。
沢山の事務処理に一日中追われた。
娘のことを気使いながら・・。
昨日 4月3日
病院の診察の待ち時間に
娘はつぶやいた。
診察券をまじまじと見つめながら・・・。
「 お母さん
うちの結婚は・・
あいつとのことは・・・
なんだか夢を見ていたような気がするよ。」
「 夢じゃなかったよ。
HAYATOがいるよ。

「 でもね。
昨年のずっと具合の悪いときに
意識がもうろうとしている中で
話が進んでいき
離婚届もあいつが出して
その後も入院生活で苦しくて
いろんな処理をお母さんにしてもらって
自分が何もしない内に終わったから・・・。
名前が元に戻ったのをこうして見てみると・・
あいつとの生活は
夢だったような気がするよ・・・。」
「 HAYATOは
お父さんとお母さんの子供で
うちには弟が出来たような そんな気がするよ。」
さらに娘は続けた。
「 でも
うちは一人ぼっちじゃないって思えるよ。
お父さんとお母さんが死んでしまっても
お姉ちゃんがいるし 〇〇(妹)がいるから
一人ぼっちじゃないよ。 」
容赦なく傷み付けられた桜の花びらは
見るも無残な姿になりながらも
決して枝から離れなかった。
強風が吹き荒れた翌日は
うなだれたままだったが
きっと又生気を取り戻し
お日様に答え
風のささやきに答え
生きていく事だろう。
みいも
どんなに傷み付けられても必死で枝から離れなかった。
私は
根っこから栄養を吸収して
枝の先に必死にしがみついているみいに
栄養を送り続けてみせる。
短いようで長かった結婚生活は
みいの心を傷つけ
傷ついた心は
自らの体を傷み付けた・・・・。
「 死んでしまいたい
でも
自分から死ぬ勇気もないし・・。
食べなければ死ねるんだ・・・! 」
結婚生活でのみいの悲しみは
自分自身を追い込んでいった。
自分自身によって苦しめられた肉体は
今
さまざまな障害を残してしまった。
いったん座れば
立ち上がれない。
でもね・・・。 みい。
しゃがめなければ
しゃがまなければいい!
相手に合わそうと苦しんできたみい。
時には
自分に合わせてもらっていいんだよ。
ほらね。
みいに合わせて
料理の好きなみいに合わせて
野菜があがってきたよ。


みい
臨機応変という言葉があるじゃない!
ね!
生きていこう。
楽しみながら!!
死の淵にあったみいは
私にメールしたよね。
「 みいの名前はEMI。
笑み 笑み
笑っていこう 」 って。
みいの言う通り笑って過ごそうね。
悲しんでいると疫病神がくっついてくるね!
笑って疫病神を吹き飛ばそう!!
笑って過ごそう!!
あるがままに・・・。
明日を信じて。
お母さんはみいの生命力を信じているよ!
決して離れなかった花弁は
又
生き抜いていくはず!!

Posted by パールじゅんこ at 07:00│Comments(0)