
2012年04月13日
摂食障害の娘と共に 結石手術
4月10日 午後1時20分
ストレッチャーに横たわった娘を乗せて
エレベーターは8階に止まった。
私は看護師の案内で6階に移動し
HCU病棟(High Care Unit)の前のロビーで
娘を待った。
平成23年10月より開設されたこの病棟は
多臓器合併症のある患者に対応できる部署である。
4月3日
入院中の徳田病院から
佐世保共済病院 泌尿器科部長 江口二朗医師の
診察を受け4月10日手術の予定をくみ
再び徳田病院へと戻った娘は
徳田先生に再入院の日まで自宅で過ごすことを希望した。
退院を許された娘は
翌日は佐世保 共済病院からの電話で
入院中はHCU(ハイ ケア ユニット)で治療を受ける旨
知らされていた。
徳田先生の紹介状の内容からの
江口先生の配慮であった。
HCU横のエレベーターの前のロビーで私はみいを待った。
窓の下には
佐世保公園や米軍管理のミニッツパークが一望できた。
佐世保川沿いの公園は桜が満開で
多くの人の憩いの場所となっている。
広大な敷地の公園で休息をとっている人々の
笑顔やのんびりとした空気が伝わってくる。
アルバカーキ橋をゆっくりと歩いて
桜に魅せられながら
人々が公園に流れ込んでいる
ミニッツパークの球技場では
色鮮やかなユニホームの選手たちが
懸命にサッカーボールを追っている。
公園の向こう側に覆いかぶさるように
昨年開通した真新しい高速道路が眺められる。
公園ののどかな雰囲気と対照的に
ひっきりなしに流れる車の群れを眺めていると
容赦なく時が流れ去るのが感じられる。
ゆったりと
過ぎていく時間と
追いかけるように慌しく過ぎ去る時間との
アンバランスさが
ひとつの風景の中に溶け込み
不思議な感覚に陥る。
この高速道路の開通により
我が家から30分以内で
この病院にやってくることが出来る。
高速開通から半年以上たった今まで
高速開通がこんなにありがたく思ったことは無かった。
午後4時を少し回った頃
娘を乗せたストレッチャーが8階から降りてきた。
局所麻酔の娘ははっきりとした意識の中
私の前に返ってきた。
HCU病棟の中に入る娘の後ろの江口先生に
私は待合室に案内されて
手術の説明を受けた。
「 尿管が途中で極端に屈折していました。
石というより泥団子の塊のような結石でした。
カテーテルもこの屈折個所から奥には
入れません。
この場所で粉砕した石が
おしっこに含まれて流れ出てくることを待ちましょう。」
「 こんな状態の娘を受け入れていただき
有難うございました。」
とお礼を言った私に
江口先生は締めくくられた。
「 徳田先生が一生懸命でしたので 」
私は人との巡り合いが・・・
困難に出くわしたとき
手を差し伸べてくれる方との出会いが・・・
偶然ではなく
一人の人の真心の上に成り立っていることに
感謝せずにはおれません。
私の家族は
これから先 出会った人々を大切に
真心を込めて
接していかなければならないと
強く自分自身に言い聞かせた。
HCU( High Care Unit )とは
高度治療室のことであり
多臓器合併症のある患者に対応する病棟である。
「HCU」と書かれたドアで遮断された
広い病棟の中には
ドアのない壁だけで仕切られた4つの部屋に分かれている。
8床だけ対応されるこの病棟には
独りの患者に瞬時に対応できるように
多くの医師や看護師が従事している。
手術後
元気に会話する娘に安心して
午後7時前 HCU病棟から出た。
7時過ぎ帰り着いた私は
主人とHAYATOが
スーパーから買ってきたお弁当を広げた。
HAYATOは
美味しそうなシーチキンがたっぷり入った
巻きずしを自分の晩御飯に選んでいた。
私達は
いつものように楽しく食事を終わらせ
三人でお風呂に入り
眠りについた。
4月11日(水)
職場に顔を出した後病院に行こうとしていた私に
娘の主治医から電話が入った。
「 午前五時から昏睡状態に陥っています。」
時間が長いのでお知らせします。
詳しくは病院でお話します。」
私は私でないとできない事務仕事を
僅かな時間で仕上げ会社を後にした。
「 こんな時は
お茶を飲んでいくもんバイ!
気持ちを落ち着けナイ! 」
19年共に働いてきた社長は自らお茶を入れ
私に勧め、私を送り出してくれた。
私は仕事着のジーパンのまま
病院に駆け付けた。
娘は痛々しい姿でベットに横たわっていた。
私はなすすべもなく
一日中娘の体をさすった。
夕方 主人に連れられたHAYATOの大きな呼び声にも
娘は反応しなくなっていた。
沢山の専門医がひっきりなしに娘を囲んだ。
看護師たちが
一分の隙もないほどに娘についていた。
様々な機械が娘のベット周りに寄せられ
娘のベットが動くこともなく様々な検査が行われた。
沢山の医師たちが娘のベットを囲み
頭をひねった。
娘は何の異常もないままに
深い深い眠りに落ち込んでいた。
主治医は
絶えず徳田先生と連絡を取りながら
多くの専門医と共に
点滴薬の調整にあたった。
4月12日(木)
3時過ぎ目覚めて眠れない私に
HAYATOの向こう側の主人が声をかけた。
「 しっかりしろよ。
HAYATOがおるぞ!
HAYATOはバアバが居ないとダメだからな!
HAYATOはお前がおらんばダメバイ!!」
私は涙をこらえベットを出た。
声を出すと泣きそうだったから「 うん 」とだけ
返事をして。
いつものように
全ての家事をきちんと終わらせた。
HAYATOがいるので
規則正しい一日をスタートさせた。
ストレッチャーに横たわった娘を乗せて
エレベーターは8階に止まった。
私は看護師の案内で6階に移動し
HCU病棟(High Care Unit)の前のロビーで
娘を待った。
平成23年10月より開設されたこの病棟は
多臓器合併症のある患者に対応できる部署である。
4月3日
入院中の徳田病院から
佐世保共済病院 泌尿器科部長 江口二朗医師の
診察を受け4月10日手術の予定をくみ
再び徳田病院へと戻った娘は
徳田先生に再入院の日まで自宅で過ごすことを希望した。
退院を許された娘は
翌日は佐世保 共済病院からの電話で
入院中はHCU(ハイ ケア ユニット)で治療を受ける旨
知らされていた。
徳田先生の紹介状の内容からの
江口先生の配慮であった。
HCU横のエレベーターの前のロビーで私はみいを待った。
窓の下には
佐世保公園や米軍管理のミニッツパークが一望できた。
佐世保川沿いの公園は桜が満開で
多くの人の憩いの場所となっている。
広大な敷地の公園で休息をとっている人々の
笑顔やのんびりとした空気が伝わってくる。
アルバカーキ橋をゆっくりと歩いて
桜に魅せられながら
人々が公園に流れ込んでいる
ミニッツパークの球技場では
色鮮やかなユニホームの選手たちが
懸命にサッカーボールを追っている。
公園の向こう側に覆いかぶさるように
昨年開通した真新しい高速道路が眺められる。
公園ののどかな雰囲気と対照的に
ひっきりなしに流れる車の群れを眺めていると
容赦なく時が流れ去るのが感じられる。
ゆったりと
過ぎていく時間と
追いかけるように慌しく過ぎ去る時間との
アンバランスさが
ひとつの風景の中に溶け込み
不思議な感覚に陥る。
この高速道路の開通により
我が家から30分以内で
この病院にやってくることが出来る。
高速開通から半年以上たった今まで
高速開通がこんなにありがたく思ったことは無かった。
午後4時を少し回った頃
娘を乗せたストレッチャーが8階から降りてきた。
局所麻酔の娘ははっきりとした意識の中
私の前に返ってきた。
HCU病棟の中に入る娘の後ろの江口先生に
私は待合室に案内されて
手術の説明を受けた。
「 尿管が途中で極端に屈折していました。
石というより泥団子の塊のような結石でした。
カテーテルもこの屈折個所から奥には
入れません。
この場所で粉砕した石が
おしっこに含まれて流れ出てくることを待ちましょう。」
「 こんな状態の娘を受け入れていただき
有難うございました。」
とお礼を言った私に
江口先生は締めくくられた。
「 徳田先生が一生懸命でしたので 」
私は人との巡り合いが・・・
困難に出くわしたとき
手を差し伸べてくれる方との出会いが・・・
偶然ではなく
一人の人の真心の上に成り立っていることに
感謝せずにはおれません。
私の家族は
これから先 出会った人々を大切に
真心を込めて
接していかなければならないと
強く自分自身に言い聞かせた。
HCU( High Care Unit )とは
高度治療室のことであり
多臓器合併症のある患者に対応する病棟である。
「HCU」と書かれたドアで遮断された
広い病棟の中には
ドアのない壁だけで仕切られた4つの部屋に分かれている。
8床だけ対応されるこの病棟には
独りの患者に瞬時に対応できるように
多くの医師や看護師が従事している。
手術後
元気に会話する娘に安心して
午後7時前 HCU病棟から出た。
7時過ぎ帰り着いた私は
主人とHAYATOが
スーパーから買ってきたお弁当を広げた。
HAYATOは
美味しそうなシーチキンがたっぷり入った
巻きずしを自分の晩御飯に選んでいた。
私達は
いつものように楽しく食事を終わらせ
三人でお風呂に入り
眠りについた。
4月11日(水)
職場に顔を出した後病院に行こうとしていた私に
娘の主治医から電話が入った。
「 午前五時から昏睡状態に陥っています。」
時間が長いのでお知らせします。
詳しくは病院でお話します。」
私は私でないとできない事務仕事を
僅かな時間で仕上げ会社を後にした。
「 こんな時は
お茶を飲んでいくもんバイ!
気持ちを落ち着けナイ! 」
19年共に働いてきた社長は自らお茶を入れ
私に勧め、私を送り出してくれた。
私は仕事着のジーパンのまま
病院に駆け付けた。
娘は痛々しい姿でベットに横たわっていた。
私はなすすべもなく
一日中娘の体をさすった。
夕方 主人に連れられたHAYATOの大きな呼び声にも
娘は反応しなくなっていた。
沢山の専門医がひっきりなしに娘を囲んだ。
看護師たちが
一分の隙もないほどに娘についていた。
様々な機械が娘のベット周りに寄せられ
娘のベットが動くこともなく様々な検査が行われた。
沢山の医師たちが娘のベットを囲み
頭をひねった。
娘は何の異常もないままに
深い深い眠りに落ち込んでいた。
主治医は
絶えず徳田先生と連絡を取りながら
多くの専門医と共に
点滴薬の調整にあたった。
4月12日(木)
3時過ぎ目覚めて眠れない私に
HAYATOの向こう側の主人が声をかけた。
「 しっかりしろよ。
HAYATOがおるぞ!
HAYATOはバアバが居ないとダメだからな!
HAYATOはお前がおらんばダメバイ!!」
私は涙をこらえベットを出た。
声を出すと泣きそうだったから「 うん 」とだけ
返事をして。
いつものように
全ての家事をきちんと終わらせた。
HAYATOがいるので
規則正しい一日をスタートさせた。
Posted by パールじゅんこ at 06:45│Comments(1)
この記事へのコメント
私は20年前に左腹に激痛
(これは完全にオカシイ)
すぐに、昔の琉大病院へ

(とにかく、痛み止め打ってくれ)
そして、、
今は、2,3年に1度の割合で尿管結石
(石が出来やすい体質)

(これは完全にオカシイ)
すぐに、昔の琉大病院へ


(とにかく、痛み止め打ってくれ)

そして、、
今は、2,3年に1度の割合で尿管結石

(石が出来やすい体質)
Posted by すっぽんパグV at 2012年04月13日 07:01