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2012年04月28日

摂食障害の娘と共に 

目覚まし時計を止め
再び眠りに入った。

10分後 再び目覚まし時計が鳴った。

窓の外が
うっすらと明るくなっていた。
4月28日(土)が明け始めようとしていた。

私は
久しぶりに目覚まし時計で目が覚めた。

今までどれだけ
眠れない夜を過ごしたことか・・・。

目覚まし時計が鳴り響く前に
午前4時過ぎには
起き出すのが日課となっていた。

娘を看てくださる医師たちから説明を受けた夜は
 午前1時
 午前2時
 午前3時
と 時計を見ながらベットの中で息をひそめていた。
右手はなぜだかいつもくの字に曲がり
頭に添えられていた。
鼻水をすすりあげる私に
主人もうっすらと目覚め何度「 大丈夫か?」と
HAYATO越しに声をかけてきたことか。

今朝
私は久しぶりに
目覚まし時計を止めそのまま眠りに入った。

再び 再々度目覚ましが鳴って
私はベットを出た。

窓の外は
今日という日が明け始めていた。
私はパソコンのスイッチを入れた。

止まることのないカエルの合唱が
背中で続いている。
ケーン ケーンと時折鳴くキジの声が山郷に響いた。

まもなくあけぼのの頃
私は
混線している気持ちを整理して
新たな一日を過ごすためにパソコンに向かう。

主婦業をこなすまでの時間まで
タイムリミットは30分。

窓の外では
キジが頻繁に鳴き始め
近所の車が通り始めた。
  田んぼのカエル
  野原のキジ
  電線のカラス
  梢の小鳥
一斉に目覚めさえずり始めた。


気が気じゃなかった娘の容態は
医師たちのデータと無関係に回復に向かった。
午前中娘と共に過ごし
夕方HAYATO 主人と共に再び娘を見舞う。
半日は驚くほどの勢いで
回復を始めた。

4月27日(金)
感情のコントロールが出来ない娘は
何か訴えようとするが言葉が出ない苛立ちを
 かってに せんで
 おまえ かえれ
 わからん
 するな かえれ
と 細く力のない腕で
殴りかけながら怒りを私に向けた。

夕方
HAYATOの手には3枚のビスケットが握られていた。

指先を消毒して
HAYATOは背伸びをしてHCU病棟のチャイムを押す。
看護師に招き入れられながら
入室する。
横になっていた娘はHAYATOの声に
一人で起き上がろうとした。
肩までは簡単に上がるが
頭を持ち上げるのに苦労をしている。
頭にそっと手を入れて助ける。

自力でベットの横に座った娘は
午後に病院の貸し寝間着から
自分の花柄のパジャマに着替えていた。


起き上がった娘に
HAYATOはビスケットを渡した。
娘は嬉しそうに声を出した。
  あ これがよかった。
  これ おいしい
  これ すき

その可愛い話し方に
私は主人と顔を合わせて笑った。
安堵と愛しさがミックスされた暖かい気持ちがこみ上げてきた。

3枚の内 一枚を 「 はい 」とHAYATOに渡した
一枚を 「 おいしい 」と言いながら食べて
最後の一枚を半分にして「 はい 」
HAYATOに渡した。


娘は怒りを表すこともなく
しかし
  うち かえる
という言葉を連発した。

7時からのテレビ「 どらえもん 」を見たいHAYATOは
そそくさと
娘の元を去った。


HAYATOの後を追って
 さ かえろ
と立ち上がる娘を私は諭した。
幼い子に言ううように諭した。
まだ 混線している娘の脳は
一部分で理解を示し
ある部分はまったく届いていないように感じられる。

一足先にHCU病棟から出たHAYATOをおって
自分の帰ろうとした。
 さ かえろ・・・・

ベットから立ち上がり 
点滴のスタンドをおして歩き始めようとした娘を
私は諭した。

 「 もう 少しね・・。
    まだ心臓が働きが悪いので
    もう少し直そうね。

   それから
    さっさと 帰ろう。

   みいが
     家の事してくれないと 
     お母さん大変よ・・。 

   完全に治して さっさと帰ろうね
   そして 早く晩御飯こしらえてね。」
 と

立ち上がったみいの横で諭した。
怒ることもなく娘は納得した。


一年前から入退院を繰り返し始めた娘は
帰る私達をいつもエレベーターまで送った。

この日 4月27日(金)
佐世保 共済病院に4月9日に入院してから初めて
点滴のスタンドを押し
介護用のスリッパを履き
自分のパジャマ姿で
看護師に付き添われながら私達を見送った。

6階で止まったエレベーターに乗り込み
娘に別れを告げ手を振った。

エレベーターのドアが閉まった後
娘が看護師を困らせていないか心配になった。

しかし
明らかに 命の危機は免れたと感じた。
少しずつ回復に向かう娘と交わりながら
残っている障害はこわいものではない。
命の大切さに比べると
残っている障害さえ愛しさが感じられる。

4日間の昏睡状態から目覚めた娘を
この時が誕生の時と考えると
 言葉が出ないが歩こうと始めた1歳児
 片言をしゃべり始めた2歳児
 思いが伝わらず癇癪をおこす3歳児
 思いどうりにならず駄々をこねる4歳児
 ・・・・
目に見えるようなスピードで成長を始めたことが
一目瞭然である。


主治医は
私と主人に娘の今の容態を説明し
5月2日(水)
佐世保 中央病院の脳外科医の元を訪ね
専門医の診察を受ける予定を告げた。


私は
 「 もしかしたら 脳外科の専門医の診察にも
   娘は異常ないと診断されるのかもしれない・・」と
思い始めた。
 


 佐世保の街路樹は勢いを増し始めた。

 目に映る景色に鮮やかが増した。
摂食障害の娘と共に  



  私は主人に向かって何回も言った。


  「 おとうさん みいには ど胆抜かれたね。

    ど胆 抜かれたよね!! 」


  「 今までで こんなにこわい事 無かったよね。 」 



主人は 7時から始まる「 どらえもん 」を
HAYATOに見せるため
ハンドルさばきが乱暴だったが
目元が緩んだ。


日は延び まだ山肌は明るく 
もこもこと葉が勢いよく繁り始め山が成長を始めた。



Posted by パールじゅんこ at 06:33│Comments(0)
 
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パールじゅんこ
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
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100%信じている私こと じゅんこです。


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