
2012年05月08日
摂食障害の娘と共に 脳外科
高次脳機能障害
新たに娘に下された病名である。
5月2日(水)
娘は
共済病院6階のHCU病棟を出て
玄関で待機していた車いす専用車に乗り込んだ。
3週間ぶりに外気に触れた娘の目にした風景は
緑あふれ
街は躍動感にあふれている。
北を烏帽子岳
西に弓張岳を望む港町には
米軍基地
海上自衛隊
五島列島へのフェリーターミナル
佐世保造船所(SSK)などが
所狭しと隣接されている。
芽生えたばかりの街路樹のうえに
柔らかい緑の風が渡っている。
新車の匂いのする車いす専用車の後部に
神妙な顔をして座る娘は
主治医、看護師、ドライバーの会話に
時折笑った。
「 佐世保駅の横を通っているよ」と振り向いたベテラン看護師に
「わからん」とそっけなく答えて再び不機嫌そうにしていた。
約10km離れた佐世保 中央病院への
混雑している市街地の道路は時間がかかった。
他愛もない談義に花が咲き渋滞は気にならなかった。
無表情な娘に私は気が重かった。
娘の脳は
理解しているのか
理解していないのか私は気が重かった。
予約診察にもかかわらず診察までに時間がかかった。
車いすの娘は
不機嫌そうに神妙な顔をして車いすに座っていた。
気をきかした看護師は広いロビーを
車いすを押し
あちこち移動しながら
娘の気晴らしをしてくれていた。
共済病院を出てから1時間が経過していた。
私達は
年配の脳外科医の前に座った。
私の口から娘の状態を聞いた医師は
主治医に術後の説明を聞き
更に娘に質問をした。
お子さんの名前は?
答えられない。
お子さんは何歳?
「 5歳 」
誕生日は?
「 6月・・・・」
6月何日?
「 わからん 」
貴方の出身の高校は?
「 ・・・・・ 」
答えられない部分が多かった。
答えられない場合は「 知らん 」と怒った。
佐世保中央病院 脳外科医の下した病名は
高次脳機能障害
( 何らかの問題により
脳に酸素がいかなかったのが
原因ではないかと思われる。 )
私は愕然とした。
「 先生の経験上
娘のレベルの障害を持っている患者は
日常生活にもどれますか 」
「 記憶は戻ってきますか 」
「 これ以上でも
これ以下にもならないでしょう。
今まで通りの生活は無理だと思われます。」
私は愕然とした。
更に内科受信も進められた。
様々な検査後に
首をひねる温厚な内科医の前で
私達は同じようなやり取りを交わした。
結局は 教科書どうりでない娘の経過は
霧に包まれていた。
私の頭の中は
高次脳機能障害という言葉が
しっかりとインプットされた。
交通事故の後
深い昏睡状態から目覚めた患者に現れる
代表的な脳の後遺症であることが解った。
記憶の部分的な欠如。
自分自身で障害がわかっていない苦しみ。
私は愕然とした。
命の重さに比べると
天秤にはかけられない・・・と
心底思えるが
こんな道が娘を 私達家族を
待っていたと思うと愕然とした。
再び佐世保 共済病院に帰り着いたのは
午後2時を過ぎていた。
お昼ご飯を楽しみに帰ってきた娘のベット横には
2本のホットドック( 卵 ソーセージ )
インゲン豆のドレッシング和え
かぼちゃスープ
大きな1本のバナナ
が準備されていた。
お弁当を持参していた私は
娘の横のベットに腰かけて一緒に
遅い昼食を食べた。
「 美味しそうね。」
「 うん おいしい 」
娘は2本のホットドックをぺろりと食べた。
美味しそうにスープを口にした。
サラダもボチボチと食べてしまった。
私は
自分の弁当を娘に見せた。
「 畑のタイヤ菜園のサラダ菜よ 」
「 あら いいね 」
「 沢山栄えているよ
畑は草ぼうぼうだよ。 耕さんばね
みいが帰ってきたら
楽しみがいるね・・。」
「 キュウリ植えとこうかな ね。 」
「 きゅうり トマト ピーマン 」
家庭菜園の好きだった娘は
一瞬 私との会話が成立した。
バナナは食べずに
「 もって かえって 」と
差し出した。
何回も繰り返してきた入院生活の中で
いつも
HAYATOに食事の果物をとっていて
渡していたのが
記憶のどこかに残っているように思われた。
昏睡状態から目覚めてから
初めて会話が成立した。
外気に触れ
娘の脳に刺激が与えられたからと私は感じた。
私は
一日も早く 退院させたくなった。
その翌日の夕方( 5月3日 )見舞った私達に娘は怒りを表した。
「 かえれ 」
「 くるな 」
お父さんがわかるか ?
「 しらん 」
5月4日 夜 娘はHCU病棟から一般病棟に移った。
5月5日(土)
一般病棟の4人部屋に移った娘を見舞った
私と主人とHAYATOに
娘は怒りを表した。
「 かえれ 」
「 くるな 」
「 わからん 」
「 しらん 」
単語を並べて怒った。
私達は早々と娘の元を去った。
これ以上娘を興奮させたくなかったから。
私の心は重かった・・・。
娘は感情をコントロールできない・・・・。
Posted by パールじゅんこ at 08:28│Comments(3)
この記事へのコメント
こんにちは、はじめまして。
高次脳機能障害の者です。
時間があれば自分のブログに遊びに来て下さい。
とある方からあなたのブログを教えて頂きました。
正直、一人ひとり症状は全く違うのがこの障害。
とりあえず自分は今こんな感じで過ごしてます。
自分の昏睡してた時間は5日ぐらいだったそうですよ。ちょっとウイルスが頭に入ったりしてたので色々とありましたけどね。
何かプラスになれればと思います。
高次脳機能障害の者です。
時間があれば自分のブログに遊びに来て下さい。
とある方からあなたのブログを教えて頂きました。
正直、一人ひとり症状は全く違うのがこの障害。
とりあえず自分は今こんな感じで過ごしてます。
自分の昏睡してた時間は5日ぐらいだったそうですよ。ちょっとウイルスが頭に入ったりしてたので色々とありましたけどね。
何かプラスになれればと思います。
Posted by だーしゃ
at 2012年05月08日 12:47

だーしゃさん
私は混乱しています。
命を救っていただいた娘は
沢山の医師が首を傾ける中
少しずつ
回復しているように見えます。
どの先生方も首をかしげます。
九州大学の先生方でさえ
「 解らない 例がない 」と
答えます。
主治医はいつも
娘のデータに悩まされています。
私は
「 ゆっくり 良くなるよ 」と
知人たちから励まされています。
本当に平凡に
悩みという悩みも持たず生きてきた私達夫婦にとって
娘によって非凡な経験をしています。
今
改めて思います。
命あれば 明日があるはず。
明日は笑って過ごせるはずと!
是非
あなたのブログ訪問させていただきます。
主婦であり
孫の親代わりであり
キャリアウーマン(?)である私は
夜中 早朝しか時間がありません。
ゆっくりと時間が取れるときに
是非あなたのブログ訪問させていただきます。
ゆっくりと・・・!
私は混乱しています。
命を救っていただいた娘は
沢山の医師が首を傾ける中
少しずつ
回復しているように見えます。
どの先生方も首をかしげます。
九州大学の先生方でさえ
「 解らない 例がない 」と
答えます。
主治医はいつも
娘のデータに悩まされています。
私は
「 ゆっくり 良くなるよ 」と
知人たちから励まされています。
本当に平凡に
悩みという悩みも持たず生きてきた私達夫婦にとって
娘によって非凡な経験をしています。
今
改めて思います。
命あれば 明日があるはず。
明日は笑って過ごせるはずと!
是非
あなたのブログ訪問させていただきます。
主婦であり
孫の親代わりであり
キャリアウーマン(?)である私は
夜中 早朝しか時間がありません。
ゆっくりと時間が取れるときに
是非あなたのブログ訪問させていただきます。
ゆっくりと・・・!
Posted by パールじゅんこ
at 2012年05月08日 18:39

お忙しいなかコメントありがとうございますね。
ゆっくりとと言うのは間違いありません。
自分は3年で~とか言われたのが、現在5年目です。しかし、最初に比べれば段違いに良くなってます。
自分の場合ですが、このような感じです。
http://daxiazzz.ti-da.net/e3902881.html
クリックするとちょっとみずらいかもしれませんが、記事がひとつひとつリンクで書かれています。
参考にしてもらったらと思います、
宜しくお願いいたします。
ゆっくりとと言うのは間違いありません。
自分は3年で~とか言われたのが、現在5年目です。しかし、最初に比べれば段違いに良くなってます。
自分の場合ですが、このような感じです。
http://daxiazzz.ti-da.net/e3902881.html
クリックするとちょっとみずらいかもしれませんが、記事がひとつひとつリンクで書かれています。
参考にしてもらったらと思います、
宜しくお願いいたします。
Posted by だーしゃ at 2012年05月09日 19:02