
2012年08月29日
摂食障害 克服への道のり 秋の気配
ご近所の奥様達3人をを相手に
喰ってかかった!
原因は 摂食障害の娘を詰られたことにあった。
悔しくて 泣きながら
喰ってかかった・・・。
20年 30年来のお付き合いの方ばかり。
・・・・・
はっと 目が覚めた。
午前4時。
夢だったんだ・・・。
胸がドキドキと脈打っている。
夢だったんだ。
良かった。
ご近所の奥様とは喧嘩などしていなかった。
窓の外で ザーと雨の音がしている。
台風15号は去ってしまったはず。
Uターンして一躍話題を集めた14号の影響かな・・・。
身支度を整え
お風呂の掃除を終わらせ
洗濯機の中で出来上がっている洗濯物を
かごの中にしわを伸ばして取り出した。
干すのはみいの仕事。
パソコンを立ち上げ一息ついた。
台風情報に目をとおした。
仕事がら 数日先の天気が気にかかる様になった。
私は
自分が作り上げてきたライフスタイルに限界を感じ始めた。
出来ない。
思うように
考えているように
今までこなしてきた様々な処理が出来なくなった。
時間が足らなくなった。
懸命に支えてきた職場でも
私は今までのように
多すぎる雑用を処理できなくなった。
事務が滞るようになった。
事務を完全に行おうとすると
雑用が滞る。
会社の決算期がやってきた。
毎年残業をして
一人事務所に残って処理してきた決算処理を
昨年はどうやって行ったんだろう・・・?
HAYATOをかかえ
みいの入退院に振り回されていたはずなのに。
昨年のことなのに覚えていない・・・。
昨夜
夕食の後片付けを終えたみいが
封筒の中から数枚の写真を取り出して
嬉しそうにつぶやいた。
昨年の秋のHAYATOの写真だった。
七五三の記念写真の折のスナップ写真と
運動会の写真である。
「 これは・・・? 」
HAYATOの羽織袴ですましている写真を見て
みいはつぶやいた。
「 あれ? HAYATOの七五三の時
みいは病院だったかなあ・・・」
「 そうよね。 入院していたのかなあ
覚えてない。」
HAYATOの運動会の写真を見て
「 HAYATOは走るの早いのかなあ?」
最近までに見られなかった
母親としての温かいまなざしで
HAYATOの写真を何回も見直していた。
「 HAYATOは早いような気がするよね・・・。
今年の運動会は応援に行けるね。
アルバムに整理しないといけないね。」
「 そうよね。」
いつまでも
繰り返しHAYATOの写真を見つめるみいの姿から
みいの感情に
母親としての感情が
立ち上がってき始めたことが感じられた。
私は
摂食障害により
生死の境をさまよった娘を抱えた一年を過ごした。
摂食障害という病気により
婿は娘と孫の元から去っていったしまった。
私は娘家族の仲を取り持つことが出来なかった。
孫を父親のいない子にさせてしまった。
積み木崩しのように
ガラガラと壊れてしまったかのように思われた
娘の人生だが
歳月が流れ
すっかり回復した娘が
人並みの生活が送れるようになり
HAYATOがすくすくと育った後に
何が・・・
どんなことが
待ち受けているだろうか?
更に歳を重ねた私には
何が どんなことが見えるのだろうか?
この一年の私達家族が味わってきた思いに
何か
意味があるのだろうか?
ひとつだけ言えることがある。
嫌なことは
苦しかったことは
つらかったことは
綺麗に忘れられる日が来る。
昨夜のみいの母親らしいまなざしに触れた時
みいの入退院の繰り返しにより
少し つまずいた私自身のライフスタイルが
取り戻せる日が来たように思える。
HAYATOのために注いできた母親の代理業を
みいに返していく時が来たように思える。
みいは
少しずつ ふっくらとしてきた。
食生活も安定してきた。
抜けてしまっていた髪の毛もふさふさと育ち始めた。
時折 感情の起伏をおさえられない時もあるが
温かく包み込んでやると
さほど 気にならなくなった。
HAYATOから手を引いて
バトンをみいに渡す時期が近づいてきた。
野山は目を見張る様に
黄の色彩が増してきた。
間もなく 実りの秋が訪れる。
喰ってかかった!
原因は 摂食障害の娘を詰られたことにあった。
悔しくて 泣きながら
喰ってかかった・・・。
20年 30年来のお付き合いの方ばかり。
・・・・・
はっと 目が覚めた。
午前4時。
夢だったんだ・・・。
胸がドキドキと脈打っている。
夢だったんだ。
良かった。
ご近所の奥様とは喧嘩などしていなかった。
窓の外で ザーと雨の音がしている。
台風15号は去ってしまったはず。
Uターンして一躍話題を集めた14号の影響かな・・・。
身支度を整え
お風呂の掃除を終わらせ
洗濯機の中で出来上がっている洗濯物を
かごの中にしわを伸ばして取り出した。
干すのはみいの仕事。
パソコンを立ち上げ一息ついた。
台風情報に目をとおした。
仕事がら 数日先の天気が気にかかる様になった。
私は
自分が作り上げてきたライフスタイルに限界を感じ始めた。
出来ない。
思うように
考えているように
今までこなしてきた様々な処理が出来なくなった。
時間が足らなくなった。
懸命に支えてきた職場でも
私は今までのように
多すぎる雑用を処理できなくなった。
事務が滞るようになった。
事務を完全に行おうとすると
雑用が滞る。
会社の決算期がやってきた。
毎年残業をして
一人事務所に残って処理してきた決算処理を
昨年はどうやって行ったんだろう・・・?
HAYATOをかかえ
みいの入退院に振り回されていたはずなのに。
昨年のことなのに覚えていない・・・。
昨夜
夕食の後片付けを終えたみいが
封筒の中から数枚の写真を取り出して
嬉しそうにつぶやいた。
昨年の秋のHAYATOの写真だった。
七五三の記念写真の折のスナップ写真と
運動会の写真である。
「 これは・・・? 」
HAYATOの羽織袴ですましている写真を見て
みいはつぶやいた。
「 あれ? HAYATOの七五三の時
みいは病院だったかなあ・・・」
「 そうよね。 入院していたのかなあ
覚えてない。」
HAYATOの運動会の写真を見て
「 HAYATOは走るの早いのかなあ?」
最近までに見られなかった
母親としての温かいまなざしで
HAYATOの写真を何回も見直していた。
「 HAYATOは早いような気がするよね・・・。
今年の運動会は応援に行けるね。
アルバムに整理しないといけないね。」
「 そうよね。」
いつまでも
繰り返しHAYATOの写真を見つめるみいの姿から
みいの感情に
母親としての感情が
立ち上がってき始めたことが感じられた。
私は
摂食障害により
生死の境をさまよった娘を抱えた一年を過ごした。
摂食障害という病気により
婿は娘と孫の元から去っていったしまった。
私は娘家族の仲を取り持つことが出来なかった。
孫を父親のいない子にさせてしまった。
積み木崩しのように
ガラガラと壊れてしまったかのように思われた
娘の人生だが
歳月が流れ
すっかり回復した娘が
人並みの生活が送れるようになり
HAYATOがすくすくと育った後に
何が・・・
どんなことが
待ち受けているだろうか?
更に歳を重ねた私には
何が どんなことが見えるのだろうか?
この一年の私達家族が味わってきた思いに
何か
意味があるのだろうか?
ひとつだけ言えることがある。
嫌なことは
苦しかったことは
つらかったことは
綺麗に忘れられる日が来る。
昨夜のみいの母親らしいまなざしに触れた時
みいの入退院の繰り返しにより
少し つまずいた私自身のライフスタイルが
取り戻せる日が来たように思える。
HAYATOのために注いできた母親の代理業を
みいに返していく時が来たように思える。
みいは
少しずつ ふっくらとしてきた。
食生活も安定してきた。
抜けてしまっていた髪の毛もふさふさと育ち始めた。
時折 感情の起伏をおさえられない時もあるが
温かく包み込んでやると
さほど 気にならなくなった。
HAYATOから手を引いて
バトンをみいに渡す時期が近づいてきた。
野山は目を見張る様に
黄の色彩が増してきた。
間もなく 実りの秋が訪れる。
Posted by パールじゅんこ at 06:42│Comments(4)
この記事へのコメント
じゅんこさん、お久しぶりです。毎日心の焦りを抑えながら日々娘と向き合っています。一時は、生死に関わるほどやせ衰えた娘は一転、過食に走りました。 今までの飢餓から
貪るように食べ物を食べ、吐き、疲れ果てて寝る。このような毎日を送ってきました。 娘は泣きます。 「 食べたくて食べてるんじゃない。こんな事がしたいんじゃない。 誰か助けて。」と。一口のご飯を太るのが怖いと食べられなかった娘にとって過食症がどれ程の負担になっていることか。泣きながら過食嘔吐を繰り返す娘はそれでも克服しようと もがいて頑張っています。 私はむすめを信じて陰ながら支えていくしかありません。何年も拒食で苦しんできたのですもの、そんな直ぐに治るはずありません。 過食に娘は命を救われたと医師に言われました。 過食症は娘が生き延びるためには必要だったのかもしれません。いえ、必要だったのです。今は過食のあとの嘔吐が減ってきました。右手には治りかけては新しくできる吐きだこがあります 。この吐きだこが無くなるとき むすめは食の奴隷から開放されるのでしょう。歩みは遅くても1歩1歩まえに進んでいると私は信じています。
貪るように食べ物を食べ、吐き、疲れ果てて寝る。このような毎日を送ってきました。 娘は泣きます。 「 食べたくて食べてるんじゃない。こんな事がしたいんじゃない。 誰か助けて。」と。一口のご飯を太るのが怖いと食べられなかった娘にとって過食症がどれ程の負担になっていることか。泣きながら過食嘔吐を繰り返す娘はそれでも克服しようと もがいて頑張っています。 私はむすめを信じて陰ながら支えていくしかありません。何年も拒食で苦しんできたのですもの、そんな直ぐに治るはずありません。 過食に娘は命を救われたと医師に言われました。 過食症は娘が生き延びるためには必要だったのかもしれません。いえ、必要だったのです。今は過食のあとの嘔吐が減ってきました。右手には治りかけては新しくできる吐きだこがあります 。この吐きだこが無くなるとき むすめは食の奴隷から開放されるのでしょう。歩みは遅くても1歩1歩まえに進んでいると私は信じています。
Posted by 雅美 at 2012年08月31日 10:59
雅美さん
風が いろんな香りを運んできます。
秋になると
風に匂いがあります。
きっと 野山を覆っているくずの花が
葉っぱの中で満開になっていることでしょう。
稲が実り始めました。
柿が色つき始めました。
秋がやってきましたね。
食欲の・・・
スポーツの・・
読書の・・・
文化の・・・
雅美さんの趣味はなんでしょうか。
好きなことがありますか。
母親じゃなく
一人の女性として
趣味を持っていますか?
おしゃれしていますか?
頑張っている娘さんを見つめる雅美さんは
痛々しい。
私が雅美さんの母親なら
私は雅美さんをどうにかしてあげたくて悲しい。
摂食障害のみいと共に苦しんだ日々が
私の記憶から
少しずつ薄らいできています。
笑い話にできるようになりました。
HAYATOは
たくさんの方々から 非常にかわいがられています。
毎日とても楽しそうです。
雅美さん
みいは おかげで過食にはなっていません。
だが
脳に異常をきたしていることは確かです。
今まで 当たり前にできていたことが
できません。
私は これから
31歳の 間もなく32歳を迎えるみいに
根気よく 教え込んでいかなければならないことが沢山あります。
脳のどこかが損傷してしまっているのでしょうか。
正常な部分と
異常だと感じることがミックスしてしまっています。
みいの行動を 病気と考え
克服していけるように導いていかなければなりません。
雅美さん
私は HAYATOが2歳の頃のみいの写真を見て
心揺れました。
優しく綺麗で オシャレをして
HYATOの目の高さで
愛情あふれるまなざしでHAYATOを見つめている一枚の写真。
HAYATOとみいの間には
誰も入り込めないような
絆が感じられました。
今は・・・?
二人の間に
私が入り込んでいます。
あの一枚の写真の時のような
強いきずなの親子関係を取り戻してやるのが
私がこれからしなければならないことだと痛感します。
私は HAYATOから一歩退いて
みいを一歩HAYATOに近づかせなければいけない。
とっても
根気がいるように思います。
雅美さん
つらいね・・・。
でも 貴女も 私も
きっと穏やかな毎日を送れる日が来るでしょう。
のんびり趣味に明け暮れる日々を過ごせる
おばあちゃんになる日が来ると信じていましょうね。
風が いろんな香りを運んできます。
秋になると
風に匂いがあります。
きっと 野山を覆っているくずの花が
葉っぱの中で満開になっていることでしょう。
稲が実り始めました。
柿が色つき始めました。
秋がやってきましたね。
食欲の・・・
スポーツの・・
読書の・・・
文化の・・・
雅美さんの趣味はなんでしょうか。
好きなことがありますか。
母親じゃなく
一人の女性として
趣味を持っていますか?
おしゃれしていますか?
頑張っている娘さんを見つめる雅美さんは
痛々しい。
私が雅美さんの母親なら
私は雅美さんをどうにかしてあげたくて悲しい。
摂食障害のみいと共に苦しんだ日々が
私の記憶から
少しずつ薄らいできています。
笑い話にできるようになりました。
HAYATOは
たくさんの方々から 非常にかわいがられています。
毎日とても楽しそうです。
雅美さん
みいは おかげで過食にはなっていません。
だが
脳に異常をきたしていることは確かです。
今まで 当たり前にできていたことが
できません。
私は これから
31歳の 間もなく32歳を迎えるみいに
根気よく 教え込んでいかなければならないことが沢山あります。
脳のどこかが損傷してしまっているのでしょうか。
正常な部分と
異常だと感じることがミックスしてしまっています。
みいの行動を 病気と考え
克服していけるように導いていかなければなりません。
雅美さん
私は HAYATOが2歳の頃のみいの写真を見て
心揺れました。
優しく綺麗で オシャレをして
HYATOの目の高さで
愛情あふれるまなざしでHAYATOを見つめている一枚の写真。
HAYATOとみいの間には
誰も入り込めないような
絆が感じられました。
今は・・・?
二人の間に
私が入り込んでいます。
あの一枚の写真の時のような
強いきずなの親子関係を取り戻してやるのが
私がこれからしなければならないことだと痛感します。
私は HAYATOから一歩退いて
みいを一歩HAYATOに近づかせなければいけない。
とっても
根気がいるように思います。
雅美さん
つらいね・・・。
でも 貴女も 私も
きっと穏やかな毎日を送れる日が来るでしょう。
のんびり趣味に明け暮れる日々を過ごせる
おばあちゃんになる日が来ると信じていましょうね。
Posted by パールじゅんこ
at 2012年09月02日 00:42

すいません突然応援してます
Posted by 花物語シオン at 2012年09月04日 21:42
花物語シオンさま
有難うございます。
たくさんの方に支えられて今日があります。
私たち家族は 立ち上がることが出来ました。
苦しかった一年を 乗り越えることが出来ました。
今私は 静かに考えています。
新たな病気を抱えた娘を
まず どのように日常生活を当たり前に送らせるか・・・。
冷静に考え 反省し
娘を引っ張り上げることに心を使っています。
娘を治すのは 私しかいない。
生まれ落ちたその時から
見つめ続けてきた娘を
治すのは母親である私しかいない。
そのことを心して
新しい生活に一歩踏み出しました。
私は 生きていかなければなりません。
働かなくてはいけない。
生活していかなければいけない。
流されていく毎日を・・
生きていく時間を・・
娘を しっかり連れていかなければなりません。
置いてけぼりは絶対許されない。
たくさんの方々のお蔭です。
今までも
これからも。
花物語シオンさま
とっても嬉しい言葉です。
「応援」
そっと後ろから支えられたような気がします。
心から 有難うをお伝えします。
有難うございます。
たくさんの方に支えられて今日があります。
私たち家族は 立ち上がることが出来ました。
苦しかった一年を 乗り越えることが出来ました。
今私は 静かに考えています。
新たな病気を抱えた娘を
まず どのように日常生活を当たり前に送らせるか・・・。
冷静に考え 反省し
娘を引っ張り上げることに心を使っています。
娘を治すのは 私しかいない。
生まれ落ちたその時から
見つめ続けてきた娘を
治すのは母親である私しかいない。
そのことを心して
新しい生活に一歩踏み出しました。
私は 生きていかなければなりません。
働かなくてはいけない。
生活していかなければいけない。
流されていく毎日を・・
生きていく時間を・・
娘を しっかり連れていかなければなりません。
置いてけぼりは絶対許されない。
たくさんの方々のお蔭です。
今までも
これからも。
花物語シオンさま
とっても嬉しい言葉です。
「応援」
そっと後ろから支えられたような気がします。
心から 有難うをお伝えします。
Posted by パールじゅんこ
at 2012年09月04日 23:43
