
2012年10月24日
親子の時間
洗濯機の中から
コロンとでっかいどんぐりの実が
2個でてきた。
夕暮れ時の
みいとHAYATOの姿が
目に浮かぶような気がした。
坂道を駆け下りるHAYATOの姿が
目に浮かぶようである。
BGMは町内に響き渡る
午後5時を知らせるチャイムである。
HAYATOの背中で揺れる
チビッコ達のヒーローの
仮面ライダー フォーゼのリュックを見つめながら
腕を後ろに組んだみいが
少しガニ又で
「 HAYATO まちなさい。」と呼びかけながら
急な坂道を降りていく姿が
手に取る様にわかる。
一年半という月日を
幼稚園のお迎えが出来なかったみいだったが
10月になり
幼稚園までHAYATOのお迎えを
毎日の日課に加えることが出来るようになった。
午後5時前に幼稚園にお迎えをしたみいは
HAYATOと共に坂道を下り
スーパーでHAYATOのおやつを買い
車の往来の多い道を避けるため橋を渡り
川沿いの遊歩道を通り
再び橋を渡り
車の往来の多い狭い町道を横切り
小さな小川「不老の元川」に沿って
人どうりの少ない我が家への坂道を登って
帰ってくる。
「不老の元川」と名付けられた小川は
みいが幼いころ遊んだ川である。
そのほとりをぶらぶらと登っていく二人の姿が
私には
手に取る様にわかる。
東の山の水源地から流れ出た小川は
我が家の南を流れ
西の江迎川へと合流する。
「不老の元川」は
春にはクレソンが茂り
初夏にはゲンジ蛍が舞った。
HAYATOが川遊びを楽しんだ夏は
あっという間に過ぎていった。


秋を迎えた今
小川の中では
たくさんの数珠玉が色艶を増している。
対岸には樫の木やクヌギの木が茂り
道端にはたくさんのどんぐりが落ちている。
HAYATOは
かつて 「ジイジのおうち 」と言っていた我が家を
自然と「 おれのいえ 」と言うようになった。
HAYATOの脚で約30分の道のりを
親子二人で歩いて帰る日々が続いている。
数珠玉が茂った川のほとりを・・
どんぐりのたくさん落ちている道端を・・
てくてくと歩いて帰る夕暮れ時。
どんぐりを拾い
川を覗き込み
てくてくと歩くみいとHAYATO。
HAYATOとみいは
私が少し手を抜いた分
二人っきりの時間を手に入れた。
私は
HAYATOとみいに
二人っきりの時間を与えるべき時が
やってきたことを直感する。

みいとHAYATOに
一年半の空白を埋める時が訪れた。
みいとHAYATOの絆を取り戻すために
良いタイミングで
良いチャンスを手に入れた。
祖母である私は
親子の間からそっと抜け出さなければならない。
10月になり 私の職場は決算期を迎えた。
昼間の雑用に追われ
思うように事務が取れない私は
毎年この時期
残業によって決算処理を行う。
摂食障害による入退院をくりかえしたみいと
そんな中で
5歳を迎えた幼いHAYATOをかかえ
昨年はどんなふうに決算処理を行ったか
私は覚えていない。
HAYATOの心に
「不安」という感情を与えないことを心がけてきた私は
HAYATOと常にいっしょに過ごした。
昨年は
どんなふうに仕事をしてきたか記憶にない。
残業をしたはずはない。
昼間に必死になってこなしたんだろうが
覚えていない。
記憶ってなんだろう。
障害がなくても
過ぎ去ったすべての事柄を覚えているわけではない。
高次機能障害と診断されたみいは
毎日の安定した生活がリハビリで
みいが係わってきた多くの人々が
常にみいを見つめ交わってくれることが
妙薬の役目をはたしてくれている。
親しい人たちとの係わりをもった後
みいの症状がぐんと和らいでいくのが
目に見えてはっきりと解った。
それは
不思議な回復ぶりだった。
横ばい状態のみいの症状が
知り合いや親戚の人たちと
食事や日帰り旅行 アウトドアを楽しんだ後に
翌日からぐんと症状が緩和される。
そして
平凡な生活の中で
横ばい状態の症状のまま生活をする。
そして
又多くの人たちと共に笑いあう・・・すると
翌日からぐんと症状が緩和される。
その繰り返しで
みいは回復を果たし続けている。
私は
精神障害を抱えたままみいは一生を送るであろうと
考えていただけに
みいの回復ぶりに接していくに連れ
精神科の作業療法士を務める
常に穏やかな長女婿の言葉が蘇ってくる。
「 高次脳機能障害のひとは
驚くほどたくさんいますよ。
生まれつき軽い症状の精神障害をもった人も
驚くほどたくさんいます。
症状の重い人は
家庭では家族との生活も当然無理ですが
軽い症状の人は
周りの人たちや家族たちの理解と支えで
当たり前に暮らしていけますよ。
しかし
僕は みいは治ると思いますよ。
みいは治りますよ・・・! 」
私は長女婿の言葉の中の
家族の理解と支えで生きていける・・・という言葉に
みいが当てはまると思っていた。
今 緩やかな曲線を描いて
回復を遂げていっているみいを看ていると
「 みいは 治ります。」といってくれた
長女婿の言葉が正解であるように信じられる。
10月に入り
私は職場の社長の好意に甘えて
みいを私の職場に連れ出してみた。
新たな挑戦の第一歩の日である。
最初は裏方をみいに頼んだ。
お客様のお茶の準備
おしぼりの準備
帰った後の様々なものの後片付け。
みいは 一つ一つ指示をしてあげないと
動けなかった。
ひとつ終わらせると新聞を広げて読み始めて
作業が止まった。
終わるのを見計らって
一つ一つ次の仕事の指示をすると
スムーズにこなしていった。
みいを誘い出して3度目の土曜日の 午後2時
私はみいに電話を入れた。
突然の行動に拒否反応をおこすみいに
前もって約束をしていたので
スムーズに事は運んだ。
「 間もなくたくさんの釣り客が帰ってくるので
手伝ってね。
今から迎えに行くよ。
お化粧しときなさいよね。
沢山の人前に出るんだから。」
車で10数分 帰り着くと
みいは 薄く化粧をして待っていた。
今年春 ほとんど無くなっていた髪の毛も
ぼうぼうと沢山生えそろった。
まだ 散髪をする長さにはなっていないため
不揃いではあるが
そんなに違和感はないように思える。
私はみいにお客様の会計をまかせてみた。
元気なころ
いつも手伝っていた仕事である。
私は
常連のお客様と話をしたり
散らかったおしぼりを集めたり
気持ちと耳は
会計を受け持っているみいから離れなかった。
「 はい 4500円ですね。
5500円のお釣りです。」
「 エサも使ったんですね。
5700円です。
あっ 氷もですか?
なら 5900円です。 」
「 領収書ですか?
お待ち下さい。
どのような漢字ですか? 」
私の耳は
接客をしているみいから離れなかった。
全て 完全にこなしたみいにほっとした。
知能に損傷は無かったと感じ安堵した。
お客様を送り出した後
山ほどの片付けをみいに指図しながら終わらせた。
いつも
手伝ってくれる主人がそっとやってきて
小さな声で言った。
「 おいおい おしぼりは 絞らずに干すのか?
ポタポタ 水が落ちているぞ。 」
・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・
完全でないみいの脳だが
私は笑ってながせるようになった。
「 大丈夫よ 徐々に治ってきている。」
主人は深刻な表情で言う。
「 みいは 本当に大丈夫か?
当たり前なのか? 」
私は笑って流す。
立場が逆転した。
今度は私が「 大丈夫よ 」と
主人の心配を和らげる役目を担っている。
健康優良児で育ってきたみいの命を見つめた出来事が
過去のものとなった。
秋が静かに深まっていく。

コロンとでっかいどんぐりの実が
2個でてきた。
夕暮れ時の
みいとHAYATOの姿が
目に浮かぶような気がした。





坂道を駆け下りるHAYATOの姿が
目に浮かぶようである。
BGMは町内に響き渡る
午後5時を知らせるチャイムである。
HAYATOの背中で揺れる
チビッコ達のヒーローの
仮面ライダー フォーゼのリュックを見つめながら
腕を後ろに組んだみいが
少しガニ又で
「 HAYATO まちなさい。」と呼びかけながら
急な坂道を降りていく姿が
手に取る様にわかる。
一年半という月日を
幼稚園のお迎えが出来なかったみいだったが
10月になり
幼稚園までHAYATOのお迎えを
毎日の日課に加えることが出来るようになった。
午後5時前に幼稚園にお迎えをしたみいは
HAYATOと共に坂道を下り
スーパーでHAYATOのおやつを買い
車の往来の多い道を避けるため橋を渡り
川沿いの遊歩道を通り
再び橋を渡り
車の往来の多い狭い町道を横切り
小さな小川「不老の元川」に沿って
人どうりの少ない我が家への坂道を登って
帰ってくる。
「不老の元川」と名付けられた小川は
みいが幼いころ遊んだ川である。
そのほとりをぶらぶらと登っていく二人の姿が
私には
手に取る様にわかる。
東の山の水源地から流れ出た小川は
我が家の南を流れ
西の江迎川へと合流する。
「不老の元川」は
春にはクレソンが茂り
初夏にはゲンジ蛍が舞った。
HAYATOが川遊びを楽しんだ夏は
あっという間に過ぎていった。


秋を迎えた今
小川の中では
たくさんの数珠玉が色艶を増している。
対岸には樫の木やクヌギの木が茂り
道端にはたくさんのどんぐりが落ちている。
HAYATOは
かつて 「ジイジのおうち 」と言っていた我が家を
自然と「 おれのいえ 」と言うようになった。
HAYATOの脚で約30分の道のりを
親子二人で歩いて帰る日々が続いている。
数珠玉が茂った川のほとりを・・
どんぐりのたくさん落ちている道端を・・
てくてくと歩いて帰る夕暮れ時。
どんぐりを拾い
川を覗き込み
てくてくと歩くみいとHAYATO。
HAYATOとみいは
私が少し手を抜いた分
二人っきりの時間を手に入れた。
私は
HAYATOとみいに
二人っきりの時間を与えるべき時が
やってきたことを直感する。




みいとHAYATOに
一年半の空白を埋める時が訪れた。
みいとHAYATOの絆を取り戻すために
良いタイミングで
良いチャンスを手に入れた。
祖母である私は
親子の間からそっと抜け出さなければならない。
10月になり 私の職場は決算期を迎えた。
昼間の雑用に追われ
思うように事務が取れない私は
毎年この時期
残業によって決算処理を行う。
摂食障害による入退院をくりかえしたみいと
そんな中で
5歳を迎えた幼いHAYATOをかかえ
昨年はどんなふうに決算処理を行ったか
私は覚えていない。
HAYATOの心に
「不安」という感情を与えないことを心がけてきた私は
HAYATOと常にいっしょに過ごした。
昨年は
どんなふうに仕事をしてきたか記憶にない。
残業をしたはずはない。
昼間に必死になってこなしたんだろうが
覚えていない。
記憶ってなんだろう。
障害がなくても
過ぎ去ったすべての事柄を覚えているわけではない。
高次機能障害と診断されたみいは
毎日の安定した生活がリハビリで
みいが係わってきた多くの人々が
常にみいを見つめ交わってくれることが
妙薬の役目をはたしてくれている。
親しい人たちとの係わりをもった後
みいの症状がぐんと和らいでいくのが
目に見えてはっきりと解った。
それは
不思議な回復ぶりだった。
横ばい状態のみいの症状が
知り合いや親戚の人たちと
食事や日帰り旅行 アウトドアを楽しんだ後に
翌日からぐんと症状が緩和される。
そして
平凡な生活の中で
横ばい状態の症状のまま生活をする。
そして
又多くの人たちと共に笑いあう・・・すると
翌日からぐんと症状が緩和される。
その繰り返しで
みいは回復を果たし続けている。
私は
精神障害を抱えたままみいは一生を送るであろうと
考えていただけに
みいの回復ぶりに接していくに連れ
精神科の作業療法士を務める
常に穏やかな長女婿の言葉が蘇ってくる。
「 高次脳機能障害のひとは
驚くほどたくさんいますよ。
生まれつき軽い症状の精神障害をもった人も
驚くほどたくさんいます。
症状の重い人は
家庭では家族との生活も当然無理ですが
軽い症状の人は
周りの人たちや家族たちの理解と支えで
当たり前に暮らしていけますよ。
しかし
僕は みいは治ると思いますよ。
みいは治りますよ・・・! 」
私は長女婿の言葉の中の
家族の理解と支えで生きていける・・・という言葉に
みいが当てはまると思っていた。
今 緩やかな曲線を描いて
回復を遂げていっているみいを看ていると
「 みいは 治ります。」といってくれた
長女婿の言葉が正解であるように信じられる。
10月に入り
私は職場の社長の好意に甘えて
みいを私の職場に連れ出してみた。
新たな挑戦の第一歩の日である。
最初は裏方をみいに頼んだ。
お客様のお茶の準備
おしぼりの準備
帰った後の様々なものの後片付け。
みいは 一つ一つ指示をしてあげないと
動けなかった。
ひとつ終わらせると新聞を広げて読み始めて
作業が止まった。
終わるのを見計らって
一つ一つ次の仕事の指示をすると
スムーズにこなしていった。
みいを誘い出して3度目の土曜日の 午後2時
私はみいに電話を入れた。
突然の行動に拒否反応をおこすみいに
前もって約束をしていたので
スムーズに事は運んだ。
「 間もなくたくさんの釣り客が帰ってくるので
手伝ってね。
今から迎えに行くよ。
お化粧しときなさいよね。
沢山の人前に出るんだから。」
車で10数分 帰り着くと
みいは 薄く化粧をして待っていた。
今年春 ほとんど無くなっていた髪の毛も
ぼうぼうと沢山生えそろった。
まだ 散髪をする長さにはなっていないため
不揃いではあるが
そんなに違和感はないように思える。
私はみいにお客様の会計をまかせてみた。
元気なころ
いつも手伝っていた仕事である。
私は
常連のお客様と話をしたり
散らかったおしぼりを集めたり
気持ちと耳は
会計を受け持っているみいから離れなかった。
「 はい 4500円ですね。
5500円のお釣りです。」
「 エサも使ったんですね。
5700円です。
あっ 氷もですか?
なら 5900円です。 」
「 領収書ですか?
お待ち下さい。
どのような漢字ですか? 」
私の耳は
接客をしているみいから離れなかった。
全て 完全にこなしたみいにほっとした。
知能に損傷は無かったと感じ安堵した。
お客様を送り出した後
山ほどの片付けをみいに指図しながら終わらせた。
いつも
手伝ってくれる主人がそっとやってきて
小さな声で言った。
「 おいおい おしぼりは 絞らずに干すのか?
ポタポタ 水が落ちているぞ。 」
・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・
完全でないみいの脳だが
私は笑ってながせるようになった。
「 大丈夫よ 徐々に治ってきている。」
主人は深刻な表情で言う。
「 みいは 本当に大丈夫か?
当たり前なのか? 」
私は笑って流す。
立場が逆転した。
今度は私が「 大丈夫よ 」と
主人の心配を和らげる役目を担っている。
健康優良児で育ってきたみいの命を見つめた出来事が
過去のものとなった。
秋が静かに深まっていく。

Posted by パールじゅんこ at 07:23│Comments(0)