
2012年11月05日
望み
みいは 10月末に32歳の誕生日を迎えた。
空気が凛と張りつめた日が続く中で
野山は
深みのある秋の色に染まり始めた。
全てに 意欲がわく季節が訪れ
そして
今一つの季節が過ぎ去ろうとしている。
みいは
こんな 季節に生まれたんだと
つくづく 32年前を振り返ってみる。
摂食障害を経て
高次脳機能障害と診断された娘が
ゆっくりと確実に自分を取り戻そうとしている。
32歳の娘を
こんなふうに 愛しく感じることが
不思議で たまらない。
私は
駆け足で過ぎ去らせてしまった子育てを
振り返り 反省し
もう一度丁寧に きめ細やかな心配りをもって
32歳の娘と向き合っていこうと決意する。
摂食障害の家族に心痛めているお母様に
私は
真剣に伝えたい。
みいは
こんなに元気になりました。 と
とても 穏やかに微笑みます。 と
今 私は
心の底から
みいが 当たり前の生活ができるようになると信じられる。
「 ああ 娘の命はここまでか・・・。」と落胆した
今年の4月。
これが最後の娘の姿かもしれない・・と
涙をおさえる私の目の前で
半狂乱のように見えたみいは
手招きしてHAYATOを呼び寄せた。
HAYATOは笑って ママの手を握りしめた。
私は思わず娘の姿をカメラに残した。
正直
これが最後のみいの姿のような気がしたから・・。


結石除去手術の翌朝 意識不明に陥った。
数日間の昏睡状態から目覚めた後に
みいに異変が起こった。
私は なす術もなく
眠っているみいの体をさすり続けた。
どうか
起き上がって・・と 祈った。
死なないでと 願った。
「 お母さんは
貴女にしてあげたいことが山ほど残されている。 」 と
涙が止まらなかった。
私は ベットの横に座り
硬直がなくスムーズに起き上がれますようにと
右足を 曲げたり 伸ばしたり
右手を 曲げたり 伸ばしたり
左手を 曲げたり 伸ばしたり
左足を 曲げたり 伸ばしたり
くるくると ベットの周りで
みいの体の関節を動かすことに専念し続けた。
意識が戻ってくると
言葉にならない声で
「 クルナ! カエレ! アッチイケ!・・」と
罵声を浴びせ続けたみい。
みいの血圧は興奮により異常に上がり
主治医から 娘のそばから離れるようにと促され
HCU病棟のドアを押し 涙をおさえて待合室へ移った。
みいは病棟中 響き渡る様に大きな声で私をののしった。
言葉にならない声を発して・・・。
そんな日が 長く続いた。
頑固だが 反抗期もなく
ひたすら明るく育ってきたみいから
人目もはばからず罵られたことで
私の自尊心も 見栄も 虚勢心も吹き飛ばされた。
私は
裸になって
娘と向き合うことを学んだ。
この娘がどんな悪態をつこうが
どんなみっともない姿をさらそうが
私はこの娘の母親である。
世間がどんなふうに私達親子を見ようが
私はこの娘の母親である。
私から 間違ったプライドが吹き飛んだ瞬間であった。
どんなにみっともなくても
守っていかなければならない・・と
私の姿勢に一本の筋が入った出来事であった。
母親として
みっともないこの姿が
まぎれもない私とみいとの母娘関係である。 と
開き直った瞬間であった。
時間をおき
そっと HCU病棟のドアを押し
眠り込んだみいのベットの脇に腰をかけ
肉の堕ちてしまったみいの体をひたすらさすり続けた。
みいの記憶にまったく残っていない
HCU病棟での出来事である。
私は
みいの摂食障害という病気によって
多くの学びを得ることが出来た。
長女の
「 お母さんが変わらなければみいは救えない。」
といった言葉を
素直に受け入れ
私は 恥も外聞もなく
裸になってみいと生きようと決心する。
おろおろと
うろたえる無力な母親の私は
実に多くの方に支えられた。
自分の生活で精一杯のはずの多くの方々によって
心のこもった一言を添え、励まされ続けた。
人間の持っている優しさに触れることが出来た。
摂食障害の家族と苦しい日々を送る
お母さまに伝えたい。
いつか きっと 貴女のお子さんも
暗いトンネルから抜け出せる日が来るでしょう。
いつか きっと
今の苦しみが終わる時が来るはずです。
今 ここに
私の娘を紹介します。
私は 慎重に 慎重に 今を暮らしています。
平凡な日々の生活に
楽しむということを組み込んで
常にみいに対して感謝の言葉を添えて暮らしています。
日増しにレパートリーの広がる夕食に
「 美味しかったヨ。 」の一言を必ず添えるなど
些細なことを積み重ね、
その小さな実践が
きっと 素敵に花開く日がやってくると信じて!
明るく 健康優良児だった娘が復活することを信じて!
私は 慎重に 慎重に 今を暮らしています。
そのキーポイントを握るのは
紛れもなく 母親である私だということを肝に命じて。


季節外れのコスモスは
その命を全うするために
力強く
精いっぱい 生を謳歌している。
吹く風に身を任せ
可憐に
愛らしさを振りまきながら・・。


空気が凛と張りつめた日が続く中で
野山は
深みのある秋の色に染まり始めた。
全てに 意欲がわく季節が訪れ
そして
今一つの季節が過ぎ去ろうとしている。
みいは
こんな 季節に生まれたんだと
つくづく 32年前を振り返ってみる。
摂食障害を経て
高次脳機能障害と診断された娘が
ゆっくりと確実に自分を取り戻そうとしている。
32歳の娘を
こんなふうに 愛しく感じることが
不思議で たまらない。
私は
駆け足で過ぎ去らせてしまった子育てを
振り返り 反省し
もう一度丁寧に きめ細やかな心配りをもって
32歳の娘と向き合っていこうと決意する。
摂食障害の家族に心痛めているお母様に
私は
真剣に伝えたい。
みいは
こんなに元気になりました。 と
とても 穏やかに微笑みます。 と

今 私は
心の底から
みいが 当たり前の生活ができるようになると信じられる。
「 ああ 娘の命はここまでか・・・。」と落胆した
今年の4月。
これが最後の娘の姿かもしれない・・と
涙をおさえる私の目の前で
半狂乱のように見えたみいは
手招きしてHAYATOを呼び寄せた。
HAYATOは笑って ママの手を握りしめた。
私は思わず娘の姿をカメラに残した。
正直
これが最後のみいの姿のような気がしたから・・。


結石除去手術の翌朝 意識不明に陥った。
数日間の昏睡状態から目覚めた後に
みいに異変が起こった。
私は なす術もなく
眠っているみいの体をさすり続けた。
どうか
起き上がって・・と 祈った。
死なないでと 願った。
「 お母さんは
貴女にしてあげたいことが山ほど残されている。 」 と
涙が止まらなかった。
私は ベットの横に座り
硬直がなくスムーズに起き上がれますようにと
右足を 曲げたり 伸ばしたり
右手を 曲げたり 伸ばしたり
左手を 曲げたり 伸ばしたり
左足を 曲げたり 伸ばしたり
くるくると ベットの周りで
みいの体の関節を動かすことに専念し続けた。
意識が戻ってくると
言葉にならない声で
「 クルナ! カエレ! アッチイケ!・・」と
罵声を浴びせ続けたみい。
みいの血圧は興奮により異常に上がり
主治医から 娘のそばから離れるようにと促され
HCU病棟のドアを押し 涙をおさえて待合室へ移った。
みいは病棟中 響き渡る様に大きな声で私をののしった。
言葉にならない声を発して・・・。
そんな日が 長く続いた。
頑固だが 反抗期もなく
ひたすら明るく育ってきたみいから
人目もはばからず罵られたことで
私の自尊心も 見栄も 虚勢心も吹き飛ばされた。
私は
裸になって
娘と向き合うことを学んだ。
この娘がどんな悪態をつこうが
どんなみっともない姿をさらそうが
私はこの娘の母親である。
世間がどんなふうに私達親子を見ようが
私はこの娘の母親である。
私から 間違ったプライドが吹き飛んだ瞬間であった。
どんなにみっともなくても
守っていかなければならない・・と
私の姿勢に一本の筋が入った出来事であった。
母親として
みっともないこの姿が
まぎれもない私とみいとの母娘関係である。 と
開き直った瞬間であった。
時間をおき
そっと HCU病棟のドアを押し
眠り込んだみいのベットの脇に腰をかけ
肉の堕ちてしまったみいの体をひたすらさすり続けた。
みいの記憶にまったく残っていない
HCU病棟での出来事である。
私は
みいの摂食障害という病気によって
多くの学びを得ることが出来た。
長女の
「 お母さんが変わらなければみいは救えない。」
といった言葉を
素直に受け入れ
私は 恥も外聞もなく
裸になってみいと生きようと決心する。
おろおろと
うろたえる無力な母親の私は
実に多くの方に支えられた。
自分の生活で精一杯のはずの多くの方々によって
心のこもった一言を添え、励まされ続けた。
人間の持っている優しさに触れることが出来た。
摂食障害の家族と苦しい日々を送る
お母さまに伝えたい。
いつか きっと 貴女のお子さんも
暗いトンネルから抜け出せる日が来るでしょう。
いつか きっと
今の苦しみが終わる時が来るはずです。
今 ここに
私の娘を紹介します。
私は 慎重に 慎重に 今を暮らしています。
平凡な日々の生活に
楽しむということを組み込んで
常にみいに対して感謝の言葉を添えて暮らしています。
日増しにレパートリーの広がる夕食に
「 美味しかったヨ。 」の一言を必ず添えるなど
些細なことを積み重ね、
その小さな実践が
きっと 素敵に花開く日がやってくると信じて!
明るく 健康優良児だった娘が復活することを信じて!
私は 慎重に 慎重に 今を暮らしています。
そのキーポイントを握るのは
紛れもなく 母親である私だということを肝に命じて。


季節外れのコスモスは
その命を全うするために
力強く
精いっぱい 生を謳歌している。
吹く風に身を任せ
可憐に
愛らしさを振りまきながら・・。


Posted by パールじゅんこ at 03:39│Comments(2)
この記事へのコメント
パールじゅんこさん、初めまして。
私も少し前まで、摂食障害などを患っていて、母や父、兄弟、友達に迷惑をかけました。
記事を見て、当時の母の無償の愛が想像出来て、泣けました。
これから自分自身が笑って頑張って生きていく姿を見せて、家族やお世話になった人に恩返しも出来る位強くなれたらなった思います。
私も少し前まで、摂食障害などを患っていて、母や父、兄弟、友達に迷惑をかけました。
記事を見て、当時の母の無償の愛が想像出来て、泣けました。
これから自分自身が笑って頑張って生きていく姿を見せて、家族やお世話になった人に恩返しも出来る位強くなれたらなった思います。
Posted by ぽちゃこ at 2012年12月13日 00:58
ぽちゃこさま
元気になれましたか?
あなたもみ~~~んなに愛されているはずです。
お友達も 家族も ご兄弟も
みんな 貴女が好きなはずです。
明るく生きていきましょうね。
みいは
元気に 愉快に 朗らかになりましたよ。
ふっくらと
綺麗になりだしました。
なによりも
いつも笑顔で愉快です。
きっと
あなたも・・・ でしょうね。
よかった。
心から そう思います。 よかった!。
元気になれましたか?
あなたもみ~~~んなに愛されているはずです。
お友達も 家族も ご兄弟も
みんな 貴女が好きなはずです。
明るく生きていきましょうね。
みいは
元気に 愉快に 朗らかになりましたよ。
ふっくらと
綺麗になりだしました。
なによりも
いつも笑顔で愉快です。
きっと
あなたも・・・ でしょうね。
よかった。
心から そう思います。 よかった!。
Posted by パールじゅんこ
at 2012年12月19日 17:06
