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2012年12月24日

摂食障害の娘と共に 夢のような

夢を見ていたのだろうか・・。

なんだか
そんな気がしてなりません。

32歳のみいは
明るく朗らかで
穏やかな笑顔を絶やさない日々を送り始めました。

完璧に
主婦業を熟し始めました。


一瞬も私から離れることが出来なかった
HAYATOは
目を見張る様な成長を始め
私達は
  ランドセルの購入
  机の購入   と
なんだか 慌しい日々を送り始めました。




私は
暇を見つけては
大好きなクッキングが楽しめるようになりました。

 「 さるなし(小さなキウイ)のジャムつくり 」
 「 ゆず味噌つくり 」
 「 しょうがの甘酢漬け 」
 「 お正月用の干し柿つくり 」
                  などなど・・・。
   

 摂食障害の娘と共に 夢のような 右 摂食障害の娘と共に 夢のような         
  

 摂食障害の娘と共に 夢のような 右 摂食障害の娘と共に 夢のような 
 


   

一昨年 昨年と私達家族が直面した
娘の命の危機は夢だったのだろうか・・・?


いつも笑顔を絶やさない娘を見ていると
はるか昔の
子供の頃のみいは
いつも笑っていて愉快な子だったな・・・と
なんだか不思議な想いにかられます。

摂食障害がもたらした身体の極限状態によって
精神の障害をもったまま
これからの人生を送るのだろうと思っていた娘は
たくさんの人々に支えられ
回復を果たしました。

完全に回復できたとは言えない部分があるが
個性だと思えば
大部分が笑って流せるように思えます。


血小板の数値が0という驚くべき数値をカウントし
体中から血液が滲み出してきて
皮膚の下に鬱血し始め
紫色になった両手 両足を差し出して
「 アバターみたいだね・・」 と
他人事のように 痛々しい笑顔を向けたみいをみて
私達夫婦は 
娘の死という恐怖に押しつぶされそうになりました。

意識不明が続き
目を覚ました後の錯乱状態のみいをみて
娘の生涯を想像し夫婦で落胆したものでした。


あの
悪夢のような出来事は
何だったのだろうか・・・。


50歳の半ばを超えたというのに
未熟な私は
実に多くのことを学ばされました。

娘に係わってくださった多くの方々の
真摯な姿に
私は心打たれました。

  人間は決して一人じゃない。
  求めれば
  いつだって
  暖かい手が差し伸べられる。

その変わり
自らも
周りに優しく暖かい心使いを忘れてはならない。


娘を暗く深い谷底に落とし込んでしまったのは
紛れもない
母親の私であったということが
振り返ってみると
はっきりと見えてくるのです。

私という人間が・・・
私という母親が・・・
   意思が弱く
   強い信念を持たず
   自ら物事を解決していく力が弱かったが為に
引き起こしてしまった一件であったことが
はっきりと見えてくるのです。


娘の悲しみを
娘の苦しさを
  「 大丈夫! お母さんに任せなさい。 」
  「 大丈夫! 貴女の人生は守ってあげる。」と
揺らぐことなく 強く娘を受け入れてやり
共に娘の苦しんでいる問題を
解決しようとしたなら
娘はきっと一人で谷底に落ち込んだりしなかったでしょう。

  何歳になろうと
  娘は娘であり
  親は親であるということ。

  進んでいこうとしている道が
  間違っているようなら
  どの時点でも訂正し 修正し
  やり直せばいい。
  やり直さなければならない。

  そこには
  世間体も 見栄も いらない。
  家族だけを見つめ
  強い意志を持って一歩踏み出してみればいい。

  きっと道は開けるはず。

こんな簡単な当たり前の事を
50歳も半ばを過ぎた頃に身を持って学んだのです。


  ただ 
  絶対忘れてはいけないことがある。
  日々小さな善意の種をまきながら暮らすことを。

  ふれ合う人々を大切に・・
  いつも笑顔を忘れることなく・・
  日々小さな善意の種をまきながら暮らすことを。


  沢山の方たちから頂いた
     あたたかい言葉
     優しい心使い
     力強い励まし
                によって 
  私は・・
  私達家族は乗り越えることが出来たのです。

   摂食障害の娘と共に 夢のような
   
 


   
   

  HAYATOは
  朗らかに のびのびと
  (かなりズーズーしく・・・ 主人のDNA? 私のDNA?)
  楽しそうに
  いつも笑い転げながら育ち・・
摂食障害の娘と共に 夢のような



   常に長女家族の気使いがさりげなく添えられ
   一人っ子のHAYATOは
   長女の息子たち(従兄弟)と兄弟のようにふれあい・・
摂食障害の娘と共に 夢のような



    
    四季折々を楽しみながら
摂食障害の娘と共に 夢のような


      来年 小学生になるHAYATOは
      たくましく成長を続けています。
摂食障害の娘と共に 夢のような

      
     摂食障害の娘と共に 夢のような




     私たちは
     すっかり元気になった娘と口ケンカしながら
     愉快に過ごし始めました。
  

   摂食障害の娘と共に 夢のような
       



    次女みいが苦しんだ
    摂食障害という病気を
    私達家族は乗り越えることが出来たようです。

    たくさんの応援を
           有難うございました。


    私達家族は 長くしないうちに
    2011年 2012年という年月に
    娘の病と闘ったことを
    忘れてしまうことでしょう。


    しかし
    私は応援してくださった方々のことは
    忘れることは無いでしょう。 決して!


    気が狂うほどにつらかった日々を
     永い間 親しくしてきた方たちや
     初めてであった医療関係の方々や
     ブログを通じて応援してくださった
          見ず知らずの方々によって
    励ましていただき 救って頂いた事を
    忘れることは無いでしょう。


      心から お礼申し上げます。


    月並みな 平凡な言葉しか出て来ませんが

      皆さま 本当に
            有難うございました。




  今 摂食障害の子供さんを抱え
  苦しんでいらっしゃるご家族の方も
  どうか
  私達家族に続いてください。

  笑いあえる日が来る事をお祈りいたします。


  今年も あとわずかで終わろうとしています。
  新しい年が
  幸せな言葉と笑顔で あふれていますように。

  
  

摂食障害の娘と共に 夢のような



Posted by パールじゅんこ at 02:08│Comments(2)
この記事へのコメント
皆様がお元気そうで安心しました!

じゅんこ様が書いている「母に原因が」は、
違いますよ、絶対に。

みぃ様が、家族を愛して自分の命より大切な人達だから

「嬉しいことは2倍、悲しい事は半分」をしなかったのだと思います。当時は。

大切な大切な人達だから。
悲しさを、半分すら渡したくなくて、愛する気持ちが強いから
誰も傷つけたくなくて
その結果、なったのだと思います。

みぃ様も、母であり妻であったから。
そして今は紛れもなく「母」だから。
子の悲しみや辛さを半分受け持つ幸せも知っていると思います

あと、摂食障害で苦しかった過去は忘れちゃっていいと思います(*´˘`*)
忘れなきゃ進めない未来ならスッパンと忘れてたまに思い出したら
笑い話みたいにして欲しいです。

「辛」に+一で「幸」ですよ、て感じで

来年も再来年も、どうか笑顔あふれるご家族でありますように゚・*:.。..:*・゚.:*・゚
Posted by ココナッツ at 2012年12月24日 22:00
ココナッツさま
 いつも あたたかい言葉を有難うございます。

 みいは 私と違ってとても頑固です。
 泣き言 嫌味 愚痴を口にしません。
 私たちの前では・・・

 亡き姑になにもかもよく似ています。
 容姿も 性格も 

 ぐっと内に秘め
 家族の前では 笑顔を絶やしません。
 私達に気を使っているのかもしれません。

 +-で「辛」も「幸」
 
 ほんとだ!
 な~~るほど。
 何回も 見つめなおしました。

 
 もし 辛いことがあったとしても
 +-=Oになりますように
 毎日 たくさん笑って暮らしていきます。

 ( 私は 強くなれたでしょうか? )

 ココナッツさまも
 新しい年が 健やかで幸せな年でありますように。 
 

 
Posted by パールじゅんこ at 2012年12月27日 06:51
 
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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