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2013年08月06日

鯉って 食べられる?

ある日
HAYATOが何を思ったのか
突然 口にした。
「 ねぇ コイって 食べられる? 」

もちろん!!

「 美味しいよ。
  でも・・・  子供はちょっと・・ね。」

それから
仕事 仕事 で てんてこ舞いの日々が続いた。

思いがけず 早く仕事が終わった日曜日の夕方
疲れもあんまりない!

そこで

HAYATOの言っていた
「 コイって 食べれるの? 」が気になった。

大急ぎで自宅に帰り汗臭い服を着替えた。
普段着で家族そろって車に乗り込んだ。

元気といっても少々疲れ気味。
仕事を手伝ってくれた主人はビールを飲んでしまった。
そこで
みいがハンドルをにぎった。

深い山里に向かって
車を走らせること30分
HAYATOが
「 ねぇ  まだぁ 」と言い始めた頃に到着。

鯉って 食べられる?


鯉って 食べられる?


  「 このコイ 食べるの?
   赤いのも食べれる? 」


  赤いコイは
    食べれるだろうが・・・
     
    食べないだろう。

  理由がわからないので話を逸らした。

  食べるの大好きなHAYATOは
  目を輝かせた。
鯉って 食べられる?


  ここは 長崎県北部のど真ん中の山の中
  長崎にもイノシシはうじゃうじゃいるのに
  どうして「 宮崎県特産 」を扱っているんだろう・・・?
  と 気になりつつ 橋を渡り
  離れ小部屋へと案内された。
鯉って 食べられる?

鯉って 食べられる?

    出発する前に予約を入れておいたので
     部屋には
    「 鯉のあらい 」が出来上がっていた。

鯉って 食べられる?


   山椒ヌタがとっても美味しくて
   鯉のあらい がすすんだ。

   一口食べたHAYATOは
   一生懸命かみしめた。

  「 美味しい? 」
        「 うん 」

  しかし  神妙な顔をして
  吐き出してしまった。

  やっぱり 子供の口には合わなかった。

 HAYATOの為に
 「 チキンバー 茶わん蒸し 枝豆 」を注文して
 最後に
 「 鯉こく 」と「 ごはん 」を頼んだ。

 冷たくて 生臭い( 実は生臭くはない)鯉のあらいに
 暖かく スパイスが効いたチキンバーが
 よく合って 美味しかった。

 川のせせらぎを聞きながら
 小さな個室での食事は美味しく
 箸の進むみいを横目で見ながら
 楽しい時間が過ぎていった。

 鯉こくを飲みながら ご飯を食べて フィニッシュ 。
鯉って 食べられる?

 
     陽が沈み
     外が暗くなった頃
     満腹になって 部屋を出た。

    鯉って 食べられる?
       


鯉って 食べられる?



    休日もとれないてんてこ舞いの毎日が
    5月から続いている。
    お盆の休暇まで 
    泣き言を言わず頑張っている日々の中の

        ちょっぴり

       息抜きの一夜


    本   本   本   本


 もう ひと頑張り働けば お盆休暇。

 私は
 間もなくやってくるこの貴重な4日間を
 宮崎南部の高千穂から
 九州を縦断して北部の高千穂までの
 秘境の地を旅する計画をたてた。

   
 熊本県多良木町の槻木地区を訪ねるのが
 今回の旅の目的である。
 現在 限界集落とされているこの地区は
 実母が家族と共に
 小学生のころから16歳まで暮らした山里である。

 
 母は16歳で親兄妹と別れ大阪へと移り住んだ。
 戦争により大阪の街を後にして
 徳島の親族を頼って疎開し
 そこで結婚をし家族を守り生涯を閉じた。
 

 かつてから
 行ってみたかった場所である。
 母の故郷と呼べる場所である。

 いつも
 突拍子もない私の無謀な計画に
 快く付き合ってくれる主人は
 秘境の地へと出かける旅のドライバーを務める事を
 楽しみにしている様子である。
 主人と二人っきりで行くはずの地に
 病気を克服した次女みいと
 かけがえのない家族となったHAYATOが加わり
 楽しい道中が想像できる。


 今回の旅を母の弟である叔父に相談した。

 老いても尚 
 文学に 絵画に と
 尽きることのない向学心を燃やし続けている叔父から
 詳しい地図や
 地域の関連の記事のコピーが届いた。
 絵を見ているような綺麗な文字で書かれた
 手紙が添えられていた。
 母との幼いころの思い出や
 母の幼いころの友人の消息等
 詳しく綴られていた。
 「 九州山地縦断踏波想い出になります。
   元気でいってらっしゃい。 」

 と締めくくられていた。
 
 
 

 

 叔父から小包と言えるほどの手紙が届いた。
 沢山の兄弟姉妹の中で
 私の母と一番仲が良かった叔父は
 佐賀唐津に住み
 徳島で育った私が九州に嫁いできたことを
 ことのほか喜んでくれた。
 親代わりとなって交流を深めてきた。
 その叔父は今年88歳を迎えた。

 叔父と交流を深める日々は
 一体どれくらい残されているのだろうか。

 私は
 暖かい叔父の手紙から
 なんだか大きな「 叔父孝行 」を務めることが
 出来たように感じた。


 
 



   



Posted by パールじゅんこ at 00:25│Comments(2)
この記事へのコメント
コイ、ですか…
私は造船所が並ぶ海辺で育ちました。近所には漁師もいて、母方の祖母は魚の行商をしてました。父も海辺の育ちです。そのせいか、淡水魚は苦手です。鮎も岩魚も…
コイは、いちばん苦手かも?

今年の夏はステキな旅になりそうですね(^_^)
県外の私大にふたりを通わせる私には旅はしばらく無理のようです。
でも47都道府県制覇を目標にしていますから、いつか達成しますよ!

血液疾患で摂食障害でウツの次女は、友達に誘われて屋久島に行ってます。彼女の目に心に、屋久島の大自然はどう映るんだろう?
友達のお誘いがなければ、沖永良部島に一緒に行こうと思ってました。
それは先延ばしですね。
Posted by 小町 at 2013年08月09日 22:35
小町さん
 私は 徳島南部の山村の田舎で育ちました。清流の綺麗な山里です。
16歳で九州から大阪に移り住み
大阪の街で青洲時代を送っていた母が
その山里の親戚を頼って風呂敷包を抱えて
疎開したのです。
宝塚歌劇団が大好きだった若い母が
海を越え電車に乗ってさらにバスに乗ってそして徒歩で
山深い村に入っていったのです。
時代に流された母の人生です。

私は川魚を食べさせられて育ちました。
なのに 私もあの独特の臭みは苦手です。
主人は大好きです。 食べるのはなんでも楽しみます。
私も雰囲気で・・ 何でも食べます。
でも・・・  貴女と同じ  川魚はあまり好んで食べるほうではありません。
雰囲気が楽しいだけ…( 本音です。 )

貴女も旅が好きなんですね。
子供に仕送りしている間は必至ですよね。
私も振り返ってみると
三人娘を 福岡に出してそれぞれ仕送りしてきました。
よく経済的に続いたものだと思います。
親って・・・ たいへん・・。

屋久島
私も主人と二人っきりで7年ほど前に行きました。
高速が安くなって
鹿児島まで2000円で行けるようになった時のお盆でした。  7年ほど前。
高速船で種子島に行き そして屋久島にわたりました。
あの綺麗な山の空気は今も体に染みついています。
娘さんはきっと心が浄化され満たされて
元気に帰って来られるでしょう。

もののけ姫の舞台になった場所にのぼっていきましたよ。
苔に覆われた 厳かな深い森の中でした。
心の中まで 穏やかな緑に染まってしまいそうな気がしました。
有名な場所だから娘さんも登っているのではないでしょうか。

娘さんのお土産話を
私にも聞かせてください。
Posted by パールじゅんこパールじゅんこ at 2013年08月10日 05:31
 
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
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絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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