
2013年08月28日
鹿児島・宮崎・熊本そして長崎の旅 その三
懐かしい思いで胸がいっぱいになった。
この土地から香り立つ匂いを知っている。
山肌を渡ってくるこの風を知っている。
私には 覚えがあった。
この土地に・・・。


熊本県槻木地区
そこは 私の想像していた村とは
少しだけその様が違っていた。
その道幅は広く
山はさほど険しくはなく
明るく爽やかな風が渡っていた。
もっと もっと
山深い村を想像していただけに
さ~~と 通り過ぎてしまったこの小さな集落に
私は あっけにとられてしまった。
それは不思議な感覚だった。
それは不思議な気持ちがした。
私に流れている血に
私の心が寄り添ったのだった。
私は・・・ 知ってる。
強くそう感じた!
旅を終えた私は
もう一度 この場所を訪ねたくなった。
もう一度 過去へと戻ってみたくなったのである。

その土地に
私の母方の祖父母が住み着いた理由が
私に流れている血は
理解できたような気がした。
それは
四国 徳島県海陽町相川(市町村合併前は海南町)を
古里に持つ祖父母が 古里を離れ
幼い子供たちを連れ
汽車に乗り
船に乗り
九州へと渡り
再び 汽車に乗り
バスに乗り
そして ひたすら歩いてこの深い山の中に移り住んだ。
ここは
九州に移り住む前の
祖父母の故郷である四国徳島の山深い小さな村の様に
瓜二つであった。
槻木地区にそびえる山々も
一時も流れを止めることのない小さな川も
春夏秋冬木々揺らす風も
大地から匂い立つ空気も
私が生まれ育った四国徳島の山深い小さな村の様に
瓜二つであった。
なにを思って
この深い山村に移ってきて
しかも
古里とそっくりのこの地に住居を求めたのだろうか?
たくさんの林業の仕事があると言っても
好き好んでこの深い山の中に入ってくる必要が
あったのだろうか・・。
たくさんの疑問が
私の頭の中をぐるぐるとまわり始めた。
祖母は
祖父の背中を追いながら
幼い子供たちの手を引いて
この山道をどんな思いで歩いたのだろうか・・。
幼かった母たち兄弟姉妹は
泣いたり 笑ったり ふざけたり
叱られたり 喜んだり 騒いだり
賑やかにこの地へと移住していた事だろう。
祖父は
新しい土地に移り
林業で家族に豊かな暮らしを与えようと
夢を膨らませていたのだろうか・・?
小さな小さな山村に
小さな小さな家を構え
薪を集め 火をおこし 飯を炊き お茶を沸かす・・・
朝もやの中の小さな家から
煙が立ち上り
みそ汁の匂いが充満した家の中で
たくさんの子供たちが目をさまし
一日をスタートさせた。
一つの家族にどんな物語があったのだろうか・・・?
常に時代と共に生きている家族。
ゆっくりと流れる明治、大正、昭和の時代を
祖父母たちは
どんな思いで生きてきたのだろうか?
瞬時に
どんな距離をも縮めることのできる
平成の時代に生きて 暮らしている私は
昭和の時代に過ごした幼少期をはっきりと覚えている。
トコトコと歩いて手紙が届けられた時代を・・・
息を吹きかけ火をおこし
手間暇をかけて食事がつくられていた時代を・・・
凍りつくような朝
川の流れの中に手を入れ
自分の息で指先を温めながら
家族の衣類を洗っていた母の姿があったことを
知っている。
全てを
自分の脚に頼り
自分の手を信じて
多くの人々が支え合い暮らしていた時代を
私は知っている。
今という時代を生きる私は
時速60キロのスピードで移動する車の中に居て
クーラーの効いた快適な空間に身を置き
心地良い音楽に耳を傾けながら
よく冷えたジュースを手に
さ~~とこの小さな山村を通りすぎた。
時代と共に今を生きる・・
という事を私は感じ、昔を回想する機会を得た。




水を汲んでいる地元のおじいちゃんに聞き
母が暮らした家の跡地も
かけっこの早かった母が通った小学校も
すでに通り過ぎたことを知った。

この坂を上ると
母が育ったこの小さな山村に別れを告げる。
夢にまで見ていた母が暮らした家の跡地に
立つ事は出来なかった。
母が通った小学校の跡地は
道上にあったため目に付かなかった。
「 戻ってみるか? 」
主人のあたたかさが伝わってきた。
それだけで十分であった。
この地に到着するまでの道のりで
車に酔ったみいの横顔がさっと浮かんだ。
長い変化のない山道に
少々疲れて飽きている幼いHAYATOの姿が
頭の中にこびりついている。
私は引き返すには時間がかからないと知っていたが
充分であった。
引き返すことはしなくていい!
母が育ったこの土地の風に吹かれることが
できたのである。
子供の頃の母が友達と歩いた道を通ってきたのである。
祖父母が希望に胸ふくらませ
新しい暮らしを始めるのに選んだこの土地が
その故郷にそっくりだったことが解った。
そのことで安堵と満足を得ることが出来た。
私は
次の機会・・・と言うバトンを得た。
もう一度
この地にやっていて
母の暮らした家の跡地に立ってみようと考えた。
そのバトンは胸の奥にしまうことが出来る。
「 引き返そうか 」と言ってくれた主人の優しさで
踏ん切りをつけることが出来る。
今日という日の行程は
次の目的地へ進まなければならない。
綾の吊り橋を出発してから
スムーズにこの場所へは到着できなかったのである。
予定通りの道のりではなかった。
予定していた時間より
2時間程遅れてしまったのである。
後ほど・・・。

この土地から香り立つ匂いを知っている。
山肌を渡ってくるこの風を知っている。
私には 覚えがあった。
この土地に・・・。


熊本県槻木地区
そこは 私の想像していた村とは
少しだけその様が違っていた。
その道幅は広く
山はさほど険しくはなく
明るく爽やかな風が渡っていた。
もっと もっと
山深い村を想像していただけに
さ~~と 通り過ぎてしまったこの小さな集落に
私は あっけにとられてしまった。
それは不思議な感覚だった。
それは不思議な気持ちがした。
私に流れている血に
私の心が寄り添ったのだった。
私は・・・ 知ってる。
強くそう感じた!
旅を終えた私は
もう一度 この場所を訪ねたくなった。
もう一度 過去へと戻ってみたくなったのである。

その土地に
私の母方の祖父母が住み着いた理由が
私に流れている血は
理解できたような気がした。
それは
四国 徳島県海陽町相川(市町村合併前は海南町)を
古里に持つ祖父母が 古里を離れ
幼い子供たちを連れ
汽車に乗り
船に乗り
九州へと渡り
再び 汽車に乗り
バスに乗り
そして ひたすら歩いてこの深い山の中に移り住んだ。
ここは
九州に移り住む前の
祖父母の故郷である四国徳島の山深い小さな村の様に
瓜二つであった。
槻木地区にそびえる山々も
一時も流れを止めることのない小さな川も
春夏秋冬木々揺らす風も
大地から匂い立つ空気も
私が生まれ育った四国徳島の山深い小さな村の様に
瓜二つであった。
なにを思って
この深い山村に移ってきて
しかも
古里とそっくりのこの地に住居を求めたのだろうか?
たくさんの林業の仕事があると言っても
好き好んでこの深い山の中に入ってくる必要が
あったのだろうか・・。
たくさんの疑問が
私の頭の中をぐるぐるとまわり始めた。
祖母は
祖父の背中を追いながら
幼い子供たちの手を引いて
この山道をどんな思いで歩いたのだろうか・・。
幼かった母たち兄弟姉妹は
泣いたり 笑ったり ふざけたり
叱られたり 喜んだり 騒いだり
賑やかにこの地へと移住していた事だろう。
祖父は
新しい土地に移り
林業で家族に豊かな暮らしを与えようと
夢を膨らませていたのだろうか・・?
小さな小さな山村に
小さな小さな家を構え
薪を集め 火をおこし 飯を炊き お茶を沸かす・・・
朝もやの中の小さな家から
煙が立ち上り
みそ汁の匂いが充満した家の中で
たくさんの子供たちが目をさまし
一日をスタートさせた。
一つの家族にどんな物語があったのだろうか・・・?
常に時代と共に生きている家族。
ゆっくりと流れる明治、大正、昭和の時代を
祖父母たちは
どんな思いで生きてきたのだろうか?
瞬時に
どんな距離をも縮めることのできる
平成の時代に生きて 暮らしている私は
昭和の時代に過ごした幼少期をはっきりと覚えている。
トコトコと歩いて手紙が届けられた時代を・・・
息を吹きかけ火をおこし
手間暇をかけて食事がつくられていた時代を・・・
凍りつくような朝
川の流れの中に手を入れ
自分の息で指先を温めながら
家族の衣類を洗っていた母の姿があったことを
知っている。
全てを
自分の脚に頼り
自分の手を信じて
多くの人々が支え合い暮らしていた時代を
私は知っている。
今という時代を生きる私は
時速60キロのスピードで移動する車の中に居て
クーラーの効いた快適な空間に身を置き
心地良い音楽に耳を傾けながら
よく冷えたジュースを手に
さ~~とこの小さな山村を通りすぎた。
時代と共に今を生きる・・
という事を私は感じ、昔を回想する機会を得た。




水を汲んでいる地元のおじいちゃんに聞き
母が暮らした家の跡地も
かけっこの早かった母が通った小学校も
すでに通り過ぎたことを知った。

この坂を上ると
母が育ったこの小さな山村に別れを告げる。
夢にまで見ていた母が暮らした家の跡地に
立つ事は出来なかった。
母が通った小学校の跡地は
道上にあったため目に付かなかった。
「 戻ってみるか? 」
主人のあたたかさが伝わってきた。
それだけで十分であった。
この地に到着するまでの道のりで
車に酔ったみいの横顔がさっと浮かんだ。
長い変化のない山道に
少々疲れて飽きている幼いHAYATOの姿が
頭の中にこびりついている。
私は引き返すには時間がかからないと知っていたが
充分であった。
引き返すことはしなくていい!
母が育ったこの土地の風に吹かれることが
できたのである。
子供の頃の母が友達と歩いた道を通ってきたのである。
祖父母が希望に胸ふくらませ
新しい暮らしを始めるのに選んだこの土地が
その故郷にそっくりだったことが解った。
そのことで安堵と満足を得ることが出来た。
私は
次の機会・・・と言うバトンを得た。
もう一度
この地にやっていて
母の暮らした家の跡地に立ってみようと考えた。
そのバトンは胸の奥にしまうことが出来る。
「 引き返そうか 」と言ってくれた主人の優しさで
踏ん切りをつけることが出来る。
今日という日の行程は
次の目的地へ進まなければならない。
綾の吊り橋を出発してから
スムーズにこの場所へは到着できなかったのである。
予定通りの道のりではなかった。
予定していた時間より
2時間程遅れてしまったのである。
後ほど・・・。

Posted by パールじゅんこ at 06:52│Comments(2)
この記事へのコメント
パールじゅんこさんの祖父母も幼少の頃のお母様も、優しい旦那さんとよくきてくれたね〜て優しくもてなしてくれてたでしょうね〜。
そんな声が聞こえる気がしましたよ。そんな山村を選んだ経緯はわからないけど、そこの空気が、互いを呼んだのでしょうね。
いま、パールじゅんこさんも^o^
素敵ー。
そんな声が聞こえる気がしましたよ。そんな山村を選んだ経緯はわからないけど、そこの空気が、互いを呼んだのでしょうね。
いま、パールじゅんこさんも^o^
素敵ー。
Posted by こりの at 2013年08月28日 13:04
こりのさん
逢ったこともない母方の祖父母が
又 おいでと言っているように思います。
私の人生はあとどれくらいあるのか・・・
神のみぞ知る・・(笑)
宿題を与えられたような気がします。
亡き母の10人いた姉妹兄妹が
今は叔父と叔母しか生きていません。
母は一番仲が良かった佐賀にいる叔父を
訪ねることを望んでいるように思います。
祖父母の思いを・・
母たちの生い立ちを・・
知っているのは
佐賀在住の叔父と大阪在住の叔母しかいないのです。
忙しかった私の今までの人生です。
今
少し立ち止まり
過去を回想する機会を与えられたような
気がします。
逢ったこともない母方の祖父母が
又 おいでと言っているように思います。
私の人生はあとどれくらいあるのか・・・
神のみぞ知る・・(笑)
宿題を与えられたような気がします。
亡き母の10人いた姉妹兄妹が
今は叔父と叔母しか生きていません。
母は一番仲が良かった佐賀にいる叔父を
訪ねることを望んでいるように思います。
祖父母の思いを・・
母たちの生い立ちを・・
知っているのは
佐賀在住の叔父と大阪在住の叔母しかいないのです。
忙しかった私の今までの人生です。
今
少し立ち止まり
過去を回想する機会を与えられたような
気がします。
Posted by パールじゅんこ
at 2013年08月29日 05:41
