てぃーだブログ › 浮雲 › 風たちぬ

2013年11月01日

風たちぬ

間に合った・・・。


5階建ての大きな映画館の中の
小さな部屋の小さなスクリーンの前に座った。
話題作だった「 風立ちぬ 」の上映が
間もなく終了されることを感じた。

私は
10月中ごろ
仕事の大きな難所であった決算を終わらせた。
パソコンから突如消えたデーターに
おどろいたのは夏の終わりの頃だった。

ゆっくりと迎えるはずの秋は
一年分のデーターの入力で
頭の中がいっぱいになり
気が付かないうちに通り過ぎてしまった。

世の中の出来事に疎い私だが
ジブリファンだった私は
宮崎監督が
公開中のアニメーション映画「風立ちぬ」を最後に
引退することが明らかになったニュースは知っていた。

決算処理が終わり
仕事に一段落が出来たら
一日 休みをとろう・・・と決めていた。

毎日のように
新聞の映画欄を覗いて
「風立ちぬ」の上映期間を確かめては
祈る様な思いで休みが取れるのを願っていた。

10月23日
私は娘たちを誘って
佐世保の映画館へと足を運んだ。
本当は9時45分上映の「風たちぬ」を観てから
しゃれたお店で昼食をとり
子供たちが幼稚園 小学校から帰るまでの
時間を 女だけの楽しみに当てたかったが
9時45分の上映時間は少し前にカットされていた。
11時45分から14時までの上映時間だけ
付き合った長女を
ゆっくり映画の感想も話すことなく
末っ子の幼稚園の門まで送った。

みいの
摂食障害から引き起こした様々な問題において
私の対応に対して
大人になった長女とは意見が食い違ってしまった。

私のみいへの接触の方法に対して
気に食わない点がありすぎたようであった。
大人として母親である私を見つめた時
様々な心の葛藤があったに違いない長女だが
みいが
摂食障害を乗り越え
高次脳機能障害を緩やかに ゆるやかに
乗り越えようとしている今・・・
私は
少しばかり
その心に溝を作ってしまった長女との間を
埋めようと試みている。

みいにおいては
きっと高次脳機能障害を克服できるはずと
信じることが出来る。

それは
ゆっくりと ゆっくりと・・・・・
みいが回復していると
確信できるからである。

みいの抱えた
「高次脳機能障害」という症状は
他人との接触によって
その刺激の中で
回復を果たしてくれるはずと
信じることが出来る。


一筋の
細いが しっかりとした光が
みいの未来を照らしているように感じる。

私には  
摂食障害の悪化から生きるか否かのみいを抱えて
苦しんでいるときの
長女からの言葉が脳裏から消えない。
「 お母さんの育て方がわるかったんじゃない?
  私も
  お母さんから愛情をもらえなかったような気がする。」

私は
心を切り裂かれたような思いがした。
何処をもって
長女からその言葉が出たのか理解が出来なかった。

常に
三人の娘たちの成長を見つめ
娘たちに全ての愛情を注いできたはずである。
特に 長女とは
様々な問題を共に解決しながら歩んできたはず
と信じていたからである。

平穏な日々が流れている今
長女の言葉を静かに思い起こしてみる。

彼女は
成長し 大人になり 結婚し 2児の母親になった。
大恋愛の末・・・ というより
価値観が同じで
一緒にいると家族といるような感じがする・・・
という男性を伴侶に選んだ。
そして
幸せに家庭を築いて行っている。
その過程で
一人の人間としての私を分析しているんだろう。


映画館の近くの駐車場で
「 内容に興味がないので
  商店街でウインドウショッピングしてくるね。」と
みいは離れていった。
長女と二人
小さなスクリーンの前に座った。

「 風立ちぬ 」
二郎と節子の恋愛ストーリーはとても単純で
最初から終結を予想することが出来た。
大正から昭和の時代が背景の物語は
私にはよく理解が出来た。
  関東大震災も
  第二次世界大戦も
  戦闘機も
  結核という病気も
  二郎と節子の結婚の儀式も
私が幼いころ
  祖母や両親たちから
常に聞かされていた出来事であった。
  結核という感染病が
  どんなに怖い病気であるかも
  幼い私も聞かされ
  結核病棟もこの目で眺めて育った。

一緒に涙しながら観た長女は
きっと
この映画に込められた
何気ないと思われる小さなシーンの
多くの出来事を
理解できなかったのではないだろうか・・・

彼女と
食事をしながら
映画の内容を話し合いたかったが
長女は次男坊を
幼稚園に迎えに行く時間になってしまった。

私は子供と思って・・
(当然だろうが)
子供として上から目線で見つめてきた三人の娘達とは
私の心を入れ替えて
  ひとりの人間同志として
  ひとりの女同志として
  ひとりの主婦同志として
  ひとりの母親同士として
横並びになって深い愛情を注ぎながら
この道を歩んでいかなければならない・・と
気が付いたのである。

彼女たちには
もう 
腕の中に庇護してくれる母親は必要ないはずである。
私という人間が
この世に居なくても
彼女たちは
守るべき家族がいる。
愛情を注ぐべき子供たちがいる。
しっかりと大地を踏みしめ
自ら強く生きていけるのである。

私の役目は
彼女たちを守るのではなく
彼女たちを理解してあげることである様に
強く感じる。

「 あんたたちの幸せを祈っているよ。」と呟いて
仏壇に手を合わせていた亡き姑の
小さな後姿が思い浮かんできた。
優しいその思いが
今の私を導いてくれるのである。

風たちぬ
  











Posted by パールじゅんこ at 06:00│Comments(2)
この記事へのコメント
厳しい言葉でしたね。
それだけ、お嬢さんも育児で学んでいるということでしょう。
親子ですから、時間が修復してくれる気がします。なにより、一緒に映画に行ってるんですから。

「言葉がわかればひとりの人として扱いなさい」と母に言われました。
いつまで赤ちゃんで、いつから大人か、明確な区切りがないので、言葉がわかれば話せば伝わる、と。
「育児は育自ということですよ」
保健婦さんの言葉でした。
「子育てに正解はありません」摂食障害がわかった時近医の言葉です。
そうやって、生きてる限り成長するんじゃないでしょうか?人としてできあがってしまったら、きっとその時が寿命だと思います。
悩みながら、考えながら、元気なまま、未熟でいるのもいいかなぁ、と思いますよ。
その姿がみぃさんによい結果をもたらすかもしれません。

離れて暮らす摂食障害の我が娘は、「心配してる」と感じるようなので、今は連絡をしないようにしています。少し本人にまかせることにしました。必要なら連絡が入ると思って…
Posted by 小町 at 2013年11月02日 15:44
小町さん
 母親でいることは難しいですね。

 一方的に
 愛情を注いでも
 受け取る側は望んでいなかったことも
 多々あったみたいです。

 何もかも投げ出してしまいたい。。と
 思ったこともよくありました。
 でも
 自分が歩んできた足跡は消せないんですよね。

 長女は 私に「 お母さん 逃げないで! 」と言います。

 もちろんみいの問題です。
 私は逃げてなんかいないんですが
 長女にはそう映るみたいです。

 私は
 待っているのですが・・。
 みいのゆっくりと歩んでくるのを
 私は後ろ向き歩いてみいを見つめながら進んでいるのですが・・・。
 
 長女は
 高次脳機能障害をもっと もっと学んで!と言います。
 私は
 みいが追いついてくるのを待っているだけです。
 信じられるからです。
 みいが 
 追いついてこれると信じられるのです。

 甘いかもしれません。

 だが
 待ってみます。
 みいは 回復するはずです。
 なんの根拠もありません。

 ただ
 母親としての直感です。

 長女とは
 もっともっと 話あえる時間を作らなければならない。
 私は もっと時間を作り出さなければならない・・。 と感じます。

 長女であるがゆえに
 我慢してきたことが沢山あったんでしょうね。
 
 私の三人の娘は
 反抗期がありませんでした。

 まさしく
 この年になって私は「育自」をしているんですね。
 
 
Posted by パールじゅんこパールじゅんこ at 2013年11月02日 23:27
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 15人
プロフィール
パールじゅんこ
パールじゅんこ
えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


オーナーへメッセージ