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2014年04月25日

藤娘

  山また山
    山桜又
      山桜
 =阿波野青畝(あわのせいほ)=

  花   花   花   花

山肌を点在する桜の木を
遠目に眺めて過ごした肌寒い日々は
すっかり過ぎ去った季節の中に埋もれてしまった。

山又山・・・
私の大好きな俳句である。
若い頃 暗記した俳句は
山桜の咲く風景を目にするたび
自然と思い浮かんでくる。

すっかり爛漫の春が過ぎ去る中で
林の中ではしゃかの花が咲き乱れ
爽やかなやさしい緑の山肌では
大木を我が物としたヤマフジが咲き乱れている。
遠目に眺めているので
香ってこないはずなのに
嗅覚の記憶を辿って
藤の花の甘い香りが脳裏を満たしていく。

  山また山
    山藤や又
      山藤や 

    じゅんこピース
      

藤娘

咲き誇るヤマフジを見つめていると
ふと ず~~と昔
姉が体験した不思議な出来事を思い出した。

それは
母と永遠の別れを遂げた25~6年前の事である。


 
   電話     電話     電話     電話

姉は
不思議な夢の話しを電話の向こうで告げた。

68歳という若さで他界した母を想い
 大阪に住む姉と
 九州に住む私は
受話器を握りしめ頻繁に悲しみを分かち合っていた。

亡き母の初盆を迎える少し前のことであった。
姉はいつもより興奮した声で
電話をかけてきた。
「今朝方 生々しい夢を見たんや。」  と。
切羽詰まったようなその声に
当時32~3歳の私の好奇心は掻き立てられた。

私は合図地を打ちながら
姉の話に夢中になった。

「実家の夢を見たんや。」
姉は 語り始めた。

それぞれに
子供たちを学校、園に送り出した後の
家事を一段落終えた午前のことだったように
覚えている。

四国 徳島の実家が夢の舞台であった。
実家は
 姉が嫁いでから
 私が高校生の頃
同じ町内の猪が出没するような山奥から
静かな夜には 
波の音が聞こえるような海辺へと引っ越していた。

のどかな
密集していないその地で
南向きの日当りのいい家を建て
母は新しい家を丹念に掃除をし
玄関の庭の前に広がる広い土地を耕し畑を作った。
畑の隅に みかんの木を植えた。

私も
高校を卒業し地元を離れた。
子供の私は当然
末っ子の女の子である私を手放す
母の寂しさなど
思いやってやることは無かった。

私や姉が親元を離れてから
両親は長兄たち夫婦と孫に囲まれ
平凡に年老いていった。

そして
母は68歳という生涯を閉じたのである。

その後
私と姉は
受話器を握りしめ悲しみを分かち合って
月日を過ごした。


   電話     電話     電話     電話

  
不思議な夢の話しは
母の初盆を迎える少し前の夏の日のことだった。

夢の中で実家の居間に立って外を見ていると
畑のみかんの木の下に
髪の長い女の人がジーと
居間に立つ姉を見ていたそうである。

その木にはたわわにみかんが実り
夢の中ではっきりと鮮やかな黄色が
表れていたと姉は語った。

髪の毛の長い女の人は
現代の女性ではなく
「時代を感じさせられる女性」だったと
姉は表現した。

「 ぞっとして起きたんや。
    何の夢やったんかなぁ・・。」と
姉は 模索するように夢の話しをした。

その数日後
再び 私と姉は受話器を握りしめていた。
姉は 確信をもって私に告げた。
「 私が結婚前に 
  母に買ってやった人形の藤娘があったやろ?
  ガラスケースに入った日本人形の藤娘。」

「 あの
  着物を着て 髪を結った人形やった気がするで。
  私を 見つめていた女の人。」

「 縁側のミシンの上に飾ってあったやろ。 藤娘。
  あれ・・・
  どうしたんやろ・・? 」

「 とにかく ぞっとしたんや・・。」

姉の話しは続いた。
専業主婦の姉も
当時は専業主婦の私も
昼間にはたっぷりの時間があった。
今 思えば  
家計に負担をかけるほどに
電話代がかさんでいたはずである。

  電話     電話     電話     電話
 

お盆も終わり
主人の実家で
親戚の集まりやら墓参りやら・・と
長男の嫁の勤めを果たし
自宅の団地に戻っていた。

四国に帰り
母の初盆供養を済ませた姉から
弾んだ声の電話がかかってきた。

「 解ったでぇ!
  やっぱり あの夢は日本人形の藤娘やったんや。

  びっくりせんときや。

  ガラスケースの中に人形が乾燥せんように
  小さなガラスのコップが入ってたんや。

  そのガラスのコップに
  まっ黄黄のみかんの絵が付いてたんやで。」

姉の話しは続いた。
母がなくなり半年以上もたち
義姉は母の荷物を片付けていた。
縁側に置かれた昔ながらのの大きなミシンと共に
その上に置かれた
ガラスケースに入った藤娘の日本人形を
別棟の誰も住んでいない2階の部屋に上げていた。
誰も行かない別棟の
カーテンのしまった部屋で
咲き誇る藤の枝を肩にかけた綺麗な日本人形が
ひっそりとほほ笑んでいたのであった。
藤娘の着た着物の裾の後ろに
みかんの絵が付いたガラスの小さなコップが
置かれていたらしい。
その中には
当然 水が入っていなかった。


姉は
藤娘が喉の渇きを自分に訴えてきたことを話した。
夢の真相がはっきりとしたため
この話は自然消滅していった。


 電話     電話     電話     電話


   
私は
母と長年暮らした義姉に電話を入れた。
生前には母の気配りで
ガラスケースの中の水を
絶やすことは無かったらしい。
「 人形も私のところに来ずに
   ETUKOさんのところに言いに行ったんやねぇ。」
という 義姉の言葉は
私の記憶から消えることはない。

大阪に住む姉も 徳島に住む義姉も
逝ってしまった母の年に近づいて来ている。

私たちは 共に健康で年を重ねている。

藤娘



 



















Posted by パールじゅんこ at 02:30│Comments(0)
 
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
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絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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