
2015年08月27日
沖縄へ
孫くんは呟いた。
「行かれんと・・・・?」
私は軽く答えた。
「仕方ないね。 台風だから。」と
8月24日 午後8時
夕食を終えてパソコンを立ち上げてメールをみた。
午後7時53分にANAからのメールが届いていた。
「8月25日 午前7時45分福岡発 沖縄行きは
台風15号の影響で欠航します。」
・・・・・・
半分は
飛べるのでは・・と期待して台風15号の進路を見つめ続けた一日だった。
孫くんは
明日からの沖縄への一泊二日の旅立ちを楽しみにしていた一日だった。
「沖縄で泳ぎたい!」と言う孫くんの望みをかなえてあげたいが為の
計画を立てたプチ旅行であった。
夏休みが始まった7月から今日まで
8月14日を一日だけ仕事を休んだ私だった。
小学3年生になった孫君は
夏休み中
毎日宿題をもって私の職場にやってきていた。
私は毎日孫くんにもお弁当をつくり
水着や着替えなど沢山の荷物を持って出勤を続けてきた。
土曜日 日曜日の休日には
マイダーリンも人手不足の私の職場でボランテイアを務めてきた。
どこに出かけるでもなく
私の職場で夏休みを過ごした孫くんは
逞しさを増し、生意気盛りとなった。
夏休みが始まった日
水着の準備を待てない孫くんは
夕方の海に入った。


仕事が終わりみんなが帰った職場の船台で
私も 海に入りたい気持ちを抑え・・・・

平戸島へと沈む夕日を眺めた。

穏やかな一日の終わりは
心を優しく浄化してくれるのである。
小さな悩みは尽きないが
私は たぶん 幸せなんだと感じた。
幸せだと信じられた。

いつまでも 穏やかな時間に浸っていたかったが
娘(みい)がせっせと夕食を整えている姿が浮かんできた。
いつまでも遊ぶ孫君を呼び 家路についた。
私は 忙しく働いた。
人手不足の職場は 一分たりとも動きを止めることは出来なかった。
しかし
午前中を勉強の時間に当てている孫くんに声をかけながら
プリントを覗き込み
一緒に難題を解き
音読に耳を傾けた。
電話の応対をし
来客の接待をし
事務の傍ら
すべての雑務をこなした。
孫くんの存在は
高齢化にている我が職場に元気を呼び込み
活気を与えた。
孫くんを我が孫のように常に可愛がり導いてくれる社長に
私は感謝しても 感謝しても しつくせない思いで一杯である。
孫くんは自分の家にいるように私の職場で過ごした。
毎日の日課は
午前中 事務所で勉強
午後 船台で水遊び
規則正しく過ごした夏休みはきっと充実していたに違いない。





まだまだ 幼い彼は
船台で船舶の修理をするパートのおじさんたちに見守られて
のびのびと海辺で暮らす子供として成長した。
遊漁船業の手伝いも怠らなかった。

私たちはそんな彼の為に
夏休みの最後にご褒美を準備していた。
8月25日~26日 一泊二日の沖縄旅行
「沖縄で泳ぎたい」という孫くんの為に予約したホテルは
「ムーンビーチパレスホテル」
来年還暦を迎える私や60歳を過ぎた主人は
水着を買っていたのである。
台風15号の進路を見守りながら
てんてこ舞いで仕事に打ち込んでいた私は
絶対25日いけるはず!と 信じていた。
しかし 無情にも
計画を立てた旅行の出発時間に台風はやってきた。
ANAからのメールを家族に告げた瞬間
「 行かれんと・・・?」と呟いた。
「 仕方ないね。 あきらめよう 又行こうね。仕方ないね。」
私は孫くんをお風呂に入ることを促した。
トイレを済ませ脱衣室に入った彼は
背中を向けてタオルで顔を抑え声を抑えて泣いていた。
「 ばあば 又って いつ? 」
彼は元気のない声で聞いてきた。
私は 言葉に詰まった。
孫くんは私より一足先にあがった。
私が居間に戻ると
顔にタオルをのせ
両手 両足を少し広げ
仰向けに寝転ぶ孫くんの姿が目に飛び込んで来た。
娘 みいはせっせと夕食の片付け物に精を出していた。
主人はお笑い番組に夢中だった。
とても小さな体だった。
ピクリともせずに顔をタオルで隠し仰向けに寝転ぶ孫くんの
心の中に悲しみが充満しているのが見えた。
駄々をこねるわけでもなく
小さな彼は 家族にもかくして泣いていたのである。
私は 簡単に 軽く あしらったことに後悔した。
又 行こうね・・・・
夏休みが終わると不可能に近い。
私は秋の行楽シーズンを迎え増々多忙になる。
お盆休暇をこの旅行の為に主人は当てていた。
私は瞬時に考えた。
「 どうにかして行こうね。 考えるからもう寝ようね。」と
孫くんをベットに誘った。
私は孫くんを寝かしてパソコンを立ち上げた。
沖縄行きの飛行機は8月27日~28日に少しの空席があった。
私が休暇を取れるのはこの日しか残されていなかった。
しかも往復とも窓際の席が2列だけ残されていた。
私は主人に案を告げた。27日~28日に行ってあげよう・・と。
主人はちょっとの間考えて快く
25日~26日の休暇が27日~28日に変更しても
仕事に差し支えないことからと賛成してくれたのである。
深夜 孫くんはうっすらと目覚め
「 ばあば ばあば 」と私を起こした。
そして 「 沖縄にいける? 」と問いかけてきた。
「 うん! 行こうね。」と答た。
孫くんは再び深い眠りについた。
私は飛行機の空席が埋まらないことを願いながら眠った。
台風はガタガタと家を揺らしていたが 威力は感じられなかった。
私や主人は朝を待って会社に連絡をした。
神さまは ご褒美をくれたのである。
私は瞬時に飛行機の予約をした。
2列しか残っていない窓際を確保するためにカードでの決済を選んだ。
残されていた2列の窓際の席を私は予約することが出来た。
ホッと胸をなで下ろした。
いつもよりゆっくりと起きてきた孫くんは
目をこすりながら私のそばに寄ってきた。
「 27日に行こうね。 行けるよ! 沖縄に。」
目を細めて私の首に抱き付いた孫くんは
トイレに入り 洗面所に向かった。
台風15号は
長崎佐世保より南の島原を通り
福岡荒尾に上陸し久留米を通過していったのである。
私はまだ 大事なことが残されていた。
レンタカーの変更と
ホテルを確保しなければいけない。
ホテルムーンビーチパレスに空室がないのは解っていた。
この時期に沖縄でホテルを確保するのは非常に難しいはずである。
私は
25日の夜中 再びパソコンに向かった。
日付は26日へと変わっていた。
二日後に控えた値段の手ごろなホテルの空きは皆無だった。
ひと眠りした主人が気にして起きてきた。
少しだけ話しかけ 再び布団に戻った。
必死になってあちこち探し
やっと探し当てることが出来たのである。
夕方の海で泳ぐのを楽しみにしていた
ムーンビーチパレスホテルでの宿泊は叶わなかったが
飛び立てなかった25日の朝目覚めた孫君は
喉風邪をひき声がかすれ、夕方は具合が悪くなっていた。
どうか 回復しますようにと願いながらホテルを探した。
孫くんの様子から 海水浴はあきらめさせなければならなかった。
快く承知した彼は
ちゅら海水族館へと行くことを希望した。
到着した27日を南部の観光に当てて
その夜は
第一牧志公設市場で夕食を食べることにした。
その近くのホテルに絞り
やっと格安のホテルを見つけたのである。
「 チュラ琉球ホテル 」
成せば・・ なった。
出発前日 朝 孫くんの様子が非常に気がかりだった。
時間が経つにつれ
元気を取り戻し
夕方はすっかり調子が良くなり眠りについた。
数時間後
私たちは福岡空港に向かって出発する。
孫くんの
夏休みを締めくくる時がやってきた。

玄関先のシーサーを見下ろすように
ユリの花が
満開となった。


数年前に
心が張り裂けそうなつらい時期があった。
どうしていいのか・・・
どう進めばいいのか・・・
どう手を尽くせばいいのか・・・・
ママとなった娘の心の病との戦い。
なす術もなく
一寸先の闇を見つめて苦しんでいた時期があった。
そんな時
遠い沖縄からサーバーを通して
私を支え続けてくれた人がいた。
その方の支えを私は忘れたことがなかった。
その方の名前も私は忘れたことがなかった。
娘の心の病は 完全に克服できなかったが・・
出来ないままでいるが・・
私の心は強くなった。
強くなった心で
私の家族は何とか乗り越えて生きている。
私は今 幸せである。
私は今 健康である。
私は今 守らなければならないものがある。
私は今 必死で生きている。
忙しい 忙しい 忙しい・・・と。
私は
私を支えてくださった沖縄の方が住む町へ
数時間後に行けるのである。
孫くんとみいは8年ぶりの沖縄である。
「行かれんと・・・・?」
私は軽く答えた。
「仕方ないね。 台風だから。」と
8月24日 午後8時
夕食を終えてパソコンを立ち上げてメールをみた。
午後7時53分にANAからのメールが届いていた。
「8月25日 午前7時45分福岡発 沖縄行きは
台風15号の影響で欠航します。」
・・・・・・
半分は
飛べるのでは・・と期待して台風15号の進路を見つめ続けた一日だった。
孫くんは
明日からの沖縄への一泊二日の旅立ちを楽しみにしていた一日だった。
「沖縄で泳ぎたい!」と言う孫くんの望みをかなえてあげたいが為の
計画を立てたプチ旅行であった。
夏休みが始まった7月から今日まで
8月14日を一日だけ仕事を休んだ私だった。
小学3年生になった孫君は
夏休み中
毎日宿題をもって私の職場にやってきていた。
私は毎日孫くんにもお弁当をつくり
水着や着替えなど沢山の荷物を持って出勤を続けてきた。
土曜日 日曜日の休日には
マイダーリンも人手不足の私の職場でボランテイアを務めてきた。
どこに出かけるでもなく
私の職場で夏休みを過ごした孫くんは
逞しさを増し、生意気盛りとなった。
夏休みが始まった日
水着の準備を待てない孫くんは
夕方の海に入った。


仕事が終わりみんなが帰った職場の船台で
私も 海に入りたい気持ちを抑え・・・・

平戸島へと沈む夕日を眺めた。

穏やかな一日の終わりは
心を優しく浄化してくれるのである。
小さな悩みは尽きないが
私は たぶん 幸せなんだと感じた。
幸せだと信じられた。

いつまでも 穏やかな時間に浸っていたかったが
娘(みい)がせっせと夕食を整えている姿が浮かんできた。
いつまでも遊ぶ孫君を呼び 家路についた。
私は 忙しく働いた。
人手不足の職場は 一分たりとも動きを止めることは出来なかった。
しかし
午前中を勉強の時間に当てている孫くんに声をかけながら
プリントを覗き込み
一緒に難題を解き
音読に耳を傾けた。
電話の応対をし
来客の接待をし
事務の傍ら
すべての雑務をこなした。
孫くんの存在は
高齢化にている我が職場に元気を呼び込み
活気を与えた。
孫くんを我が孫のように常に可愛がり導いてくれる社長に
私は感謝しても 感謝しても しつくせない思いで一杯である。
孫くんは自分の家にいるように私の職場で過ごした。
毎日の日課は
午前中 事務所で勉強
午後 船台で水遊び
規則正しく過ごした夏休みはきっと充実していたに違いない。





まだまだ 幼い彼は
船台で船舶の修理をするパートのおじさんたちに見守られて
のびのびと海辺で暮らす子供として成長した。
遊漁船業の手伝いも怠らなかった。
私たちはそんな彼の為に
夏休みの最後にご褒美を準備していた。
8月25日~26日 一泊二日の沖縄旅行
「沖縄で泳ぎたい」という孫くんの為に予約したホテルは
「ムーンビーチパレスホテル」
来年還暦を迎える私や60歳を過ぎた主人は
水着を買っていたのである。
台風15号の進路を見守りながら
てんてこ舞いで仕事に打ち込んでいた私は
絶対25日いけるはず!と 信じていた。
しかし 無情にも
計画を立てた旅行の出発時間に台風はやってきた。
ANAからのメールを家族に告げた瞬間
「 行かれんと・・・?」と呟いた。
「 仕方ないね。 あきらめよう 又行こうね。仕方ないね。」
私は孫くんをお風呂に入ることを促した。
トイレを済ませ脱衣室に入った彼は
背中を向けてタオルで顔を抑え声を抑えて泣いていた。
「 ばあば 又って いつ? 」
彼は元気のない声で聞いてきた。
私は 言葉に詰まった。
孫くんは私より一足先にあがった。
私が居間に戻ると
顔にタオルをのせ
両手 両足を少し広げ
仰向けに寝転ぶ孫くんの姿が目に飛び込んで来た。
娘 みいはせっせと夕食の片付け物に精を出していた。
主人はお笑い番組に夢中だった。
とても小さな体だった。
ピクリともせずに顔をタオルで隠し仰向けに寝転ぶ孫くんの
心の中に悲しみが充満しているのが見えた。
駄々をこねるわけでもなく
小さな彼は 家族にもかくして泣いていたのである。
私は 簡単に 軽く あしらったことに後悔した。
又 行こうね・・・・
夏休みが終わると不可能に近い。
私は秋の行楽シーズンを迎え増々多忙になる。
お盆休暇をこの旅行の為に主人は当てていた。
私は瞬時に考えた。
「 どうにかして行こうね。 考えるからもう寝ようね。」と
孫くんをベットに誘った。
私は孫くんを寝かしてパソコンを立ち上げた。
沖縄行きの飛行機は8月27日~28日に少しの空席があった。
私が休暇を取れるのはこの日しか残されていなかった。
しかも往復とも窓際の席が2列だけ残されていた。
私は主人に案を告げた。27日~28日に行ってあげよう・・と。
主人はちょっとの間考えて快く
25日~26日の休暇が27日~28日に変更しても
仕事に差し支えないことからと賛成してくれたのである。
深夜 孫くんはうっすらと目覚め
「 ばあば ばあば 」と私を起こした。
そして 「 沖縄にいける? 」と問いかけてきた。
「 うん! 行こうね。」と答た。
孫くんは再び深い眠りについた。
私は飛行機の空席が埋まらないことを願いながら眠った。
台風はガタガタと家を揺らしていたが 威力は感じられなかった。
私や主人は朝を待って会社に連絡をした。
神さまは ご褒美をくれたのである。
私は瞬時に飛行機の予約をした。
2列しか残っていない窓際を確保するためにカードでの決済を選んだ。
残されていた2列の窓際の席を私は予約することが出来た。
ホッと胸をなで下ろした。
いつもよりゆっくりと起きてきた孫くんは
目をこすりながら私のそばに寄ってきた。
「 27日に行こうね。 行けるよ! 沖縄に。」
目を細めて私の首に抱き付いた孫くんは
トイレに入り 洗面所に向かった。
台風15号は
長崎佐世保より南の島原を通り
福岡荒尾に上陸し久留米を通過していったのである。
私はまだ 大事なことが残されていた。
レンタカーの変更と
ホテルを確保しなければいけない。
ホテルムーンビーチパレスに空室がないのは解っていた。
この時期に沖縄でホテルを確保するのは非常に難しいはずである。
私は
25日の夜中 再びパソコンに向かった。
日付は26日へと変わっていた。
二日後に控えた値段の手ごろなホテルの空きは皆無だった。
ひと眠りした主人が気にして起きてきた。
少しだけ話しかけ 再び布団に戻った。
必死になってあちこち探し
やっと探し当てることが出来たのである。
夕方の海で泳ぐのを楽しみにしていた
ムーンビーチパレスホテルでの宿泊は叶わなかったが
飛び立てなかった25日の朝目覚めた孫君は
喉風邪をひき声がかすれ、夕方は具合が悪くなっていた。
どうか 回復しますようにと願いながらホテルを探した。
孫くんの様子から 海水浴はあきらめさせなければならなかった。
快く承知した彼は
ちゅら海水族館へと行くことを希望した。
到着した27日を南部の観光に当てて
その夜は
第一牧志公設市場で夕食を食べることにした。
その近くのホテルに絞り
やっと格安のホテルを見つけたのである。
「 チュラ琉球ホテル 」
成せば・・ なった。
出発前日 朝 孫くんの様子が非常に気がかりだった。
時間が経つにつれ
元気を取り戻し
夕方はすっかり調子が良くなり眠りについた。
数時間後
私たちは福岡空港に向かって出発する。
孫くんの
夏休みを締めくくる時がやってきた。

玄関先のシーサーを見下ろすように
ユリの花が
満開となった。


数年前に
心が張り裂けそうなつらい時期があった。
どうしていいのか・・・
どう進めばいいのか・・・
どう手を尽くせばいいのか・・・・
ママとなった娘の心の病との戦い。
なす術もなく
一寸先の闇を見つめて苦しんでいた時期があった。
そんな時
遠い沖縄からサーバーを通して
私を支え続けてくれた人がいた。
その方の支えを私は忘れたことがなかった。
その方の名前も私は忘れたことがなかった。
娘の心の病は 完全に克服できなかったが・・
出来ないままでいるが・・
私の心は強くなった。
強くなった心で
私の家族は何とか乗り越えて生きている。
私は今 幸せである。
私は今 健康である。
私は今 守らなければならないものがある。
私は今 必死で生きている。
忙しい 忙しい 忙しい・・・と。
私は
私を支えてくださった沖縄の方が住む町へ
数時間後に行けるのである。
孫くんとみいは8年ぶりの沖縄である。
Posted by パールじゅんこ at 03:09│Comments(2)
この記事へのコメント
きっときっと
願いはかないます(^人^)
信じて頑張って下さい。
陰ながら応援しています。
私も、病院だ守りたい家族の為、
いつもいつも願っています。
一緒に信じましょう(*^^*)
大丈夫!大丈夫!
願いはかないます(^人^)
信じて頑張って下さい。
陰ながら応援しています。
私も、病院だ守りたい家族の為、
いつもいつも願っています。
一緒に信じましょう(*^^*)
大丈夫!大丈夫!
Posted by さち at 2015年09月06日 02:09
さちさん
ありがとう。
願いはかなう。
叶いますよね。願いは。
私は神や仏の存在を信じています。
誰かが
何者かが
私の行動を監視して
そっと手を差し伸べていてくれるような
気がするからです。 随所に!
その何者かが・・・
神さまや仏さまだと私は信じています。
もし叶わない時は・・・
再び立ち上がればいいのかな・・・?
新たな願いに向かって。
病院?
ご家族が病気?
ちょっぴり さちさんの近辺が気になります。
ありがとう。
願いはかなう。
叶いますよね。願いは。
私は神や仏の存在を信じています。
誰かが
何者かが
私の行動を監視して
そっと手を差し伸べていてくれるような
気がするからです。 随所に!
その何者かが・・・
神さまや仏さまだと私は信じています。
もし叶わない時は・・・
再び立ち上がればいいのかな・・・?
新たな願いに向かって。
病院?
ご家族が病気?
ちょっぴり さちさんの近辺が気になります。
Posted by パールじゅんこ
at 2015年09月08日 03:35
