
2015年09月27日
物語は一歩から

実にうまくシナリオが構成されている!
そう思わずにはいられない。
誰かが操っている・・・
そうとしか思えない。
誰かが・・・
だ れ ・・・?
神さまとしか 考えられない。


「ホテルちゅら琉球」で
沖縄の夜が更けていこうとしていた。
公設市場で夕食を済ませホテルに戻った。
摂食障害で命を落とそうとした次女みいは
あれから3年あまりの月日が流れ去ったが
摂食障害を乗り越えることはできないでいる。
運動量が過ぎるがために
太ることができないのである。
高次脳機能障害なのか 性分なのか・・・
素直さに欠けるみいは
強情なのか 変人なのかわからないままに
毎日実に快適に主婦業をこなしながら
快適に日々を暮らしているのである。
私は今回の旅行でみいに言った。
「 今回は 大浴場はやめておきなさいね。
骨皮筋エ門(ホネカワスジエモン)のあんたを見たら
みんなビックリ仰天するからね。 」
骨が一本 一本数えられるくらいの体を
公衆の面前にさらけ出せたくなかったからである。
私は一人で 大浴場に向かった。

大浴場を独り占めして私は一日の疲れを取り除いた。
さっぱりと気持ちよく部屋の戻った私は
仏心(?)が出た。
温泉が大好きなみいに言った。
「 誰もいなかったよ。
気持ちよかったからみいも大浴場に入ってくる?」と。
みいは
自分が異様に痩せているということを認識していないので
待ってましたと言わんばかりに
即座にイソイソと一階にある大浴場に向かった。
1~2分してもどってきたみいは
「 お母さん ロビーに誰かが訪ねてきているよ。
うちに みいさんですかって。
だれ?
沖縄に知り合いがいるの?
なんとかHITOMIさんて。」


驚いた。
まったく予想していなかったことだけに驚いた。
まさか まさか まさか・・・!!
数年前
私は仕事をこなしながら
摂食障害から命の危機に面した次女みいを抱え
幼稚園児の孫くんを育てながら
主人と共に必死で生きていた。
心の病に伏した娘をどう扱ったらいいのかわからず
弱い心でオロオロと過ごしていたのであった。
日増しに症状の悪化し命のともしびが消えかかった娘に
私は「なす術もなく娘を失ってしまうかもしれない。」という
恐怖心に押しつぶされそうな日々を送っていた。
ブログの世界でその恐怖心を和らげるしか能が無かった。
そんな50歳半ばの私を
誰の目にも触れることなくそっとサイバーをとおして
私を支え 励まし 導いてくれた人がHITOMIさんである。
私は見ず知らずのHITOMIさんからメールによって
これまでの一番の試練を乗り越え
心にたくましさを養えたのである。
沖縄を思うとき
次女みいの長かった闘病生活を思い起こす時
決して忘れることの無い人である。
HITOMIさん
私はみいの質問を無視して言った。
「 すぐ 降りていくから待っててと伝えて。
みいは ゆっくりお風呂に入っておいで。」と
私は
これまでの人生の中で
一番の試練を次女みいによって与えられたのであった。
その危機を乗り越えるために
なくてはならない人がHITOMIさんだった。
私は身支度を整えてロビーに降りた。
私より一回り小さな笑顔のチャーミングなHITOMIさんがいた。

私たちは初対面の堅苦しい挨拶は必要なかった。
昔からの知り合いのように思えた。
長く会っていない親友が訪ねてきてくれたような気がした。
こんな日が来るなんて考えてもみなかったのに
こんな日が来るような気がしていたようにも思えた。
ずーと昔からHITOMIさんを知っていたように思えた。
みいがお風呂から上がり部屋に戻るまでのわずかな時間を
HITOMIさんと過ごした。
やわらかい日差しを受けながら
心地よい風に乗った神さまのウインクが
見えたような気がした。

私とHITOMIさんの二人が主役の物語が
この日から始まったように思われた。
ウインクをした神さまがやわらかい梢の上で
ストーリーを書いては消し、
消しては構成を練っている姿が見えるような気がしてならない。
神さまの書き下ろす物語を
仏さまがそっと見守っていてくれますように。
楽しい物語になりますようにと祈りながら
仕事に追われ
孫くんの希望に満ちた未来を見つめ
次女みいの乗り越えられない摂食障害という病を
ケセラセラで過ごす日々。

平凡な時間が流れていく中で
思いがけないことが
突然 やってきた。
神も仏もないと
思ってはいけないが
神も仏もないと
思ってしまう出来事もある。


Posted by パールじゅんこ at 02:51│Comments(0)