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2016年10月05日

摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり

拒食症の家族を持ち苦しんでいる方に
お伝えしたくて
記してみました。

耐えなければならない苦難の日々が
目の前に大きな壁となって立ちはだかっているかもしれないが
心配しないで・・。
きっと 笑いあえる日が来ます。
拒食症のご家族と共に・・。

明るい未来が見える日が必ずやってくるはずです。

雨は必ず止みますとも・・。
という優しい言葉を私は見知らぬ方から
ブログのコメント欄にメールして頂きました。
この言葉は
拒食症の娘を抱えて苦しかった私をずーと支えてくれました。

我が家に降っていた雨は間もなくやみそうです。
長い年月をかけて。

摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり

・ 神経性食思不振症 
・ 膵臓 肝臓 腎臓  機能の低下  
・ 汎血球減少  
・ 腹水の貯留 及び全身の浮腫 
・ 菌血症・肺血症による肺血症性ショック
・ 細菌感染による高熱
・ 肝臓障害から血小板減少による紫斑症
・ 低血糖による意識不明

・ 左腎結石
・ 急性腎盂炎
・ 左水腎症
・ 左尿管結石

・ 左尿管結石の手術
・ 播種性血管内凝固症候群
・ 意識障害
・ 廃用症候群
・ 失語症
・ 音声障害
・ 高次脳機能障害

2011年から2012年 そして 2013年と
摂食障害による闘病生活の中で
次女 みいの体を襲った症状と
医師から告げられたみいへの病名の数々である。

たくさんの人に祝福され盛大な結婚式を挙げ嫁がせた娘が
元気な男の子を出産したのち
摂食障害に陥り 
生と死の瀬戸際に立たされたのは5年前のことであった。

生死の境の最中で輸血を受けている娘に
婿は離婚を申し入れた。
私と主人は娘と孫を迎え入れ
再び新しい家族をつくったのである。

命を落としてしまいそうな娘を看ながら
大きな落胆と悲しみと恐怖に襲われた日々は
すっかり過去のものとなったが
娘の命を助けて・・と
  神に祈り
  仏にすがった
あの苦しみはいまだ忘れることは出来ない。

「お母さんごめんね
なんでこんな結婚したんかなぁ・・。
自殺する程勇気はないし・・
そうだ  食べなければ死ねるね。  」 と
いっぱいおっぱいを飲んで
丸々と育っていくHAYATOに愛情を注ぎながら
結婚生活がしっくりいかなくなった娘の心は壊れ始めた。


高校生のころにダイエットをし激ヤセしていた娘が
再び拒食に陥るのは容易いことだった。
頑固な娘が
一直線に摂食障害へとのめり込んでいったのは
HAYATOが1~4歳のころだった。

摂食障害という心の病気は
当初は内科の治療は必要とされず
おろおろと時間が過ぎて行き
内臓を蝕み始めたころには 
すでに心療内科の受け入れも不可能となっていた。

無能な私は
思うように扱えない大人の娘を抱え路頭に迷っていた。
そんな折り看護師の知人から
小さな町の小さな病院を紹介された。
院長である徳田先生との出会いによって
娘の命は救われたといっても過言ではなかった。

何度も
何度も
落としてしまいそうな命を
徳田先生は懸命につないでくれたのであった。

「食べれば治る。 薬など必要ない。」
なのに 食べない!
娘の心に振りかける薬はなかった。
鍵のかかった娘の心を
誰も開くことは出来なかった。

徳田先生の熱意と沢山の方の祈りと励ましは
   神さまに届き
仏さまの説得は
   神様に聞き入れられ
娘の灯は消えることがなかったんだ。
・・・と私は今でも心底そう思える。
みいの定命の尽きるのはこの時点ではなかった。

       摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり  

娘を亡くしてしまうかもしれないという恐怖の中で
おびえていた私の精神は
沖縄からそっと電波にのって
メールという扉をノックし
私に寄り添って励まし続けてくださった方に支えられた。
摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり

血小板測定値 0
度重なる輸血で命をつなぎ・・・

低血糖による意識不明
適切な医師の判断で一命をとりとめ・・・


左尿管結石の術後の意識障害のあとに待ち受けていた
記憶喪失という症状は
みいの苦しみの折り返し地点となったのである。

手術後
声を失い 言葉が出なくなり
記憶を無くしたみいは高次脳機能障害と診断された。
情緒も安定せず
私に激しい怒りをぶつけてきた。
一か月ほどの入院の後
手術を引き受けてくださった泌尿器科の医師から
命の危機を脱したみいを 
精神病院へ転院することを進められた。
見えない未来への大きな不安を抱えたまま
みんなの反対を押しのけて
平静を装ったふりをして私はみいを家に連れて帰った。

私は
健康で明るく人気者で育ってきた生い立ちが
彼女の土台にあることを信じ
みいが復帰できると確信が持てた。


新たな家族をつくった私たちは
明日が見えないままに静かに暮らした。
  新緑は優しく
    風は心地良く
      空は深く私たちを包み込み
月日は流れた。

摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり

私は精神的にも肉体的にも不安定なみいに
家計の財布を渡し
家庭の中でのみいの居場所を与えた。
そして
登園時 登校時以外はHAYATOを連れて
明けても暮れてもあくせくと働いた。
心が育つ年齢のHAYATOを私は片時も離さなかった。


  摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり 


定年を迎えた主人は
再び嘱託として仕事を継続させ
休日は私の職場でボランティアを務めてくれた。

HAYATOは
登校日以外は私の職場ですくすくと育っていった。
私は常にHAYATOのそばにいながら仕事に没頭した。

相変わらず食の細いみいはベジタリアンで
野菜以外はチューイングという行為が止まなかった。
ケーキ  アイスクリーム  お菓子 と嗜好品ばかりを
好んで食べていた。

私は
彼女の摂食障害を克服させることは出来なかったが
もはや
みいが命を落とすことは決してないと確信が持てたので
敢えて食生活に口を挟まなかった。
ストレスのないみいは
4人家族の主婦としてきちんと家事を熟すようになった。
規則正しい生活の中で
みいは牛歩の如く回復していった。

私たちは
HAYATOが小学2年生を迎えた年に
思い切って
主人との共通の趣味である旅行を計画した。
みいの闘病生活で遠のいていた海外への旅を
実行に移した。

見知らぬ国を旅することは
苦しみを乗り越えた我が家に大きな楽しみを与え
共通の思い出は何物にも代えられない
大切な宝物となった。

小学2年生
小学3年生
私たち夫婦は懸命に働き旅に出かけた。

HAYATOは今小学4年生となった。
みいが原因となって
HAYATOの身に新たな問題がおこり始めた。

小学3年の冬のことである。
晩ごはんを食べながらHAYATOが言った。
  「 ばあば  HAYATOん家は びんぼう? 」
私たちは顔を見合わせた。
  「 おとうさんも ばあばも 
    一生懸命真面目に働いているので
    大金持ちではないけど 貧乏はしていないはずよ。」
    どうして?   HAYATO? 」

HAYATOは箸を置くことも無く答えた。
 「 HAYATOくんのお母さんは
   髪が長くて一つに結んでいて 痩せているから
   HAYATOくん家はびんぼう?・・・て
   クラスの女の子が言ったよ。」

 「 HAYATOはなんて答えたの? 」
私は完全に箸が止まってしまった。

 「 オレ何にも言えなかったが
   先生が 
     HAYATOくんのお母さんは
     HAYATOくんの為に節約してくれているのよ。って
  言ってくれたよ。」

 「 そうね。 みいは心の病気だもんね。
   みいの髪は細くてつやつやしてきれいだけど
   みいはおしゃれしないからねぇ。
   HAYATOん家は 貧乏じゃないと思うよ。」

 「 うん 」

私はHAYATOの担任の気配りがありがたかった。


その後
みいは自分の意志で
何年かぶりに自ら美容室へと出かけていき
長く伸ばしてゴムでギュと結んでいた髪を
セミショートにカットしてきた。

小学4年生になったHAYATOは
時々この話題を面白おかしく口にした。
 「 ばあば 良いニュースと 悪いニュースがあります。
   悪いニュースから言います。
コレ!
 「 今日も又 クラスの女の子から言われました。
   HAYATOくんのお母さんて変ね。  って。」
 「 HAYATOはなんて言い返したの? 」
 「 みいは 病気だからやせているんだよって。」
 「 そうよ。 
   HAYATO 人は何とでも言ううからね。
   人の口は止められないことをよ~~く覚えておきなさいね。
   でもね。
   他の人になんてからかわれようが 
   みいは誰にも迷惑をかけていないよ。
   みいは悪いことなんて何一つしていないよ。

   みいは心の病気にかかっているだけだからね。

   HAYATO 気にしたら駄目よね。」

それからも
時々みいのことで からかわれているようであった。
その都度
HAYATOは家に帰ってから口にした。
それはユーモアを加えておもしろおかしく話した。
私は 同じ言葉を繰り返しHAYATOに伝えた。

HAYATOの小さな心は痛んでいるはずである。
だが
この出来事によって
HAYATOの心が強く成長するはず! と。
何事にも負けない強い心が養われようとしているはず! と
私は確信できた。

HAYATOはみいにやさしく あたたかく言うようになった。
「 みい ごはん 食べてよ。
  みい もう少し太ってよ。 」

妹にでも諭すようにやさしく言うようになった。

HAYATOの小学4年生の夏が終わり
秋がやってきた。

摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり


摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり

私は拭き掃除をするみいのお尻を見て 
密かに口元が緩んだ。
骨が飛び出して痛々しそうに見えたみいのお尻が
ふっくらとしてきたのである。
ふくらはぎが丸くなってきたのである。

敢えてみいの食生活は口出しせずに知らん顔している。

まあるくなっていくお尻を見ては
少しづつ 少しづつ
苦しかったみいの拒食との戦いが
遠のいていっているように思えた。

あんなに泣いて 苦しんで 取り乱していた
ちっぽけな心しか持たなかった私に
強靭な精神が備わった。
私は強くなれた。

生きて行くことのみっともなさを
私は丸ごと受け入れることが出来るようになった。
スマートに生きていけないことの当たり前を
すんなりと受け入れることが出来るようになった。

私に出来ることは笑顔でみいに接することしかない。
私がしなければいけないことは
他愛もない話題でみいに接して行き
みいの笑顔を存分に引き出すことである。
みいのユーモアが溢れると
家の中に爽やかな風が吹きぬけるのである。

長い  長い  時間をかけて今
摂食障害に病んでいる36歳の娘に
HAYATOという名医が現れたように思えた。

HAYATOは優しく言う。
「 みい 綺麗になってよ。」 と。

雲の上から
一筋の明るい光が射してきたような気がした。

静かに過ぎ去っていった日時は妙薬となり
再びHAYATOという名医がみいの前に現れた。


摂食障害(拒食症)の娘と共に  ひかり




Posted by パールじゅんこ at 23:47│Comments(4)
この記事へのコメント
ご無沙汰しております(o^^o)私はこのブログと出会った事が、雨は必ず止む!と、私自身が摂食障害の恐怖を脱ぎされた瞬間だと思います。。あの時は娘が心肺停止直後でした。みいさんにお母さんが車の運転をさせ、自分の子供の送迎を、、、すごい母と娘と思いました(^^;;ここまで娘を信じるじゅんこさんがとてもカッコよく、私の光にもなりました。HAYATOくん大きくなりましたね。。家族みんなが繋がって、与え合って成長されていく、人間が生きるとは、これだって感じです。。。我が娘は、3回目のICUから入院で、いまも病棟ですが、本人も私も、未来へは繋がっていると思っています。娘がまた退院して、どんな日々を送るかが、今は待ち遠しい気持ちでいっぱいです。。みいさんのふっくらとしてきた様子は、今までの全てを労ってくれますね。。。ここにつづってくれてありがとうございます✨
Posted by こりの at 2016年10月06日 11:28
こりのさん 
いつの間にか
陽射しが・・ 風が・・・ 
とても心地良くなりましたね。
私は夏の陽ざしの下で日焼けして
真っ黒になって働いてきました。
お化粧したいな・・・と思っても
ファンデーションが浮いてしまいます。
幾つになっても綺麗にしていたいんですが
とても残念です。
こりのさん
同じ悩みを持ったことで知り合えましたね。
神さまが引き合わせてくれたご縁なんですね。
又お月様の綺麗な夜がやってきましたね。
街並みの上のお月様見えていますか?
こりのさん 山あり谷ありの人生
一生懸命生きて行きましょうね。
楽しいことや 心満たされることがいっぱいあると信じて。
頑張ってきた人にはきっと ご褒美があると思います。
Posted by パールじゅんこパールじゅんこ at 2016年10月06日 20:33
うちはみいさんとは逆の過食嘔吐四年目です。検査の範囲を超える重度の躁鬱と摂食障害と言われたそうです。医師の話をでは、摂食障害はいちばん最後まで残る、と。

血液疾患もあり食べないと血球が増えず、落ち着くまでは食べさせることに決めて四年半。ただの大食いの日も過食の日もありますが、「死にたい」と口にすることがなくなりました。血液疾患の時に「変わってやりたい」と涙した私の父が夏に亡くなりました。元気な父が弱っていく姿をみて「死ぬこと」を考えたようで、みいさんと同じく命の危機は遠のきました。

近くで変わらない姿勢で応援していくことは、親にしかできないのかもしれません。それがいちばんの薬だと思います。
同じような思いを同じ頃にしていたじゅんこさんのブログは、私の気持ちを軽くしてくれた気がします。
Posted by 小町 at 2016年10月19日 10:18
小町さん
お元気ですか?
貴女とまっすぐな気持ちのやり取りをしていたころのブログを
再び読み直してみました。
私は小町さんを始め沢山の方から優しい言葉を頂き
力強い励ましを頂き
摂食障害の娘を持ち苦しんでいた私は
ぼろぼろになりながらも乗り越えてきました。

小町さんからのコメント 非常に心があたたまりました。

娘さんから「命の危機」が遠のいたこと
とても嬉しく思います。
「娘の命の危機」これ以上の苦しみはありませんから。
お父さんとの永遠の別れはつらかったですね。
まだお父さんを思っては心に悲しみが充満していることでしょう。
親との別れ程 切ないものは無いように思います。

娘さんは
小町さんは
小旅行を楽しんでいますか?

人生が
まだまだ長く続くようでしたら「芭蕉の奥の細道」を
歩いてみたいと思います。

私はまだまだいろんなことに好奇心があり興味があります。
娘の悩み以外にもいろんな楽しみを交換したいですね。

秋が深まります。
  体調を崩さないようにお過ごしください。
Posted by パールじゅんこパールじゅんこ at 2016年10月20日 20:39
 
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パールじゅんこ
パールじゅんこ
えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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