
2017年01月21日
パートⅠ 福岡発~シンガポール経由~オーストラリアパース着
パース6日間
(クラウンメトロポールパースホテル/ラグジュアリールーム)
== HIS ==





出発初日 平成29年1月6日
午前7時
福岡空港国際線 出発ターミナル3Fに到着した。
車内を片付け
忘れ物がないかチエックをし
すぐに自家用車から降りられるよう準備をし
予約をしていた「国際パーキング」に電話を入れた。


数分で 車を引き取りに来てくれたので
4,800円を前金で渡し車を離れた。
一年前から目的地に設定していたオーストラリアに
旅立つ時がやってきた。
余裕をもって空港にやってきていたので
私たちがトップでチェックイン手続きをした。
シンガポール航空 チェックインカウンターの前で
荷物を渡し
Eチケットとパスポートを差し出した私たちに
係員がにこやかな笑顔で言った。
「 ビザを お持ちですか? 」
「 え? 」
「 旅行会社から 小さなカードをいただいていませんか?」


私は驚いた。
10数年前の旅行の苦い経験がさっと頭に浮かんだ。
タイからカンボジアに入国したときにも
ビザによるトラブルを経験したことがあった。
「 しまった!」 「大きな勘違いをしていた!」と
頭が真っ白になった。
「 ビザがなければ 飛行機のチケットが発券できません。」
と 気の毒そうに綺麗な係員が困った顔で言った。
私は引き下がるわけにはいかなかった。
「 どうすればいいでしょうか?」
「 4Fにインターネットコーナーがあります。
そこで 観光ビザETASを 所得してください。」
時間が限られている!
ぐずぐずしているわけにはいかない。
慌ててエスカレーターを登り
100円玉を投入して
「オーストラリアETAS公式ホームページ」を開いた。
素人の私には5人分のETASの手続きをするのは
時間が足りそうになかった。
手助けを求めると
とても利発そうな女性係員がインターーネットコーナーへと
やってきて来てくれた。
無事5人分のETASを時間ぎりぎりに所得し
荷物を預けチェックインをしたのは
締め切りの10分前だった。
大きく胸をなで下ろし
私たちは出国審査を受け搭乗口へと向かった。
思いがけなかったトラブルに
私たちは朝食を食べる事が出来ていなかった。
私の小さな思い違いが招いた大きな失敗だった。
もうこれ以上のミスはないだろうと
指定の窓際の席に座って
動きだした飛行機の窓から外を眺め安堵した。
私の行動には
家族と家族同然のボスの5人の運命がかかっている!
オーバーだが
けっしてオーバーとは言い切れない事実が目の前にあった。
本当に安堵した。
シンガポール出入国カードや
オーストラリア出入国カードは
きちんと完全なカンニングペーパーを作成していたにも関わらず
私は 短期間の観光にビザはいらない・・と
勝手に思い込んでしまっていた。
勝手に・・・・。
家族もボスも
誰一人として私を責める者はいなかった。
私たちは何もなかったかのように
縦3列に 窓際の席に座り
満足して飛び立っていく外の景色を眺めた。

福岡空港を飛び立ったシンガポール航空は
長崎県雲仙・普賢岳の上空を
グングンと上昇していった。

楽しみにしていた南半球への旅が始まった。
何事も なかったかのように・・。


シンガポール航空 フライト6時間


( 時差 -1時間 )
飛び立って1時間ほどすると機内食が配られてきた。
ドタバタ騒動で朝ごはんを食べていなかったので
特別 美味しかった。
6時間のフライトで シンガポールに到着
第1~第3まであるターミナルのどこに到着するのか
解らないので
内心 ハラハラしていた。
チャンギ空港 第1ターミナル 到着したことが解った。
なんとなく 解った。
シンガポールからパースへのチケットの
ターミナルNo.を慎重にチエックし
第1ターミナルから
モノレールで
第3ターミナルへと移動した。
頭上の掲示板を見ながら
乗り継ぎ時間が3時間あるので
ゆっくりと移動する。
チャンギ空港内で 少し買い物をしたかったので
両替をすることにした。
帰りに シンガポールに入国して観光する予定なので
一万円を両替することにして
HAYATO一人で チャレンジさせた。
「 チェンジマネー プリーズ シンガポールドル! 」
HAYATOは一人で 両替ができるようになった。
3時間後に パースへと出発する。
食事は機内食が出るため
HAYATOはおやつを少し買った。
シンガポール 発 18:40
パース 着 23:55
荷物を受け取り 到着ロビーを出ると
現地係員の日本語ガイドさんが
プラカードをもってにこやかに迎えてくれた。
日本を出発して
一番 ほっと 肩の力が抜ける瞬間である。
深夜のパースは閑散としていた。
クラウンメトロポールパース ホテルはパースで一番大きなホテルで
カジノと併設していた。
深夜1:00前の カジノも さすがに閑散としていた。
カジノの入口の前を
ガラガラとスーツケースを押して
ホテルのロビーに入った。
日本語ガイドさんはテキパキとチエックインを手伝い
私たちを部屋まで案内してくれた。
翌日のスケジュールを簡単に説明し帰っていった。
ロットネス島へのツアー集合時間までの数時間
ぐっすりと眠りに着いた。
こんなに遠くまで 頑張ってよくやってきたね。
私はHAYATOを褒めた。
肝を抜かれたETAS事件は
もう誰も問題にしなかった。
私たちは オーストラリアの綺麗な小さな町で
深い眠りに着いた。
楽しく過ごす3日間を夢見ながら・・・。
オーストラリア(パース) & シンガポール旅行
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