
2017年02月06日
盲腸がん手術前 仕事に明け暮れる日々
なんだか 呑気に
がむしゃらに働いている私。
2月4日(土曜日)の事
午前3時30分起床
午前4時 鹿町町会社出発
↓ 佐々~西九州自動車道佐世保~武雄南~
長崎自動車道嬉野~諫早(長崎)
↓ 国道57号線諫早~
国道251号線~口ノ津港着
午前6時40分 口ノ津港着
午前7時15分 口ノ津フェリー乗船
↓

午前7時45分 熊本県天草 鬼池港下船
午前7時50分 鬼池出発
↓
午前9時 深海町(天草最南端)着

午前10時 深海港 出発
↓
午前11時20分 鬼池港着
午前11時45分 口ノ津フェリー乗船
↓

午後12時15分 口ノ津港着
↓
口ノ津~諫早~高速~佐世保~佐々~鹿町町(会社)
↓
午後 鹿町町会社 到着
~~~
~~~ 
私はあくせくと今までと何ら変わりなく働いている。
天候が穏やかで船を廻航できる条件の日を
社長は待っていた。
2月4日 土曜日
条件にぴったりの穏やかな天気予報が出た。
前日 私は廻航に必要な備品を念入りにチエックし
車に乗せ込んだ。
熊本県天草市深海町の造船所から購入した
フグの養殖に使う中古作業船を廻航するために
社長 MASAYAN HAYATOを
天草市最南端の深海町まで送ることになった。
早朝からハンドルを握るのは 主人
いつも 私が勤める会社の
ボランテイア要員として引っ張り出される主人は
変化のある行動にまんざらでもない。
午前9時50分
天草 深海港で
社長 MASAYAN HAYATOを見送った。
どんよりとした空模様だが
暖かくて風のない 波が穏やかな日である。

社長とMASAYANは
すでに船の廻航は
九州を一周しているベテランコンビである。
これまで数回 廻航する船を見送り
慌てて会社に戻り廻航してきた船を迎えてきた
幼かったHAYATOにとって
今回は 冒険の胸躍る船出である。
様々な体験をしながら育つHAYATO(小4)を
信頼のおける社長とMASAYANに託し
手を振った。
廻航する船はスピードをあげずに港を出ていった。
なんの問題もなく帰りますようにと
祈りながら見送った後
私は主人と共に朝やってきた道のりを逆走した。
片道6時間
フェリーや高速を使った陸路で
佐世保の最西端の町にある会社に戻った。

社長 MASAYANN HAYATOは
ドライブ船を廻航した。
深海町から長崎野母崎沖を通り
長崎軍艦島の沖 ~ 池島沖 ~ 大島沖~
佐世保沖~鹿町町
私たちは絶えず連絡を取り合って進んだ。
おにぎり パン 飲み物 みかん お菓子を食べながら進む
HAYATO達に悪いな・・と思いながら
小浜温泉で車を停め30分の昼食時間を取った。
16~18ノットで直進してきた船と
時速60km~高速時速100~120kmで進んだ車と
絶えず連絡を取りながら 帰路を急いだ。

会社に到着する数十メートル手前の道路から見える海上に
江迎湾に入ってくる大きな白い船体が
波をきって進んでくるのが見えた。

ほゞ同時に到着したのだった。
急いで事務所を開け 湯沸しポットの電源を入れ
船を迎えに桟橋へと出た。
すこ~~し疲れ気味のHAYATOと
疲れ切った社長と
働き盛りの元気なMASAYANの乗ってきた船は
静かに桟橋に着いた。
大きな仕事を無事やり遂げた達成感が
ふつふつと胸に沸き上がった。
「 遠かったね。
シンガポールに行けるほどの時間がかかったね。」
私はHAYATOの頭を撫でた。
私は心の底から思った。
HAYATOを可愛がって
様々な体験をさせてくれる社長に感謝をした。
幼いHAYATOを邪魔にすることなく
接してくれるMASAYANに感謝した。
どんな仕事にも時間の取れる限りサポートしてくれる
主人の陰の力がありがたかった。
私は
自分の身体の中で
病巣が日増しに大きくなっているなどと思う暇もない程
多忙な毎日に明け暮れている。
数々の失敗を重ねながら
20数年積み重ねてきた仕事を熟して行くことが
私は面白くて仕方がない。
2月9日(木)
入院日及び 盲腸がんの手術の日が決定する。

がむしゃらに働いている私。


午前3時30分起床
午前4時 鹿町町会社出発
↓ 佐々~西九州自動車道佐世保~武雄南~
長崎自動車道嬉野~諫早(長崎)
↓ 国道57号線諫早~
国道251号線~口ノ津港着
午前6時40分 口ノ津港着
午前7時15分 口ノ津フェリー乗船
↓


午前7時45分 熊本県天草 鬼池港下船
午前7時50分 鬼池出発
↓
午前9時 深海町(天草最南端)着

午前10時 深海港 出発
↓
午前11時20分 鬼池港着
午前11時45分 口ノ津フェリー乗船
↓


午後12時15分 口ノ津港着
↓
口ノ津~諫早~高速~佐世保~佐々~鹿町町(会社)
↓
午後 鹿町町会社 到着



私はあくせくと今までと何ら変わりなく働いている。
天候が穏やかで船を廻航できる条件の日を
社長は待っていた。
2月4日 土曜日
条件にぴったりの穏やかな天気予報が出た。
前日 私は廻航に必要な備品を念入りにチエックし
車に乗せ込んだ。
熊本県天草市深海町の造船所から購入した
フグの養殖に使う中古作業船を廻航するために
社長 MASAYAN HAYATOを
天草市最南端の深海町まで送ることになった。
早朝からハンドルを握るのは 主人

いつも 私が勤める会社の
ボランテイア要員として引っ張り出される主人は
変化のある行動にまんざらでもない。
午前9時50分
天草 深海港で
社長 MASAYAN HAYATOを見送った。
どんよりとした空模様だが
暖かくて風のない 波が穏やかな日である。

社長とMASAYANは
すでに船の廻航は
九州を一周しているベテランコンビである。
これまで数回 廻航する船を見送り
慌てて会社に戻り廻航してきた船を迎えてきた
幼かったHAYATOにとって
今回は 冒険の胸躍る船出である。
様々な体験をしながら育つHAYATO(小4)を
信頼のおける社長とMASAYANに託し
手を振った。
廻航する船はスピードをあげずに港を出ていった。
なんの問題もなく帰りますようにと
祈りながら見送った後
私は主人と共に朝やってきた道のりを逆走した。
片道6時間
フェリーや高速を使った陸路で
佐世保の最西端の町にある会社に戻った。

社長 MASAYANN HAYATOは
ドライブ船を廻航した。
深海町から長崎野母崎沖を通り
長崎軍艦島の沖 ~ 池島沖 ~ 大島沖~
佐世保沖~鹿町町
私たちは絶えず連絡を取り合って進んだ。
おにぎり パン 飲み物 みかん お菓子を食べながら進む
HAYATO達に悪いな・・と思いながら
小浜温泉で車を停め30分の昼食時間を取った。
16~18ノットで直進してきた船と
時速60km~高速時速100~120kmで進んだ車と
絶えず連絡を取りながら 帰路を急いだ。

会社に到着する数十メートル手前の道路から見える海上に
江迎湾に入ってくる大きな白い船体が
波をきって進んでくるのが見えた。

ほゞ同時に到着したのだった。
急いで事務所を開け 湯沸しポットの電源を入れ
船を迎えに桟橋へと出た。
すこ~~し疲れ気味のHAYATOと
疲れ切った社長と
働き盛りの元気なMASAYANの乗ってきた船は
静かに桟橋に着いた。
大きな仕事を無事やり遂げた達成感が
ふつふつと胸に沸き上がった。
「 遠かったね。
シンガポールに行けるほどの時間がかかったね。」
私はHAYATOの頭を撫でた。
私は心の底から思った。
HAYATOを可愛がって
様々な体験をさせてくれる社長に感謝をした。
幼いHAYATOを邪魔にすることなく
接してくれるMASAYANに感謝した。
どんな仕事にも時間の取れる限りサポートしてくれる
主人の陰の力がありがたかった。
私は
自分の身体の中で
病巣が日増しに大きくなっているなどと思う暇もない程
多忙な毎日に明け暮れている。
数々の失敗を重ねながら
20数年積み重ねてきた仕事を熟して行くことが
私は面白くて仕方がない。
2月9日(木)
入院日及び 盲腸がんの手術の日が決定する。

Posted by パールじゅんこ at 20:23│Comments(0)