
2017年03月05日
盲腸がん(大腸がん) 人間ドックから入院まで
私は20数年 職場で日帰り人間ドッグを受けている。
健康診断日には2日分の検便を持参する。
検査内容は
胸部レントゲン
胃カメラ
血液検査
心電図検査
子宮がん検査
乳がん検査
身長 体重 視力 聴力 検査
後日 検査結果が届くのである。
昨年平成28年12月7日 人間ドック
約10日後 会社に結果が届いた。
「便潜血が見られます。 精密検査を受けてください。」
心臓は完全右脚ブロック(数年前からの診断である。)
ちょっぴりだけ痩せなければならない。
心臓に関しては生きて行く上での治療は必要なかった。
ちょっぴり太目は全く気にかけていない
~~~~~ ~~~~~ ~~~~~
1月16日(月)
内科での診察を受けた。
大腸がんの疑いの為大腸内視鏡検査を進められた。
三日後を検査日として
病院の売店で検査食を買って帰った。
1月17日(火)(大腸内視鏡検査の前日)
食事は検査食だけに限られた。

検査前日 午後9時
錠剤と液体の下剤を飲む(約8時間ほどで作用)

1月18日(水)
午前8時30分
朝食抜きで病院へ行き大腸内視鏡検査を受けた。
洗腸剤(下剤)2リットルを
1時間で1リットルを飲み干す。
コップ一杯の水を飲む。

内視鏡室では年配の男性と私と年配の女性の3人が
洗浄剤を飲み始めた。
それぞれ黙々と飲み進めていたが不快感が強まった。
年配の女性に話しかけ気を紛らわせることにしてみた。
目の前の男性も話に加わり
病気のことや 世間話や 身の上話に花を咲かせた。
すると不思議と楽に飲む事ができた。
おおよそ1リットル飲みほしたころ
トイレに頻繁に通い始め
便が出てしまい粒々がなくなりレモン色の水のようになった。
透明にならなければ更にモビプレップを飲む。
腸の中が洗い流され 検査が受けられるようになったのは
お昼近くだった。
午後1時 検査の順番が回ってきた。
初めての検査だった。
痛い思いをしなくて済むように
思いっきり全身の力を抜いた。

検査を受けながら
カメラの映像を見ることが出来た。
カメラが大腸の一番奥に差し込まれた。
すると
突然 小さな原子爆弾のようなふくらみが映し出された。
「 ここは盲腸です。
この横の穴が小腸につながっています。」と
内科医の説明があった。
もうすでに当日の内視鏡での切除は不可能な大きさだった。
組織はつまみ取られ検査に出された。
「 盲腸がんの疑い」ということで
手術によって摘出しなければいけない旨告げられた。
引き続き
手術を受けることを前提に
少しばかり検査を終わらせることになった。
午後2時~3時 検査
● 採血による血液科学検査
● 肺気量分画測定
● 心電図検査
1月23日(月) 検査
● 超音波検査
心臓超音波検査
経胸壁心エコー法
● CT撮影 ~腹部
● コンピューター断層診断
盲腸がんが周囲の臓器に転移していないかが
調べられた。
1月30日(月) 外来診察(内科)
前回までの検査結果が出たため
内科診察で内科医の説明を受けた。
【病理診断報告書】
粘膜では核の腫大と極性の乱れを伴う異型細胞が
管状ないし篩状構造を示しつつ増殖している。
管状線がん( tub1>tub2)に相当する。
最終的な分化度はは手術検体にてご確認
2月9日(木) 外来診察(外科)
手術が決定したので内科医から外科医へと紹介され
同病院の外科を受診した。
仕事に差し支えないように
2月10日の支払い日を終えて
3月10日の支払日に働けるように
手術日を2月15日(水)に決定した。
2月12日(日) 入院日
私はずーずーしく看護師さんにお願いをした。
「 窓際のベットが空いているならお願いします。」と。
希望が受け入れられて
窓際のベットを準備してもらえた。
約2週間過ごすベットからの眺めは爽快だった。
「 いたいよ~~~~。 ばあば 」 と
車の窓を全開にして
あっかんべ~~~をしたHAYATOと
主人が共に帰っていったのは
昼食が配られてくる少し前だった。
順調に回復しできれば
術後10日~2週間で退院できる予定である。
2月の支払日を終わらせ
3月の支払日までには退院する予定で
入院~手術日を決めたのだった。
クリーム色のカーテンで仕切られた4人部屋は
静まり返っていた。
それぞれが
ぴったりとカーテンを閉め
独自の空間の中で静かに療養していた。
書類の整理と 請求書を作成したため
入院日の前日である昨夜から今朝にかけて
徹夜で残業した私は睡眠不足だった。
明日の検査に向けて
食事の制限がかかっていた。
水分ばかりの昼食を飲み(固形物は一切なかった。)
静かな病室で私はこんこんと眠った。
再び重湯の夕食を済ませ翌朝までこんこんと眠った。

健康診断日には2日分の検便を持参する。
検査内容は
胸部レントゲン
胃カメラ
血液検査
心電図検査
子宮がん検査
乳がん検査
身長 体重 視力 聴力 検査
後日 検査結果が届くのである。
昨年平成28年12月7日 人間ドック
約10日後 会社に結果が届いた。



心臓に関しては生きて行く上での治療は必要なかった。
ちょっぴり太目は全く気にかけていない

~~~~~ ~~~~~ ~~~~~
1月16日(月)
内科での診察を受けた。
大腸がんの疑いの為大腸内視鏡検査を進められた。
三日後を検査日として
病院の売店で検査食を買って帰った。
1月17日(火)(大腸内視鏡検査の前日)
食事は検査食だけに限られた。

検査前日 午後9時
錠剤と液体の下剤を飲む(約8時間ほどで作用)

1月18日(水)
午前8時30分
朝食抜きで病院へ行き大腸内視鏡検査を受けた。
洗腸剤(下剤)2リットルを
1時間で1リットルを飲み干す。
コップ一杯の水を飲む。

内視鏡室では年配の男性と私と年配の女性の3人が
洗浄剤を飲み始めた。
それぞれ黙々と飲み進めていたが不快感が強まった。
年配の女性に話しかけ気を紛らわせることにしてみた。
目の前の男性も話に加わり
病気のことや 世間話や 身の上話に花を咲かせた。
すると不思議と楽に飲む事ができた。
おおよそ1リットル飲みほしたころ
トイレに頻繁に通い始め
便が出てしまい粒々がなくなりレモン色の水のようになった。
透明にならなければ更にモビプレップを飲む。
腸の中が洗い流され 検査が受けられるようになったのは
お昼近くだった。
午後1時 検査の順番が回ってきた。
初めての検査だった。
痛い思いをしなくて済むように
思いっきり全身の力を抜いた。

検査を受けながら
カメラの映像を見ることが出来た。
カメラが大腸の一番奥に差し込まれた。
すると
突然 小さな原子爆弾のようなふくらみが映し出された。
「 ここは盲腸です。
この横の穴が小腸につながっています。」と
内科医の説明があった。
もうすでに当日の内視鏡での切除は不可能な大きさだった。
組織はつまみ取られ検査に出された。
「 盲腸がんの疑い」ということで
手術によって摘出しなければいけない旨告げられた。
引き続き
手術を受けることを前提に
少しばかり検査を終わらせることになった。
午後2時~3時 検査
● 採血による血液科学検査
● 肺気量分画測定
● 心電図検査
1月23日(月) 検査
● 超音波検査
心臓超音波検査
経胸壁心エコー法
● CT撮影 ~腹部
● コンピューター断層診断
盲腸がんが周囲の臓器に転移していないかが
調べられた。
1月30日(月) 外来診察(内科)
前回までの検査結果が出たため
内科診察で内科医の説明を受けた。
【病理診断報告書】
粘膜では核の腫大と極性の乱れを伴う異型細胞が
管状ないし篩状構造を示しつつ増殖している。
管状線がん( tub1>tub2)に相当する。
最終的な分化度はは手術検体にてご確認
2月9日(木) 外来診察(外科)
手術が決定したので内科医から外科医へと紹介され
同病院の外科を受診した。
仕事に差し支えないように
2月10日の支払い日を終えて
3月10日の支払日に働けるように
手術日を2月15日(水)に決定した。
2月12日(日) 入院日
私はずーずーしく看護師さんにお願いをした。
「 窓際のベットが空いているならお願いします。」と。
希望が受け入れられて
窓際のベットを準備してもらえた。
約2週間過ごすベットからの眺めは爽快だった。

「 いたいよ~~~~。 ばあば 」 と
車の窓を全開にして
あっかんべ~~~をしたHAYATOと
主人が共に帰っていったのは
昼食が配られてくる少し前だった。
順調に回復しできれば
術後10日~2週間で退院できる予定である。
2月の支払日を終わらせ
3月の支払日までには退院する予定で
入院~手術日を決めたのだった。
クリーム色のカーテンで仕切られた4人部屋は
静まり返っていた。
それぞれが
ぴったりとカーテンを閉め
独自の空間の中で静かに療養していた。
書類の整理と 請求書を作成したため
入院日の前日である昨夜から今朝にかけて
徹夜で残業した私は睡眠不足だった。
明日の検査に向けて
食事の制限がかかっていた。
水分ばかりの昼食を飲み(固形物は一切なかった。)
静かな病室で私はこんこんと眠った。
再び重湯の夕食を済ませ翌朝までこんこんと眠った。
可憐に咲きほこり始めた梅を知らなければ
春にはまだまだだと思える冬の日のことである。

Posted by パールじゅんこ at 17:28│Comments(0)