
2017年04月21日
太刀洗平和祈念館
戦争のない平和な時代に生まれ
何不自由もない人生を送ってこれたことが
どんなに幸せかということを
しみじみと受け止める事が出来るこの頃である。
ぽっかりと時間が取れた日曜日の午後。
福岡県朝倉郡筑前町にある「太刀洗(たちあらい)平和祈念館」に
ドライブがてら出かけた。

ライト兄弟が飛行機の初飛行に成功した1903年(明治36年)から
わずか16年後1919年(大正8年)に
太刀洗飛行場が完成された。
日本の航空技術もこのころ大きく発展し
世界最高レベルの飛行機を
生み出せるようになっていた・・・とか。
「 太刀洗平和祈念館」が建つこの場所には
旧陸軍が東洋一を誇った太刀洗飛行場があり
その周辺は一大軍都が存在していたのである。
第二次世界大戦の特攻隊の中継基地として
若い特攻隊員たちが出撃していった場所でもあった。
1919年 日本陸軍が誇る西日本最大の航空基地が誕生し、
1945年(昭和20年)3月27日・31日激しい空襲を受け
飛行場は26年でその姿を消したのである。
平和記念館には
出撃していった特攻隊員や当時の写真
様々な飛行機の模型
福岡でつくられた当時最新型の戦闘機「震電」の模型
特攻隊員が家族に残した手紙や遺書などが展示されていた。
「語りの部屋」では16分間の映画も上映されていた。
「 ゼロ戦 」 ⇒ 「零式艦上戦闘機三十二型」
※ 世界で唯一の現存機


九七式戦闘機 ※ 世界で唯一の現存機
若い特攻隊員たちの写真を見るのは
心が痛んだ。
生まれてきた時代を・・
生かされている境遇を・・
自ずと選べない私たちだけど
誰もがその時その時を夢中で
精一杯生きているはずである。
その生き方が間違っているか
その努力が無駄なものなのか
その時は解らないが
瞬間 瞬間をただまっすぐに懸命に
精一杯生きているはずである。
戦争という時代に生まれた青少年の一途さを思うと
心が痛んだ。
大切に育てた息子の死への旅立ちを見送らなければならなかった
家族の心痛を思うと 心がえぐられるような思いがした。

太刀洗平和祈念館でコミックを買った。
読み終えた私の心は重かった。
戦時中の若い少年たちの一途さは
悲しく 切なく 苦しく 無残であった。
私は心が暗く深い淵に沈んでいく思いがした。
このまんがに書かれた物語は実際の物語である。
私は納得がいかなかった。
綺麗でまっすぐな心を持った少年たちを犠牲にして
今の私たちの幸せが成り立っていることに
心が痛かった。
当時の人たちの気持ちに触れたような気がした。
その後 何日も何日も心が重かった。
たくさんの明るい未来を絶たせなくてはならない時代に
生まれた彼らの運命は
余りにも悲しすぎるものであった。
「国を 大切な家族を守る」という一途さで
自ら若い命を絶たせてしまった戦争は
余りにも辛すぎる歴史であるとつくづく思い知らされた。
彼らの生まれた時代が過ぎ私は生まれ
平和な時代を私は生きた。
小さな悩みや 些細な苦しみに心痛めながら
平和な時代の中で生涯を過ごしてきたことの幸せを
つくづくかみしめることができる年代に私は達した。
決して立ち止まることができない時間の流れの中で
生かされている私たちは
その流れの中で
絶えず小さな決断を迫られながら暮らしている。
その瞬間の決断はその後の進む道の
明暗を大きく左右するが
その時は答えを一つに絞ることに精一杯である。
「 二つの道は歩めないので
進んで来た道を良し! とするしかない 」
この言葉は、亡き母の口癖であった。

4月最初の日曜日
長崎・波佐見町の田ノ頭郷の丘に
樹齢100年以上のしだれ桜が咲き誇っていた。

佐世保に近いこの地で咲き誇るこの桜の上を
米軍機B29が飛んでいった時代があった。
どんな時代でも
春が来ると枝いっぱいに花を咲かせてきたこの枝垂れ桜を
人々は愛でてきたはずである。
幸せな時代がいつまでも続いていきますように!
戦争を知らない私だけれど
心の底からそう願った。

何不自由もない人生を送ってこれたことが
どんなに幸せかということを
しみじみと受け止める事が出来るこの頃である。
ぽっかりと時間が取れた日曜日の午後。
福岡県朝倉郡筑前町にある「太刀洗(たちあらい)平和祈念館」に
ドライブがてら出かけた。

ライト兄弟が飛行機の初飛行に成功した1903年(明治36年)から
わずか16年後1919年(大正8年)に
太刀洗飛行場が完成された。
日本の航空技術もこのころ大きく発展し
世界最高レベルの飛行機を
生み出せるようになっていた・・・とか。
「 太刀洗平和祈念館」が建つこの場所には
旧陸軍が東洋一を誇った太刀洗飛行場があり
その周辺は一大軍都が存在していたのである。
第二次世界大戦の特攻隊の中継基地として
若い特攻隊員たちが出撃していった場所でもあった。
1919年 日本陸軍が誇る西日本最大の航空基地が誕生し、
1945年(昭和20年)3月27日・31日激しい空襲を受け
飛行場は26年でその姿を消したのである。
平和記念館には
出撃していった特攻隊員や当時の写真
様々な飛行機の模型
福岡でつくられた当時最新型の戦闘機「震電」の模型
特攻隊員が家族に残した手紙や遺書などが展示されていた。
「語りの部屋」では16分間の映画も上映されていた。
「 ゼロ戦 」 ⇒ 「零式艦上戦闘機三十二型」
※ 世界で唯一の現存機


九七式戦闘機 ※ 世界で唯一の現存機

若い特攻隊員たちの写真を見るのは
心が痛んだ。
生まれてきた時代を・・
生かされている境遇を・・
自ずと選べない私たちだけど
誰もがその時その時を夢中で
精一杯生きているはずである。
その生き方が間違っているか
その努力が無駄なものなのか
その時は解らないが
瞬間 瞬間をただまっすぐに懸命に
精一杯生きているはずである。
戦争という時代に生まれた青少年の一途さを思うと
心が痛んだ。
大切に育てた息子の死への旅立ちを見送らなければならなかった
家族の心痛を思うと 心がえぐられるような思いがした。

太刀洗平和祈念館でコミックを買った。
読み終えた私の心は重かった。
戦時中の若い少年たちの一途さは
悲しく 切なく 苦しく 無残であった。
私は心が暗く深い淵に沈んでいく思いがした。
このまんがに書かれた物語は実際の物語である。
私は納得がいかなかった。
綺麗でまっすぐな心を持った少年たちを犠牲にして
今の私たちの幸せが成り立っていることに
心が痛かった。
当時の人たちの気持ちに触れたような気がした。
その後 何日も何日も心が重かった。
たくさんの明るい未来を絶たせなくてはならない時代に
生まれた彼らの運命は
余りにも悲しすぎるものであった。
「国を 大切な家族を守る」という一途さで
自ら若い命を絶たせてしまった戦争は
余りにも辛すぎる歴史であるとつくづく思い知らされた。
彼らの生まれた時代が過ぎ私は生まれ
平和な時代を私は生きた。
小さな悩みや 些細な苦しみに心痛めながら
平和な時代の中で生涯を過ごしてきたことの幸せを
つくづくかみしめることができる年代に私は達した。
決して立ち止まることができない時間の流れの中で
生かされている私たちは
その流れの中で
絶えず小さな決断を迫られながら暮らしている。
その瞬間の決断はその後の進む道の
明暗を大きく左右するが
その時は答えを一つに絞ることに精一杯である。
「 二つの道は歩めないので
進んで来た道を良し! とするしかない 」
この言葉は、亡き母の口癖であった。






4月最初の日曜日
長崎・波佐見町の田ノ頭郷の丘に
樹齢100年以上のしだれ桜が咲き誇っていた。

佐世保に近いこの地で咲き誇るこの桜の上を
米軍機B29が飛んでいった時代があった。
どんな時代でも
春が来ると枝いっぱいに花を咲かせてきたこの枝垂れ桜を
人々は愛でてきたはずである。
幸せな時代がいつまでも続いていきますように!
戦争を知らない私だけれど
心の底からそう願った。

Posted by パールじゅんこ at 20:30│Comments(0)