てぃーだブログ › 浮雲

2025年01月22日

秋月温泉  二人旅

 福岡県朝倉市秋月 二人旅
 

 料亭旅館 清流庵


一日 6組限定の料亭旅館に
午後6時 到着した。

   落ち着いた和室「もみじ」 


   

 部屋に岩盤温泉が付いていた。



 30分ほど休んで
 夕食に出かけた。
 
      🍻    🥢 





 約2時間
   ゆっくりと創作料理が運ばれてきた。


 🕕  🍻   🍱  🕗


 夕食を終え部屋に戻り
  部屋についている岩盤温泉に入った。


  かけ流しのお湯は
  丁度いい温度で非常に気持ちよかった。

 「 もうちょっと早い時間にきて
  ひと風呂浴びて
  ゆっくりしてから晩ご飯いしたらよかったぁ。

 湯加減が丁度いいので
 何回も入れるぞ。」
  
 と
  主人が満足気に言った。


  🌛   ♨  🌜

1月5日

  ゆっくりと起きてひと風呂浴びて
      朝食に出かけた。

 大広間で
   庭園を見ながら 朝食をすませた。



 とっても豪華な東食に感激 🤩

 

 




 部屋に戻り
   最後に もう一回 お風呂に入った。




 

  午前10時

  秋月の街を出て
  福岡国際空港へと向かった。

   🚙   🚙   🚙 

  福岡国際空港 15時20分到着の飛行機で
  香港から帰ってくるはやとと
  待ち合わせるために
  時間を調整しながら
  筑豊 笹栗を駆け足で観光した。


 筑豊  
  旧伊藤伝右衛門亭   


  🚙   🚙   🚙   🚙    

笹栗
  篠栗四国霊場の総本寺で、
 第1番札所の南蔵院
 



   🚙    🚙   🚙   🚙 


  
  福岡空港国際線 到着口に着き
  はやとの小さなスーツケースとジャンバーをもって
  主人と共にはやとを待った。
  午後3時40分
  はやとは大きなスーツケースをもって
  たくさんの人に交じって
  颯爽と 到着口から出てきた。

  お互いに目くばせで
  人ごみを外れて隅っこに移動し
  私たちの持った小さなスーツケースをはやとに渡した。

  香港から持ち帰った大きなスーツケースを開け
  はやとはてきぱきと
  少しばかりの必需品を取り出し
  小さなスーツケースの中に移し替えた。
  特別な言葉を交わすことはなかった。
  
  私と主人は
  はやとの大きなスーツケースと
  土産の入った小さな袋を受け取った。

  はやとは
  ジャンバーを着て
  小さなスーツケースをもった。

  「 じゃーね。
       気を付けてね。」

  「 うん。 ありがとね。」

  はやとは
  あっさりと背を向けて別れていった。
  

  和歌山で機械(動噴)修理の講習を受けるために
  午後6時発の関西空港行の
  飛行機に乗らなければならなかった。
  出発まで2時間くらいしか余裕がなかった。

  時間短縮のため
  はやとは私たちと別れ
  タクシーを利用して国内線搭乗口へと移動した。

  交わす言葉はいらなかった。

  はやとが一歩一歩成長していくのを
  目のあたりにして
  肩の荷が下りたように思えた。

  
  大きなはやとの背中を見送りながら
  幼いはやとと共に生きてきた年月が
  愛しく思えた。
  私ははやとの成長に
  手を差し伸べることができたんだと・・・
  勤めを果たせたんだと・・・
  確信が持てたように思えた。

  はやとが社会に飛び出す日が
  目の前にやってきた。
    

 私たちも
   二人っきりの道が開けてきた・・

  嬉しいような
     つまらないような・・・

  仲良く やっていかねば・・・ね
   

  一泊二人で  41,000円×2人=82,000円

  これまでに使った宿泊料では
  最高の料金だった。
  すっごい 贅沢に満足して
  令和7年がスタートした。


  


Posted by パールじゅんこ at 22:23Comments(0)ブログ

2025年01月16日

1月4日~5日 ぶらぶらと秋月温泉へ

令和7年が始まった。

1月2日はやとは一人で香港へと旅立った。


 一人で計画を練って
 旅支度を整えたはやとは
 佐世保駅から
 振り返ることもなくさっさと香港へと出かけた。

 私は
 はやとがどんなコースを回るのかも
 どんなホテルに泊まるのかも
 知らなかった。
 が・・・
   何の心配もなかった。

 だが
   はやとと共に
   墓参りをし
   神社に初もうでに出かけ
   一緒に仏壇に手を合わせた。 
  
   はやとが災難に合わないように
   守ってもらいたかった。


  🛫   🌐   🛬  


私は一年中仕事に明け暮れていた自分に
ご褒美を準備していた。

ずーと気になっていた
福岡 秋月温泉の旅館に予約を入れていた。
とっても贅沢なご褒美である。



1月4日
お昼前 気の向くままに家を出発した。
今にも雨が落ちてきそうな
どんよりとした空の下で
カーナビに「秋月温泉 清流庵」を
目的地にセットした。
佐世保から高速で鳥栖JCTを直進し
筑後小郡ICで降りるコースを選んだ。

さて
お昼ご飯をどこで食べるか・・・
運転の好きな主人は
快くハンドルを握っていた。
高速のサービスエリアで食べる?
それではちょっぴり味気ない。
主人がふと 
昔立ち寄ったキリンビールの工場を思い出した。

スマホで
「キリンビール福岡工場」を検索した。
「秋月温泉 清流庵」への通り道にあった。
あいにく 工場は休刊日で見学はできないが
隣接のレストランは開いていたので
早速 予約を入れた。

午後1時過ぎ 到着した。




  サーロインステーキランチ

  主人はキリン生ビールを2杯。
  ドライバーの私に
  グリーンテイがサービスされた。

 

 ゆっくりとランチを済ませ
 駐車場に戻った。


  そこで
  ふと 長年のお付き合いのお客様の住所が
  「太刀洗」であることを思い出した。

  ラインを入れてみた。
 「 今 キリンビールのレストランでお昼ご飯をたべました。」

 するとすぐに電話が返ってきた。

 何の予定も入れていない私に
 お勧めの観光コースを案内してもらえたので
 その通り観光してちょうどいい時間に
 「料亭旅館 清流庵」に到着した。

 太刀洗平和祈念館


 
 夜須町
    巨大わらかがし ゴジラ  
 

 今村カトリック教会
 

 午後5時30分到着

 秋月温泉 清流庵

 


 1月4日

 のんびりと太刀洗周辺を観光して
 旅館に到着した。


  


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2025年01月03日

はやと 三泊四日 香港気楽に一人旅

 令和7年1月2日
 午前8時

 私は主人と共に
 佐世保駅まではやとを送って行った。


 午前8時40分
 はやとは
 佐世保から電車で福岡へと向かった。


 お正月の佐世保駅は閑散としていた。

 はやとは振り返ることもなく
 颯爽と駅の構内に入っていった。




 福岡国際空港
 午後0時25分
 はやとからラインが届いた

 「 チェックイン終了 」


  🛫   🛫   🛫

  キャセイパシフィック航空
  午後2時10分
  福岡空港出発  


  🛬   🛬   🛬  

  現地時間午後5時25分
  香港到着     
  
 時々送られてくるラインだけで
 はやとの消息がつかめた。

  

  はやとは元気に
  香港へと出かけて行ったのである。

    一人ぼっちで。

  1月2日から5日までの日程を
  私たち家族は把握していないのである。

 🇭🇰 🌏 🇭🇰

 1月5日 帰国
  午後3時20分
  福岡国際空港に到着

  私は主人と共に福岡国際空港で
  はやとを待っていて
   香港からのスーツケースを受け取り
  はやとに
    小さなスーツケースとバックと
    ジャンバーを渡すことにしている。


  はやとは
   福岡空港国内線に移動し
   夕方の飛行機で大阪関空へと
   移動する。

   その足で電車を利用し和歌山へと
   向かわなければならない。

 1月6日
   和歌山に本社を構える
   動噴(ポンプ)のメーカーで
   動噴の分解修理の講習を受けることに
   なっている。

 1月7日  帰宅
   佐世保駅までの迎えを主人が担当する。


 一歩 一歩
 はやとはエンジニアとしての知識を
 習得していかなければならない。

 西海の海の産業である養殖業を営む上で
 なくてはならない船舶や
 それに伴う特殊な機械の
 販売 修理をおこなう店として
 若いはやとが担っていかなけでばならない。
 学ばなくてはならないことが山ほどある。

 新しい年の幕が開き
 はやとはスタート地点に立った。


 つかの間の4日間
 はやとは一人でワクワクと
 異国の地で過ごしている。


   
 



 みいの言葉を借りるなら・・・

 「 あいつは
     何をやっているんだぁ ? 」

  


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2025年01月03日

終わりよければ全てよし!



  12月30日
 午前7時50分

 早朝からH・S様により曳航されてきた船を
 船台に上架し
 エンジンの載せ替えがスタートした。


  移動式クレーンの免許を持っている主人に
  手伝ってもらい
  はやとはブリッジを外した。
  
  エンジンとドライブを連結している中間軸が
  スムーズに外れることを一番気にしていたが
  普段の手入れが行き届いている船なので
  さび付きもなく
  難なく六角ボルトが緩み
  エンジンが離脱できたのである。
 

 約1時間で エンジンを離脱することができた。




 私は18歳のはやとが
 自信たっぷりにやってのけるのが
 不思議でたまらなかった。

 

 この時点で
 今日の仕事を知ったはやとの友人が
 駆けつけてくれて
 手を貸してくれたのである。






 はやとは友人のおかげで
 お昼前には
 修理を終わらせることができた。

  
  正午に 全て完了  ガッツポーズ

  フグの養殖業の運搬船である。
  これでお正月の仕事に支障をきたさずに
  済んだのである。

  18歳 代表取締役として
  アルバイトさんや友人に助けられて
  先輩整備士のアドバイスを受けながら
  はやとはお客様に誠意を込めて
  仕事を熟していった。

  私は 心の中で とても誇らしかった。

  そんな私に はやとは釘を刺した。
  「 ばあば 天狗になったら折られるよ 」と。
  はやとに何と言われようが
  私は孫自慢をしたかった。

 12月30日 
 今年最後の仕事はスムーズに終わり
 はやとが友人と切ってきた竹に
 日の丸が揚げられた。



   

 

   お正月の準備が整い
   令和6年が安堵のうちに終わった。

    


  
  若くて未熟なはやとも
  年をとっても未熟な私も
  言い表せないほど大変だったが 
  私たち二人を見守り
     手を差し伸べてくれた主人や
  家のことをきちんと熟してくれた
     みいのおかげで
  一年を乗り越えてこれたのである。
  はやとの今年最後の仕事によって
  すべてが笑って流せる良い一年となった。


  とても充実した令和6年が終わった。 
 

   終わりよければ 全てよし!



    🛤   🛤   🛤
 
    令和7年 スタート
 
    音符オレンジ   音符オレンジ   音符オレンジ

 



   令和7年へは
   「 希望 」という荷物をもって
      進みます。
 
    笑う門には福来る !

   
   
   🎍    🎍    🎍     


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2025年01月02日

年末 年始

 
 令和7年1月1日
 


 晴天の下 
 爽やかに厳かに新しい年が始まった。





 

 令和6年も
    バタバタとあわただしく・・・
 とても
    慌ただしく終わったのであった。


全ての仕事を片付けて
一年がスマートに終わったね・・・と
一息ついていた仕事納めの29日に
はやとのスマホにお客様からの電話が入った。
 
突如 フグ養殖業者H・S様の運搬船が故障した。
エンジンからオイルが漏れだしたとの事

出張して 現場で
修理が必要とされている箇所を見つけ出したはやとは
愕然とした。
ヘッドを離脱して
パッキンを交換しなければならないのである。

もうメーカーは休みに入っている。
1月6日まで部品の供給が不可能なので
修理ができない。
別の中古エンジンから部品を脱着するには
あまりにも時間がかかりすぎる
そこで
免許をもたないはやとの
お抱え運転手を務める主人の横で
事務所に帰り着くまでに
はやとは一つの解決策を考えたのである。

別のお客様M・N様から預かっている
同型の中古エンジンがあった。
それなら半日で載せ替えができると考えた。
はやとはM・N様に連絡を取り
年明けまでエンジンを貸してくれるよう頼んだ。
出番のないエンジンなので
快く借りることができた。
早速 事務所に戻り
明日 エンジンを載せ替える旨
お客様H・S様に伝えたところ
驚きの声と共に 喜びの声が返ってきた。

はやとは主人に手伝ってもらい
倉庫からM・N様から預かっている
中古エンジンを出してきた。

もう会社は休みなので
整備士はやと一人しかいない。

工場の外は 闇が迫り真っ暗だった。
投光器を照らし
なれた手つきで 試運転を始めた。
はやとは再び愕然とした。
M・N様から預かっている良好だったエンジンが
ヘッドの下でブクブクと泡が立ち
ジトーとオイルがにじみ出てきたのである。

困った・・・。
 非常に困った。
  はやとは勿論であるが 
私も主人もはやとの心の内が読めて苦しかった。

しかし ここであきらめることはできない。
もう一つ策があった。

年明けたらすぐに中古船に乗せこむ
同型のエンジンが
整備も試運転も塗装も終わり
工場の台車の上でスタンバイしていた。
当然お客様のK・Y様も工期が遅れているので
首を長くして待っているのである。

午後7時を過ぎていた。

私は年寄りのずぶとさではやとの心を押した。
とてもずーずーしい頼みであることを
重々承知の上で
はやとにK・Y様に電話を入れて借りるよう促した。

はやとは一呼吸おいて言葉を選んで電話を入れた。
スマホの向こうから
明るいK・Y様の声が私まで聞こえてきた。
「困ったときは お互い様だから 使っていいよ」と。

私は
有難い思いで胸がいっぱいになった。
思わず 言った。
「よかったね はやとの一生懸命が伝わったね。
 H・Sさん 喜んでくれるね。
  ほっとしたね。
   円形脱毛症になるとこだったね ピース 」

  今夜は もう 帰ろうね。  」

帰り着いたのは8時を回っていた。

みいが明るく迎えた。
「 みんなそろって 何 やっとんじゃ~~~」
温かい晩ごはんが並べられていた。

翌朝  30日
はやとと私は7時に出勤した。

  


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2024年12月07日

はやと 高校3年生 代表取締役就任

令和6年8月末
はやと 18歳

有限会社パールマリンの
(迎パールマリンから社名変更)
代表取締役として
現役高校生社長の誕生である。

 

学校の規定に代表取締役になることは
校則になんの障害もないが
「学業をおろそかにしない事」
代表取締役に就任にあたって
高校の担任の先生の前で
約束した事柄である。

はやとは
土曜日 日曜日 祭日は
日の出前から出勤し
貸し船のお客様を送り出し
昼間は船の修理や
販売船の仕上げに精を出した。


夜も
自分が納得いくまで
故障したエンジンの修理に向かう日が
毎日のように続いている。

瞬く間に9月が過ぎ
飛ぶように10月が過ぎ
息つく暇もなく11月が去っていった。


私は
夜にはやとの行う
船舶の修理の助手として
片時も離れることなく
仕事を手伝った。


 🚧   🚧


9月中旬 PM6時30分
貸し船の船外機故障を直し
試運転に出かけるはやとの船に同乗
 

平戸の島に
綺麗な夕日が沈もうとしていた。

 

    🛠   🛠    🛠   

9月中旬 PM6時過ぎ
真珠養殖業者の
船舶エンジンの出張修理に
出かけるはやとに同行。

自動車運転免許をもっていないはやとの為に
出張修理時には運転手を務めた。
 
 


 

エンジン修理に精を出すはやとの傍らで
私は
平和な時間に包まれていた。

 
  🛠   🛠    🛠   

早朝より 
桟橋に停泊中の船のプロペラ交換



   🛠   🛠    🛠  


船台に上架した船の
エンジンやアウトドライブの修理
 


   

        

 

  はやとの担った仕事は
  後を絶たなかった。


  夏が終わり
    秋が終わり
      冬がやってきた。





 午後7時
  どっぷりと暮れた桟橋に
    毎日のようにはやとの姿があった。


 はやとは
   日々 努力を積み重ねていた。

 機械に対しての知識は申し分なくあるので
 故障の原因を突き詰めるのは
 はやとにとって難しいことではないことが
 多かった。

 しかし
 まだ経験が伴わないため
 修理をしていくうえで
 たくさんの障害が待ち受けていた。

  ネジがさび付いて部品が外れない・・・
  部品の取り外しの際に工具が入らない・・・
  インペラが外れてこない・・・
  機関部屋が狭く体が故障個所にはいらない・・・

 経験豊富なベテランのエンジニアに比べ
 はやとは
 たくさんの時間がかかった。

 簡単に短時間で
 修理を終えるとができたときよりも
 思ったより時間をとられることが多かった。

 18歳のはやとは
 ひとりで
 故障した機械と向き合っていた。

 暮れていく夜の闇の中で
 懐中電灯を持ち
 はやとの手元を照らしながら
 私はいつもはやとに声をかけていた。

 「だいじょうぶ・・・? 」   と。
 
 はやとはいつも冷静に私に答えた。
 「 やるしか ない!」   と。


 私は
 闇の中でいつも心が痛かった。

 この世界に
   この仕事に
     はやとを導いてしまったことに

 心を痛めた。


 学業の優秀なはやとには
 もっと違う道があったのでは・・・と
 
 せまい機関室の中で
 長い時間をかけて工具を取り換え
 部品を交換していくはやとの背中を見つめながら
 手元に海中電機の明かりを照らしながら
 私は苦しかった。

 長い時間をかけて修理を完成させ
 エンジンを始動させ
 故障が直った時の安堵感が
 はやとから伝わった時
 私の心の痛みはどこかに吹っ飛んだ。

 船主さんのために
 早く修理を終わらせてあげたいという
 気持ちで
 時間を費やすはやとが
 私には誇らしかった。

 午後7時30分
 我が家の夕食の時間である。
 みいから電話が入る。
 「帰ってこれる~~?」
    「まだまだ!」

 午後9時
 みいから電話が入る。
 「 なにやってるんだ~~~」
   「まだまだ はやとは機関室の中」

 「お風呂 入っとくよ~~~」

 午後10時
 みいから電話が入る。
 「 早く帰っておいで。 学生よ。」
   「もうちょっとで終わるよ」

 12時近く終了することが多々あった。

 はやとは
 根気という根性を備えていた。
 根気の性分でクリアしていった。

 放課後 午後4時30分出社して
 仕事を片付け
 帰宅するのは
 平均して午後9時過ぎである。

 誰も知らない私とはやとの時間の中で
 私は
 はやとを誇らしく思った。

 18歳で超零細ではあるが一つの会社を担い
 会社を存続させるために
 放課後の限られた時間の中で
 文句を言うこともなく
 グチひとつ言わず
 「 やるしかない! 」という言葉で自分を支え
 仕事を片付けていくはやとを見つめながら
 私は祈った。

 神様は
 はやとの努力を見ていてくれているはず!と

 てきぱきと
 現場で使用したたくさんの道具を片付け
 事務所に戻ると
 今日の日報と
 次の仕事の段取りが待っていた。
 
 仕事は限りなく続いていた。
   次から次から・・・

 長年勤めてくれている整備士さんの
 手の回らない仕事を担って
 はやとは地道に働いている。

 誰も見ていない時間の中で
 はやとは
 何の疑問ももたず仕事を片付けていく。

 はやとの頭上には
 お月様が優しい光を投げかけ
  お星さまが輝いている日々が続く。


 私をもう少し健康でいさせてくださいと
    神さまに願う日々が続く。

 私は成長していくはやとの為に
    もう少し役に立たせてくださいと
      神さまに願う。


 
    
 
 


  私の腰は しゃんと伸びなくなってきた。

   🤣   😪

    くやしいなぁ~。

    歳はとりたくないとはこのことだね。

  


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2024年09月26日

はやと一人旅 タイ3日目 令和6年8月13日


  令和6年8月13日
 はやと 一人旅 タイ3日目
  オプショナルツアー

☆ アユタヤ遺跡 &
    ダムヌアン・サドゥアク 水上マーケット
 

 盛りだくさんのツアーです。



 早朝 6時に出発
楽しい一日が始まります。

   

      





  🚐   🚐   🚐    🚐   
  

☆   メークロン市場



 


 線路わきに並ぶマーケット

 列車が通るとき
   テントやパラソルをたたみ
 列車が通過すると
   商売を再開する。






     
    🚐   🚐   🚐    🚐   
   

☆ダムヌアン・サドゥアク 水上マーケット










   🚐   🚐   🚐    🚐   
  

      エレファントランド




像に乗ってお散歩

    
   🚐   🚐   🚐    🚐   






    🚐   🚐   🚐    🚐   

    
☆  ワット・ロカヤ・スターラーム 
     高さ5m

 全長8mの涅槃物(ねはんぶつ)

   🚐   🚐   🚐    🚐     


☆ 
ワット・ラチャブラナ


☆  ワット・プラ・マハター



     







    







  盛りだくさんの
  オプショナルツアーで
  満足な一日を過ごしました。

 🌠 🌌 🌠 🌌 

  💤  💤  💤




 思いがけず
 ツアーで仲良くなったご家族と
 旅の道連れができ
 最高の思い出を
 積み重ねました。


   

 

 


   


Posted by パールじゅんこ at 03:29Comments(0)

2024年09月25日

令和6年8月14~15日 タイからの帰路

 令和6年8月14日~15日

  タイ
 はやと  一人旅 帰路




  電車で空港へ。




 🛫  🚝    🚝    🚝  

 スワンナプール国際空港
 





  

       

 





 



    


 

    


    
  🛫   🛫  ✈  🛬   🛬

  令和6年8月15日 
  午前9時
  福岡空港着
  
     🌐    🌐   🌐


  はやと 18歳(高校3年)

  タイ 
  一人旅
  令和6年8月11日~15日
  満喫できたはずです。

  はやとからもらった写真で
  「るるぶ 情報版 タイ」を片手に
  はやとの旅を追跡して
  勝手に
  はやとのタイ 旅行誌を
  作ってしまいました。

  🌐   🌏   🌐











 


  思いがけず
  旅先で
  道連れができました。


  オプショナルツアーに参加して
  兵庫県のご家族と
  仲良くなりました。


 
 異国の地で
 ワクワクと心躍る5日間の日々が
 はやとの記憶に
 積み重ねられました。


 
  はやと 18歳(高校3年)
  タイ 
  一人旅

  令和6年 夏 

  


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2024年09月21日

はやと一人旅 タイ4日目最終日 令和6年8月14日


 令和6年8月14日
はやと タイ一人旅  最終日


 ホテル隣接のレストランで朝食

  最終日を迎えました。

  ショッピング三昧の一日が
  スタートしました。


 ホテルから
 タクシー利用で
 大型量販店
 「ビッグCスーパーセンター」へ



   
       

 





 
 ショッピングを楽しんだ後
 いったんホテルに戻り
 お土産の整理をして
 再びお出かけ。

 
  == サイアム==
   バンコク屈指の繁華街

  リバーサイドの
 超巨大ショッピングセンター
 「アイコンサイアム」





    





      




       
   







   アイコンサイアム





 サイアムショッピングセンターで
 タイ観光を締めくくり
 ホテルへと戻った。


 帰る時間がやってきた。
 荷物を整理して
 快適に過ごした部屋を出た。

 
 8月14日
 4日間滞在したホテルをチェックアウト。
 
  

 
  


Posted by パールじゅんこ at 21:08Comments(0)

2024年09月21日

はやと一人旅 タイ4日目最終日 令和6年8月14日


 令和6年8月14日
はやと タイ一人旅  最終日


 ホテル隣接のレストランで朝食

  最終日を迎えました。

  ショッピング三昧の一日が
  スタートしました。


 ホテルから
 タクシー利用で
 大型量販店
 「ビッグCスーパーセンター」へ



   
       

 





 
 ショッピングを楽しんだ後
 いったんホテルに戻り
 お土産の整理をして
 再びお出かけ。

 
  == サイアム==
   バンコク屈指の繁華街

  リバーサイドの
 超巨大ショッピングセンター
 「アイコンサイアム」





    





      




       
   







   アイコンサイアム





 帰る時間がやってきた。
 荷物を整理して出発。

 
 8月14日
 4日間滞在したホテルをチェックアウト。
 
  

 
  


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2024年08月29日

はやと一人旅 タイ2日目 令和6年8月12日

  令和6年8月12日
 はやと タイ 一人旅 2日目 
   ぶら~とバンコク観光


相鉄グランド フレッサバンコク

 🚗  🚗  🚗  🚗
   タクシー移動
 


アユタヤ時代に建立された歴史ある寺院
☆  ワット・パクナム


最上階5F 天井画とガラス塔


5Fの展望テラスから
  高さ80mの大仏の背中が。



  🛵  🛵   🛵   🛵
   バイタクで移動

☆ ワット・アルン

   







ワット・アルン
  下
  ター・ティアン船付場
    下
   ワット・ポー

  

     


  🛳   🛳   🛳   🛳 
    船で移動

☆ ワット・ポー





   





  
 🚕 🚕   🚕  🚕
  タクシーで移動

☆ ルンピニ公園

   
   
 ワニに遭遇 びっくり!



  

   地下鉄駅前
  

 🚃  🚃  🚃  🚃  
   地下鉄で移動 
 
 ルンピニ公園
   下
  地下鉄
    下
   ホテル

  



 ホテル隣接のレストラン
 豪華ディナーで フィニッシュ 🥤





 
 令和6年8月12日
  タイ 2日目 
 自由気ままに バンコク 終了

 ホテルで洗濯を済ませ
 明日の出発は早朝なので
 早めに就寝。

  眠っzzz  眠っzzz  眠っzzz
 
  


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2024年08月28日

はやと一人旅 タイ初日 令和6年8月11日

令和6年8月11日 午前9時40分

6月に18歳の誕生日を迎えた
高校3年生のはやとは
福岡空港の出国カウンターの前にいた。


早朝6時に家を出て
主人に佐世保駅まで送ってもらい
念願の海外への一人旅を始めたのである。

はやとの写真から
タイへの旅行を同行した気分に
浸ってみよう(#^.^#)

11日午前9時40分


 



11日12時 出発
  

タイに向かって6時間
快適な空の旅が始まった。

 

      



時差2時間

バンコク到着

 


 







入国手続きも簡単に終わり
タイへの第一歩がスタートした。

空港から電車に乗り
途中で
地下鉄に乗り換え
ホテルの近くの駅に到着。

 


スーツケースを引きながら
トコトコと歩いて7分。
ホテル到着

もちろん 問題なくチェックイン。


ぶら~~と夕食に🚶‍♂️



  
綺麗なタイの夕日を見ながら夕食。



タイ 初日が
 問題なく快適に過ぎていった。



  


 はやと 高校3年生
  タイ 一人旅
 8月11日~8月15日
   
  


Posted by パールじゅんこ at 03:22Comments(0)

2024年08月15日

はやと タイからの帰国路


8月14日 午後9時50分
タイで一人旅を楽しんでいるはやとに
ラインを送った。
タイは午後8時前のはずである。

 
時差が約2時間あるタイの時間で
8月15日 午前1時に
はやとの乗る飛行機は出発するのである。


最後の時間までホテルが使えるように
宿泊はしないが
14日から15日までも
宿泊予約を取っているので
まだホテル周辺で夕食をとって
ホテルの部屋で
帰り支度をしているだろうと
考えたから
「晩ご飯 たべたの?」とおくった。





「晩ご飯は空港で食べる。
 今 電車で空港に向かっている。」

と返ってきた。

電車で・・・・。
文字も読めないはずの
遠い異国の街で
スーツケースをころころと引きながら
チケットを買い
電車に乗り込むはやとの姿を想像すると
私の胸は躍った。

異国の地で高校3年生のはやとは
一人ぼっちで
自ら行動を起こしている。

私が
旅先で望んでいたが
やり遂げることがことができなかった
体験を
はやとは自ら積み始めた。


日本時間
8月15日 午前2時
(タイ時間 12時)
「あとは出発をまつだけ」
はやとからのラインが届いた。


タイの街で
バスを使い
タクシーを使い
電車を利用し
観光を楽しんだはやとは
間もなく帰国に向けての搭乗の時間が
来たはずである、


日本時間 
8月15日 午前2時43分
ラインと写真ガ届いた。

「 今 乗り込んだ 」

  タイ時間
  8月15日 午前1時 
  飛行機は離陸する。
  


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2024年08月12日

はやと 念願の一人旅 タイ4泊5日


令和6年8月11日

午前11時
仕事中の私に
はやとからのラインが届いた。

福岡空港から
タイへと一人旅に出発する
はやとからのラインだった。

午前11時10分

「今から 搭乗開始」


 はやとは
 令和6年6月末に
 18歳の誕生日を迎えた。

 18歳未満では海外で
 未成年が一人での宿泊が不可能という
 壁があったため
 今年の正月 高校2年生のはやとは
 一人旅を望んだが
 シンガポールに一人では行けなかった為
 母親であるみいを説得してでかけた。
 団体行動が嫌いなみいとは
 最小限の摂食しかせず
 一人旅も同然のシンガポールで
 二人は
 それぞれに楽しんできた。

  
 はやとは
 18歳を迎えるのを指折り楽しみにして
 学校以外の時間を
 すべて私の職場に出向いて
 業務を手伝ってくれていた。

 

 船舶の修理業の一部で
 今
 養殖業での
 ロープを巻き上げる機械の開発にも
 取り組んでいるので
 工業系出身の主人が
 社長の考案の元 商品を図面化させ
 溶接を習ったはやとが
 溶接を担って製品を誕生させ
 船への取り付けも行った。

 
 改良を重ねてきた製品である。
 今回
 はやとがとりつけたこのローラーは
 作業現場でスムーズな働きが出来たら
 社内オリジナル製品として
 量産に踏み切る予定である。

 超零細企業のわが社では
 様々な修理の仕事に
 追いまくられる日々が続いた。

 インドア派なのに汗だくになって
 日焼けを悩みながら
 常にはやとに寄り添う
 主人の姿があるのは言うまでもない。

 船に装備されている機械の脱着のための
 クレーンの操作。
 船解体のためのパワーショベルの操作
 船を船台から上げ下げするための
 スイッチの操作。 
 などなどの雑用が多々。
 若いころ取得した建設機械の免許が
 年老いた今になって
 こんな形で役に立つとは
 主人も想像もつかなかったことだろう。

 公務員として務めて退職した主人が
 70歳前になって
 汗だくになり 汚れながら
 わが社の社員でもないのに
 ボランテイアで
 はやとを支えている。

 クレーンやパワーショベルを扱う
 主人を見て
 常にはやとは口にする。

 「じいじ
    楽しそうに頑張ってるね 」と。
  
 

 高校3年生のはやとは
 通学日以外は
 当たり前のように
 故障した船の機関室に入り
 エンジンを修理し
 早朝より貸し船のお客様の出港を見守り
 旅行の日を指折り数えて
 過ごしてきたのである。

 8歳で取得したパスポートが
 2回目の更新時期を迎えていたので
 6月28日誕生日をまって
 18歳になったはやとは
 パスポートを10年に更新した。

 さらに
 本人名義のクレジットカードを
 作ることができた。
 これは
 一人旅を計画立てたはやとにとって
 大きなプラス面となった。

 傷害保険の加入
 現地でのオプショナルツアーの申し込み
 などなど・・・・

 8月11日から15日
 タイへの一人旅

 学業と
 私の仕事の手伝いに
 真面目に向き合ってきたはやとは
 この旅行を
 一人で計画を立てた。
 私ははやとの計画の内容を
 把握することはなかった。


 私がはやとにアドバイスしたのは
 「少しのお薬を スーツケースじゃなくて
  自分のバックに入れて持ち歩きなさいよ」
 と
 「カードは使えないところが多いので
  一日分のお金を財布に入れて
  残りは肌身につけて持ち歩きなさい」
 の2点だけだった。
 
 服の下に装着してマジックテープで止める
 薄べったい紙幣入れを渡した。
 「 黄ばんでるね 」と言いながら
 素直に受け取った。
 

 8月11日早朝
 私はみいに代わって
 はやとと主人の朝ご飯を作り
 4時40分
 二人を起こした。
 仕事のため
 私は5時に家を出なければならなかった。
 はやとは
 午前6時 家を出発して
 主人からJR佐世保駅まで送ってもらった。
 自宅から佐世保駅まで
 自家用車で約30~40分かかる。
 佐世保駅から7時発の電車に乗り
 博多へ向かい
 国際空港に移動し
 11時30分のタイへの
 直行便に乗るのであった。

 主人と朝ご飯を食べるはやとに
 「お土産話 いっぱい持って帰ってね」
 と声をかけて出勤した。

 私は
 はやとがどんな服装で
 どんな荷作りをしたのかも
 知らなかった。

 10年前から
 一緒に海外旅行に出かけてきたはやとは
 我が家のやり方の全てが身についていたので
 何の心配もなかった。
 コインランドリーのあるホテルを選び
 洗濯もその都度済ませてくることも
 しっかり身についていた。

 私は
 なんの心配もなかった。
 が
 出発数日前
 お盆前なので家族でお墓参りに行き
 亡き義父や義母 
 そして主人の弟の眠る墓に向かって
 はやとの横で声に出して手を合わせた。
 「 はやとが一人で旅行に行きます。
   見守ってくださいね 」と。

 11日の朝
 朝ご飯の食卓に向かうはやとに向かって
 「 お盆だからね
   ご仏壇に手を合わせてから
   出かけなさいね。」
  
 一緒に食卓に向かっている主人にも頼んで
 私が先に家を出たのである。

 「おとうさん はやとにお参りさせてね」と。



 午前11時10分
 ラインに写真が届いた。
 「 今から 搭乗開始 」
 

 日本時間 5時31分
 タイ時間 約3時30分

 「 入国と 荷物受け取り完了
   入国もあっさりおわり 」

 一人でのチェックインも
 お得意の英語で
 難なく通過したはずである。


 送られてきたラインには
 一人なのに
 ツインの広い部屋が映っていた。
  
 18歳の一人旅なので
 路頭に迷わないように
 飛行機のチケットと
 信用のおけるホテル予約だけは
 はやと自ら旅行会社の窓口に出向き
 手配をしてもらっていた。

  
 日本時間 午後8時40分
 タイ時間 約6時40分

届いたラインには
食事に出かけたレストランの窓からの
綺麗なタイの街が映っていた。

時差が2時間あるので
タイは6時40分頃日の入りを迎えていた。
 

 どんなレストランで
 どのようにして料理を頼んだのかな・・

 はやとのコメントが添えられていた。

 「フードコートやけん
 軽めに食べて二軒目に行く」

 日本時間 午後9時16分
 タイ時間  午後7時10分過ぎ

「 食後のデザート マンゴー 」



 68歳 疲れ果てた私は午後10時
 はやとの行動のラインにはついていけなかった。

 「 おやすみ 」 コールを入れた。


仕事を終えた7時30分
綺麗な夕焼けが空に広がっていた。



年中無休の職場のため
お盆とお正月だけは
しっかりと長く休業にしている。
今年は
11日から16日まで休業にしているが
私だけは
事務処理を片付けるため
相変わらず仕事に
追われる羽目になっている。


はやとは
タイ旅行から帰り
2学期を迎えた日
わが社の代表取締役に就任するのである。

沢山の方が
「自分の周りでは
 高校に行きながらの代表取締役は
 前代未聞」
という言葉を添えながら
諸手続きが進められている。

はやとが
このチャンスを自分のものにして
大きく生かして
人生を歩んでいきますように。

商売の大変さは
身に染みてわかっている私なので
決していいことばかりが続かないだろうが
悪いことも続かないはずである
と 若いはやとに心配が尽きない。

ただ
今日この時は
まだ少年のはやとが
平穏で夢に満ちて幸せでありますように。



  


Posted by パールじゅんこ at 05:58Comments(0)ブログ

2024年07月02日

災難を乗り越えた後の希望に満ちた道

 ただいま68歳進行中!
 
 私は
 やっぱりしぶとい♪黒

 身体に起こった異変に
 持ちこたえることができた。

  


 😏   😏   😏

 梅雨を迎えた朝

 娘からのプレゼントの合羽を着て
 日の出とともに出航していく釣りのお客様を
 見送った。

 背中をかばいながら。

 日の出前から
 私といっしょに出勤して 
 貸し船の出航のお手伝いをしてくれている
 はやとと共に一日が始まった。




 5月中旬

 このたくさんの貸し船を前に
  私は落胆していた。


 16隻あるこの貸し船を
 お客様が使用した後
 掃除をし
  燃料を補給しなければならない。

 平日は船の貸し出しが少ないので
 アルバイトがいない。
 私を見るに見かねた主人が
 手伝ってくれて
 高齢者二人で
 燃料補給と掃除をおこなっている。

 私は
 自分の年を忘れて働いている。
 いや
 働いていた。

 そんな5月中旬
 重量物を運んで仕事をした。
 そのことによって
 急に背中に違和感を覚えた。
 腰と背中にまったく力が入らなくなって
 しまったのである。

 歩けなくなった。
 背中に力がなく
 直立できない。
 数メートル歩くのに
 言いようのない負担を体に感じた。
 腹と背中が骨を支えられない・・・・
 そんな風に感じた。
 痛みは全くなかった。

 ただ事ではない・・・
  笑いごとでもなかった・・・

 私は家族に進められて
 整形外科を受診した。
 「 歩けないんです。 」と
 症状を告げた私に
 かかりつけの労災病院の
 整形外科の若い女医は言った。
 「 歩いてきたじゃないですか 」
 
 なるほど
   誰が見ても歩けている。


  😓  😓  😓

 だが
 やむをえず歩いているだけである。
   直立が異様に困難だった。
   立っているのが苦痛だった。
   歩けない !!

 私は
 レントゲンもMRIもとって診てもらった。

 はっきりとした原因はつかめなかった。
 「強いて言うならば
  腰の周りの血管が狭くなっているので
  しばらく薬を服用してみてください。
  
  薬に即効性がないので
  1か月半くらい服用して
  様子を見てみましょう。」

 歩けない ガ-ン
 
 腹と腰と背中に必死に力を入れて
 体を保ち
 女医に頭を下げて
 病院の中を必死で歩き諸手続きを済ませ
 駐車場の車に乗り込み
 自宅に戻った。
 
 忙しい中
 植えた花が
 玄関先で見ごろをむかえていた。
 

 私は
  まだまだ働けると考えていたので
  この時点で
  自分の体に起こった異変に
  落胆していた。

 このまま
  腰が極端に曲がってしまい
  歳を取ってしまうのかな・・・と
  悲しかった。

  こんなはずではなかった・・


 心の中で
 無念な気持ちが
 大きく 大きく 膨らんでいった。
 無念な気持ちは
 大量の涙といっしょに
 あふれ出してしまいそうだった。

 明るい昼間の時間に
 自宅で過ごすことができなくなってしまった
 私の目に
 たくさんの実をつけた柿の木が
 優しくささやきかけてきた。


 とても頑張って働いてきたので
 もう
 良いんじゃないのと
 慰められたように感じた。

 まもなく70歳だよ。
 おばあちゃんだよ。

 初冬を迎えるころには
 たくさんの干し柿を作れるよ・・・
 のんびりと
 庭の手入れをしたり
 ゆったりと家事をこなして
 自宅で
 平和に過ごせば良いんじゃないのと
 ささやきかけられたように感じた。

 一人勝手に
 弱い心に逃げ込んだ。


 自慢の庭は
 あまりにも
 仕事ばかり強いられているうちに
 たくさんの雑草が
 生い茂っていた。

 
   

 歩くのがとても辛かったが
 早朝より
 お店を開けないわけにはいかなかった。

 受診した翌日から
 再び
 日の出に間に合うように出勤すると
 駐車場では
 すでに多くの釣りのお客様が
 出航の準備を進めていた。

 午前5時10分を少し過ぎたころ
 ほとんどの船が
 出航していった。


相変わらず
沢山の雑務に追われ一日が過ぎていった。
おもい体をいたわりながら
泣きたい気持ちをこらえ
主人に助けられながら
仕事に精を出していた。

毎日とても平和に暮れていった。
平戸の島に傾く綺麗な夕日を
見送る日が続いていた。



早めに仕事を終わらせた夕方。
自宅近くの整骨院で治療を受けた。

 そこで
 ストレッチを勧められた。

 朝目が覚めた時
 目覚ましをとめて布団の上で
 3分ほど
 指導を受けたストレッチをおこなった。

 昼食後の15~20分ほどの
 ひと眠りの後
 体を横たえたまま
 同じストレッチをおこなった。

筋肉を整えるしかないのかな と
私は
  藁にもすがる思いだった。
ここで
 年齢を理由に
 挫折するわけにはいかなかった。

毎日 真剣に
 適度に 無理をせず
 指導を受けた方法でストレッチを続けた。

 それは
  火を見るよりも明らかであった。

私は
  背中に力が入らず歩けなかったことを
  短期間に克服できたのである。

この場に及んで
私はまた神様にすがってしまった。

「 神様
 もう少しだけ私を働かせてください。
 その後
 少しだけでいいから
 主人と共に
 自宅でのんびりできる時間を
 私の生涯に残しておいてください。」と


 
 新しい朝が始まり
   雲がゆっくりと流れていった。





 私には
  この時点で
  仕事を退けられない大きな理由があった。

  
 18歳を迎えたばかりの孫
 高校3年生のはやとを
 3か月後に会社の代表取締役に
 就任させようと考えた。

 
 32年務めた超零細企業の株を
 過半数以上所持している私だが
 代表取締役として
 世間の表面に出る人間ではない。

 そんな器の人間ではない。

 へそが 茶をわかすよね。!(^^)!

 はやとが
 高校を卒業すまで待って
 大人になるのを待って
 はやとに会社を託そうとしていたが
 この半年
 はやとは目に見張る成長を遂げていた。

 年老いていく私を気使い
 高齢の先代社長が透析治療を始めたという
 現実をしっかり捉え
 自らの意思で
 会社の業務を手伝い始めたのである。

 私は
 真剣に
 高校生のはやとを社長の座を譲ろうと考えた。
 何回にも及ぶ話し合いを
 はやとと交わした。
 はやとには異論がなかった。

 素直で誠実で根気のあるはやとは
 会社を
 立派に継続していくだろう確信が持てた。


  
  


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2024年05月04日

娘の摂食障害を乗り越えて。



10年前
我が家は
嫁いだ娘の摂食障害という病気を抱え
苦しい時間を強いられていた。

沢山の方に支えられ 
はげまされながら
大きな試練を乗り越え
一歩 前に踏み出した。

 おうち    おうち

2014年 2月  東京
  
 
摂食障害で
何回も入退院を繰り返し
生死の狭間をさまよったみいは
記憶喪失を患い
この時 
 「 高次脳機能障」と診断されていた。

はやと 小学1年生
知人と共に7名で東京見物に出かけた。

私は
みんなの心配と反対を押し切って
はやととみいを二人っきりで
ディズニーランドの入場門の前でおろし
東京湾アクアラインへと
ドライブに出かけた。

みいが
当たり前のことができるか否か
周りはもちろん 
母親である私にもわからなかった。

みんなから
「無謀だ☹」と言われながら。
「何かあったら ばぁばに連絡しなさいね」と
はやとの首に携帯電話をかけて別れた。
私は
今日のために
みいとはぐれたとき
どうすればいいのかをはやとに教えこんだ。


千葉~東京湾アクアライン~東京を
ドライブを楽しんで
再びデズニーランドに戻った。

一度だけ
はやとから電話が入った。
なんの問題もなく
みいと遊んでいるのが伝えられた。

二人を車から降ろしたときに
 約束した場所で
 きちんと約束した時間に
みいとはやとは笑顔で待っていた。

  🎡  👩‍👧   🎡 


あれから10年の歳月が流れた。

🎏  🎋 🎄  🎍


私たち家族は
みいの病気で
苦しくつらい時期を乗り越えてきた。

楽しみを見つけて暮らしていこうと
懸命に働き
様々なところへと
旅行に出かけ
かけがえのない思い出を積み重ねてきた。

 🌏   🌏   🌏

2015年2月 ベトナム 


  🌏   🌏   🌏


2016年1月  マレーシア



  🌏   🌏   🌏
 
2017年1月  オーストラリア パース
 




  🌏   🌏   🌏  


2017年1月 
  オーストラリア パース ~
      シンガポール経由 ~帰国 


  🌏   🌏   🌏

2018年1月 ニュージーランド




 











  🌏   🌏   🌏
 
2019年1月  オーストラリア ダーウイン







ダーウィン ~ シンガポール経由 ~ 帰国

 世界各国へと飛び立つ飛行機を見ながら
 「まだ 帰りたくないね・・・。 ばぁば」
 とつぶやいたはやと。

  どこへ出かけても   
  旅行の最後の日
  帰国の飛行機の出発を待つとき
  はやとは
  必ずと言っていいほど
  この言葉を口にしてきた。

   
 現実離れした楽しい旅先の日々を
 終わらせたくない思いは
 幼いはやとの胸の中も
 年老いた私の胸中も同じだった。
 
  

  🌏   🌏   🌏 


2020年1月  台湾
 


 時代と共に
 搭乗手続きが進歩していった。
 
 


 はやと中学1年生
 台湾旅行から帰国した数か月後
 コロナという大病が世界中を震撼させた。

 家族そろっての海外旅行が
 数年間
 閉ざされてしまった。

 その間
 はやとは高校2年生になった。
 人々は
 再び世界へと旅に出かけるようになった。

 「俺 一人で海外両行する。」
 と言い出したはやと。

 17歳という年齢制限に阻まれたため
 母親のみいを誘って
 シンガポールへと出かけた。

2013年12月~2014年1月
 はやと 高校2年のお正月。

 これまでの体験は
 しっかりと
 はやとの脳裏に刻まれていて
 成長したはやとは
 一人で行動を起こせるようになり
 私たち夫婦と
 行動を共にする必要がなくなった。

 ゆっくり流れた月日は
 みいはすっかり回復させ
 なんの問題もない生活を
 送るようになっていた。

 私は
 心底 ほっとした。
 肩の荷が下りたように思えた。


今から12年前 2012年4月

  みいは病院のベットの上で
  記憶をなくしたまま
  数日間の眠りから目を覚ました。

  記憶をなくしていたなかで
  幼いはやとの手を握りしめた。

  自分が母親であることを忘れていた。

  みいがはやとを握りしめたのか
  はやとがみいを握りしめたのか・・
 

 重い重い摂食障害を患い
 何度も命の灯を消しそうになりながら
 どうにか命を繋いでいたさなか
 尿路結石まで併発し手術に及んだ。
 体重22kgほどの体で受けた
 手術の翌朝
 みいは意識が戻らなかった。
 数日後目を覚ましたみいは
 記憶を失い
 ベットの上で
 母親である私を大声でののしり拒んだ。

 1か月ちょっとの闘病生活を送り
 記憶が定かでないまま
 病院から退院を強いられた。

 新緑が目にまぶしい
 とてもきれいな初夏の日に
 みいを病院から自宅へと連れて戻った。

🌿🌿   🌿🌿 

 これも
 周りから大反対をされての私の行動だった。

 とにかく
 生活していかなければならなかった。
 生きていかなければならなかった。
 なにか楽しみをみつけながら・・・。

 その第一歩を
 ハウステンボスのビィラで一夜を明かし
 雨の日のハウステンボスですごした。
 
 


 みいは
 どこまで息子を息子として
 認識しているのか・・・
 自分が母親であることを解っているのか
 外部にはわからなかった・・・・

 しかし
 二人の間が
 あたたかいぬくもりで繋がっているのは
 間違いなかった。


 そして
 時間はゆっくりと流れた。

 私には
 みいが正常に回復していくのか
 このままなのか
 まったくわからなかった。

 しかし
 たくさんの方々に包まれて
 ゆっくりと沢山の時間は流れていき
 みいは
 ゆっくりと回復していった。

 

 何よりも
 はやとが
 心身ともに成長を積み重ねていった。

 よつば   よつば   よつば


 大きくなったはやとは
 みいに気使い
 みいを思いやりながら

 新たな日々を展開していくはずである。


 長い年月だったように思えるみいの闘病生活は
 過去の笑い話になった。

 私と主人は
 二人に 愛情を注いでいくだけで
 十分となった。
 差し出す手は必要がないように感じられた。



 
 今
 摂食障害の娘さんを抱えた
 お母さまへ。

 親として
 出口のない苦しい時を
 過ごしているかもしれませんが
 どうか
 娘さんの病気から目を離し
 ともに楽しめることに目を向け
 ゆっくりと
 時間を流してみてください。
 長い年月が必要かもしれませんが・・
 きっと
 笑い話にできる日がやってくるはずです。

  


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2024年03月25日

令和6年シンガポールでの はやとみいの年明け

令和6年
 1月が過ぎ
   2月があっという間に過ぎ去り
    3月も間もなく終わろうとしている。

 季節はアッという間に春になった。

今でも 時々
みいがシンガポールで買ってきた食材が
我が家の晩ご飯の一品に加わり
食卓を賑わせている。


「おれ 一人で外国に行ってくる」と
突然計画を立て始めたはやと 17歳の秋
18歳未満だったため
ホテルの宿泊が不可能。
一人での飛行機のチケット購入のため
大変な手続きが必要だったため
母親のみいに同行を求めた。

団体行動が苦手なみいは
はやとの
「一人で旅をしたい」という願いを叶えるには
ぴったりの相手だった。

12月30日から1月3日までの
シンガポールへの旅行中
みいとはやとは
食事も行動も
ほぼ別行動をとっていた。


はやとのために
シンガポール旅行に付き合ったみいは
ホテルで
我が家で日常生活を送るように
過ごしてきた。

みいの
旅行スタイルを知り尽くしている私は
みいのために
大小のショッピングセンターが集まる
オーチャードのヨークホテルを進めた。



はやとが一人気ままに観光してる間
みいは みいのスタイルで
公園やホテルの周りを散歩したり・・・


頻繁にスーパーマーケットに出かけ
日常生活用品を買ったり・・・

お土産をかったり・・



  ダッシュダッシュ  ☕  ダッシュダッシュ  



ホテル内のフィットネスセンターで
汗を流したり・・・

 🧘‍♀️    🏋️‍♀️   🧘‍♀️


デパートでショッピングを楽しんだり・・・




繁華街をぶらぶら・・・🚶‍♀️

自分の住む町で
主婦として過ごすように
ぶらぶらと
ホテル周りを散策し
日常生活用品や食材を買ったり
のんびり時間を費やした。

  

2023年12月30日から
2024年1月3日までの
シンガポール旅行で
みいとはやとは
ナイトサファリだけを行動を共にした。


 
 たくさんの食材や日用品の
 買い物を楽しみ
 みいは
 はやとの突然の思いつきに付き合い
 異国の地で息抜きをしてきた。

 

     

  😄   🥤   😆

令和6年1月3日

深夜出発のため
閑散とした空港内で
最後のシンガポールの空気を
楽しんだみい。



 

 


 二人っきりで出かけた旅は
 あっという間に終わったのである。
 


 🛫    ✈    🛬

 あれから
 我が家の食卓は
 シンガポールの食材で
 賑わった。
 




  

  シンガポールのヌードル
   

 炊き込みご飯の素
   

 小さな豆で作ったあんこ
 

 子魚の干物
  

 ピンクの食塩
 
                     
   カヤジャム
    


 日用品などなど・・
  赤丸 ティッシュペーパー
  赤丸 石鹸
  


  🥰    🥰    🥰  

 
 手つくりのゼリーは
 はやとのお弁当が華やいだチョキ




 3ケ月経った今も
 思い出したかのように
 シンガポールの食材でつくった料理が
 食卓を賑わせている。
 


 
何回も
生死の狭間をさまよったみいだったが
10数年という歳月は
すっかりみいを回復させてくれた。

はやとは成長し
一人で すくっと立ち上がった。
知らない海の向こうの国に
興味を持ち
誰の手も借りず
旅に出ることができるようになった。
 


  10数年前大病を患ったみい
  幼かったはやと

  無我夢中で過ごしてきた歳月だった。

  10数年という歳月の中で
  私は二人の成長に対して
  みいの母親として 
  はやとの祖母として
  ひとつの役目を果たせたような気がして
  肩の荷を下ろせたような思いに駆られた。


 新しい春が訪れ
 家族に新しい節目が訪れた。

  


Posted by パールじゅんこ at 23:17Comments(0)ブログ

2024年02月07日

はやと シンガポールより帰国

 令和5年12月30日
   から
 令和6年1月3日
  までの
 福岡発 韓国経由 
 はやととみいのシンガポール旅行

  🇮🇩   🇮🇩   🇮🇩  

令和6年1月2日最終日

帰国の時がやってきた。

朝から
まったくの別行動をとっていた
みいとはやとは
約束どおり午後4時ころ
ヨークホテルに戻った。






お土産をバッグに詰めて・・・
シャワーを浴びて・・・


午後9時
ヨークホテルから
タクシーでチャンギ空港へと向かった。

チェックインも
 出国審査も
  手荷物検査も
なんの問題もなく
一人でも
手続きが出来るようになったはやと。



楽しかったね。チョキ  みい。
(実は みいは 海外旅行のベテランさん)  
 
 
 息子と二人で
 シンガポールに行ける機会を与えられるなんて
 神様も
 なかなか 
 粋な計らいをしてくれるもんだよね。

 「俺 一人で外国に行ってくる!」と
 言い出したはやとだが
 18歳になっていなかったので
 外国への一人旅が不可能だったが為に
 母親のみいが同行した
 二人っきりの今回の旅行。

 二人ともほぼ 別行動をとったので
 はやとの願いは
 叶えられたようである。

  😉     😉 


 帰国の空の旅が始まった。

==令和6年1月3日==
 
シンガポールチャンギ国際空港発 
    午前1時30分

韓国インチョン国際空港着
    午前8時50分

韓国インチョン国際空港発
    午後1時10分

福岡空港着
    午後2時30分


  🧳   🧳   🧳  

🕘 チャンギ空港 チェックイン
 




    🛫   🛫   🛫  

🕜 大韓航空 シンガポール発

 シンガポール チャンギ国際航空から
 韓国ソウル インチョン国際空港まで
 6時間の深夜の空の旅が始まった。


   ✈    ✈   ✈   



 

🕠  大韓航空 機内食

 
 

  🛬   🛬    🛬 





🕘 韓国ソウル インチョン国際空港着


  🛩   🛩   🛩  
  

🕐 韓国ソウル インチョン国際空港発

  🛫    🛫    🛫


🕝  福岡空港着


 🧳 👨‍🚀 🧳 👩‍🚀 🧳  
 
    おかえりなさい

    
   
  🌐   🌐    🌐  


   はやと 高校2年生
 世界への旅の第一歩は大成功ニコニコ


 📷  📷  📷


  ばぁばこと 私は
  はやとの写真から
  勝手にはやとの旅を追跡して
  旅行記をしたためて
  自己満足チョキ


  🎬      🎬
     
  


Posted by パールじゅんこ at 22:48Comments(0)ブログ

2024年02月03日

はやと シンガポール気ままに最終日

 令和6年1月2日


 🇮🇩   🇮🇩    🇮🇩 


はやと 17歳(高校2年)
一人気ままにシンガポール

青空が顔をのぞかせて
旅の最終日がスタートした。

令和5年12月30日からスタートした
シンガポール旅行が
最終日を迎えた。

ひとり旅を望んだが
18歳未満だったはやとは
一人での海外旅行が不可能だったので
母親みいを誘って
シンガポールにやってきた。

ナイトサファリだけ
親子二人で行動を共にしたが
その後は
ふたりとも念願どおり
まったく単独行動だった。

空港での行動も・・
 食事も・・
   観光も・・
    ショッピングも・・


 🙎‍♂️ 🏃‍♂️  🙎‍♀️ 🏃‍♀️

今日もそれぞれ気ままに
一日がスタートした。

母親から束縛も干渉も全く受けず
はやとは 
異国の地で爽やかな朝を迎え
ヨークホテルでの朝食をとらずに
ひとりホテルを出た。

🕗 

シンガポール最後の朝は
ヨークホテルの近くのカフェで
地元の人に交じって
ひとりでモーニング ☕

シンガポール朝食の定番メニュー
  カヤ・トーストを注文 チョキ


     🍽   😋

   
 カヤ・トーストとは
   ココナッツミルク 卵 砂糖を混ぜた
   カヤジャムと
   厚く切ったバターを挟んだ
   甘いトースト
 
   🍹    🍹

そのまま
胸躍らせて
シンポール最後の日の観光に出かけた。


  🚶‍♂️  🚶‍♂️  🚶‍♂️ 

🕤  スカイガーデン










🕥 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ

 スーパーツリー・グローヴ






 

 
🕚 
 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
   



  メコンオオナマズ






  🏠   🏡   🏚

まるで
おもちゃの街のような
カトンの街の
「クーン・セン・ロード」を散歩
 





  🎡    🎡    🎡 

昨日遊覧した
シンガポール・フライヤーが
青空に映えていた。 


🕐
     ☕ 🍴

  屋台でお昼ご飯
 




🕝 

 マリーナベイ・サンズ
  
  

  西方面の展望

 
 東方面の展望

 展望デッキから
  東方面の展望


 展望デッキから
  北方面の展望

 サンズ・スカイパーク展望デッキ


🕑


  🕑  🕑


ショッピングモールを
  くる~~と散策






🕘 ~~ 🕓

 シンガポールの観光が
  名残惜しく
     とっても
  名残惜しく
 終わってしまいました。

 駆け足での観光を
 英語ガイドマーガレットさんの車に
 お世話になりました。

 マーガレットさんとの会話も
 楽しむことができ
 外国への旅に
 さらに楽しい思い出と
 英会話の自信が加わりました。

 

 マーガレットさんと別れ
 ホテルの近くでぶら~~とショッピング。

 ホテルに戻って
 帰る準備をしないといけない時間が
 やってきました。

 とっても
 残念だが・・・。

   🤧    🤧 


 
  


Posted by パールじゅんこ at 23:30Comments(0)ブログ

2024年01月29日

はやと シンガポールで新年スタート 2024年

 シンガポールを旅したはやとから
 沢山の写真をもらった私は 
 その写真から
 勝手にはやとの旅を追跡した。

  🇸🇬   🇸🇬  🇸🇬

  カウントダウンの興奮が
 冷めないままに
 2024年がスタートした。

 はやとは17歳 高校2年生である。

  
 ひとり気ままに
 シンガポールの街の見物を
 楽しんだ。

 令和6年1月1日

  🎡     🎡 

🕚 
 シンガポール・フライヤー
  世界最大級の観覧車
  高さ 165m 一周30分

 
 ゆっくりとゴンドラが上がり始めた。

一基 28人乗りのゴンドラは
はやとと
中国人の家族だけを乗せて
ゆったりと上り始めた。

はやとはひとりで
眼下に広がる
壮大な景色を眺めた。

 広大な 
 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ

有名なホテルや
ショッピングセンターや
マンションが立ち並ぶ街の様子

マリーナベイ・サンズや
高層ビルやマリーナ湾                                                                        
 

 30分間の
 空中遊覧は
 あっという間に終わった。

 🎡   🎡   🎡  

マーライオンパークへと足を運んだ
 

 マーライオン・パーク


 マリーナ・ベイを見渡す
 高さ8.6mの マーライオン


🕛
ハート ミニマーライオン  2m

 


🕐 
  チャイナタウン

  チャイナタウンで ランチタイム 




 


 

 街をぶらぶらと観光した後
 夕方早めに
 いったんヨークホテルへもどり
 はやとは
 気ままに別行動を楽しんでいるみいと
 二人で
 ナイトサファリへと出かけた。

 
 🌜   🌠  🌛


🕖
    ナイトサファリ



 

 開演前にディナーを 🍚

 🕣
   トラムに乗って
   ジャングルを探検

  🚌   🚌   🚌 



 


 


夜の動物園を
ゆっくりと楽しんでから
タクシーでホテルへ帰宅
   🚕  🚕   🚕 

🕙
   ヨークホテルの近くをぶら~~~と。
 




  シンガポール2日目が
 アッという間に過ぎていった。

  
  🏨 ヨークホテル 🏨    

 

まったく別行動だった
はやととみいだが
ナイトサファリだけは
二人一緒に出掛けた。

 🤗    🤗    🤗


母と息子の
二人っきりの夜の動物園は
二人の人生で
最初で最後の出来事であるはず。

いつまでも
二人の心に残っていますように🌌

  


Posted by パールじゅんこ at 23:30Comments(0)ブログ
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パールじゅんこ
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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