てぃーだブログ › 浮雲

2024年01月23日

はやと 2024年にカウントダウン

 はやとの写真から
 はやとの旅行を勝手に追跡

  🤩   🤩  

 はやとの沢山の写真とともに
 私の心もシンガポールへと
 旅をした。



 12月31日
 海鮮と地元名物の露店街で
 ディナー。



 ヨークホテルに戻り一休み
     下
     🚖
    
     下
 
 はやとは一人で
 ホテルからタクシーで
 クラークキーへと向かった。

 念願の
 カウントダウン クルージングの時が
 やってきた。

 🕙 クラークキー
 

🕚  ナイトクルーズ
     午後11時 スタート
 

 シンガポール川をクルージング⛴










 花火とともに
 2024年への
 カウントダウンが始まった。

 


 



 🕛 2024年(令和6年) 
    1月1日 0時

 新しい年が始まりました。


 










 



 











 



 🕧 1月1日 0時30分 帰港


 アプリでタクシーを予約したはやとは
 約5分で
 ひとり 深夜に
 ヨークホテルへと帰った。


  🤗   🤗   🤗

 はやとは
 ひとりぼっちで
  胸を躍らせ 
   瞳を輝かせ 
 異国の地で新しい年を迎えた。
 
 17歳(高校2年生)

 はやとに冒険の年が始まった。



 不思議と
 私は 
 はやとの感動を共に味わうことができた。

 シンポール川の夜の優しい風も
 胸の奥深くに響いてくる花火の音も
 まるで
 その場にも
 自分がいるように感じることができた。

 それは
 とても不思議な感覚だった。


 家族の喜びは
 私の喜びであり
 家族が幸せでいることは
 私の一番の幸せであることが 
 こういう感覚なのだと
 しみじみと思えた。
 

   ☺    ☺   
 
  


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2024年01月22日

はやと 一人気ままにセントーサ島

シンガポール
令和5年12月31日

曇り 時々雨

はやとは
一人ぼっちで
バイキング形式の朝食を済ませた。



初日の観光は
セントーサ島を予定していた。
今夜は
カウントダウンクルーズに出かけるので
少し早めにホテルに戻り
休んでから
夜の街に出かけるという
スケジュールを組んでいた。

これははやとが
一人で真っ先に予定を立てて
チケットを購入したプランである。

アクティビティ・パラダイス
セントーサ島
初日の観光が
快適にスタートした。

・・・ようである。😄

 🚶‍♂️  🏃‍♂️  🚶‍♀️


🕙 🐟 🐠  🕛

世界最大級の水族館
シー・アクアリウム
 

オープン・オーシャン・ハビタット
幅36m 高さ8.3m
世界最大級のアクリル水槽

コーラル・ガーデン
高さ8m 直径7m
円柱状の水槽に
カラフルな魚とサンゴ礁が共存
 

時が経つのも忘れて
カラフルな魚を見学して回った。

 






  




 


 


午前10時から12時まで
ゆっくりと
水族館 シー・アクアリウムで過ごした。

🕙 🐟 🐠  🕛

 🚶‍♂️  🏃‍♂️  🚶‍♀️




🕜
パームツリーが繁る
シロソ・ビーチ
 

 

 🕑
 

🕞



🕒

スカイライン・リュージュ・セントーサ
 森の中のサーキットを
 カートに乗って滑走。 🛷

 セントーサ島を遊びつくし・・・
 遊びたらないが
 まだまだ
 観光したいところが盛りだくさん

  🏨   🕌   🏤


 

 


 



 

 
 🕖  🍢  🍖  🕣

 
  ディナータイム 😋

 

  
  





  腹ごしらえの後
  いったん ホテルに戻ります。

  楽しみにしていた
  カウントダウンに出かけるために
  ホテルで小休憩

   眠っzzz   眠っzzz   眠っzzz

 みいは 部屋に帰ってきているかなぁ・・・

  


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2024年01月20日

シンガポール はやとの写真とともに

「たくさん 写真を撮ってきてね」と
シンガポールに旅立つ
はやとに言葉をかけて
福岡国際空港前の路上で
見送った。

はやとの写した写真とともに
勝手に
はやとの旅を追跡した。

😉  😉  😉

令和4年12月30日
大韓航空 (KE)792便

13時40分
大韓空港が雪の影響で
1時間ほど遅延して
福岡空港を出発した。















15時10分
1時間以上遅れて
ソウル インチョン国際空港着





12月30日
大韓航空(KE)0645便

18時35分
予定より1時間ほど遅れて出発
ソウル インチョン国際航空発
シンガポールへ





12月31日
0時10分
この到着も当然1時間遅れ。
シンガポール チャンギ国際空港着


 12月31日
念願のシンガポールの朝


シンガポール
ヨークホテルでの朝食バイキング


案の定
同行のみいとは
行動範囲が違うため
接触することが無かったらしく
念願のはやとの
一人ぼっちの旅行が始まった。

 🇸🇬  🇸🇬  🇸🇬

12月31日 終日
セントーサ島観光

 


  


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2023年12月31日

ふたりの旅立ち

 
 令和5年12月30日

 はやととみいが二人で
 シンガポールへと旅立ったのは
 暖かい冬の朝だった。



 午前8時
 はやととみいのスーツケースを乗せて
 主人の運転で
 家族4人 自宅を出発した。


 
 
 10時30分
 福岡空港 国際線ビルに到着



 お茶目なみいの姿があった。


 今日を待ちわびていた
 はやとの笑顔があった。
 

 二人っきりの旅立ちの日は
 真冬だというのに
 とても優しい暖かさに
 包まれていた。

 はやとは
 振り返ることはなかった。

 みいを
 気使いながら
 福岡国際空港
 3階ターミナルに入った。


 二人とも
 軽やかに
 振り返ることなく
 ビルに入っていった。

 二人の気持ちが
 前を向いているのが
 私に
 ありありと伝わってきた。



 二人には
 出発のために
 空港でどうすればいいのか
 身についていることが
 私には
 はっきりと分かっていた。

 コロナ渦で
 3年間
 出かけることができなかった
 海外旅行だった。

 その間 はやとは
   中学2年になり
   中学3年になり
   高校1年を迎え

 そして
   高校2年生になった。

 3年間のブランクがあったが
 小さい頃の体験が
 しっかりと身についていた。


 小さいころからの体験が・・・






 積み重なった。


 高校2年生になった秋に
 一人で外国へ出かけてくる
 と 言い出したはやと

 年齢の壁があり
 17歳のはやとは
 一人で海外旅行は不可能だとわかり
 母親のみいと
 二人で出かけることになった。

 団体行動が苦手なみいは
 はやとの望みをかなえるのには
 ぴったりの相手だった。
 出国審査の時だけしか
 みいがはやとと一緒にいないことは
 私にはわかりきっていた。
 はやとは自由に一人で
 行動することができるのである。

 二人は
 私や主人の保護から旅立った。

 子離れ 孫離れできないのは
 私だった。

 私は
 飛行機が出発するまで
 空港の近くを
 離れることができなかった。

 
 ず~~~と前から
 行ってみたかった
 コストコホールセール久山倉庫店を
 カーナビにセットした。


 飛行機が出発する頃まで
 空港近くのコストコで
 時間を費やすことにした。

 何かあったら
 空港へと駆けつけてあげられる場所で
 待機していた。
 ばぁばバカだと言われ
 主人に呆れられながら。

 コストコに入店する前の
 長い 長い
  なが~~~い行列に
 並んでいるときだった。

 みいから
 電話が入った。

 「 韓国ソウルが雪のため
 飛行機が到着していないので
 出発が1時間以上遅れるよ。
 大丈夫かなぁ 」  
 と。

 ソウルでシンガポールへの
 乗り継ぎ時間は3時間しかない。

 私は 検索してみた。
 「大韓航空 
  ソウルからシンガポール
  運行状況 」  
  と。

 ソウル出発
 シンガポール行きの飛行機も
 遅れることが発表されていた。

 そのため
 予定の飛行機に
 取り残される心配はないと確信できた。 

 「心配しなくても
  大丈夫よ。」  と
 案の定 はやととは
 別行動をとっているみいと話した。

「 今から飛行機に乗り込むよ」
14時54分
福岡空港のはやとからラインが入った。
予定時間を2時間近く遅れて
福岡を出発した。


ソウルからシンガポール行きの飛行機も
1時間30分ほど出発が遅れていた。
19時20分
 「 俺は今 飛行機に乗り込んだよ 」
はやとからのラインが入った。


 「みいは まだ乗り込んできていない」
ラインが続いた。
 
みいのいつもの行動パターンなので
 「 心配しなくていいよ
  いつものことよ。」
と返しておいた。


はやとは
福岡空港での手続きの際
ちゃっかりと座席を
快適な席に変更していた。
前方エリアの非常口の横にある
足元の広いシートの席である。

この座席には
様々な条件があるが
とりあえずすべての条件を
満たしていたそうである。


5分ほどして
ラインがとどいた。
 「 みいが来たよ。」

 「 ほっとしたね。 」

 「 うん GOOD 

12月30日 19時30分

二人の乗った大韓空港は
大幅に遅れて
19時40分にソウルを飛び立った。

12月31日  01時36分
シンガポール 到着予定


  


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2023年12月23日

はやとの挑戦


 旅人と
    我が名よばれん 
       初しぐれ

   =芭蕉=




 中秋の名月をめで  
 秋はゆっくりとしだいに深まっていった。
 


「おれ
  一人で外国に行ってこようかな・・」

真剣にはやとのつぶやきに耳を貸したのは
初時雨が降るころだった。

行き先をシンガポールに決定した。



 ✈   ✈  

高校生のはやとの夢をかなえるのは
冬休みしかない。

あまり時間がないため
急きょ 
旅行の準備を始めた。

希望に胸膨らませ
計画を実行しようとした矢先
大きな問題が
立ちはだかった。

 😟   😟 

17歳という年齢のはやとは
外国への一人旅が不可能だと
わかったのである。

18歳未満では
一人で飛行機に乗ることができない。
各国で
 親権控訴中に発生するこどもの略奪増加や
 国際的な子供の連れ去りなどに
対処するために設けられている条件である。

 🌎  🌍  🌏

ただ・・・
これには
必要な書類をそろえれば
クリアできる。

が・・・

ほとんどの国のホテルが
18歳未満の一人での宿泊を
受け入れてくれないことがわかった。

チェックインの際
必ずパスポートを提示しなければ
ならなかったから
なんの手段もなかった。

じぃじ ばぁばが同行すれば済むことだが
それでは
はやとの一人旅への夢は
崩れてしまうのである。

そこで
一つだけ方法があった。
適任者がいることを思いついた。

 
団体行動が嫌いで
入国審査の時以外は
空港内でも決して同じ行動をとらないし
外国での観光には別行動ばかりする
はやとの母親 みい がいた。



ホテルで目が覚めたら
同室のみいは
いつも部屋に姿がなかった。
ホテルの周りを散歩に出かけ
朝食は決して
一緒にレストランにはいかない。
もちろん
夕食もひとり別行動をとる。

私たちがホテルを出発して
観光に出かけるときも
一人ホテルに残って
周りの街をぶらぶらと散策したり
スーパーで買い物を楽しんだり
近くの公園を散歩したり
ホテル内のスパやジムを活用したりして
過ごすのが好きだった。


お互いを干渉しないで
一人旅を行うことができる
素晴らしい適任者が
こんなに近くにいたのだ。

私は
はやととともに
やんわりと
機嫌を損なわないように
みいを説得した。

「・・・こういう事情で
はやとは一人で外国旅行ができないので
みいが付き合ってあげてね。」

「旅費はばぁばが出すからね。
 年金 貯まったからね。 OK

  😉  😉  😉  


本来あまり旅行にはいきたがらない
頑固なみいを
一回で説得できるはずないと思っていたら

「 あら。 ありがとう。 」
快い返事が返ってきた。

私は
はやとと顔を見合わせた。

  チョキ  ニコニコ  チョキ

こんなに簡単にみいを
誘えると思っていなかっただけに
心底ほっとした。


とんとん拍子に
旅行の準備が整った。

12月30日出発
福岡~韓国ソウル経由~シンガポール

1月3日
シンガポール~韓国ソウル経由~福岡

ホテルは
みいが一人で過ごしやすいように
近くに商店街や
公園があり
フィットネスセンターがある
「 ヨークホテル 」を予約した。

 

 出発まで
 1週間となった。


 はやとは
 スマホで 
 クルーズ船でのカウントダウンの
 チケットを手配したり
 日々楽しそうに 計画を練っている。

 
「 ばぁば
 計画立てるのって難しいね。」という
 言葉を添えながら。


 👫  🛫  🛬 👫



  


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2023年12月20日

そそられる旅情 シンガポール



  秋の深まりとともに

 はやとは
 気持ちを言葉にあらわしだした。

 
「おれ・・・
   ぶらっと韓国に行ってこようかな」

 「そうね
   韓国なら近いので
     気軽に行ってこれるね。」

 🇰🇷   🇰🇷   🇰🇷

 「おれ・・・
   一人で外国に行ってこようかな」

 はやとの独り言に付き合う度に
 一回ごとに
 本気が感じられるようになった。

 私は
 真剣にはやとの独り言に
 きちんと耳を傾けるようになった。

「一人で行くのなら
 ・・・・
 そうねぇ
 治安もいいシンガポールにすれば!

 韓国は
 まったく言葉が通じなかったよね。

 文字も全くわからないので
 すべてがチンプン カンプンなはずよ。

 
 その点
 シンガポールの公用語は英語なので
 広範囲で
 英語が通じるんじゃないかなぁ」


 というのが
 ばぁばの意見だった。


  🙄  😏  😄
 

「 うんびっくり!!
   冬休みに一人旅で
    シンガポールに行ってくる。」

「 そうねコレ!  行ってくれば。」


  🇸🇬  🇸🇬  🇸🇬 
 

 物事をあまり深く考えないばぁばと
 怖いもの知らずの孫との
 驚くべきやり取りだった。



 一刻 一刻 秋が深まっていき
 はやとの胸は
 旅へのあこがれが溢れた。
 

しかし・・
 この時はまだ
 17歳のはやとの前に
 海外旅行に年齢の壁があることを
 私は知らなかったのである。 


  


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2023年12月18日

新たなる挑戦の兆し


 ひと夏が
 過ぎていこうとしていた8月の終わり



8月23日・24日
長崎県北の江迎町で
「千灯籠祭り」が
行われた。
小さな田舎町での
伝統ある大きな夏祭りである。

高校2年生になったはやとは
小学1年生から
江迎町伝統芸能「獅子舞太鼓」の
一員である。

こんなに長く太鼓を続けるとは
正直思っていなかったが
とにかく
やめることもなく
ぐんと身長が伸びたはやとは
今も
獅子舞太鼓の一員である。






 太鼓の演奏とともに
 西の空に陽が傾いていった。
 


 
 灯籠タワーが点灯した中  
 演奏はフィナーレを迎えていた。

 無病息災・五穀豊穣を願い
 青い獅子と赤い獅子が舞って
 獅子舞太鼓の演奏は終わった。
 





 フィナーレを務めた
 2頭の獅子が舞い
 多くの観客を魅了して
 演奏は幕を閉じた。

 感動の拍手の中
 青い獅子頭の中からでてきた
  はやとは
  ペアを組んだ幼馴染と共に
 はにかみながら
 頭を下げ挨拶をした。
 



  青少年健全育成・地域活性化を願って
  活動を続ける
  東江迎獅子舞太鼓のチームの中で
  高校2年生のはやとは
  身長が誰よりも一番高くなった。


 
  ちびっ子だった11年前のはやとを
  思い出し
  感慨深い気持ちが込み上げてきた。






 小学一年生から
 毎週月曜日 
 夜 7時30分から9時まで
 武道館に送って行き
 隅っこに座り
 はやとの練習を見つめてきた
 自分自身を
 誰が労ってくれるわけでもないが
 一人ひそかに
 自分をほめてやった。

 もちろん中学生になってからは
 練習時間の間の付き合いはしなくなり
 武道館の入り口で
 車を降り武道館に入るはやとの
 後姿を見届け
 自宅に戻り
 9時に再び迎えに行く
 そんな 週一の日々に付き合ってきた。


 いつの間にか
 小さな男の子は
 見上げるような青年になった。





 私は
 相変わらず
 職場で日の出を迎え
 仕事に専念していた。

 はやとが太鼓の練習に行く時間には
 残業を終わらせ急いで帰った。
 武道館への送迎は
 相変わらず私の役目であった。




 晩ご飯を食べ終えた団らんの時間
 はやとが
 時々
  「 おれ  一人で韓国に行ってこようかな」
 とつぶやきだしたのは

 夏が終わり
   秋が過ぎていき
     冬を迎えようとしていた頃である。


 

 
  


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2023年12月16日

韓国ソウル旅行 最終日

「明日の朝は食事のあと
荷物まとめて
自分たちでチェックアウトしてね。
ロビーで会おうね。
9時出発だよ。」

昨日
ソウルロッテワールドから
タクシーで帰ってきた
はやと達三人が
再び元気に夜の街へと
夕食に出かけていく前に
部屋を訪ねてきたとき
約束した言葉だった。

急遽思いついた2泊3日の韓国旅行
最後の日になった。
令和5年8月14日
ソウルの朝は
さわやかに晴れていた。

私と主人は
昨日の朝食バイキングで
トレー失敗事件を乗り越えていたので
二人で
スマートに朝食を楽しんだ。

バイキングの内容は
これといって
珍しいものもなかったが
ほどよく 充分であった。

主人と二人で
チェックアウトを済ませ
ホテルの外で待ってくれている
ガイドのチエ マンスクさんと雑談をしていた。


約束の9時を
10分ちょっと遅れ
三人は自分たちでチェックアウトを済ませ
元気に外に出てきた。


ホテルの前の道路沿いに
長時間車を止めておくことはタブーなので
私は内心
イラっとしていたが
不満を隠して
にこやかに三人と
朝の挨拶を交わした。

この後
すぐ近くの
ソウル最古の市場と称される
「南大門市場」へと向かった。
約2時間雑貨や土産物を探した。
三人にとって2時間は短かったようである。
サンダルや雑貨など
楽しそうに買い求めていた。

その後
三人は南大門市場近くの
マッサージに行き
私と主人は
チエさんに案内してもらい
南山の頂上に立つソウルタワーへと
出かけた。
ケーブルカーでタワーまでいき
展望台からソウルの街を眺めた。
世界各国からの観光客で
とても混雑していた。

2時間ほど
主人と二人で
ソウルタワーで過ごしたり
チエさんの紹介のお店で
韓国のりを買って
時間を費やした。

1時間30分コースの
マッサージを受けた三人と合流して
空港へと向かった。

ソウル市内から空港までの途中の
「ノリャンジン水産市場」で
昼食をとることにしていた。



平日なので
比較的すいていた。



新鮮な魚介類を選び料金を払った。
きっと高かったはずだが
旅行先では
ついつい懐が緩んだ・・・。



  

主人と二人っきりだと
もったいね・・・と言ってしまい
節約するが
三人の前で
ついついいい格好をしてしまった。

 😋  😝 

調理方法はレストランに任せた。
そんなに時間がかからず
次々とテーブルに豪華な料理が並んだ。

 

 新鮮な魚介料理の昼食で
 ソウルの旅を締めくくり
 仁川(インチョン)国際空港へと
 向かった。

 飛行機は18:05出発である。

 大韓航空のカウンターで
 搭乗手続きを済ませたあと
 三人と別れた。

 自分たちで
 手続きができるように
 別行動をとった。

 ・・・と考えたのは
 私の独りよがりで
 三人は
 機内に乗り込むまで
 私と主人には近づいてこなかった。


 😅    😅    😅






  

 三日間 お世話になりました。
 チエ マンシク様  
    

  🛫   ✈   🛬 


 8月14日
 インチョン空港 18時35分 発
 福岡空港    19時55分 着    



  大韓航空 
  1時間30分の空の旅で
  思いがけず
  軽食が振舞われ
  ホッと心があったかくなり
  あっという間に
  2泊3日の旅が終わりました。

 

 

 KEISINN君  19歳
 REN君     20歳
 HAYATO   17歳

 三日間の韓国旅行
 いつまでも
 覚えていてくれますように



  


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2023年12月08日

韓国ソウル旅行 第二日目 

「明朝 9時30分出発するので
  玄関前に集合ね。」と

初日ホテルにチェックインしてから
彼ら三人と別れた。

令和5年8月13日
ソウル市役所前のコリアナホテルで
旅行二日目の朝を向かえた。

午前7時
私は主人と二人で
朝食をとるため
レストランへと向かった。

オープンしたばかりで
とても空いていた。
まだ3組ほどの客がいただけだった。

日本でも
今までの旅行先でも
バイキングは
まず大きな白いトレーを手にして
小さなお皿を乗せて
料理を取り込んでいき
更に
小分けする料理の為に
小さなお皿もお盆に乗せて
好みの料理を
たくさん取り込んでから
いったん席に戻るのが常だった。

大きなお盆が料理の横になかったので
きょろきょろと
周りを見渡すと
隅っこに
こげ茶色のお盆が積まれていたので
ちょっぴり戸惑いがあったが
私と主人は
そのお盆を手にして
次々と料理を乗せて
窓際の席に着いた。

少しずつ
お客さまが増えていった。
ふと気がつくと
ほとんどの方が
小さなお皿だけを
そのまま手にして
その小さなお皿に乗る分だけ
料理を取り込み
自分の席に戻っていた。
一つのお皿を席に置き
すぐ
又料理を選びに行っていた。

私は主人とこそこそと話した。
「だれも お盆を使っていないね。
 もしかしたら
 このこげ茶色のお盆は
 従業員さんがかたづけに使うための
 おぼんかなぁ・・・」と。

   😟   😓 

それが正解だったみたいで
食事を終えたお客様が
席を立った後の
片付けに
従業員さんが使っていた。

恥ずかしかったが
もうどうすことも出来なかった。


食事を終えて部屋に戻り
すぐに
隣の部屋のはやとに電話した。

「大きなトレーはおいていないので 
 そのまま小さな取り皿を手にとって
 料理を乗せて
 席に置きに行ってから
 又 別の料理を取りに行きなさいね。」
「こげ茶色のお盆は
 片付けの為のお盆だから
 使ったらだめよ。

 オムレツ作ってもらったらいいよ。
 美味しかったよ。」 と
 付け加えた。

 街路樹の
 やわらかい枝が伸びた2階の窓際の席で
 私と主人は
 ちょっぴり恥をかきながらも
 バイキングを楽しみ
 韓国2日目の朝がスタートした。



 午前9時30分
 ホテルの玄関に
 三人は元気に出てきた。

 今日も一日
 私と主人の二人は
 日本語ガイドさん チエ マンスクさんに
 付き合っていただくことになっている。
 料金は
 車付きガイドをしていただいて
 一日3万円である。
 個人的に
 旅行前にまっすぐチェさんと電話で
 やり取りをして
 ラインを交わして
 詳しく希望の予定を伝えていた。

 ホテル前には
 彼らが大好きなバイクが並んでいた。


みんなで
コリアナホテルの近くの
古宮 景福寺で
勤政門での
守門将交代式を見学した。





その後
はやとたちは
ソウルロッテワールドで一日を
過ごす予定になっていた。

チエ マンスクさんに
ロッテワールドまで送ってもらい
そこで
三人は車を降り
私と主人は
鳥頭山 統一展望台へと
案内してもらった。

 

三人のために
旅行出発前に
「ソウルロッテワールド1日フリーパスチケット」を
購入しておいた。

フリーパスチケットに加えて
行列に並ぶことなく
アトラクションを楽しめるマジックパスを
手に入れておいてやりたかったが      
購入することができなかったことを
はやとに伝えて
三人を見送った。

私と主人は
ガイドのチエさんの案内で
北朝鮮が見える
鳥頭山(オドゥサン)統一展望台へと向かった。

しばらくすると
はやとから電話がはいった。
「ばぁば
  どのアトラクションも
   ものすごい行列だョ!」と。
そこで
「当日券のマジックパスを
 頑張って 買ってみてごらん。」
「いったん 
外に出ないと買えないはずだからね。」と
伝えた。

気持ちが
孫離れできなかった。

40分程経って
「 買えたよ~~~」と
はやとから
ラインが届いた。
はやとのたどたどしい英語力で
マジックパス売り場に
たどり着き購入することができたとの事で
心底 嬉しかった。

大行列の人たちを横目に
待つこともなく
次々とアトラクションを体験する
三人の楽しそうな笑顔が浮かび
私はほっとして
車窓見物を楽しむことができた。

とことん
孫から気持ちが離れられない自分に
あきれながら・・・。


鳥頭山(オドゥサン)統一展望台に到着し
車を降り
ガイドさんの後について
急な坂道を
息を切らせながら展望台に上った。


展望台の双眼鏡で
北朝鮮を眺めた。
展望台の下を流れるイムジン川は
干潮時で潮が引き
固まったきれいな砂地が現れ
北朝鮮がとても近く感じた。
集落やアパート 農耕地が見えたが
人影や行き交う自動車は
老齢で視力が衰えた私の眼では
見ることができなかった。
展示物や土産物店を見ながら
2時間弱を過ごした。

ソウルに戻り
遅い昼食をとった。
ガイドさんは
麺料理の人気レストランに
案内してくれた。
ちょっぴり辛い冷麺を食べた。
ハサミをどんぶりの中にれて
チョキチョキと麺を切ってから
食べることを勧められた。

そういえば
昨日の焼肉屋さんでも
ハサミを使い
大きい肉をチョキチョキ切りながら
焼いたのを思い出した。
食卓でハサミを使うのが定番なのかな・・・?

その後
ホテルの近くの
明洞のミナミエステサロンで
全身マッサージを受け
時間をつぶした。

あまり
乗り気でない主人を無理やり
突き合わせて・・ベー
ミナミエステサロンは
日本語が通じるので
とてもリラックスできた。

なんとなく
だらだらと時間が過ぎていき
夕方になった。
昼食が遅かったので
あまりお腹が空いていなかったから
ミナミエステサロンを出たところにある
明洞の屋台をぶらぶらと散策し
晩ご飯を買い求め
ホテルへと戻った。

韓国二日目の夜も
あれこれと買い求めた
屋台料理の入った袋を下げ
ホテル横のコンビニで
ビールと酎ハイを買って
部屋に戻った。


😅  😅  😅 


せっかくやってきた
見知らぬ国で
色気のないディナーだが
いっぱい紙袋を広げ
むしゃむしゃと晩ご飯を食べた。


ゆったりと
緊張のない時間が過ぎていき
ある意味
夫婦二人きりで
いい旅行気分を味わった。


😋  😋  😋


はやと達は
タクシーを利用して
夕方ホテルに戻ってきた。

ロッテワールドのアトラクションを
マジックパス利用できたので
次々と待ち時間なしに
ほぼすべて乗りつくして
刺激があっておもしろかったうえに
ロッテワールドタワーで
家族へのお土産も買って
意気揚々と帰ってきた。

私たちの部屋に立ち寄り
楽しく話して聞かせてから
三人で元気に
近くのレストランを探して
夕食のために夜の街へと
出かけて行った。


体格のいい青年三人なので
心配の気持ちは沸いてこなかった。


韓国は
私は
政治的な難しい問題は解らないので
若者が短期間楽しむには
活気のある
楽しい旅行先であるように思えた。


シルバーの私と主人は
なんとなく
刺激のない
だらだらとした一日を過ごした。

 




   


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2023年09月29日

韓国ソウル旅行 第一日目

8月12日

福岡空港
午前10時35分発の
大韓航空機は大幅に遅れ
ソウル仁川(インチョン)空港に到着した。

  

税関カウンターは
非常に混雑していて
時間がかかった。

 

はやとのスーツケースにのった布袋は
小学2年生の時から行きはじめた海外旅行に
必ず宿題を入れて
持っていっていた物だった。
空港の待ち時間でも
飛行機のなかでも
ホテルでも
布バックからプリントと
鉛筆削りを取りだして
せっせと勉強をしていた。
高校生の彼が
やはりこの布バックに
小物の必需品をいれて
持ってきていたのには
なんとも微笑ましかった。


ガイドの
チェ マンシクさんとおち合ったのは
13時をとっくに過ぎていた。

到着したばかりの韓国は
小雨が降っていて
とても涼しかった。


まず
昼食のため
レストランへの案内をお願いした。

流暢な日本語を話すガイドの
チェ マンシクさんは
ソウル市内の焼肉屋さんに
案内してくれた。



簡単な日本語を話す
ウエイトレスさんが
かいがいしく
お世話をしてくださり
あげ禅据え膳で
食事が楽しめた。
 



全てがとても美味しく
心地良い満腹感で満たされて
旅の始まりの第一歩から
みんな韓国が大好きになった。

観光して回るのには
あまり時間がなかったので
ソウル市内の射撃場で遊んでから
ホテルに送ってもらうことにした。




 いろんなコースがあったので
 金額とにらめっこ。

 ふだんの頑張りを考慮して
 とても奮発してあげて
 25発の射撃のコースを選んだ。

 防弾チョッキ 耳当て ゴーグルを
 着用して入場。
 一人一人に
 インストラクターが寄り添ってくれるので
 みんな安心して
 本物の銃を手にして真剣に
 的を狙った。 


 力のこもったレジャーにも
 大満足。


出発が早かったので
ひとまず
ホテルに入ることにした。

チェ マンシクさんに
予約してもらっていたホテルは
ソウル市役所の前にある
大きなホテルだった。


  ホテル コリアナ
 

チェックインをした後
ガイドさんと別れた。

朝食を申し込んでいないことに気がついた。
そこで
カウンターではやとに
2日間の朝食を申し込ませた。
はやとは
カードで朝食料金を支払い
カウンターから離れている
私と主人の下に
カードを返しに来た。

朝食券をもらっていなかったので
再度
カウンターに行くように勧めた。
「レストランの入り口で
ルームナンバーを言うだけでOKだよ。」
はやとは再び私達のもとに戻った。

中学3年の時に
英検準2級を合格しているはやとの
英語力が通用できることが解って
内心とても嬉しかった。

明日の朝
出発を9時30分と約束して
若者たち3人と別れた。

彼等は
一呼吸おいて
夜の街へと夕食に出かけて行った。

綺麗で健康的に感じられた
ソウルの街の夜は
体格のいい若い男の子達が出歩くのに
危機感は感じられなかった。


私と主人は
ホテルの横のコンビニで
缶ビールとおつまみと
サンドイッチなどを買ってきて
部屋でのんびり食べ散らかして
過ごした。



美味しいものをたらふく食べて
手に汗握る
興奮したレジャーを楽しんで
韓国ソウルでの
旅の一日目が終わった。


空港でも
街の中でも
マスクを着用している人はいなかった。


  


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2023年09月22日

ご褒美は 韓国旅行ヽ(^o^)丿


 土曜日も
   日曜日も
     夏休み中も

 部活のない日は
 早朝から夕方遅くまで
 私の職場に出かけて来て
 頑張って働いてきたはやとに
 ご褒美を思いついた。

 お盆しか休業できないので
 12日から14日までの三日間を
 久しぶりに
 海外旅行に出かけることにした。

 三日間しか時間が取れなかった。

 三日間・・・
 近場
 なら 韓国しか思いつかなかった。


 今回の韓国ソウルへの旅
 はやとの仲良し青年を誘った。

 8月12日 午前5時
 私は主人と二人で
 はやとは二人の友達と共に
 別々の車に分かれて
 福岡空港へと出発した。

 
 待ち合わせは
 福岡国際空港の駐車場だった。

 午前9時
 大韓航空のカウンター
 一緒に手続きを済ませて
 ソウル/仁川(インチョン)への
 チケットを渡して 解散。

 若者たちとは極力接触を控えることにした。
 
 集合は
 10時35分発の30分前の
 出発ゲートにした。
 
 
 「早めに保安検査場を
 通過しておきなさいよ」
 と言う言葉を投げかけて別れた。

 小学2年生から毎年
 海外旅行に出かけてきたはやとを
 私は試したかった。

 コロナ渦で
 3年間海外へと旅が出来なかった。
 その間はやとは
 高校2年生になった。

 私がついていなくても
 自分の力で
 全ての手続きができるか
 見てみたかった。

 私と主人は 
 彼らを無視することにした。
 そのつもりが・・・
 その逆で
 ジィジとバァバは三人に無視された。

  😞  😓

 空港の中でも
 飛行機の中でも
 三人は私達に近寄ってこなかった。

  🧓  👴


 はやとは
 福岡空港に着くと
 ATMで現金をおろした。
 仲間と共に
 両替に出かけた。
 

 現地についてから
 到着直後の両替は
 とても不便だった。

 到着して空港を出ると
 すぐ小銭が必要になってくる。
 スーパーに寄ったり
 町のレストランに寄ったり
 タクシーを利用したり・・・と


 カードを利用できるのは
 限られた場所だけであることを
 沢山経験してきているので
 出発前の両替は必須であった。

 はやとは
 しっかりと身についていて
 自ら
 空港内の両替所に出かけて行った。

 

 
 チケットを手にすると
 三人はもう
 私達の視界の中にはいなかった。
 主人と二人で
 早目に保安検査場を通過してから
 カレーを食べて
 ぶらぶらと58番ゲートに向かった。
 
 
 10時35分発の飛行機は
 30分以上遅れて出発した。


 飛行機に乗り込むと
 すぐに
 入国カードが配られてくるので
 もらい忘れないようにと教えていた。
 若者たちにラインで
 滞在先のホテルの名前と
 職業だけをラインで知らせておいた。
 機内がまだザワザワしている時に
 配られてくる事が多いので
 うっかりもらい忘れると
 入国の際の 
 税関検疫カウンター横で
 記入しなくてはいけないから
 とても面倒だし時間のロスである。
 必ず機内で手に入れ
 飛行機の中で
 記入しておく必要があった。

 三人とも
 神妙な顔つきで記入を済ませていた。
 

 福岡空港から
 ソウルの仁川(インチョン)国際空港まで
 1時間30分の空の旅が始まった。

 各座席の
 タッチパネル式の液晶モニターは
 充分な大きさがあり
 スクリーンの下には
 USBポートがあり
 スマホの充電も可能であった。

 短いフライトにも関わらず
 軽食が配られた。
 
 

 思いがけなかったサービスに
 ほっと
 心が和んだ。

 12時到着予定が
 出発が遅れたので
 空港を出たのは
 午後1時をとっくに回った頃だった。
 
 8月に入ってから
 急に思い立った旅行なので
 旅行会社では
 ホテルの手配も 
 ガイドさん付きの車も
 手配が出来なかった。
 そこで
 知り合いから
 韓国人のガイドさんを紹介してもらい
 車の手配とホテルの予約を頼んだ。

  ホテル コリアナ
 

 ガイドのチエ マンシクさんとは
 ホテルの手配やら
 観光して回りたいコースを伝えたりと
 頻繁にラインのやり取りをして
 今日という日を迎えた。
 飛行機の遅れも
 きちんと伝えあうことが出来ていて
 スムーズに出会うことが出来た。

 
 
 
 到着した韓国は
 雨が降っていてとても涼しかった。


 青年たちの無邪気な笑顔と共に
 2泊3日の楽しい旅が始まった。
 


 私の右膝は
 サポートを装着していて
 車の乗り降りや
 まだ階段の上り下りが
 不自由だったが
 心は とても軽やかだった。
 
  


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2023年09月08日

人工膝関節単顆置換術

「麻酔をかけて
  膝が曲がるように
  訓練しましょうか。

 このままだと
  せっかく正座が出来る膝なのに
  固着してしまいますよ」

手術をした右膝の
  リハビリが
  痛みの為進んで行かない私に
主治医は
容赦のない言葉を投げかけた。

がーん  がーん  がーん 

術後
6週間目の診察日の
事だった。

ゴールデンウィークに
沢山のお客さまを迎え
私は自分の歳を考えず働いた。

夜明け前から出勤し
日の出と共に出航していく
釣船のお客さまを見送り
休むことなく
雑用を熟し
帰港してきたお客様を迎え
使用後の船を洗い
燃料を入れ
桟橋から事務所までを
行ったり来たり・・・
行ったり来たり・・・

若いアルバイト君たちと共に
一生懸命に働いていた。

ゴールデンウイークも
終わりに近づいたころ
突然右膝に激痛が走り
一歩も足が
かわせなくなってしまった。

私は松葉杖に頼りながら
更に
働き続けていた。



膝は
日増しに悪化していき
怪我をしてから
1か月も経ってしまった頃に
手術を決断した。


私は
誰からも呆れられながら
2本の松葉杖に頼りながら
仕事場に通っていた。

元気だった左足は
怪我をした右足をかばって
頑張りすぎていたため
ひどく腫れ
両足に痛みがはしり
歩くのが困難な状態になっていた。

手術日は6月29日と決定した。
怪我をしてから
すでに2か月が経ってしまっていた。

「右変形性膝関節症」と
診断され
6月29日
人工膝関節単顆置換術を
受けた。

入院中は
帳簿や書類を
個室に持ち込んで
溜めこんでいた事務処理に励み
10日間の
有意義な入院生活を送った。

書店のご主人から勧められたコミック
「アオアシ」を
30巻まで購入して
事務処理の合間合間に
読書にはまった。
サッカー少年の物語で
サッカーとは無縁だった私は
この物語にどっぷりと
のめり込んだ。


振替伝票作成や読書
合間合間にリハビリやシャワーと
充実した10日間の
入院生活を送った。


退院後
痛みのない範囲内での
リハビリに励んでいた私に
主治医は喝を入れた。

痛いのなら
麻酔を注射してでも
膝を曲げる練習を
しなければならない・・・と。

甘く・・
 ゆるく考えていた私が
この言葉で目が覚め
膝をぐーと引き寄せ
痛みを我慢して
自己流だがリハビリに励んでいる。

怪我をしてから4か月が経ち
手術をしてから2か月が
過ぎて行こうとしている。

季節は巡り
秋の気配が漂い始めた。


スタスタと歩けるように心掛け
生活をしているが
腰が曲がり気味になり
背中が丸くなり
身体中 全ての機能が
衰えたように感じる。

相変らず
膨大な仕事量に
押しつぶされそうになりながら
弱い心を封じ込め
一大奮起しながら
家族に支えられて
働く日々が
過ぎて去っている。

私は
誰かに仕事を
バトンタッチしなければならない。
切実な問題に直面しながら
立ち止まっている。


孫のはやとは
日増しに心身ともに成長を続け
有り余るほどの
孝行を彼から受けている。

「ばあば 大丈夫?
 一人で出来るね?」と
毎日彼が私にかける言葉である。

夏休み中
私の職場に出かけて来て
人手の足りない
我が社の仕事を手伝った。

暑い陽射しの下で
船台にあがった作業船の
エンジンやドライブの
整備や修理を
次々と片付けて行った。

透析を受け始めた社長の代わりに
社員の整備士さんを補佐しながら
貸船のお客様の対応や
貸し船の燃料補給-そうじなど
自ら意気揚々と働いていた。

成績が優秀な高校生の彼は
当たり前のように
学業と我が社の手伝いを
両立させていた。

二学期が始まったが
部活が終わると
制服のままで
高校から車で5分の
わが社にやって来ては
作業服に着替え
溶接や
エンジンの修理を
やってのけている。

午後6時過ぎみんなが帰り
事務所で振替伝票の入力に追われる
私の耳に
隣接している作業場から
はやとの口笛が聞こえてくるのである。


はやとが
自分の意志で
心地よく働いている空気が伝わり
申し訳ない気持ちと
何とも幸せな気分に満たされる。

我が社は
第30期が始まった昨年の9月
高校一年生のはやとを
取締役に就任させていた。

そんなはやとに
この夏
一つの小さな」プレゼントをした。


二泊三日の韓国旅行である。
はやとと仲の良いバイト君をさそって・・・。

  


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2023年01月01日

令和5年 スタート

無我夢中で過ごした令和4年が
過ぎて行った。

毎日が健康に恵まれ
一日一日を元気で
職場ばかりで
過ごした昨年であった。


夜明け前の出勤途中
ひときわ輝きを増しながら
沈んで行こうとしている
お月様を見送り
心が洗われた秋の朝・・



気嵐に包まれた
厳しい寒さの中に身を置くと
心身ともに浄化され
新たな一日をスタートできる喜びが
溢れてきた冬の朝・・

朝から晩まで
一生懸命に働く私は
大自然から
こんな綺麗な夕日をなげかけ
労って貰えた日々を送った。



季節は平和に廻っていった。


春を迎え・・

夏が過ぎ去り・・・

秋を見送り・・

冬がやってきた。
 

一日を積み重ねながら
令和4年の一年を送り
私は
65歳から
66歳になった。

時は
一昨日から昨日へと続き
昨日は今日へと続き
今日は明日へとつながってきた。
私は職場で同じことを
毎日毎日繰り返した。
その流れの中で
私は自分の歳を忘れて過ごした。

無我夢中の一年を過ごした。

私は今
自分の歳を考え
不安の中で新しい年を迎えた。

神様
どうかもう少し私に
健康を与えて下さいと
私は願った。

亡き
お父ちゃん
お母ちゃん
博にい
定にい
お義父さん
お義母さん
義弟の浩二さん
私を見守ってください。
私に力を貸してください と
仏さまにすがった。


職場での責任が
大きく私にのしかかってきている今
私は
倒れてしまいそうな心を
誰にも気づかれないように
平気を装って
気丈に振る舞ってきた。

私は何の力もないのに
会社を支えて行かなくてはならない。

私は投げ出してしまいたかった。
本音は・・。
心の中では
涙の湖がどんどんと大きくなり
何時
洪水をおこしてもおかしくなかった。


私は無能で何もできない人間である。
自分が一番無能さが
わかっているだけに
この一年を
仕事と向き合いながら
私は恐る恐る進んできた。

30年間
社長の下で
経理事務を担当し働いてきた。
その長い年月に3人の娘を育て
主人を支え
娘たちを嫁がせ
孫に恵まれた。

職場も
私生活も
様々な問題を抱えながらの
30年の道のりであった。

長い年月
私は当然会社からの報酬を貰い
主人と共に働き
不自由なく生活を営んでこれた事への
感謝を忘れていない。

零細企業である我が社は
社長の頑張りから
どんな不景気な折にも
潰れることも無く
やってこれたこと。
その会社からの報酬で
わが家は何不自由なく
暮らしてこれたことを
私は肝に銘じている。

その間
次女の闘病生活
幼い孫を連れての勤務
長い年月
娘や孫を見守ってくれた
社長への恩義を私は
決して忘れていない。

75歳という加齢と共に
腎臓に欠陥を持ち
透析を始めた社長を支え
会社を
存続していかなければならない。

新しい戦力が
会社に具わり
会社の経営が
スムーズに行える日まで
あと少し
私に健康を与えて下さいと願う。


どうか
無能な私に
力を貸してください。
神さま 仏さまと
目に見えない大きな力に
すがる思いで
新しい令和5年を迎えた。


 どうか
 今年一年
 毎日穏やかな朝を
 繰り返せますように。

  


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2022年07月29日

キングダム2遥かなる大地へ

興奮がおさまらなかった。
ドキドキと
何時までも心臓が脈打っていた。

映画
「キングダム2
 遥かなる大地へ」を
観終えた私は
作業着のジーパンと
長袖のシャツ
ちょっと汚れた作業靴のまま
佐世保市街の映画館の通りを
駐車場に向ってトコトコと歩いた。

木曜日 午後5時前
商店街の人影はまばらだった。
私は
お昼ご飯を食べていなかった。

映画館で
音を立てず
こっそりと食べようとした
サンドイッチも
ペットボトルのお茶も
そのままで
バックの中で重たかった。

私は
歩く姿勢に気を配った。
背中は曲がっていないか・・
膝はO脚になっていないか・・・
そして
つまずかないように
駐車場の
愛車ランドクルーザーに向かった。

思いがけず
佐世保市役所本庁に
書類の申請に
行かなければならない午後
私は
買い物をしたかったので
午前中の仕事を終え
休みをとった。
買い物をしようとしたが
気が変わり
上映時間午後2時30分の
映画を観たくなった。


帰宅して着替える時間が
取れなかったので
薄汚れた靴を
雑巾でふき
長袖のシャツの背中を引っ張て
しわを伸ばし
午前中の仕事を終わらせ
昨年購入した
黒のランドクルーザーに
乗り込んだ。

佐世保市役所での
書類申請に時間をとられ
2時30分上映ぎりぎりに
映画館に駆け込んだ。
10数名の観客が疎らに座っていた。

私は
こっそりと
サンドイッチを食べたかったので
誰もいない列を選んで腰を掛けた。
予告もコマーシャルも終わっていて
座るなり
いきなり映画が始まった。

膝の上に組んだ指に力が入った。
最初から
最後まで
苛烈な戦乱のシーンが続いた。


椅子のスタンドに置かれた
ペットボトルの蓋を
開けることも無く
もちろん
お昼ご飯を
食べていないことも忘れて
物語りの中に
吸い込まれていた。

コミックの大ファンであるので
あらすじを解っているから
なおさら物語の中に没頭できた。

2時間15分の戦闘シーンで
両肩がコチコチになり
動悸がいつまでも治まらなかった。

久しぶりに
誰も知らない私だけの時間を
過ごし満たされた。

車の中には
すこしづつ読み進んでいる
キングダム65巻があった。


映画を観終えた私は
平和な時代に生まれ
平穏に暮らしている幸せを
つくづくと感じ
何時までも続く興奮は
心地良かった。

📽  🎥  🎥   📽  

仕事を終えた私は
午後7時過ぎまで
経営している貸別荘の
周囲の草ひきに追われている
日常を送っている。

沈む夕日に包まれた
貸別荘「颯ん家」の高台の上で
一日を締めくくる日々が
続いている。



昨年の花から落ちた種が芽を出し
小さな苗が驚くほど
沢山成長しているので
その移植作業に追われている。
天気予報が外れ
雨が降らない為
早朝 夕方と
水やりに多くの時間をとられている。



  
 
  

   



 
 「有言実行」 
  結果オーライ

病気の娘をかかえ
先の見えない苦しい時期に
遠い沖縄から
メールで支え続けてくれた
10年来のお付き合いのひとみさんは
相変らず
その場その場に
適切な言葉を投げかけてくれる。

又大きな問題を抱えている私に
ひとつの言葉を送ってくれた。

 「有言実行」
 結果オーライ

この言葉が
颯ん家の周りが
秋になり
様々な花で囲まれるようにと願って
行動している今の私の
こんな小さな問題にも
つっかえ棒になっていて
日々小さな努力努力! と
自分を奮起させているのである。


私の勝手で
引き抜かれ
違う場所に移された花の苗を
枯らさないように
日々水やりに精を出している私である。


 枯れずに
 花を咲かせてくれますように・・。 

 

 

そのひとみさんから
「不思議な体力」という言葉が
ラインで届いた。

この綺麗な景色を眺めながら
心地よい風に浄化され
「不思議な体力」が
培われている・・・と
私は信じている。





  

 ひまわりと
 ケイトウと
 コスモスの花畑を夢見て
 私の努力は続く・・・

 家族に
 呆れられながら 🤗

  


  


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2022年07月22日

大阪に住む姉と叔母に再会


あれから1か月が経った。 
姉の育てた満開の紫陽花の咲く
6月17日・18日の
出来事である。


午前10時30分
会社の駐車場で
1.3トンの
おんぼろトラックの荷台に
白い塗料を塗った。
タイムリミットは
午前11時である。

1時間前に
急きょ 大阪の取引先まで
中古エンジンを
仕入れに行くことになった。

貸し船に搭載されているエンジンが
故障したのであった。
私は自宅にいる主人に電話を入れた。
「 暇?
    大阪まで付き合って!
 貸し船のエンジンが壊れた・・。

 大阪に同じ中古エンジンがあるので
 明日中に買って帰り
 土曜日中に
 エンジンを乗せ換えたいので・・。」

私の頼みに対して
首を横に振ったことが
今まで一度もなかった主人である。

阪急フェリーに予約を入れた。
新門司港17時30分出港
翌朝大阪泉大津6時着

頻繁に利用するフェリーである。
福岡新門司の阪急フェリーの乗り場まで
休憩をとりながら
いつも4時間かかるとみている。
会社を12時にでないといけない。

それにしても
1,3トンのトヨタライナの荷台は
サビてぼろぼろだった。
おんぼろの上に
この汚いトラックは
さすがに恥ずかしかった。

ジーパンの上に
ヤッケのズボンをはき
腕カバーを付けた私は
作業用のペンキの突いている
長靴に履き替えた。
白いペンキに
少しアイボりーのペンキを混ぜて
大急ぎで荷台を塗装した。
船の塗装の仕事には
慣れている私である。

12時
会社を出て自宅に戻った。
もちろん
荷台はペンキ塗りたてである。
ロープやチエーンブロックなどを
助手席の足元に詰め込んだ。

自宅では
昼食を済ませた主人が
一泊分の荷物を準備して
待っていてくれた。

トラックなので
(それもおんぼろ・・)
ジーパンとシャツの仕事着のまま
一日分の着替えを
小さなバックに詰め込んで
13時少し前に自宅を出た。

もちろん
ハンドルを握るのは主人ピース

ガタガタと音のする
おんぼろトラックは
クーラーがきかないガ-ン
過酷な条件で働き慣れている私は
クーラーがきかないことは
さほど 気にならなかった。
坂道は
ギヤチェンジを巧みに操らなければ
スピードが落ちてしまう・・。
それはそれで
主人は運転テクニックを駆使して
面白そうに楽しんでいた。

2回ほどのトイレタイムをとり
16時過ぎ
新門司港の
阪急フェリー乗り場に到着した。

トラックでの乗船は初めてだった為
普通車専用のチケット販売の窓口に
並んでしまった。
窓口の間違いを指摘され
端っこにある
トラック専用の窓口に
並び直した。

気さくなドライバーさんを
相手にしているからか
とても朗らかな女性が
テキパキと明るく業務を行っていた。
電話で予約を入れていたのは
デラックス洋室2人部屋で
乗船料は54,000円ちょっとだった。

その気さくさに魅かれ
「お風呂のついているお部屋は
 空いていませんか?」と尋ねた。
「スイートルームでよろしいですか?」
「お風呂とトイレがついているお部屋を。」
田舎者丸出しの質問である。

ピース   ピース   ピース 
 
美人ではないが
とても明るい彼女は
気さくに可愛い笑顔を向けた。

「割引対象になる条件はありますか?
シニア割引などがありますが・・。」
私達は顔を見合わせた。
もちろん二人とも60歳以上である。
四捨五入をすると
70歳である。
免許証を提示すると
51,000ちょっとになった。
「デラックス洋式」から
部屋のランクを上げ
「スイートルーム」にしたのに
シニア割引で安くなったのである。
おまけに朝食の割引券までもらった。

慌ただしく過ぎた一日だったが
主人と二人
旅行気分で
海を見ながら夕食を済ませ
広くて清潔なスイートルームで
快適に過ごした。

早い夕食を終えた私は
大阪に住む姉に電話を入れた。
せっかくだから
姉に逢いたいという気持ちが
抑えられなくなったからである。

そして
中古エンジンの仕入れ先からの
帰り道に住む大阪の叔母にも
一目会いたくなり
連絡をとった。

思いがけず
大阪堺市に住む姉にも
大阪摂津市に住む叔母にも
私は会えることとなった。


徳島の深い深い山の中の
小さな集落の景色が
懐かしくよみがえってきた。

私と姉はもちろん
93歳の叔母家族も
徳島の奥深い山村が故郷である。



その懐かしい景色とともに
そよぐ風の心地良さも
降り注ぐ日の光も
流れる清らかなせせらぎも
私達の記憶の中から
あったかい優しいオブラートに
包まれていて
いつでも引き出すことが出来た。

翌朝予定通り
午前6時泉大津港にフェリーは着岸した。

6時30分 
私達夫婦は
堺市泉北ニュータウンで暮らす姉と
他愛もない話を交わしていた。
80歳の義兄もとても健康で
姉と共に
平凡な一日を繰り返していた。


突然の訪問なのに
家中
姉が育てている花で飾られていた。
1時間の訪問で充分だった。
交わす言葉も
多くはいらなかった。
平凡な時間の流れの中で
幸せに暮らしている様子は
居間に通されただけで
一目で伝わってきた。

二人に見送られて
取引先の会社に向かった。
中古エンジンをトラックに積み込み
淀川を渡り
河川敷公園の駐車場に到着すると
小学生卒業まで
家族同様に育った従弟が
待っていてくれた。

主人とも親しい従弟は
私よりも主人と話を弾ませながら
摂津市鳥飼の
叔母の家に向かった。


門を開けると
ノウゼンカズラが頭の上で
ユラユラと揺れていた。
手入れの行き届いた畑には
トマト きゅうり 茄子 かぼちゃと
夏野菜がたくさん実っていた。
雑草の生えていない庭は
93歳の叔母の手で
毎日手入れされているのが
一目瞭然だった。

今年春に亡くなった
叔父の仏壇に手を合わせ
お昼前まで
雑談を交わした。

子供の頃に親密に過ごし
可愛がってくれた叔母との再会は
母にあっているような気分になり
私の心に
潤いを与えてくれた。

ノウゼンカズラの花の下で
見送ってくれる叔母に別れを告げて
従弟と共に
淀川河川敷駐車場へと向かった。

 
 
荷造りをチェックし
クーラーのきかない
おんぼろトラックに乗り込んで
従弟に別れを告げた。

感傷的な気分は
自宅へ帰ることに
切り替わった。

山陽自動車道を
ひたすら九州へと向かった。
時速100キロしか出せない
おんぼろトラックを
主人は巧みに操作し
下り坂で到着時間短縮を図った。

主人は
ミッションならではの
運転のおもしろさを
楽しんでいた。
岡山を通り越し
広島を通り越し
下関王子PAで運転を
私に変わった。

午後7時前である。
王子PAでうどんを食べて
私がハンドルを握った。
乗り慣れたトラックである。
だが私のテクニックでは
時間短縮を図れなかった。

九州に入り
福岡を通り越し佐賀に入り
西九州自動車道 川登SAで
再び主人がハンドルを握った。

「少しは眠った?」
と言う私に
「心配で目が冴えたぞ」と
軽く流した。
私は66歳である。
自分の年を私は忘れている。

ピース  ピース  ピース

午後11時過ぎ
自宅の駐車場に到着した。
玄関の照明がつき
はやとが迎えにでてきた。

私達の帰りを待っていたはやとは
トラックの荷台に乗り込んで
エンジンをチエックした。
とても綺麗なエンジンに
満足を示した。

6月18日(土) 
貸し船のエンジンは
載せ替えられた。
もちろんはやとも
整備助手を務めた。

 

思いがけないエンジントラブルで
私は
プチ旅行を楽しむことが出来た。
無理やり
有無を言わせず
付き合せられる主人も
変化のある行動に
まんざらでもない様子である。

私が一人で
そう思い込んでいるだけかな・・・ヒミツ

  😛  🙄





  


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2022年04月30日

働き方改革



 強風の一日が始まった。

日の出前に事務所を開けて
釣り客を迎えなければいけない日々を
過ごしている私は
強風 高波の為
定時である8時に出勤していい朝を迎えた。

明るい時に自宅で朝を迎えるのが
とっても
珍しくなった。

久々に出勤前に眺めた
我が家の庭は
春の花で溢れていた。

亡き姑からもらった八重咲の雪柳も
花瓶にさしてやることも無く
花盛りだった。

娘の中学卒業の記念樹の
アザレアも見事に咲き誇っていた。

名前は解らないが
野原から移植した紫の花は
今年も可憐な花を咲かせていた。

 2017年  盲腸癌 発症 ステージⅡ
 2018年  乳癌   発症 ステージⅢ

 私は癌という病気になるまで
 死を考えたことが無かった。
 健康そのものだった私は
 平凡に70歳は迎えられると
 疑ったことは無かった。

 癌に侵され
 何時までもはない命だと考えた時
 大事にしてきた庭の草は誰がとるんだ?
 きっと
 庭は雑草だらけになっていまうはずである・・・
 と 非常に気にかけた。

 加入していた癌保険をつかって
 私は庭の草ひきをしなくていいように
 舗装をし石畳を施した。 
 
 二つの癌を克服してから
 私は
 ますます元気で
 ますます仕事人間で
 プライベートな時間を
 取れなくなってしまった。

 大好きな庭を
 余裕をもって眺めることも出来ず
 一日のほとんどを職場で過ごした。
 年を取るにつれ
 仕事の重圧が私にのしかかってきた。

 嫁いでいった娘達家族を招待して
 BBQが出来るように
 BBQコンロをおくスペースも
 石畳の中に作ったというのに
 娘たちと食事をすることも
 話をする時間さえ
 私は取ることが出来なくなってしまった。

 長女 4人家族
 三女 5人家族

 私は音信不通のような過ごし方をしている。

 こんなはずでは無かったんだが・・・
 外で暮らす孫たちに
 手料理を振る舞い
 頻繁に行き来し
 可愛がり
 おばあちゃんとして慕ってもらいたかったが
 私は忙しすぎた。

 仕事は面白かった。
 事務をしても
 釣りのお客様の
   予約を受ける電話の応対も
   出港のお手伝いする時間も
   帰港時のお迎えも
 船舶修理の雑用的な手伝いも
   船舶の塗装や
   船舶の上架 下架の補助も
 事務所周りや工場の掃除も
 仮眠所の掃除も
 どの仕事もおもしろかった。

 貸し別荘 颯ん家の掃除も楽しかった。

 全てが充実していた。

 だが
 大切にしなければならない
 かけがえのないはずの
 プライベートな時間が
 すくい取った手の平の
 指の間から
 零れ落ちているように思えた。

 定年を迎えた主人と
 二人でのんびりと過ごす時間を
 私は失っていた。

 孫たちを
 おばあちゃんとして可愛がる時間を
 私は失っていた。


 庭の山椒の新芽をとり
 酢味噌をつくり
 主人から喜んでもらえた
 そんなささやかな時間をも
 私は
 指の間からこぼしてしまっている。

 こんな働き方をしてはいけない・・
 と
 考えながら
 私は仕事に没頭している。

 大切な
 ささやかな幸せを
 こぼしてしまっているように感じながら・・・
 てんてこ舞いの日々が過ぎて行っている。

 ただ
 一緒に住む孫の颯仁(はやと)は
 高校生になり
 時間の取れる範囲内は
 全て私の職場で
 意気揚々とお手伝いをしてくれている。

 新品エンジンを改造する助手を務めたり
 溶接を教わったり
 修理工場の様々な仕事の手伝いが
 面白くてたまらないようである。
 
 170cmを越え体力のついた颯仁は
 すっかり
 修理の様々な助手が務まり 
 楽しそうに働いていた。

 二つの道は通れないが
 颯仁の為には
 私は充実した日々を送れているように
 思える。

 癌という怖い病気を抱え
 どれだけの命があるのか
 不安になりながら
 もう少し颯仁の成長を
 見守ってみたいという
 強い思いに駆られるのである。

 主人は
  「 お前 ぽっくり逝くぞ!」と
  本気で言う。

 視力が落ちた私が老眼鏡を
 買い直すのに付き合った主人は
 メガネの調整を受けながら
 店主から
 「眼下に行って
 眼底検査を受けるように」と
 勧められたのを聞いていて
 「仕事ばかりしないで
 病院に行け」と強い口調で言う。

 連休が終わったら受診を・・・

  


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2022年03月26日

春の嵐

眠れなかった。

家がガタガタと揺れた。
家の周りの木々が揺さ振られ
ビュービューと激しい音を立てていた。

時計の針は12時を指していた。
ビュービュー   ガタガタ
眠れなかった。
 午前0時30分
 午前1時

職場が気になって 気になって・・・
眠れなかった。

貸し船として貸し出している11隻の船
故障時のピンチヒッターの1隻の船
釣りイカダ
イカダの押し船
大型釣船(どんがめ号)

強風による
被害にあってはいないだろうか?




3月25日 金曜日
ニュースや天気予報は
春の嵐が来ることを報じた。

勤務時間の半日を費やして
それぞれの係船ロープを結び直し
弱くなっているロープを取りかえ
コンテナに入れたシーアンカーや
サブタの上に重しを乗せ
吹き飛ばされないようにして
台風の時と同じ対策をしたものの・・

12隻の船の停泊する浮桟橋に対して
 堤防からのロープを引いていない。
釣りイカダに対しても
 護岸からのロープを取っていなかった。
上架している沢山の中古船の
 対策を怠っている。

植木は・・・
中庭のテーブルは・・・
あのドラム缶は・・
あのフロートは・・
小さな事柄が次々と頭をよぎって
ますます目が冴えた。

家の外では
強風の激しさが増していく。

ホットミルクを飲めば眠れるかな・・?
思い切って布団を出た。

マリンウェザー海快晴
バイオウェザーサービス気圧配置図
何回も 何回もチェックをしてみた。

午前3時  南南東 風速15.2m/s
午前5時  南    風速13.7m/s
午前7時  南南西 風速10.9m/s
午前8時  南西   風速6.9m/s

午前5時~7時にかけて大雨

どうすることも出来ないが
会社が
強風の被害に遭っていない事を
願った。

超零細企業のわが社で
勤めて30年経った。
36歳だった私は30歳年を重ねた。

積み重ねてきた経験と
頑丈な体が
私の武器である。

二つの癌を患ったが
今の私の体調は
健康そのものである。

3月初めから
入院生活を送っている社長に代わって
毎日の業務を奮闘している。


ただ・・・
足元が危なっかしくて
私はよく転ぶようになった。
荒れた海上での船の上での移動が
非常に怖くなった。

「ばあば  大丈夫?」が口癖の
孫のはやとは
休みの度に私の職場で
手伝いをしてくれるようになった。
まるで家業のお手伝いをしているように
当たり前のように
仕事を熟している。

上架した船を洗浄し
船底を塗装し
船外機の
ギヤオイル エンジンオイル
エレメント アエン等の交換を
黙々と一人で熟した。

帰港した貸し船を掃除し
燃料補給 
エンジンの点検を
完璧にやってのけた。


ヤッケや迷彩柄のつなぎに身を包み
アルバイトの方たちと共に
当たり前のように
手伝ってくれるはやとに
ありがたかった。

初めてはやとが
船の底に潜り込んでペンキを塗ったのは
何時だったかな・・・?
年長組さんだったかなぁ
小学一年生だったかな・・・?
社長から「一人で塗れよ」といわれ
せっせと船の船底を一人で塗りあげた
ふっくらした小さなはやとの姿を
今でもはっきりと思いだすことが出来る。




「ばあば  どいて  邪魔!」と
私はよく言われるようになった。
もたもたと
皆の足を引っ張るようになった私は
動作が鈍く 力が足りなく
作業もスピードが伴わなくなった。

私に面と向かって
  「邪魔! どいて」と言えるのは
きっと
この世の中ではやと一人だけだろう。
 おすまし   おすまし   おすまし

その言葉の陰に隠れている
「変わってやるから どいて」という
私に対する優しさを
嬉しく有難く受け止めることが出来た。


生まれた時からはやとを
自分の孫のように
可愛がってくれて来た社長は
75歳になり腎臓を患い
3月初めから
入院生活を強いられている。

私は
従業員さんやアルバイトの方々に
助けられながら
事務全般から
雑用や 釣り客の接待や
電話の応対 等々・・
社長の留守を守って
はやとの成長に関わってきてくれた
社長に恩を感じながら
超多忙な日々を送っている。


私たち家族が
到底教えてあげることが出来ない
 海に対しての知識や
 釣りに対しての知識や
 船舶機械の修理等の知識などを
社長は
はやとに教え込んでくれたのである。






午前4時を回った。
まだ雨は降りだしていないが
相変らず風が吹き荒れている。

社長の留守の会社が
春の嵐によって
被害を被られないことを願って
気が気じゃなかったが
ただ 時間が過ぎて行くのを待つしか
私にはできなかった。

過ぎてきた日々を懐かしがりながら
むかえる日々に希望をつなぎながら
眠れない夜が明けていこうとしている。


令和4年3月26日
午前4時50分


春はあけぼの
 やうやう白くなりゆく、
  山ぎは少しあかりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。


  


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2022年03月17日

令和4年3月15日 颯仁の卒業式

 
雲一つない晴れ渡った空の下で
平和で
爽やかな
幸せな一日が流れて行った。

「 良い卒業式だった。 」
私は心の底から そう思った。


元気いっぱい出かけて行った孫のはやとを
玄関で見送った朝は
春の気配に包まれていた。

朝日が優しく降り注ぎ
小鳥のさえずりが響き渡り
心地良かった。

たくさんの人の輪の中に行けない娘(みい)に
変わって
はやとの卒業式に参加する為に
主人と二人でゆっくりと 身支度を整えた。

この日の為に
主人は何年かぶりにスーツを新調した。
私もずいぶん久しぶりにスーツを買った。

真珠のネックレス
真珠のブローチ
真珠のピアス
私はあれこれと身につけて
主人とみいの意見を聞いた。

主人はそんな私を茶化した。
「持っているもの 全部つけていくとか?」・・・と

  😁    😜


本当に久しぶりに
ちょっぴりおしゃれをして
「行かなくて済んでほっとした・・😌 」と
みいの安堵の声に見送られ
主人と二人ではやとの卒業式に出席した。

式場である体育館では
1・2年生が身動き一つせず
凛と椅子に腰を掛け卒業生の入場を待っていた。

密を避けるため離された保護者席に腰をかけた。
明け放された大きなドアから
吹いてくる風はあたたかく
外の野山では小鳥の声が響き渡っていた。

間もなく
音楽が流れ
3年生がゆっくりと入場してきた。
ちょっぴり小さくなった制服に包まれた
卒業生からは
幼さがなくなり 逞しさがくわわり
3年間の成長がありありと感じられた。

滞りなく式典がおわった。
ずいぶん久しぶりに
厳かな式典に出席したのである。
様々な方々の祝辞を
とても爽やかに素直に感動して受け入れた。

「恩返し」という言葉の代わりに
「恩送り」という言葉を
子供たちに贈られた祝辞に
心洗われる思いがして心の中に浸透していった。

受けた恩を
別の方に返していくという言葉の意味が
深く理解できた。
はやとの心にも焼き付いただろうか・・と
はやとの心にも届いていてほしいと願った。

学級に移った子供たちのあとから
若い両親に交じって教室に移動した。
祖父母である私達に
たくさんの父兄の方たちからも
暖かい言葉を交わしてもらった。

そこでも
黒板に書かれた
担任の先生から子供たちに贈られた
最後の言葉を目にして
深い感銘を受けた。

 
 
 人間は一生のうち、
 逢うべき人には必ず逢える。
 しかも、
  一瞬早すぎず 
  一瞬遅すぎない時に!。
 
 はやとがこれから先
 互いに高め合う友と出会い
 支えてくれる人とめぐり逢い
  多くの人々に
     囲まれ
       守られ
 実りある人生を進んで行くことを
 強く切に願った。

12時30分
別れの時がやってきた。

学級委員長を務めたはやとの号令で
三年間が締めくくられた。

 3年1組24名は声をそろえた。
 「行って来ます。!」と

 担任の教師は
 24名の声に負けない声で
 はつらつと送り出してくれた。
 「行ってらっしゃい!!」



 2022年 春

  颯仁は
  ともに過ごしてきた仲間と
  故郷の中学校に
  別れを告げた。


 春の特別な一日が 
   平凡に
     平和に 
 輝きながら過ぎて行った。
     
 
  


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2022年03月15日

颯仁の節目



暖かい春の朝日に包まれて
一日がスタートした。

午前7時40分
颯仁(はやと)は元気に玄関を出た。

背中に朝日を受けて
友達との待ち合わせ場所へと走っていった。
身長170cmを越えたその背中を
見送った私は
安堵と幸せに包まれた
穏やかな気持ちに胸がいっぱいになった。

今日は颯仁の中学卒業式である。

高校はすでに
推薦入学での小さい頃からの憧れの高校へ
合格が決まっていた。

最後の通知表には
 皆勤賞
 学級委員長
 野球部所属 中学生最後の長崎県大会第3位
 英語検定 準2級
 通知表の評価も5と4がしめた。

 コツコツと真面目に努力してきた成果が
 ここに
 見事に表れた。

 私は 一人誇らしかった。
 やさしい気持ちにつつまれた。

 今日は
 仕事を優先にしてきた私は
 会社を休業にしてきちんと休みを手に入れた。
 私は心置きなく 颯仁の為に一日をつくった。
 颯仁の卒業式に出席する時間が近づいてきた。

 3月14日   晴天

 鶯の鳴き声に包まれて
 春爛漫の一日がスタートした。 

  


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2021年07月20日

一面のコスモス畑を夢見て

 貸別荘 「颯ん家」を
 黄金色に染めて
 今日という一日が去っていった。

  

私はすこぶる元気で
相変わらず
バタバタと暮らしていた。

 腰痛もなく
 頭痛のなく
 疲れもなく
 
 夜もぐっすりと眠り
 食事も美味しく
 体調も良かった。

2月に65歳の誕生日を迎えた私は
油断すると
背中が前かがみになり
腰が曲がり始めた。

ちょっぴり
せかせかと働きすぎたかな?

私は
梅雨が明ける前に
やっておかなければならないことがあった。

毎日
5時の勤務時間が終わり
午後7時過ぎまで
貸別荘「颯ん家」の庭の手入れに追われていた。

颯ん家の周りを草刈り機で草を刈り
勢いよく生茂ってくる雑草を抜いた。




庭では
昨年の花々のこぼれダネから 
至る所で 小さな花苗が育っていた。




 
 インパチェンス
 けいとう
 マリーゴールド
 コスモス
 ユリ
 ツワブキ
 ヒメツルソバ

 





抜き取った雑草の後に
自然に生えた小さな花苗を
植え付けていった。

雨によって
移植した小さな花苗は枯れずに
しっかりと根を下ろし育ち始めた。
私は焦っていた。
梅雨が明ける前に
この作業を終わらせたかった。

夏の日差しの中で逞しく育った花苗が
秋になり満開になる様を想像すると
わくわくと心が躍るのであった。


私は
 素敵な景色を夢見ていた。



「颯ん家」の周りを
一面のコスモス畑にしようとしている。


 入り口の空き地では
 去年のコスモスの種が落ち
 沢山の苗が育っていた。

 狭い土地は自ら管理機を使って耕し
 苗を移植した。

 時間が足らないので
 家の上の段の広い土地は
 知人に耕してもらうことにした。

 家の横は
 草を刈り
 急な斜面にはいつくばって
 コスモスの苗を植え付けた。

 私は
 コスモスに囲まれた「颯ん家」を想像し
 毎日 幸せな気分で作業に追われた。

 「なんでそんなしんどいことをするの?」と
 あきれるみいの言葉を無視し
 「帰っとくぞ。」と
 黙々と野良仕事に精を出す私にあきれながら
 先に帰る主人の背中に
  「ローマは一日にしてならず」と
 投げかけ
 平戸島に陽が落ちて
 うっすらと闇が押し寄せてくるまで
 私は野良仕事に精を出した。
 

   


 穏やかな輝きを残して
 夕日も
 私を置いて平戸島に傾いていった。

 
 毎日仕事が終わった後に
 職場の近くにある颯ん家に行き
 汗だくになり作業を続けた。
 平戸島に夕日が沈むのが
 帰る時間の目印だった。

 もう少し時間が欲しかった。
 私はまだまだ働きたかった。

 「今から 帰るからね~~」と
 みいに電話を入れ夕食に間に合うように
 田舎道を車を走らせた。

 みいのおかげで
 主婦業をボイコットして
 趣味の世界を満喫しているのである。





 梅雨が明けるまでに
 終わらせたっか作業を
 どうにかやり遂げた。

 梅雨も明け
 また新しい夏がやってきた。

 私は
 はっと気がつき
 曲がりかけた腰を伸ばしながら
 せかせかと元気な日々を過ごしていた。


  


Posted by パールじゅんこ at 00:01Comments(0)ブログ
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プロフィール
パールじゅんこ
パールじゅんこ
えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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