てぃーだブログ › 浮雲

2021年03月21日

新たな挑戦に向って

すっきりと目が覚めてしまった。

午前2時30分
 
再び眠りにつこうとしたが眠れなかった。
思い切って布団から出て
ホットミルクを入れパソコンを立ち上げた。

沢山の写真でごちゃごちゃになっている
「ピクチャー」を整理した。

数日前に庭で見つけた
タカサゴユリの新芽の写真が目にとまった。




昨年
思いがけず豪華な花を付けたタカサゴユリの根元から
再び
太い幹がグングンと育ち始めていた。



昨年花開いた豪華なタカサゴユリの
子孫のはずである。 
きっと 
この茎から今年も立派な花が咲くのでは・・・


 (2020年8月 横の畑で開花)


昨年の姉の言葉を思い出した。
「肥料をやってみれば!」・・・との言葉。

私は家族にコンコンと訴えた。
絶対に折らないでよ・・・と
肥料をやって沢山の花を付けるようにしてみるから。
・・・と。

何だか  夏がやってくるのが
とても楽しみになってきた。

2017年に玄関先で
花開いた 超豪華なタカサゴユリのような
タカサゴユリを育ててみよう!!

 (2017年8月 玄関先で開花)


まだまだ先の季節に向って
指折り数える楽しみが出来た。



  よつば   よつば    よつば
 

「ピクチャー」に保存された写真の中に
寒い冬の日の出来事が
一枚だけ残されていた。

その出来事は
続いていっていなかった。
たった一枚のまま残されていた。



ドローンの動画を
職場の釣りのブログに貼り付け
15年続けてきた「迎パールマリン釣り紀行」を
新しいものにしてみたくて
ドローンを購入したのは
厳しい寒さが続く冬の日のことであった。


2月末 ポカポカと暖かい冬の日
私は65歳の誕生日を迎えた。
HAYATOを巻き込んで
私はドローンの世界へと
飛び込もうとしているのである。

この第一歩は
ドローンのスイッチの入り切りから
困難を強いられたのである。

無謀ともいえる私の挑戦に
笑って  あきれて お付き合いを・・

 

 一斉に小鳥たちのさえずりが
 賑やかになり
 朝が明け始めた。
 

 ホホホ  ホケキョ
    ホーホケキョー

 チチョチチョ チチチチッチョ
   チチチチ  チチョチチョ

ドローン挑戦劇の 
あきれたエンデイングは
 又 後ほど  バイバイ 
 

   


Posted by パールじゅんこ at 06:35Comments(0)ブログ

2021年02月28日

旅のアルバムつくり

「お母さん 空が綺麗よね。」

「空気が澄んでいるからね。
 海の中も底まで透き通っているよ。」


「今日の空も とっても綺麗だったね。」

最近 
みいは澄みきった空に魅了されていた。

深々と帽子をかぶって
下ばかり見て
せかせかと小走りに歩くみいが
空を見上げて感動していることに
肩の荷が下りたような気がした。

大病(摂食障害)を患って
生死をさまよったみいは
すっかり心身ともに健康になった。


 
命の灯が消えてしまいそうなみいを抱えて
苦しんだ日々は
ひと昔前の出来事になった。


お茶目で明るいみいが復活したのである。

活発な彼女から
詩的な言葉が飛び出してくることが
なんだかとても新鮮だった。

世の中は
コロナ騒動でとても物騒だった。

大好きな旅行も行けず
多くのお客さまを迎える我が社の営業も
自粛されている。

全面的に
仕事中心の生活を強いられていた私は
時間に余裕ができ
週に一度の日曜日に
きちんと休みが取れるようになった。

早朝から夜まで
仕事に追いまくられていた生活から
解き放されると
私生活の面で
ほったらかしてやり残していたことが
山ほどあった。


摂食障害を乗り越えさせたい娘のみいと
幼かった孫のHAYATOを抱え
心が折れてしまいそうな時
希望をもって楽しく暮らそうという思いで
旅に出かけて行ったのは
6~7年間の事だった。
その間の 思い出を
アルバムにしていなかったのである。。

いつか・・・   いつか・・・と
思いながら
手を付ける時間をつくれなかったのであった。





今年になってから
毎夜  毎夜
私はアルバム作成に追われていた。

「お母さん
アルバムなんて邪魔になるだけよ。
思い出は胸の中だけで十分だと思うけどな。」


とみいは 私の行動をあきれた。

私はみいの言葉を無視して
毎晩
パソコンの写真を印刷し
せっせとアルバム作成に精を出していた。


一冊 二冊 三冊・・・・
旅に出かけた思い出のシーンが
形として物になった。

机の上に
アルバムの資料を
乱雑に散らかしたまま出勤し
難なく仕事を熟し定時の17時に仕事を終え
18時頃帰宅し
再び写真を印刷しアルバムを仕上げた。

家事全般をみいが受け持っているため
仕事から帰った私は
自由に使える時間が沢山あった。

沢山の思い出が
楽しそうな写真から
再び鮮明によみがえってきた。


 🇻🇳 🇺🇲  🇦🇺  🇹🇼  

2015年 HAYATOは小学2年生だった。
    旅のテーマは・・・
= ベトナムにワニを釣りに行こう!=








みいが言った。
「お母さん 写真ていいものだね。
行ったとこ 忘れてたけど思いだしたよ。」


「HAYATO こんなに可愛かったんだね。」


出来上がっていくアルバムを
覗き込んで
声変わりした太い声で
HAYATOは言った。

「ここ 覚えているよ。
 ここも・・  ここも・・・  
   ここも覚えているよ。」


 ~~~~~~~~~~~~~~~

2016年 HAYATO小学3年生
  マレーシア

 旅のテーマは
=安全で近い外国へ行ってみよう=





「 この植物は虫を食べるんだヨ!」


摂食障害で苦しんだみいを抱え
歩んできた道のりは
今 振り返ってみると
濃い霧に包まれて
胸の奥深く沈み込んでしまい
他人事の出来事のように思えた。

出来上がっていくアルバムの中の
わが家の積み重ねてきた日々は
キラキラと輝いていた。

 ~~~~~~~~~~~~


2017年 HAYATO小学4年生
オーストラリア パースへ
   旅のテーマは
== インド洋を見てみたい==




 

「マーライオンを観たい」という
HAYATOの希望を叶えるために
パース~シンガポール経由~福岡


  ~~~~~~~~~~~~~~~

2018年 HAYATO小学5年生
 旅のテーマは 
=ニュージーランドででっかい魚を釣ろう!=




◎格安プレミアムエコノミーのチケットを購入

もちろん 
長い道中はお勉強タイム


 
 湖でマス釣り

  船上でのBBQ



 念願の海釣り !

 
 どうだ!
 
キャプテンがとっても喜んでくれました。




沢山 たくさん遊んで・・・・



 ゆっくりと時間が流れて行きました。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~

2019年 HAYATO小学6年生
オーストラリア最北端の街ダーウィンへ
  旅のテーマは
=でっかい魚が釣れるはず!=









 セグウェイで植物園&ビーチへ




  ~~~~~~~~~~~~~

2019年 HAYATO中学1年生
 台湾へ
旅のテーマは
= 海釣り&エビ釣りで楽しもう=







 

 

 


HAYATOは台湾旅行の本命は
 エビ釣りでした。





  

  ✈   🛬   🛩

チエックインを自動機で簡単に済ませ・・・

荷物も
自動機で簡単に預けることが出来た。
 
 
全ての手続きが簡単になり
旅が一層 
楽になってきているのが感じられた。
時代の流れについていくのが大変だと
感じ始めた・・・。

 🌍  🌎   🌏
  

子供であるHAYATOを連れての旅先で
私たち家族は
沢山の方の優しさと温かさに包まれた。


心の中に残るやさしい気持ちが
何時までも一枚の写真と共に
HAYATOの心に残りますように・・・と
願いを込めて
私のアルバム制作は5冊目に取り掛かった。








 





 





 
少年のHAYATOと共に
もう少し
旅が続けられますように・・・
 


  


Posted by パールじゅんこ at 05:42Comments(0)ブログ

2020年09月03日

超豪華な一本のタカサゴユリ

超豪華なタカサゴユリに見とれ乍ら
夏が去っていった。

  

  🤗         

忙しいのかゆっくりなのかわからないままに
暑い一日 一日を過ごして
ひと夏が終わった。

二十四節気はとっくに秋を告げていたが
容赦なく照り付ける太陽は
真夏真っ盛りだった。
しかし
8月の日めくりカレンダーの
最後の一枚を破り捨てると
秋という季節に実感がわいた。

9月を迎えた朝
孫のHAYATOを送り出し
玄関に出ると
最終の美を飾る一輪のユリの花が
頼りなげに玄関で咲いていた。

   至る所で
   咲き誇っていたタカサゴユリの花も

 


  
 わが家の玄関先以外には
 その清楚な姿はどこにもなかった。

  ふたば   ふたば   ふたば

6月初め
耕した畑の片隅に
普通ではないくらい太い茎のユリが
生えてきたのを私は見逃していなかった。

  


畑を眺めながら育ち始めたこのユリは
類いまれな驚くほど太い茎をしていた。

3年前に我が家の玄関で咲いた
超豪華なタカサゴユリの子孫だと
一目でわかった。


 (2017年 玄関前の一本のユリの花)


 (2017年 玄関前の一本のユリの花)


 (2017年 玄関前の一本のユリの花)


 (2017年 玄関前の一本のユリの花)

  ふたば    ふたば    ふたば    ふたば


「みい 茎を踏まないでね。」
「お父さん 草刈り機で刈らないでよ。」
「HAYATO このユリは普通じゃないからね。」

私は毎朝 家族にくどくどと言い続けた。

  



そして8月 予想通り
一本の逞しい茎に
沢山の蕾をつけたのである。

 令和2年8月 

今年のひと夏 我が家では
毎朝 毎朝
タカサゴユリの花の話題で明け
毎夕 毎夕
タカサゴユリの花で盛り上がった。


  令和2年8月18日 朝


 令和2年8月19日 朝


  令和2年8月20日 朝


  令和2年8月20日 夕方

  


  令和2年8月22日 
    一本の茎から17個の花が咲いた。


 8月23日  


  真夏の強烈な太陽に負けることなく
  咲き誇ったユリは
  この日を堺に
  一輪 一輪としおれていった

    

  くすだま   くすだま   くすだま   くすだま 


 3か月後に採種するまで
 また家族にくどくどと
 言い続けなければならない。

「みい折らないでね。
 冬になったら種が取れるから。」
「お父さん切らないでよ
 このユリの種をまいてみたいから。」
「HAYATO覚えてる?
 いつもシャカシャカして
 ユリの種をとばしていたよね。」

 くすだま   くすだま   くすだま   くすだま

 2017年11月末  
 沢山の種が実った。

 風に舞った種は家の周りに飛んでいった。

   
 私は3年前のこの時 
 この豪華なタカサゴユリの種を
 とっておこうなどと全く考えもしなかった。

  
  
 植物の交配に私が詳しかったら
 品種改良して
 常にこんな豪華なタカサゴユリを
 咲かせることができる・・・かな?

    無理・・・?

 🙄       

 

 そんなある日
 メールした大阪に住む姉から返信があった。

 「 肥料が効いているのかなぁ・・? 」と
 だとしたら・・・ ピース
 来年 
 ユリというユリに肥料を与えてみよう!!

 何だか
 わくわくして
 来年が待ちどおしくなった。

  


Posted by パールじゅんこ at 22:05Comments(0)ブログ

2020年08月12日

別荘 颯ん家(はやてんち)  貸し出します。


ログハウスの入り口に
主人の手作りの
素敵な看板が出来上がった。

「 別荘 颯ん家 (はやてんち)」


日の出山から
木々を揺らし吹き降りてくる風は
ログハウスを包み込み
庭木をくすぐって
北九十九島の海へと駆け抜けていった。




北九十九島から吹きあげてくる風は
ログハウスを
潮の香一色に染め
野原を揺すり 山の木々をざわつかせ
空へと舞い上がっていくのである。



  四季折々風に包まれているログハウスを
  颯ん家(はやてんち)と名付けた。





 

 仲間と共に・・
   家族と共に・・
 沢山の人が
 「颯ん家」で幸せな時間を過ごしてくれる事を願って
 この施設を造り上げたのである。
 
 

   キッチン (食器類 調理器具 有り)

  
 ● ベットルーム (セミダブル・シングル)   3室
 ● 簡易ベットルーム(簡易シングルベット 3ベット)


 BBQ広場 

   

  バリヤフリーで移動が楽

   パットゴルフ場





  このブログを見て下さっている方で

  宿泊ご希望の方は

  どうぞ コメントで ご連絡ください。



  


Posted by パールじゅんこ at 02:21Comments(0)ブログ

2020年08月06日

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

私の住む田舎町にある一軒の本屋さん。
この町に住み始めてから何十年も
ず~~と 足を運んできたお店である。

ず~~~~と 知っているご主人
共に年を取ってしまった。
いつの頃からかご主人から受け継いだ若旦那さん。

長い間
「 こんにちは。」と
「 有難うございました。」しか
言葉を交わさなかった若旦那さんと
ひょんなことで距離が縮まった。


  

   
2018年12月 
二つ目の癌が見つかり手術を受けた私は
2019年春 
抗がん剤治療が始まり病院通いを強いられていた。

病院での長い待ち時間の時間つぶしに
気軽に読める本⇒コミック を探していた私は
本屋さんのレジの前にいる
若旦那さんに声をかけてみた。
「気軽に読めるお薦めのコミックありませんか?」と

即座に
「 今大人気の「キングダム」を読んでみませんか」と
薦めてくれた。
ステージⅢの抗がん剤治療の為
病院通いが始まった私は
取りあえず10巻買ってみた。


一冊一冊と読み進めていくうちに
私は どっぷりと「キングダム」の世界にのめり込んだ。

キングダムの魅力に取りつかれたのである。

10巻ずつ買って
全作品を読み進めていった。

中華統一を目指す若い王と
王を取り巻く若者たちの戦の物語は
奥が深く物語の虜になってしまった。

私は病院の待合室で過ごす
  放射線治療の待ち時間や
点滴による抗がん剤治療のベットで過ごす時間が
楽しくて仕方がなかった。

このコミック「キングダム」のおかげで
現実から逃避して
自分の病気を忘れた日々を送ったのである。

いつしか
娘「みい」も
キングダムの面白さにどっぷりと浸かり
58巻までの全巻を
いまだに
何回も何回も 読み直しているのである。

私達の日々は
共通の話題で盛り上がった。

キングダムを薦めて頂いてから
本屋さんの若旦那さんとの距離が近くなり
私はそれ以降
今何がお薦めですか?・・・と
常に情報を得るようになった。

  

  
今年の春
「百花」を読み終えた。

認知症を患い病が徐々に進行していく
  年老いた独り住まいの母親と
家族をもち母親と離れて家庭を築いていく
  独り息子とのとのかかわりあいを描いた
「百花」を読み終えた後・・
母親と息子のどうしようもない現実を
物語の中で目のあたりにして
心の中に涙が流れた。


季節は初夏を迎えていた。

強い朝日を避けるための
グリーンカーテンを務めるジャスミンが
甘い香りを漂わせていた。


初夏の爽やかな雨は心を落ち着かせてくれた。


手元に本のない生活は心が満たされなかった。

本屋さんのレジの前で
お薦めの本はありませんか・・・と私。
「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」
書店の若旦那さんから勧められた。

    

 そして
 「コミックなら
 「鬼滅の刃」 がものすごくヒットしていますよ。」と
 教えてくれた。

         


 「 ぼくはイエローで・・・・・」と
 「 鬼滅の刃 20巻 」を購入して
 店を出た。

  本   本   本   本


 「 ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」


 英国で暮らす
 アイルランド人の父親と
 福岡出身の日本人の母親~作者 との
 間に生まれた一人息子が主人公である。
 11歳から16歳までの中学生生活の
 最初の年半の暮らしを母親の目からみて
 その成長ぶりを描いたものである。

 11歳の子供の成長期の物語であるが
 舞台が英国なので
 知らない国の日常の描写は
 新鮮で非常に興味が湧き
 面白いの一言につきた。

 一冊の物語の中には
 ● 人種差別
 ● 宗教による差別
 ● 労働者階級 上流者階級による差別
 ● 親の所得格差による差別  
 など、様々な差別が背景に記されていた。
 
 東洋人として差別を受けながらも
 異国で逞しく生きて行く母親に守られ
 育っていく「ぼく」の姿は
 子供であっても侮れない
 筋の通った思考能力を培い
 素直に小気味よく成長していく様が
 ありありと伝わって来て心地良かった。

バツイチの娘 中学2年生の孫くん 主人の
4人で暮らしている私は
英国で暮らす中学生の「ぼく」の生き方を
私の知らない世界で生きている我が家の孫君の
中学生活と重ね合わせて
なんだか ホッとするものが
気持の中に溢れてくるのである。

 
 長い梅雨の時期
 私は一冊の本と向き合って
 過ごしていた。
 

一日に5分~15分くらいしか
読書の時間が取れなかったため
長い長い時間をかけて一冊の本を
読み終えたのは
長い梅雨が明けた時だった。






 
 専業主婦を務める娘は
 「鬼滅の刃」を10巻まで読み終えていた。 



 さぁ  再び コミックの世界へ!


   ピース  ピース  ピース   ピース  

   
 がむしゃらに生きて働いてきた私は
 コロナウイルスの影響で
 人生を見直す地点に立っている。

 仕事の勢いが止まり

 早朝から 夜遅くまでの仕事から解放された。
 今までの生き方を
 立ち止まり見直すことの時間が与えれた。 

 仕事に没頭しすぎた私の生き方は・・・
 間違っていたのだろうか?
 生き方に間違いなどないのだろうか?

 やり直すことはできない。
 ただ
 私は私の生き方を
 私に恥じることは無いと心底考えている。

「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
 パソコンの横の本立ての
「 百花 」の隣に立てた。

すこし離れた場所にある矢作直樹
「 おかげさまで生きる 」が目に入った。
手に取りパラパラとめくった。
いつでも
この本の中の一段落が私の心の中に居座っている。


= いつもお天道さまが見ている=


良心に恥じない生き方をしてきたと思えた。
自分自身に
この言葉をつっかえ棒にして
私は日々を暮らしている。

30年務める職場で私は
事務全般を受け持ち
日々永年の経験で仕事を熟している。

時々 部品の注文を忘れたり
書類にミスがあったり・・・

こんな私をお天道さまはどのように
評価してくれるだろうか。

 コミックの大好きな私  64歳 ピース

 いろんな人に支えられながら
 えっちら おっちらと生きている。
 

  


Posted by パールじゅんこ at 02:00Comments(0)

2020年07月29日

孫君のいない日曜日のお昼ご飯

何年かぶりに
きちんと休みを取れるようになった私は
6月最初の日曜日に
小さな耕運機で畑を耕した。


何でもがむしゃらにやってのける私は
全てにおいてあまり知識がない。
というのも
我流でぐんぐん進んで行ってしまい
つまづいてから勉強するという
どうしようもない性格をしているからである。

草ひきをする時間が取れない・・・という理由で
私はいつでも
黒いシートを敷き詰める。


これは・・・
   あり?    それとも邪道?

野菜造りのプロが見たら
あきれるかもしれない・・・・が。

ともかく
舞台は整ったチョキ

  

大阪に住む家庭菜園が趣味の姉から
「丘ワカメ」の苗が送られてきたのも
畑を耕すことを急がせた
最も大きな理由の一つである。

  
 大阪からやってきたこの小さ丘ワカメの苗は
 梅雨のあいだにグングンと成長した。


  == 丘ワカメ ==
 
 細く刻んで
    冷やっこに乗せたり
    みそ汁に入れたり
    酢の物に使ったり
 オクラのような食感で美味しい丘ワカメ



  ふたば   ふたば   ふたば   ふたば

優しい雨が野菜の上に降り注ぎ
容赦なく小さな苗は強い雨に叩かれ・・
     
しょぼしょぼと悲しくなるような
長い雨の日が続いた。


ナス きゅうり トマト アシタバ オクラ
ピーマン  ミョウガ  丘ワカメ  
が逞しく育った。


    

 
7月も終わろうとしている
晴れ間の覗いた日曜日のことである。

中学2年になった孫君は
中体連での試合で
早朝から出かけて留守だった。

私は
主人と二人っきりのお昼を迎えた。

お昼ご飯のおかずをつくる時間になった。
シニア二人の昼食である。

モロヘイヤを食べてみようと思い立ち
ネットで
簡単モロヘイヤのクッキングをカンニングした。
「 モロヘイヤとミョウガのポン酢和え」

       
   よし!チョキ   これだ。ピース  


梅雨の合間で雲の中からお日様が顔を出した。
畑は
気持ちの良い空気に包まれていた。

畑の野菜が逞しくお日様に向かって
背伸びをしていた。


 == モロヘイヤ  ==



    居心地がいいのか毎年ミョウガがよく育つ。
     


   
   
   マムシがいたとしたら・・がーん
   逃げ出すように
   ガサゴソ  ガサゴソとミョウガを揺らし
   大きくかき分けて白い花を捜した。

  
花が咲く前に収穫するべきだろうが
私は この白い花を目印に
ミョウガを捜すのが大好きである。

材料を調達して台所に入った。

 == モロヘイヤ ・ ミョウガ ==



 ① ミョウガを細く切る

 ② モロヘイヤ・・・・  不思議だヒミツ
    葉っぱの根元のヒゲは 何のため?

 ② さっと湯がく

 ④ 流水にさらす

 ⑤ 細かく切る

 ⑥ ミョウガとモロヘイヤを和えてポン酢でGOOD

  
 とても  とても 簡単で
 すごく美味しいおかずが出来あがった。

 ポン酢を多めにかけて
 ご飯の上の乗せて食べると
 とても美味しかった。

 いろんなレシピが浮かんだ
 ◎ 納豆と混ぜると美味しいかも・・
 ◎ 卵ご飯の中に加えると美味しいかも・・
 ◎ 親子丼ぶりにたっぷり加えると美味しいかも・・

でも・・ 孫君の口には合わないような気がした。

で その孫くん
毎朝起きるたびに大きくなった。
男の子を育てたことがなかった私は
その成長ぶりが面白かった。
家族で一番大きくなり
間もなく敷き布団からはみ出してしまうだろう

   野球   野球   野球   野球    


孫君は小さい時から野球に興味を持っていた。

 
実は・・・・
小学生の頃から野球部に入りたかったのだが・・・

 いろいろ  訳があって
 入部を断念していた。

  野球   野球   野球   野球   

 
 しかし
◎ 時間が取れた時には
   福岡ドームにはよく観戦に出かけた。

   

     



   野球   野球   野球   野球    


◎ 埼玉への仕事のついでに
   孫君も同行し西部球場に観戦に立ち寄った。

  

      

   野球   野球   野球   野球  

 急きょ 休みが取れた日


 新幹線日帰りの旅で 
 広島に出かけたこともあった。  

  

 


     野球   野球   野球   野球    


  
  いろんなことが   
    いろいろあって
      回り道をしたが

  中学2年になった今年の春
  自分の意志で
  野球部に入部を果たした。

  野球のユニホームを着て
  出かけて行く彼の後姿を見送る朝は
  安堵の気分が心の中に充満するのである。

  私達は
  孫君と一緒に住むことがなかったら
  きっと 経験しなかったようなことを
  彼の成長と共に 体験を重ねているのである。


 



  季節は 移ろうとしている。


  


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2020年07月08日

貸し別荘 颯ん家(はやてんち)


平成31年
突然の病に襲われた義弟は
あっけなく私達の住む世界から
旅立ってしまった。


主人の義弟は
愛犬ジョンを家族に暮らした
ログハウスを残して逝ってしまった。


私は義弟の残したこの写真が好きだった。
弟がこの世を去る1年前に他界したジョンの
写真だった。

家族を持たない義弟が
こよなく愛情を注いだジョンを見つめて
シャッターをきったこの一枚の写真には
ジョンの足元に
影として義弟が写っているのである。



この一枚の写真から
この穏やかな地で
ジョンと暮らした義弟の生きてきた証しが
脈々と感じ取れるのである。

ふたりは寄り添って
春夏秋冬
朝 昼 夕と
この景色を眺めて暮らしたのだった。





主人と兄弟仲が良かった義弟は
常に行動を共にしていた。
私とも20歳の頃からの付き合いであった。

住人がいなくなったこの家を
手放さずに
大切に守って行く事に決めた時
「この家を維持していくためには
 金がかかるぞ。」  と主人

現実をしっかり見つめる主人と
現実離れした思想の持ち主の私
  

  


きっちりと物事を考えて生きる主人は
この家に必要な経費を算出した。

それはそうだ。
 固定資産税
 誰も住まなくても水道光熱費
 修繕費を含む維持管理費
 周りは野山である・・・当然常に草刈り

夢のようなことばかり考える浮ついた私・・
「貸別荘として
 誰かに喜んで使ってもらうようにしよう。
 手放したくないよね。
 知らない人の手に渡したくないよね・・
 KOUZIさんもその方が嬉しいと思うよ。」

「お前が言うなら
     それで良かたい。」

いつものパターンである。
いつも言い出しっぺはこの私。
そして
それに付き合わされて
尻拭いは主人である。

私達夫婦は
二人で立ち向かっていく一つの目標を
義弟からもらったのである。



ログハウスの進むべきレールが引かれてから
  相続の為の法的な手続き
  古くなっている家の改築
  家の周囲の整備 等に取り掛かった。

定年退職を迎えた主人は
仕事で培ってきた知識で
難問を着々と片付けて行った。

難問・・・
 え?  家の登記ができていない・・
   無知な私。 そんな事あるの?
   だってKOUZIさん名義だよ。
   ちゃんと税金も払っているのに・・
   「未登記建物」で義弟本人が暮らしていく上では
   なんら問題は発生することはなかったらしい。 

 え?  道路から玄関先まで他人名義の土地?
   家の敷地は道路に面しているが
   斜面で石垣を継いであるから
   他人名義の土地を通らないと
   玄関先までは行けない。

  元 田んぼだった一部分の数メートルを
  そのまま埋めて使わせてもらってきたのである。
  田舎である・・・
  善良な地主さんであり問題はなかった。
  だが長い将来を考えると問題が起こるはずである。

  地主さんにお願いして
  荒れている田を原野に地目変更した上で
  購入し 主人名義に変更手続きができた。

 え?  車庫の確認申請出していなかったの?
  なんで・・・
  あんなにきっりしたKOUZIさん どうしたの。
  大工さんがついていながら・・・?
  じゃあ 何年かにさかのぼって税金払わなくてはね。

 え?
  家の敷地の境界がはっきりわからない?
  じゃあ 家の周り草ボーボーだが
  どこまで整備したらいいのかわからない・・・
  測量し直してもらうには
  費用がかかる。

やれやれ・・・の諸問題。

そこは定年前の職場での経験を生かした
主人の得意分野である。
お陰で定年後だったので
時間がたっぷりあったのが幸いだった。

なんだかんだと
面倒な手続きを全て終了させるまで
主人は奮闘した。

私は
貸し別荘として貸し出すために
家の中を整理し掃除を進め
宿泊の為の準備を進めていった。

頭の痛い問題を片付ける主人の傍らで
夢を抱いた能天気な私がいた。


主人は私の行動に・・  
とんでもない発想に・・
付き合わされて振り回される。

きっと
もう一度人生やり直されるなら
私みたいな女はまっぴらご免だと考えるだろう。

   ベー      ベー

様々な とても面倒な諸手続きが終了し
ログハウスの名義は
義弟から主人へと受け継がれた。


私と主人の共同作業が始まったのである。



傷んでいた屋根や壁の塗装も終わり
赤い屋根のログハウスが
海を見下ろす丘の上に誕生した。




一級土木施工管理技士の資格を持つ主人は
自らパワーショベルに乗り
家の周りの整備に励んだ。




 私は相変わらず 一方的に物事を進めてしまう。
 器用で生真面目な主人は相変わらず 
   全て尻拭いを強いられた。   が

 楽しそうだった。


 季節は停まることなく 回り続けた。


  主人は・・・  

  私がネットで注文したテーブルセットを組み立て

    

  私がネットで注文したBBQコンロを組み立て

   


 大工仕事にも精を出した。


 玄関先までの入り口に
 スロープの登り口をつくったり
   

    

    
   更に
   ベランダから車いすで庭に降りられるように   
   スロープの登り台をつくった。

     


 そして
 足の不自由な方が車いすで
 上の段にある庭から
 下段のBBQ広場に降りて行けるように
 スロープで舗装を外注した。
 

  雑草に悩まされた庭に真砂土を敷き詰めた。


 
 主人のDIYへの取り組みは
  益々磨きがかかり
  素敵なテーブルとイスまで出来上がったのである。    

  

 

 
 宿泊利用してくださった方が
 仲間といつまでも
 主人が造ったテーブルに着き
 親睦を深められる姿を想像すると
 心の中に 
 ほんわりとした灯りがともったような
 優しい気持ちになった。
 


 我が家のご近所さんの
 「チエンソーアート 尾崎」さんから
 譲ってもらった「タカ」が庭越しに海を眺めた。

 

  下の段の庭にBBQコーナーが出来上がった。  

 ここでも 
 一羽のタカ(チエンソーアート)が見下ろしていた

 D I Yを楽しむ主人の傍らで 

 私はせっせとガーデニングに精を出した。


  


     

 


   
 時間を忘れて
 大画面で映画鑑賞でもしてもらえればと 
 75インチのテレビを据えた。
 テレビの前でくつろぐお客様の姿を想像すると
 わくわくした。

  
 
 3部屋ある寝室の寝具を
 夏バージョンに変えた。

 1階の寝室は
 車いすの方が宿泊できるよう
 ベットの横に車いすが入れるスペースを確保してみた。
 

 昼間仕事をしている私は
 午後5時過ぎからの時間を利用して
 娘が準備してくれる夕食の時間までの
 数時間をここで過ごした。

主人と一緒に
 黙々と働く時間は満たされていた。

私は
毎朝舅や姑と共に義弟が眠る仏壇に手を合わせ
笑顔の写真の義弟に
ログハウスの変化の様子を報告するのが
日課となっている。


私に付き合わされ
コツコツと働く主人は7月終わりで66歳
腰部脊柱管狭窄症が進み始めた。

二つのガンにも負けずせっせと働く丈夫な
私は64歳
「後鼻漏」という厄介な病気に悩まされ始めた。


このプロジェクトは二人のどちらかが掛けたら
おしまいである。

私達ふたりの定命がどこにあるのか・・・・・
私達の合言葉は
   「早いもの勝ちだよ。」


  


Posted by パールじゅんこ at 23:53Comments(0)ブログ

2020年05月23日

解放された時間の中で

私は20数年ぶりに
5月の日曜日をゆっくりと過ごしている。
  


コロナウイルス感染予防で
職場の遊漁船業をストップさせた為
ゆとりのある時間が手に入ったのである。

一か月前
釣りのお客さまに
貸し船を提供する職場で働く私は
気が気でなかった。
もし私が感染して
この小さな田舎町で
私が感染源となってしまったら・・・と
考えただけでも怖かった。

4月中旬
予約を頂いているお客様全てに
断わりの電話連絡を入れ
我が社の遊漁船部門は休業とした。

私は
20数年ぶりに
5月の日曜日が休めた。

雨の日曜日
私はゆったりと自宅で過ごした。



    



雨は優しく庭に降り注いだ。







 私は観たい映画があった。

 知り合いから教えて頂いていた
 2010年のアメリカ映画で
 「コンテイジョン」という
 ウイルス感染の物語である。

 コロナウイルス感染で
 世界中が恐怖に陥っている今年の現状は
 この映画を真似しているように思えて
 不思議だった。

 私は
 長い年月
 4月から12月までを釣りに来て頂くお客様に
 心を通わせて過ごしてきた。

 職場に足を運ばなくていい日曜日は
 心を軽くしてくれた。
 私は常に
 職場からの転送に切り替えたスマホを
 片時も離さない日々を送っていた。

 予約を頂いたお客様のことが
 頭から・・
 心から・・
 離れない日々を送っていた。

 コロナウイルス感染で
 釣りの全てのお客さまを断わっている今・・・

 私は17時の就業時間を迎えると
 スマホのスイッチを消して
 職場の机の上の充電器に接続し
 スマホをおいて会社を離れた。

 月曜日から土曜日までの
 8時から17時までは
 船舶販売・修理や
 製造販売をしている育苗箱の出荷で
 事務処理に追われていた。

 そして
 退社時間を迎えると
 さっさと会社を離れた。

 さっさと・・・・


 
 永遠の別れとなった弟を送ってから
 一年の月日が流れた。
 主人は空いている時間のほとんどを
 弟の残したログハウスの
 手入れに当てていた。

 退職をし自由な時間を手に入れた主人は 
 自ら建機を使い建物の周りを開墾していった。

 原野だった家の周りは
 オリーブが植えられ
 サツキが加わり
 我が家の紫陽花を移植し
 少しずつ庭が整えられていった。
 


 私も就業後
 義弟の残したログハウスに立ち寄り
 主人の働きに労いの声をかけ
 一緒に自宅へと変える日々が多くなった。










 

 

 ため息のでるような
 綺麗な一日の締めくくりを目の辺りのすると 
 愛犬ジョンと過ごした義弟の日常が
 どれだけ平和で満たされていたかを
 感じ取ることができた。

 義弟は
 主人や私の心の中に
 いつでも寄り添っていてくれると思えた。
 ただ会えないだけで
 義弟の存在は
 脈々と生き続けているのである。

  



ひと時も
仕事から離れることができなかった私の脳裏は

仕事から解放され穏やかだった。

 「仕事ばっかりしていると
 たった今 人生終わってしまうぞ!」


主人から
いつも言われていた言葉をかみしめて
流れて行く時間の上で
穏やかな自分がいることに
幸せを感じているのである。


  


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2020年03月30日

不思議な縁



2月の日曜日
私は佐世保駅の改札口で
ひとみさんを待っていた。

暦は立春を迎えたが
空はどんよりと黒い雲に覆われ
時折小雨が降る
寒い冬の日だった。

改札口の前で
北九十九島の海で育てられた真珠の
小さなピアスをつけた私は
気を抜くと丸くなる背中を意識して
背筋をシャンと伸ばした。


午前11時
長崎からの特急列車が到着し
沢山の人が改札口に押し寄せてきた。

乗客のひとりひとりを見つめ
今までに一度しか会ったことのない
ひとみさんを待った。

多くの人々が
足早に改札口を出て
四方に散っていったが
ひとみさんは改札口に現れなかった。

人気のなくなった改札口で
私は少し不安になった。
改札口に立った若い長身の駅員さんに
話しかけた。
「改札口はここだけですよね。」と。

滅多に電車に乗ることのない私は
佐世保駅構内に詳しくなかった。


長身の駅員さんの横に立って
ひとみさん姉妹が現れるのを待った。

電車が到着してから15分ほどたった時
二人の女性が肩を並べて
仲良く改札口に向かってやってきた。

一目で
ひとみさん姉妹だとわかった。


ひとみさんのお姉さんは
スムーズに自動改札口を通過した。
ひとみさんは
改札口の手前でチケットを取り出し
自動改札機にチケットを入れたが
ゲートが開かず通過できなかった。
ほんのちょっぴり慌てたひとみさんから
長身の駅員さんが
チケットを受け取ってくれた。

自動改札口で
チケットが受け付けられなかったことが
会話の始まりで
堅苦しい再会の挨拶は
どこかに吹っ飛んでしまっていた。

駅構内を出て
駅前の駐車場に向かった。
初めて佐世保の地を踏む
暖かい沖縄に住むひとみさん姉妹に
強く冷たい北風が吹きつけた。


急きょ休みが取れた私は
沖縄で暮らすひとみさんが
長崎に嫁いだ娘さん宅を訪れていたのを知り
会う約束を交わしたのである。


駅前の駐車場に停めたマイカーに乗りこみ
平戸へと向かった。

「平戸 ヒラメ祭り」が開催されているので
料亭「大徳利(おおとっくり)」に電話をして
午後1時に昼食を予約をしていた。

私が住む田舎町を通り越し
佐世保駅から
約1時間で平戸大橋に着いた。

風光明媚な平戸大橋だが
ゆっくりと景色を眺めるのには
寒すぎた。

 


お天気がよければ
こんなに綺麗な平戸大橋なのに
それを
見せてあげられないことが
とても残念だった。



「ひらめ祭り」が開催されている平戸の
料亭「大徳利」で
ヒラメ御膳を食べながら
他愛もない話に花を咲かせた。





「大徳利(おおとっくり)」を出てから
ザビエル記念教会を見学した。

   

平戸を後にして
私の職場に立ち寄り
再び佐世保駅に到着したのは
午後5時40分頃だった。


午後6時発長崎行きの電車に乗るために
チケットを買い
改札口でひとみさん姉妹を見送った。

今朝対応してくださった
背の高い駅員さんがにこにこと
私達を見守ってくれていた。
私は駅員さんの横に立って
二人が見えなくなるまで見送った。
   

沈丁花がかすかに香る寒い冬の一日が
足早に過ぎて行った。


   
それから1週間が過ぎ
我が家の周りは菜の花が満開となり
優しい風に揺れた。
野辺ではタンポポが群生し
 道端も
   空き地も
    河原も・・
優しい黄色に染まった。

    
 
 夜が明けるたびに
 春が満ち溢れていった。



 私達家族は
 平凡な朝を迎え
 平凡な一日を過ごし
 平凡な夜を送り
 平凡という幸せな時間に包まれていた。

 娘の摂食障害という病気と
 戦った日々は
 すっかり過去の笑い話となった。

 私は今から9年ほど前
 摂食障害という病気の娘を抱えていた。

 そこには
 日増しに死と直面していく娘と
 どうすることも出来ない無能な母親の私がいた。
 無能な自分を見つめながら
 辛く 苦しく 悩み・・・ 
 明日を見いだせなかった日々を
 ブログという世界で
 心の内をさらけ出していたのである。

 潰れてしまいそうな私の心を
 遠い沖縄の空の下から
 メールという手段を使って
 私の心に寄り添ってくれたひとみさん。

 私の弱い心は
 ひとみさんからのメールに支えられ
 ひとみさんからの言葉に導かれ
 深い 深い 谷底から
 這い上がってくることができたのである。

 

 

 命を落としてしまいそうな娘を抱え
 仏さまに祈り
 神さまにすがりながら
 私は娘を失う恐怖と闘っていた。

 そんな私に
 神さまは そっと 
 ひとみさんを添わせてくれたのである。




 おかげさまで・・・
 流れる歳月は
 娘を心身ともに快復させ
 私達家族に平凡な営みを
 与えてくれたのであった。



 沖縄で育ったひとみさんの娘さんが
 結婚し長崎で暮らし始めたため
 ひとみさんとの距離が近くなったのである。

 私という人間の
 人生のシナリオを書き下ろしている神様の
 ウインクする姿が目に浮かぶようである。
 
 

  


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2020年03月07日

春の兆し

うっすらと障子が明るくなった。

 ホ~~~~
     ホケキョ
        ホケキョ

と 庭先で鶯が鳴いた。

谷あいの山々から

  ホ~~~~
     ホケキョ  ケキョケキョ と

 
鶯のさえずりが響き渡った。

午前6時
 隣で寝ているHAYATOの布団を
 肩まで引き上げ
 しばらくまどろんだ。

溜まっている用事を片付けるため
休みをとったが
夕方には
職場に足を運ばなければならなかった。

季節は一気に春となった。
家の周りは
至る所で菜の花が咲き乱れていた。

強い繁殖力で
川沿いの至る所は
菜の花畑となっていた。



 
 
小さな町の川沿いは
至る所で菜の花が咲き乱れ
とても綺麗だった。

その景色を眺めているだけで
安らぎに包まれた温かい気持ちが
心の中いっぱいに広がった。


柔らかい葉っぱをもち
ふわふわとした
優しい花弁を持った菜の花を
嫌いなものは誰一人としていないだろうな・・と
思えた。


桃の花が日増しに膨らんで
春の到来を告げていた。
もう冬に後戻りすることは無いだろう。

  沢山の花に囲まれて

  又 新しい季節がやってきた。

 

 

  


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2020年02月13日

目的に向かって

 

 
一日中激しい雨が降り続いた翌日は
 カラッと晴れて
 2月と思えないほどの暖かさだった。

 私は
 大切な事務処理に追われていたが
 天気の良い日にやらなければならない
 外仕事も抱えていた。

 私は
 この得体のしれない物体の
 船底の塗装をしなければならなかった 

 

 6m x 16m 約9トンのこの物体は
 魚釣りの巨大イカダ船である。

 私は朝一番から
 ヤッケを着てパートの方と二人で
 作業に取り掛かった。 
 
 作業はとても単純だった。

 ローラーハケで
 船底塗料を塗るだけのことである。

 私は黙々と働いた。
 ただ ひたすら 黙々と腕を動かして
 ペンキを塗った。



 事務所の裏庭の椿が
 無言のエールを送ってくれた。
 「 ファイト! ファイト! 」と 

 😊         
 

 なんだか
  とっても気持ちがよかった。

 時々  
 顔に赤いペンキが飛び散ってきたが
 そのことでさえ
 愉快だった。
 


 この釣りイカダは
 4月から12月までの土曜 日曜に
 沢山のお客さまを
 北九十九島の海へと
 釣りに案内するのである。

 多くの方に喜んでもらいたかった。

 私は目的があった。
 がむしゃらに働くのは目的があるからである。

  ✈          


 小学2年から外国旅行に連れて行った
 孫のHAYATOは
 外国に興味を持ち
 旅行に出掛けるのを
 楽しみにするようになった。

 中学に入り
 英語と社会の成績が飛びぬけて良かった。

 今年1月に台湾に出かけてきた後 
 来年の旅行先を
 世界地図を眺めて計画を練り始めた。

 私はHAYATOに教えたかった。
 
 一所懸命働いて
 真面目に働いて
 誠意をもって働いて
 節約もして
 得たお金で趣味が満喫できるんだということを。

 HAYATOは
 土曜日 日曜日は
 私の職場で
 私の仕事を手伝ってくれているのである。
 それは 幼い頃からず~~~とである。

 お客様が使った貸し船を
 デッキブラシでこすり
 燃料を補充するのである。

 働くことの大切さを
 働くことの必要性を
 働くことの楽しさを

 私なりに
 HAYATOに教えていきたいと考える。

 懸命に進めば
 きっと良いことがあると信じて・・・
 絶対幸せなことがあると信じて・・・

 私は今日も一日 心地良く働いた。

 次の目的に向かって。
 

 清らかな香りが 私をくすぐった。

  


Posted by パールじゅんこ at 22:24Comments(0)ブログ

2020年02月10日

お日さまの匂い

「 ばあば  お日様に匂いなんかあるの?」

 隣に敷かれた布団の中で
 ちょこんと頭だけ出して
 HAYATOが太い声でボソッと言った。


立春の日が少し過ぎた日のこと・・

庭の椿は 
うっとりと太陽のちょう愛を受けていた。



ずいぶん久しぶりに丸一日
職場に足を運ばなかった。

家の外回りの掃除をする為にとった
休日である。

たくさんやらなければならない事があった。

玄関前の鉢は
 ホテイアオイが枯れたままだった。
北側の犬走りは水苔が生えて汚かった。
網戸はほこりが積もっていた。
窓ガラスは汚れでくもったままだった。
サッシ廻りはほこりが溜まりにたまっていた。
おまけに障子が所々破れていた。

 😟     


腰の重い主人を促して
薄手のジャンバーを着て外に出た。

ぽかぽかとお日様の光が降り注ぎ
なんとも暖かい温もりに包まれた。


良いお天気だった。


主人は家庭用の高圧洗浄機で
網戸を洗い
玄関前のタイルや犬走を洗った。

私もバケツと雑巾をもって

せっせと働いた。

二階のベランダに所狭しと干された布団は
ふっくらと膨らみ
物干しざおでは洗濯したボアシーツが
暖かい風に揺られ心地よく乾いていた。

背中に
ぽかぽかとお日様の光が降り注いだ。
お日様の光って
こんなにも暖かかったのだ・・と
久々にほんわかと幸せ気分に包まれた。

主人と交わす言葉はなかったが
二人で黙々と働いた。


夕方
中学から帰ったHAYATOが
玄関に入らずに
鞄を持ったまま
にこにこと庭に回ってきた。
テスト前で部活がないため早目の帰宅だった。
私が夕方家にいることは
非常に珍しいことである。


何も言葉はなかったが
にこにこと私を見つめた。

私はこの2か月でHAYATOから
見下ろされるようになった。

私と主人は
夕方までよく働いた。
 
 おうち    おうち     おうち


みいの準備した夕食を済ませ
床の間の2枚の障子も張り替えた。



午後10時すぎ
HAYATOと布団に入った。

「 HAYATO お布団気持がいいね。
  お日様の匂いがするね。」
口数の少なくなったHAYATOに話しかけると・・

隣の布団で
ちょこんと頭を出したHAYATOが
声変わりのした太い声で言った。

「ばあば  お日様に匂いなんかあるの?」と。


私は
ほっこりと幸せ気分に包まれた。


HAYATOから
  力が抜けていくのが感じ取れた。
HAYATOは
  すーーと夢の中に入り込んだ。

身長155cmの私を
中学1年生のHAYATOは
見下ろすようになったのである。

  春はそこまでやってきた。

  


Posted by パールじゅんこ at 21:31Comments(2)ブログ

2020年01月03日

令和2年 スタート


 明けまして
    おめでとうございます。
  

  




雲一つないピンと張りつめた空気の中で
東の山から
ゆっくりと太陽が昇り始めた。

家族揃って
居間から東の山を見つめて
初日の出を祝ったのである。

霜で真っ白に凍り付いた野山の木や草も
一斉にキラキラと輝きを増した。



 とても  平凡に
 とても  穏やかに
 とても  厳かに

 家族4人そろって
 新しい年を迎えた事に幸せを感じた。




大晦日である昨夜
「 今年は浩二おじちゃんがいないね。」と
みいが呟きながら
夕食の膳を整えた。

18年間
大晦日は必ず義弟と共に鍋を囲み
一年を締めくくってきたのが恒例だったのに
大きな寂しさが一瞬心の中を過っていった。
昨年の4月
突然この世を去っていってしまった義弟は
私達に大きな夢と希望を与えてくれたのである。

義弟が残したログハウスは
主人と私に
夢を与えてくれたのである。

貸し別荘として
より多くの人々に使ってもらおうと
主人と二人で
共同作業の日々に明け暮れる半年間であった。

外壁を塗り替えて
庭を調え
貸し別荘として準備に開け暮れたのである。



みいは言った。
 「屋根は赤が良いよ。 可愛いよ。」

社長はすすめた。
 「どこからでも目立つ色にしないヨ。」

地域の方々は言った。
 「 おとぎの国のようにしませんか。」

職場の人たちが言った。
 「ディズニーをイメージした
      楽しいのがいいよ。」

私と主人は 悩んだ挙句
沢山の方々の意見に同調して
明るく楽しい 貸別荘にしようと
取り組んだ。

土木施工管理技士1級の主人は
自ら パワーショベルに乗り
BBQ広場をつくった。

HAYATOと共に
コンロを組み立て
テーブルセットを組み立て
家の周りを整え始めた。


 


私は
家の内壁を掃除し
ベットを調え
お客さまを迎え入れる準備に奮闘した。


仕事と貸し別荘の準備とに追われ
私は息つく暇もない程忙しかった。


そして
主人との共同作業に追われた一年が終わり
丘の上に
おとぎの国が出来上がろうとしている。




 
私は
新たな一日を迎える度に
義父と義母と義弟の仏壇に手を合わせた。

1月 幼かったHAYATOは・・・

12月
沢山の方々に可愛がられ
釣りの大好きな男の子へと
大きく成長を続けている。

 

私は 
好きな我が家で過ごす時間を失ってしまった。


もう少し ゆとりを持たなくては

人生はすぐに終わってしまいそうである。


  後 数時間後

  私は家族を起こさなければならない。

  私達は 台湾への旅行に出発するのである。

  


Posted by パールじゅんこ at 01:31Comments(0)ブログ

2019年06月11日

ありがとう さようなら  「浮雲」に終止符を。

 私を支えて下さった沢山の皆様へ


ブログ「浮雲」を
終わらせる時が来ました。

 辛い時・・・
 苦しい時・・
 嬉しい時・・
 楽しい時・・

心の中から
湧き出てくる思いを綴った日々は
とても愛しいものです。

ブログの世界で
沢山の方から優しい言葉をかけて頂き
大きな坂も
小さな坂も
乗り超えてきました。

摂食障害(拒食症)だった次女「みい」は
持ち前の明るさを取り戻しました。
病気と闘った日々は
すっかり笑い話になりました。

  


はやとは
中学一年生となり
私と身長が同じになったのです。
思春期のはやとを囲んで
私たち家族は新たな生活を迎えました。
これから起こってくる様々な出来事に
真剣に向き合って
はやとを導き
育てていかなければならないでしょう。


 
63歳の私は
ガンという
今では決して珍しくない病気と
向き合いながら生きて行きます。    


私は主人と共に
手を取り合って
えっちらおっちらと
人生の峠を越えていきます。
  
 これからも
 はやとを見守り
 みいと笑いあい
 主人に連れ添い
 家族と共に生きて行きたいと思います。



皆さま
突然ですが・・
私の心情を綴ったブログ「浮き雲」を
一旦 終わらせていただきます。


沢山の問題を抱えている私ですが
一つ 一つ  
クリアしながら明日へと進んで行きます。


本当に長く私を支えて下さって
私の自分勝手な呟きに
付き合ってくださり有難うございました。

   皆さま お元気で。

   さようなら

   

    あ~した

    天気にな~~~れ。

  


Posted by パールじゅんこ at 00:46Comments(8)ブログ

2019年06月07日

悲しみも 苦しさも 楽しさも 隣り合わせ。

 繁みから
 妖艶な香りが漂ってきた。

 スイカズラが うっとりと 誘いかけてくる 
 真夏を感じさせられる午後
  私は 釣りを終えた  
  YouTuber釣りよかでしょう チームと
  つるの剛士さんを接待していた。

   (令和元年6月4日) 


 
   主人と共に  
  釣りよかでしょうチーム & つるの剛士さん


 とっても気さくなつるのさんは  

 ふわっと 包容力のある方で  

 釣りがとっても上手です。
 
 はやとはいろんな方に囲まれて
 中学生になった。

  (平成31年4月7日)


 レンタルボートで 出かけるつるのさんと
 ちゃっかり ツーショット ピース 

    (平成31年4月7日)
 

この日の釣行は   
ユープチューブ 「 釣りよかでしょう 」で
とっても愉快にアップされている。

 


  ふたば  ふたば   ふたば   ふたば    ふたば

 
 
 春休みが終わると
 中学生になるはやとに
 卒業旅行として
 私や主人と別行動をさせて東京へ向かわせた。

 
 
   
 
  自宅近くのバス停までみいに送ってもらい
  高速バスに乗り  
  長崎空港から飛行機で
  羽田空港へと向かった。
 
  羽田空港で手配していた観光タクシーに乗り  
  東京を観光し新宿のホテルへ向かった。  

  別行動をとった主人と私は
  新幹線で東京に向かい 
  ホテルで落ち合ったのである。

  もちろん  はやと一人ではなく
  私の勤め先の社長と二人旅であるが  
  全ての行程をはやとに主導権を握らせたのである。

  すなわち
  何も知らない(ということにして)  
  74歳の社長をはやとが連れて行ったのである。
  
    



     

 
  観光タクシーのドライバーさんと 
  到着ロビーで会って
  親切に市内観光に案内してもらい 
  ホテルへと送り届けてもらったのであった。
 
  2泊3日 東京で過ごし  
  4人そろって 
  新幹線を利用しての帰路についた。

  

  季節は ゆっくりと流れて行った。 




 

 亡き義弟が愛犬ジョン(2年前に老衰)と住んだ
 小さなログハウスが
 私の職場を見下ろしている。
 主が帰ってくるのを待っているかのように
 九十九島の海を渡った風が
 ログハウスを包み込んでいた。
 


 薫風は 
 苦しみも悲しみも包み込んで
 爽やかに吹き  
 気持よく季節が流れて行った。

 亡き弟は18年間 ログハウスの庭から
 愛犬ジョン(ゴールデンレトリバー)と共に
 私の職場の前に広がる
 北九十九島の綺麗な海を眺めて暮らした。 



 ログハウスで
 義弟の四十九日供養を終わらせたあと 
 亡き義弟は
 私の家の仏壇で義父や義母とともに
 永遠に眠ってしまった。



    

  


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2019年04月18日

義弟は思い出の中に・・・

 別れは突然やってきた。

 さよならも言わず・・
 笑顔を残すことも無く・・
 言葉を交わすことも無く・・

 ある朝 
 義弟は永遠の眠りに付いた。

 姉弟4人
 仲の良い主人の弟は
 満開の木蓮に見送られて
 この世界を去っていったのであった。

 心筋梗塞
 義弟の命を奪った病状である。

 私は
 盲腸ガン 乳ガンと
 2年の間に二つのガンに侵された。
 当然
 主人より早く命を落とすだろうと
 覚悟をした。

 残された主人は
 近くに住む二つ下の独り者の弟と
 仲良く
 年老いていくだろうと
 信じて疑うことは無かった。 

 余りにもあっけなく
 余りにも心準備ができていない間に
 義弟は逝ってしまったのである。

 私達は 言葉を失った。



   柔らかい新芽を
   爽やかな風が揺すった
   お釈迦様の誕生日の朝
   義弟は永遠の眠りのついた。
   62歳の生涯を閉じたのであった。   

 
 
  



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2019年04月18日

長兄の遺言 亡き父の望み「牛島満氏の写真」

春分の日は長兄の三回忌だった。
前日 主人と二人で四国へと向かった。

大分臼杵港から
愛媛県八幡浜港への
オレンジフェリーを利用した。
(11:35出発 → 13:55到着)

予定より早く臼杵に到着したので
港の近くの臼杵城に立ち寄り
時間の調整をした。


桜の開花時期には少し早かったが
ほんわかと降り注ぐお日様の下で
境内をゆっくりと散策した。


  
  1時間ほど臼杵城を散策した後
  港へ向かった。
  予約していたオレンジフェリーに乗り込んだ。



 
 船室は清潔で 
 過ごしやすかった。

 空いていたので2等客室でも
 静かで過ごしやすかった。  
 2時間30分の航路を
 うとうとと眠り体を休めた。


 
 定刻通り八幡浜港に到着した。 
 八幡浜港から197号線を通り 
 四万十川の上流から高知へと向かった。
 高知市内を通り
 更に南国市を通り過ぎ
 室戸岬の手前で一泊した。


  ホテルなはり(安芸郡奈半利町)

 
 大浴場を利用した主人と共に 
 夕食会場へと向かった。

 残念なことに
 乳がんの術後の私は大浴場へとは
 行けなかった。

 マグロ料理の夕食はとても美味しかった。

  
 朝食前に
 主人は快適だった大浴場に向かい  
 ひと風呂浴びた。

 朝食も豪華で美味しかった。
 バイキングに慣らされているので
 「ホテルなはり」での食事が
 新鮮でとても満足した。
 

  雨の春分の日がスタートした。

  
 雨降りの四国道は
 長い里帰りで初めての事だった。

 道沿いには
 雨具に身をまとった沢山のお遍路さんがいた。

 室戸岬から約1時間で実家へと着いた。
 

 
  小雨の中

 懐かしい父や母
 優しかった祖母や祖父と共に眠る
 兄に手を合わせた。

 大里松原の海岸に隣接した墓地は
 太平洋から寄せては返す波の音が
 途切れることは無かった。 

 

 私はやらなければならないことがある。
 亡き父の
 生前に望んでいたことを  
 受け継いだ長兄の遺言を
 叶えなければならなかった。


 牛島満氏の右後ろに父が写っている。

 
 実家の兄嫁から 
 父の写真と共に  
 牛島満氏から頂いたと思われる文を 
 託された。

  

  牛島満(うしじま・みつる)
 1887年7月31日~1945年6月23日)
 
 第二次世界大戦の沖縄戦にて
 第32軍司令官を務めた。
 沖縄戦で散った日本の軍人である。
 
 亡き父は  
 牛島満氏の写真を
 家族に届けたかったのである。

 お孫さんである牛島貞満氏は
 今も 
 「牛島満と沖縄戦」をテーマに
 平和学習に取り組んでいるはずである。
 
 私は 兄の他界する前に
 牛島貞満氏と連絡がついていた。
 が
 そのまま保留となっていたのであった。

 私はやり残している
 大きな問題を抱えているのであった。

  


  


Posted by パールじゅんこ at 00:53Comments(0)

2019年04月04日

乳がん 抗がん剤治療 終了

「 よく頑張りましたね。」

「 はい 頑張りました。 」

 看護師の平凡なねぎらいの言葉が
 ほんわかと心の奥底をくすぐった。


  3月28日
  最後の抗がん剤治療の点滴が終わり
  化学治療室を出た。

  25回の放射線治療と
  6回の点滴が終わった。

仕事をしながらの通院は
泣き言は言えないものの
ちょっぴり大変だった。

週に数回は 
早朝より釣りのお客さまを迎える為
朝5時 起床 10分離れた職場に出かけ
接客を済ませ
職場で食パンとサラダで朝食をとった。
その後
約40分かけて 病院へと向かう。
放射線治療を済ませ
お昼前に職場へと戻る。
半日の事務仕事のロスを 
残業で補う。

週に2回は
市内にある車で15分ほど離れた
二つの病院を行き来した。

火曜日は
血液検査と診察を受けた後
血液検査結果をもって病院を移動し
放射線治療を受け
お昼には事務所に戻った。

木曜日は
放射線治療終了後 病院を移動し 
診察後 点滴を受け
事務所に戻るのは午後3時を過ぎていた。

その他は
一つの病院で放射線治療だけを受け
午前中に事務所に戻ることができた。


ただ一人だけ
ただ一言だけ
「 頑張りましたね。 」と
声をかけて頂いたのであった。

素直に
単純に
 とても嬉しかった。

 


強がっていたが
身体に無理を強いているのでは・・・と
心底にはいつも 不安が漂っていた。



 大した副作用もなく 
 抗がん剤治療が終了した。
 
 ただ 放射線の当たった皮膚は 
 皮がはがれ 化膿した。 が・・・ 
 放射線治療終了後 
 皮膚はメキメキと回復していった。




放射線治療計画 (合計25回)
  2月13日(水)~15日 (金)   3回
  2月18日(月)~22日 (金)   5回
  2月25日(月)~3月1日(金)  5回 
  3月4日 (月)~3月8日(金)  5回  
  3月11日(月)~3月15日(金) 5回
  3月18日(月)~3月19日(火) 2回

 抗がん剤治療計画 (合計6回)
  =パタリタキセル注射液 点滴=

  2月14日(木)
  2月21日(木)
  2月28日(木)
  3月7日 (木)
  3月14日(木) 
  3月28日(木)



  


Posted by パールじゅんこ at 23:30Comments(0)ブログ

2019年03月11日

 乳がん 抗がん剤治療副作用

 🏥 3月2日

 



 「32,280円です。」

 「え?  間違いではありませんか?
 注射を1本しただけですよ 」

乳がん術後の抗がん剤治療を受けている私は
会計の前で驚いた。


抗がん剤治療を続けているから
週一に血液検査を受けている。
徐々に減少していく白血球の値が
2,000を切った為注射液を投与し
体調を整えることが試みられた。


「抵抗力がなくなっているので
  風邪をひかない様に・・・・。
  生ものを食べない様に・・・
  けがをしない様に・・・・」と指導を受け
 上腕をギュとつままれて
 皮内、皮下及び筋肉内注射 を一本打った。
 (ジーラスタ皮下注射3.6mg)



大切な注射であることは解って要るが
1本 106,860円 である。
患者負担額30%で
私の支払額は 再診料共に 32,280円であった。

こんなに高額と考えていなかっただけに
驚いてしまった。

それから1週間後の血液検査での
白血球の数値は3,000を超え支障がなくなった。

   3月11日
ほとんどの毛髪は抜けてしまったが
体調を崩すことも無く
順調に治療を進めてきたが
後半を迎えた3月8日頃から
皮膚が弱くなり
かゆい部分を無意識にかくと 
皮膚が破れるようなったのである。

私は
腫れ物に触るように皮膚を
大切にする必要が迫られてきていることを感じた。

全身の皮膚が非常に弱くなり
首筋やわきの下の
放射線を浴びている場所が黒くなり始めた。

首筋の化膿はかゆみを伴い
広がり始め深刻問題となりそうである。

後1週間で抗がん剤治療が終了する。

持ちこたえてくれるかな・・・
この身体・・・。

 ちょっぴり 心配になってきたりして・・。



  


Posted by パールじゅんこ at 20:45Comments(0)ブログ

2019年03月08日

春雨

暖かい春の雨が一晩中降り続いていた。

うっすらと夜が明け始め
パラパラと
庭の葉っぱに降り注ぐ雨の音が
目覚ましになった。

隣の布団から
すーすーとHAYATOの寝息が
心地よく響いていた。


掃除も洗濯も 買い物も
夕食の準備も 全ての家事は
主婦業のみいの役割となっている為
私は仕事にだけ没頭していればいいが
朝ご飯とお弁当の準備だけが
私の当番である。

  

6時20分
弁当や朝食のおかずとみそ汁を作り
主人に声をかけた後
HAYATOを起こす。

着替えたHAYATOは台所に立ち
お弁当箱におかずを詰める私の横で
みんなのご飯と味噌汁を入れる。

それは
HAYATOの我が家での役目であり
小学一年生の時から
欠かすことがなく6年間
続けられてきた。



 私が病気であることを除けば・・・
 平凡であると言える一日が 始まった。


 優しい春雨にくすぐられて
 一斉に庭先のさざんかが開花した。




 玄関先のフクロウは
 HAYATOを見送った後・・・

 毎日30分の道のりを通院する私を
 心配そうに見送った。



かつて沖縄で暮らした長女家族の所へと
頻繁に出かけたころがあった。


思い出にと買い求めたシーサーが
すっかり我が家の家族となっている。


 さぁ 今日も良い日だぞ!
 俺が見守っていてやるから
 頑張って行って来い!!

と 見送ってくれるのである。



午前8時20分
  私は コミック 「キングダム」 をもって 
  抗がん剤治療(放射線治療)に出掛ける。

  
  
 緑に包まれた優しい季節を
 私は生きている。
  

  


Posted by パールじゅんこ at 23:30Comments(0)ブログ
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パールじゅんこ
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えっちら おっちらと進む人生。
苦しいことも乗り越えたはず。
悲しいことも通り過ぎたはず。
やってくる明日は
絶対幸せで楽しいはずと
100%信じている私こと じゅんこです。


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