2019年03月06日
乳がん抗がん剤治療副作用 脱毛

浸潤性乳管癌(硬性型) ステージ3A
と診断された私に
術後の抗がん剤治療としての
● 薬物療法(パクリタキセル注射液)
● 放射線療法
2種類の化学療法が計画された。
パクリタキセルの副作用として
悪心・嘔吐 筋肉痛・関節痛
口内炎・下痢 脱毛・貧血
などの症状が起こりえることの
説明を受けた。
パクリタキセルを点滴するための
点滴ポートを埋め込む手術を受け
一泊二日の入院を終えたあと
医療用ウイッグの専門店を訪ねた。
どの時点で
脱毛が始まるのか
全く予想ができなかったので
早目に準備をしておくことにした。
フォンテーヌのショップで
医療用ウイッグを購入した。
仕事での着用に自然色のものと
外出用に栗色のものを準備をした。
( 38,000円 x 2個 )
脱毛を迎える前に
ショートカットにして置くことを勧められ
ウイッグショップでカットをしてもらった。
放射線治療計画 (合計25回)
2月13日(水)~15日 (金) 3回
2月18日(月)~22日 (金) 5回
2月25日(月)~3月1日(金) 5回
3月4日 (月)~3月8日(金) 5回
3月11日(月)~3月15日(金) 5回
3月18日(月)~3月19日(火) 2回
抗がん剤治療計画 (合計5回)
=パタリタキセル注射液 点滴=
2月14日(木)
2月21日(木)
2月28日(木)
3月7日 (木)
3月14日(木)
脱毛は2月27日(水) 夕方突然始まった。
3日後にはウイッグが必要なほどに
脱毛が進んだ。
一週間後には
90%以上 毛髪がなくなった。
3月2日から
しゃがむと激痛を伴った動悸に襲われた。
ドクンドクンと激痛を伴った脈が打った。
胸から首を通り顎を突き上げるような痛みだった。
立ち上がると治まった。
職場の和式トイレの使用が困難になった。
座る椅子の角度によって症状が出たが
和式トイレにしゃがむほどの激痛はなかった。
事務用の椅子や
車の椅子は
その症状は出なかった。
3月4日から
指先に軽いしびれが始まった。
治療はちょうど半分の期間が終わった。
私はいたって元気で通院し仕事ができている。
職場で和式のトイレを使用しなければ
生活に何の支障もなかった。
よく眠り よく食べ 憂いも 不安もなかった。
家族でも 職場でも私は病人扱いされなかった。
と言うか・・・
病気だからと特別扱いされていない
う~~~ん 大切にされていないゾ!
亡き義母の可愛がっていた花が
ふんわりとした春の優しい陽ざしを浴びて
私の心を くすぐった。
やさしい義母の声が私の心に届いた。
じゅんこさん 春になったね。
と
2019年03月05日
乳がん 抗がん剤治療開始 点滴ポート設置手術

平成31年2月8日 点滴ポート埋没手術
( 1泊2日の入院 )
● 中心静脈埋没型カテーテル設置
(点滴ポート)
点滴治療を継続・反復するから
数回に及ぶ点滴治療を安全に行うために
局所麻酔で
点滴チューブの先端に土台をつけて
皮膚の下に埋め込むのである。
CVポートは
100円硬貨程度の大きさのもので
首の血管からカテーテルをいれ
左の胸の皮膚の下に埋め込む。
カテーテルの先端は
心臓近くの太い血管に留置される。
午前9時
とことこと手術室に入った私は
手術室に慣れて
なんだかリラックスしていた。
ジカ! ジカ! ジカ!と
3本の局所麻酔が首筋に打たれた。
首筋への注射だったので
恐怖心が伴って痛みが増した。
首筋から
カテーテルが挿入されているのが感じ
不愉快極まりなかった。
怖かった・・・
そして
鎖骨の少し下を又もや3本の麻酔が打たれた。
今度は首筋でない為か
恐怖心は無く痛みは強く感じなかった。
鎖骨の少し下を切開しポートが挿入され
首筋からのカテーテルに接続されたようである。
手術は約1時間ほどで終わり
点滴ポートが埋め込まれた。
再び 看護師に付き添われて
とことこと歩いて 入院病棟へと向かった。
南向きの暖かい窓際のベットが準備されていた。
昼食も 夕食も 普通食だったのが
嬉しかった。
2月9日(金) 朝食後 退院
私は
仕事も 家族への気遣いからも解放されて
ちゃっかりと
一泊二日の
入院生活を満喫していたのである。
思いがけず手に入れた時間に
全ての憂いを忘れ
読書を楽しんでいた。
そして
その後
53巻まであるコミック「キングダム」に
のめり込んでいたのである。
これからの 抗がん剤治療に
コミック 「 キングダム 」 が
私から
病気への憂いや 戸惑いを
消し去ってくれるのであった。
病の道連れは 「キングダム」
2019年03月01日
浸潤性乳管癌(乳がん) ステージ3A 抗がん剤治療開始
平成31年1月17日
手術後の病理診断報告書により
浸潤性乳管癌 ステージ3A
であることの説明を受けた。
手術後の補助治療として
薬物療法・放射線治療
を行うことを進められた。
当然
私は少しでも長く生きていたかったので
担当医師を信頼して
自分の命を全て丸投げしている。
担当医師は
病理診断報告書をもとに
素人の私に丁寧に説明をしてくれた。
私は今後の抗がん剤治療の説明を受け
何の疑いもなく同意書にサインをした。
私は仕事を続けながら
通院によって
乳がん手術後の
補助治療を受けることにした。
放射線治療計画 (合計25回)
2月13日(水)~15日 (金) 3回
2月18日(月)~22日 (金) 5回
2月25日(月)~3月1日(金) 5回
3月4日 (月)~3月8日(金) 5回
3月11日(月)~3月15日(金) 5回
3月18日(月)~3月19日(火) 2回
抗がん剤治療計画 (合計5回)
=パタリタキセル注射液 点滴=
2月14日(木)
2月21日(木)
2月28日(木)
3月7日 (木)
3月14日(木)
平成31年2月8日 点滴ポート埋没手術
( 1泊2日の入院 )
● 中心静脈埋没型カテーテル設置
(点滴ポート)
点滴治療を継続・反復するから
数回に及ぶ点滴治療を安全に行うために
局所麻酔で
点滴チューブの先端に土台をつけて
皮膚の下に埋め込むのである。
CVポートは
100円硬貨程度の大きさのもので
首の血管からカテーテルをいれ
左の胸の皮膚の下に埋め込む。
カテーテルの先端は
心臓近くの太い血管に留置される。


平成31年2月12日(火)~
放射線治療 開始
平成31年3月19日 終了予定
平成31年2月12日(2019年)
乳がん手術後の抗がん剤治療が始まった。
偶然にも・・・
この日は 2年前の
平成29年2月12日(2017年)
盲腸がん手術の為に入院をした日だった。
2019年02月28日
乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ3A
もう 冬に後戻りすることはないはず。
ひと朝ごとに
季節は春を誘ってきた。
幸せな旅の思い出を積み重ね
私は63歳の誕生日を迎えた。
平成30年12月14日
乳がん手術を受けた
● 左乳房全切除術
● 腋窩リンパ節の郭清手術
12月27日
術後 抜糸
1月17日
乳腺及び腋窩リンパ節の
「病理診断報告」を受けた。
私の左乳房は
浸潤性乳管癌(硬性型) ステージ3A
と診断された
● 腫瘍は2.2cm
● 腫瘍細胞の胞巣状の増殖が見られる
● 高度の線維化を伴う間質浸潤が見られる
● リンパ管侵襲 血管侵襲は明瞭ではない
● 皮膚への浸潤はみられない
● 切片上、断端は陰性である
● リンパ節転移が認められる(6/7)
がんの治療法としての
● 薬物療法(パクリタキセル注射液)
● 放射線療法
2種類の化学療法が計画された。
仕事をしながら通院するということで
治療時間帯を優遇して頂き
2月8日から
スムーズに治療が始まった。
毎朝
自宅から30分の病院へと通い
9時からの放射線治療を受け
10時過ぎには出勤ができ
仕事を続ける日々が日課となっている。
併せて
週一回
薬物療法(点滴)を受けているのである。
私は仕事に支障なく
がん手術後の治療が行われている。
朝を迎える度に春が膨らんでいき
家の周りでは
愛らしいフキノトウが日増しに育ち・・
クレソンの勢いが増していくのである。
私の体調は至って良好であった。
2019年02月23日
チャンギ空港 トランジットホテル休息 帰国
1月9日
オーストラリア ダーウィンを出国
午後3時35分
シンガポール航空共同運航便シルクエアー利用
午後7時
シンガポール チャンギ空港に到着した。
1月10日
チャンギ空港 乗り換え後
シンガポール航空で福岡へと帰国する。
6時間30分の待ち時間を
休息をとるために
チャンギ空港内のホテルを予約していた。
Ambassador Transit Hotel Terminal2
( アンバサダー トランジットホテル ターミナル2)
==Expedia(エクスペディア)予約==
6時間コース 1部屋 11,387円
シルクエアーで ターミナル2に到着し
天井に「Transit Hotel」の案内板が出ていたので
迷うことも無くとことことホテルに向かって歩いた。
目印は「 ガーデン 」
とことこ
きょろきょろ
とことこ・・・・
不安も手伝って とても遠く感じた。
蘭の花が綺麗なオーキッドガーデンの
手前のエスカレーターを登ると ・・・
アンバサダートランジットホテル ターミナル2に着いた。
さあ・・ 旨くチェックインできるかな?
エクスペディアでの予約終了後に
アンバサダートランジットホテルから
事前に我が家のメールに
確約メッセージが届いていた。
プリントして準備していたメッセージを
フロントに出して名前を告げた。
何の問題もなく
パスポートを提示しサインをすると
ルームナンバーが告げられ
2部屋分の2枚のルームカードキーが渡された。
家族には内緒だが 本当に不安だったので
心底 心底 ほっとした。
もし 予約できていなかったら
6時間30分を 椅子の上で
過ごさ.なければならなかったからである。
フロントの奥に進むと
沢山の部屋のドアが
薄暗い廊下の両脇に殺風景に並んでいた。
部屋は清潔で綺麗に整っていた。
6時間コース 11,387円
ほんの少しだけ 一息ついて
HAYATOと出かけてみた。
ホテルの前の通路を渡ると
Entertainment DECK
(エンターテイメントデック) のフロアだった。
ゲーム
映画
インターネット
カフェ 等が充実していた。
エンターテイメントデックの奥に進むと
サンフラワーガーデンに続いていた。
建物の外にあるサンフラワーガーデンは
気持ちの良い風が吹いていた。
2~3分おきに ひっきりなしに
夜空へと飛行機が飛び立っていった。
HAYATOは
いつまでも暗闇の中に消えていく飛行機に
見入っていた。
心地良い風がHAYATOを包んだ。
「 ばあば
帰りたくないね・・・
オレ
帰りたくないな・・・」
楽しかったね。 HAYATO
12歳のHAYATOの心に充満する旅情を
私はこよなく愛しく思えた。
幸せな旅を終えたことに
心の底から嬉しさが込み上げてきた。
いつまでも離れようとしないHAYATOを促して
ホテルへと戻った。
快適にひとねむり・・
1月10日
午前0時20分
ホテルをチェックアウトし
トレインで出発ターミナル3へと移動した。
午前1時20分
シンガポール航空 SQ0656は
福岡空港へと飛び立った。
1月10日 午前8時30分
福岡空港 到着
2019年1月3日 出国
シンガポール経由
オーストラリア ダーウィン 4日~9日まで滞在
2019年1月10日 帰国
HAYATO 小学6年生(12歳)
沢山の思い出を残して旅は終わった。

2019年02月21日
ダーウイン空港 さようならガイドの藤田眞弓さん
とても
とっても楽しかったダーウィン旅行に
ピリオドを打つ時間がやってきました。
6日間
家族のように私達に寄り添ってくださった
ガイドの藤田眞弓さんと
お別れです。
1月9日 午後1時30分
ダーウィン空港
気さくな ドライバーのアンさんとも
さようなら。
== ダーウィン空港 ==
ダーウィン空港は
小さいが明るく綺麗な国際空港
眞弓さんとここで お別れ。
HAYATOの人生が
いつか どこかで
眞弓さんの人生と交わっていますように。
いつの日かHAYATOが眞弓さんに出会えますように。
名残惜しいが
思い出を一杯胸に抱えて帰ります。
チェックインカウンター で
振り向くと
眞弓さんが見守ってくれていて・・・
セキュリティエリア で
振り向くと
眞弓さんの笑顔がこぼれていて・・・
エスカレーターで2Fの搭乗口へ
振り向くと
いつまでも手を振ってくれる眞弓さんがいて・・・
帰ります。
ありがとう。
さようなら。 眞弓さん
胸の中に 涙が込み上げてきた・・
本当に 楽しかった。
HAYATOの夢に付き合って
童心に戻った日々でした。
眞弓さんのおかげで。
SINGAPOR EAIRLINS
共同運航便 SILKAIR(シルクエアー)
SQ/MI802
オーストラリアダーウィン発 15:35
シンガポールチャンギ空港着 19:00
飛行時間約4時間40分
出発まで時間に余裕があった。
ここの素敵な空間でゆっくりしたかったが・・・
Boarding time 02:45 PM
Gate 12
早めに搭乗口に行っておかなければ・・
どんな トラブルに遭うか解らないので・・
搭乗口で安心して
とっても リラックスしてひと眠り
予定通り 午後3時35分
シルクエアー MI802 は
ダーウィンを飛び立った。
4時間40分の飛行時間は
なんとなくアッという間に過ぎて行った。
機内食は ちょっぴり質素だった。
しかし 不満はなかった。
お腹を満たし時間を費やすのには
これくらいで充分だった。
インドネシアの上空を飛行機は進んだ。
ゆっくりと・・・
スローモーションのように
眼下に島々の景色が現れては
流れ去っていった。
シンガポール上空に差し掛かかった。
なんとなく
あっと言う間に時間が流れた
午後7時
シルクエアーは
チャンギ空港ターミナル2に到着した。
ターミナル2に到着したことに
ほっと肩の荷がおりた気がした。
6時間30分という長い乗り継ぎ時間に
休息をとる為
ターミナル2にある
ホテルの一室を6時間コースで予約していたから。
別のターミナルに到着していたら
みんなを引き連れて
ぞろぞろと
ホテルを探さなければならなかったからである。
エクスペディア( Expedia)で
空港内にあるホテル
Ambassdr Transit Hotel Terminal 2 を
(アンバサダー トランジット ホテル ターミナル2)
6時間だけ2部屋予約をしていた。
さあ・・・!
アンバサダー トランジット ホテルは
どこにあるのかな?
==エクスペディア( Expedia)==
ホテル・航空券等の
旅行に関するオンライン予約を扱うウェブサイトであり
ダイナミックパッケージの予約可能なコンテンツとしては
世界最大の規模を持つ。
2019年02月15日
ダーウィン 再びセグウェイツアー 旅行7日目 午前
ダーウィン6日間滞在
( 1月4日~1月9日)
セグウェイで締めくくり
1月9日 最終日午前
ジョージ・ブラウン植物園
EAST POINT RESERVE
イースト・ポイント・リザーブ
今日 午後の飛行機で
シンポール経由福岡へと帰らなければならない。
ダーウィン最後の午前中には
何も予定を入れていなかったので
最後の思い出として
みんなが楽しめた
セグェイ に乗ろうと考えた。
早朝からガイドの眞弓さんに電話をして
セグェイ ツアーの申し込みをして頂いた。
「 自由にセグウェイに乗りたい 」と
付け加えて頂いた。
SEGWAY TOURS AND LEASING NT
℡ 0417-781-178
www.segwaytoursnt.com.au
植物園の周りなら・・・と10時の予約が取れた。
ホテルからタクシーを使って(15分)
ジョージ・ブラウン植物園へと出向いていくと
数日前にお世話になった
インストラクターさんが
変わらないあたたかい笑顔で出迎えて下さった。
余裕でセグウェイを乗りこなすことができた。
すっかり上達しているが
もう一度 復習
前身 → 体を前に倒す
カーブ → 曲がる方に体を倒す
後進(バック) → 体を後ろに倒す
ストップ → 体をまっすぐに戻す
みんなが文句なしに合格点を頂いた。
~~~~~~~ ~~~~~~~~ ~~~~~~~
ジョージブラウン植物園で
軽くウォーミング アップ
インストラクターさんは
オーストラリアに住む動物についても
興味深い話を沢山して下さった。
小さいが猛毒を持っているカエル
この蛙を食べた鳥や他の動物は死に至る!
あちこちの椅子の下を覗いて
蛇を探したが遭遇しなかった。
上り坂もスイスイ
階段の降り方を学習
軽く膝を曲げて・・
体を前に倒す。
タイヤが階段から落ちるタイミングで
膝を屈伸させる。
これも全員 問題なくクリアした。
年を取ってはいても我々の運動神経は
衰えてはいなかったようである。
HAYATOを囲んでいるため
こんなアクティビティを体験できることが
楽しかった。
綺麗な植物園を風を切ってスイスイと一周した。
この後 インストラクターさんは
セグウェイに乗り
植物園を出て公道を渡り歩道を進み
= 海岸沿いの広大な公園=
EAST POINT RESERVE
イースト・ポイント・リザーブ
へと出かける計画を
立てていてくださったのである。
ハラハラ ドキドキ ・・・
右よし! 左よし!
慎重に 慎重に!
イーストポイントリザーブ(公園)の横を通り過ぎると・・・
=CULLEN BAY カレン ベイ =
息を飲むような綺麗な海が広がっていた。
サンセットの美しさで有名な海岸である。
インストラクターさんの
粋な計らいに胸がいっぱいになった。
私は ただ
HAYATOに
観光ではなく体験としての思い出を
残してあげたくて
「植物園の中を自由にセグウェイに
乗せてください。」と
お願いしただけであった。
まさか
こんな素敵なコースを体験できるなんて
思ってもみなかった。
人の気使いの優しさに
心底感動し 感謝した。
幼いHAYATOと行動することによって
沢山の方々から受ける気使いが
心の底から嬉しかった。
遠い異国の地で
60歳をとっくに過ぎた我々は
童心に返りHAYATOと共に遊んだ。
ダーウィン! バンザイ!!
名残惜しかったが カレンベイを後にした。
1
1時間30分のツアーは幕を下ろした。
二度とお目にかかることは無いだろうが
素敵な思い出のひとコマの中で
セグウェイのインストラクターさんの
優しい笑顔を忘れることはないはずである。
タクシーで
リッジズダーウィンセントラルホテルへと戻り
ホテル出発までの時間を利用して
ホテルから徒歩5分の
クロコザウルス・コーブに入場し
ワニのショーなどを見物した。
暑い 暑い
クロコザウルス・コーブをでて
とことこと
ダーウインのミッチェル通りを通り
ホテルへと帰った。
数十分後には
空港へ向かうバスが迎えに来るのである。
6日間過ごした
ダーウインの中心部の街とのお別れである。
全ての観光が終わった。
夢は現実のものとなり
家族のかけがえのない思い出として
積み重ねられたのである。
2019年02月12日
HAYATOの夢 「ダーウィンに行って釣りをする!」 旅行6日目
海はどこまでも青く広がり
空はどこまでも澄み渡り
私達の上を
ゆっくりと時間が流れた。
オーストラリア ダーウィンは
幼いHAYATOの夢を
しっかりと受け止めてくれた。
2019年1月8日 海釣り
オーストラリア ダーウィン(ギモワ海)



ローニンアジ
引きを楽しみ・・!
いいサイズの魚を次々とゲットした。
リリースサイズも沢山ヒットした。
楽しい一日があっと言う間に終わり・・
ガイドさんや ドライバーのアンさん
キャプテンや アシスタントさんに
あげる分だけ持ち帰ることにした。
EQUINOX FISHING CHARTERS
エキノックスフィッシング チャーター
『 ダーウィンで釣りがしたい!』という
HAYATOの夢は叶った。
そして 今日という一日が
掛け替えのない思い出として
心に刻み込まれたのである。
~~~~~~~~~~~
1月8日 終日 海釣り
~~~~~~~~~~~
午前6時30分 出港
世界を釣る・・ 釣り専門の旅行社
「 トラウト アンド キング」 で
手配して頂いたボートが
桟橋で待っていてくれた。
気さくなジミーさんが優しい笑顔で迎えてくれた。
出港して30~40分
ボートは快適に沖へと進んだ。
ボートを追いかけるように
ダーウィンの街から朝日が昇ってきた。
風もなく
最高の釣り日和だった。
釣り餌の
イカと小魚の切り身が準備されていた。
最初のポイントに到着
フルノ製のGPS魚探が表す水深は
13mだった。
13m・・・・
こんな浅い所・・・?
不思議に思ったが 13mだった。
13m・・・
こんな浅い所で釣れるのかなぁ・・・
よし! 釣れたぞ。
ガイドの藤田眞弓さん
とても上手です。
私だって
じんちゃん こと・・ 迎社長
私の勤務先の社長で
27年来の我家族と家族同然のお付き合い
遊漁船を営む我が社の社長。
さすが・・
釣りに関してはすご腕!
ん! 来たぞ。
すごいね。 じんちゃん。
これは小さくてリリースサイズだが
とてもおいしいので
刺身にして食べます。
良いサイズだよ。
これは・・
すごい引きだね
持っていかれるよ
見えない巨大フィッシュは
船尾から~
左舷に回り
ボートの 面手に行き
右舷へと回り
再び船尾に戻ってきた。
マイクさんに手伝ってもらい
ばらすことなく
ボートに引き寄せ・・・
ジミーさんは
ビッグサイズのトレパリーの
エラの中に手を入れて
ボートに取り込んだ。
今日一番のビッグサイズの魚
トレパリー 125cm
魚は ジミーさんとマイクさんが
その場で捌いてくださった。
切り身を貰って
スーパーで買ってきた野菜を使って
活き造り風に盛り付けてみた。
ジミーさん マイクさんから
「 Beautiful !」とほめて頂いた。
握り寿司も出来上がり・・
大海原のボートの上は
素敵なランチ会場になった。
ど~~ぉ?
Delicious !
胸一杯 思い出を詰め込んで
今日という日が
幕を下ろした。
お・ま・け
ダーウィン最後の夜は
スーパーで買い物をして
リッジズダーウィンセントラルホテルの
一室がディナー会場となった。
あ~~~
美味しいね。 みそ汁。
旅行中に
なにより美味しかったのは
スーパーで買ってきた
インスタントの味噌汁だったりして
2019年02月09日
ダーウィン カカドゥ国立公園 ノーランジー 旅行5日目 午後
1月7日 午後 ==カカドゥ国立公園==
Nourlangie Rock
ノーランジー・ロック
イエロー・ウォーターを出発して
ノーランジーへと向かった。
ノーランジーの空は
真っ黒の雲に覆われ稲光が走っていた。
壁画で有名なノーランジー・ロックに着くと
頭上の真っ黒の雨雲は流れて行ったが
厚い雲に覆われていた。
雨雲が戻ってこないうちに壁画を見る為に急いだ。
ドライバーのアンさんと
ガイドの眞弓さんと
HAYATOの足取りは軽く
とっても愉快そうにおしゃべりをしながら
林の中を進んだ。
アンさんが
アボリジニの壁画の説明をしてくれた。
HAYATOは小3から
アメリカ人のMr.コールマンから
英語の個人レッスンを受けているんだけど・・・
少しは・・・
所々は・・・・
聞き取れるのかなぁ・・・ 英語
伝説に残る神々や空想上の動物などが
描かれていた。
先住民アボリジニが約2万年前から利用してきた
洞窟と壁画を鑑賞して
遊歩道を登りつめた。
この先へと進み展望地まで登ると
カカドゥ国立公園の雄大な景色が見れるが
雨雲が戻ってくると危険なので
とても とても
残念だったが登山は中止することにした。
楽しみにしていた登山をあきらめた
HAYATOのがっかりした気持ちを
慰めるかのように
足元のピンクの花が優しく見上げていた。
林の中の遊歩道を散策しながら
車へと戻った。
ノーランジーからダーウィンまで
約3時間かけて帰らなければならない。
とても長い道中だが
道端の巨大アリ塚を見物したり・・・
休憩をとった駐車場でガイドの眞弓さんは
大きなアリを見つけて言った。
「 美味しいのよ。 このアリ。」
「 お尻の緑の部分が 甘いの 」
おしゃれな指先で・・・・・
ぷちっと お尻をちぎって
ぱくり と
緑のお尻を食べた。
ガイドの眞弓さんは
アウトドア派のガイドさんである。
キャンプはお手の物!
オートバイも自由に乗りこなすことができる。
大自然の中で逞しく生き抜くことに
精通しているのである。
「 HAYATO 食べてみて・・! 」
HAYATOは首を横に振った。
私は主人を呼んだ。
「 食べてみて!」 !!
好奇心旺盛な主人
「 ん! 甘いぞ 」
でも2匹目には 決して手を出さなかった。
愉快なガイドの藤田眞弓さんとの計らいで
あちこち小休憩しながら
あっと言う間に3時間のドライブが終わった。
午後6時前にホテルへと帰りついた。
明日は
みんなが楽しみにしていた
海釣りの日である。
午前6時
ホテルを出発する約束をして
眞弓さん アンさんと別れた。
Kakadu National Park
の観光が終わった。
こんな綺麗な地球に
生きていることの幸せを
ひしひしと感じた一日だった。

2019年02月07日
ダーウィン カカドゥ国立公園 イエロー・ウォーター 旅行5日目 午前
1月7日 旅行5日目 午前
==世界遺産 カカドゥ国立公園==
==YELLOW WATER CRUISES==
イエロー ウォーター クルーズ
息をのむような美しい世界が広がっていた。
それはまるで風景画を見ているような
不思議な錯覚を起こした。
その美しい絵画の中に
密かに忍び込んで船を出したような
ミステリアスな気分に陥った。
その佇まいを
どのように表現すればいいのか
・・・・
言葉が見つからなかった
・・・・
どこまでも青い空で雲がゆっくりと流れた。
時の流れが
止まっているかのように感じられた。
まるで
絵の世界の中に迷い込んでしまった
童話の主人公になったような
例えようのない気持ちが胸一杯に充満した。
カカドゥ国立公園は
オーストラリア ダーウィンへの旅行で
私が一番楽しみにしていた観光地である。
1泊2日でカカドゥ国立公園に行きたかったが
釣行が延期した場合を考え
100歩譲って日帰り観光を計画した。
ひたすら 車窓見物が続いた
巨大な湿地帯であるイエロー・ウォーターまでの道中は
小学6年生のHAYATOにとって
ちょっぴり退屈なものであった。
だが
愉快なガイドさん藤田眞弓さんと一緒なので
車中は絶えず愉快なおしゃべりに花が咲き
退屈とは無縁だった。
1月7日 旅行5日目 午前8時
ダーウィンのホテルを出発した。
ドライブインに寄ったり・・・
息抜きをしたり・・・
南北約200キロ 東西約100キロの
広大な国立公園である カカドゥ国立公園に到着した。
ワラジャン・アボリジナル・カルチュラル・センター で
一休みして・・・
午前11時 目的地に到着した。
バスに乗り換えて
イエロー・ウォーター・クルーズの
乗船場に向かった。
数分で桟橋に到着
==YELLOW WATER CRUISE ==
午前11時30分
1時間30分のクルーズに出発した。
クルーズで大自然を満喫したあとは
Cooinda (クーインダホテル)にて
ビュッフェ形式のランチをすませた。
とても質素なランチだった。
美しい湿地帯をクルーズした興奮で
満たせていたので
ランチが質素なことに不満はなかった。
ゆっくりと休憩して・・・
Nourlangie Rock
ノーランジー・ロック
へと向かった。
2019年02月05日
ダーウィン セグウェイでジョージ ブラウン ダーウィン植物園 旅行4日目 午後
ダーウィン旅行4日目
1月6日 午後
午前中にアデレート川のクルーズ船で
ジャンピング クロコダイルを見物した後・・
ダーウィンへと戻った。
HAYATOが楽しみにしていた
セグウェイの乗車体験が待っていた。
当然植物園はHAYATOは興味はない。
私はその国の植物園に興味がある。
HAYATOをセグウェイで釣って行くのである。
暑い中での歩いて植物園を回るのは
過酷であるのは当然だが
大体 男性郡はみんな無精者である。
無意味に歩くのを嫌がる・・
広い園内をセグウェイで回ると疲れない。
HAYATOも喜び
みんなも初めての体験には興味津々である。
よって・・
この旅行を計画するのにあたって
植物園で
セグウェイに乗車できることを知ったことは
一番の収穫だったよう思える。
アデレード川からのダーウィンへ戻る道路沿いに
巨大アリ塚が たくさんあった。
テレビでよく見ていたアリ塚を
実際に見ることに感動した。
足元は可憐な花畑
ジョージ ブラウン ダーウィン植物園
( 入場料 無料 )
== SEGWAY 体験 ==
植物園に 到着すると
予約していた「SEGWAY」のインストラクターが
準備を整えて待っていてくれた。
体を前に倒すと → 前進
そのまま体を後ろに戻すと → ストップ
体を後ろに倒すと → 後進
そのまま体を前に戻すと → ストップ
進行中ハンドルをもって体を右に倒すと → 右折
進行中ハンドルをもって体を左に倒すと → 左折
スピードアップは → グーと体を倒す
急ブレーキは → 思いっきり体を戻す
これで OK!
みんな真剣。
HAYATOに負けるわけにはいかない!
男の意地にかけて
全員 合格
ジョージ ブラウン ダーウィン植物園 遊覧スタート
ん? でっかい枝に大蛇が
大蛇の・・・ レプリカ
歯磨きの葉っぱだって。
噛み噛み・・ 苦いヨ
登り坂もすいすい・・
どんなカーブも へっちゃら
どんなコースも すいすい
約2時間近く 植物園で過ごした。
130年以上前に作られた
ジョージ ブラウン ダーウィン植物園は
市街中心部に近く
42ヘクタールの敷地に
400種類以上の熱帯植物が植えられていて
整備が行き届いて
南国情緒豊かな綺麗な植物園である。
とっても丁寧に 案内して頂き
たくさんの植物のお話を聞かせて頂いた
インストラクターさんと名残惜しい気持ちで別れた。
植物園から15分ほどでホテルに到着。
ぶらぶらと 近くのレストランに夕食に出掛けた。
またもや バラマンディの料理を注文
楽しい一日が あっと言う間に過ぎて行ってしまった。
リッジズダーウィンセントラル ホテルで
夜がゆっくりと更けていった。
明日は
私が楽しみにしている
太古の自然がそのまま残るカカドゥ国立公園を観光する。
イエローウォーターまでの道のりが
凄く遠い道のりということを
敢えて みんなに内緒にしていた。
うすうす感じたみいは行く気はなかった。
明日の行程をみいはボイコットする。
私は
退屈な長いドライブであることを
特に HAYATOには隠していた。
「 そこには 何があるの? 」とHAYATO
「 世界遺産の綺麗な景色が広がっているよ」と私
「 景色だけ ? 」
「 そう 」
「 なら・・・ オレ 行かない! 」と
言われるのは目に見えている。
なので
明日のスケジュールはみんなには
オブラートに包んで 報告
「 明日は
いっぱい 車でドライブして遠くまで行くので
早く寝ておこうね。 」
知らぬが仏・・・・・
明日は 私の楽しみの日である。

2019年02月03日
ダーウィン ジャンピングクロコダイル 旅行4日目 午前
1月6日
海釣りの日の朝である。
午前5時
すっきりと目を覚ました。
カーテンを開けると
街路樹が激しい風で大きく揺れていた。
(大丈夫かなぁ・・・ 出港できるかナ?)
着替えていると
稲光が暗い部屋の中まで照らし出した。
窓の外は一変した。
強い風が吹きつける街路樹を
激しい雨が叩きつけ
夜明け前の街は嵐となった。
(釣りはだめだ・・ )と思いながらも
HAYATOを起こした。
午前6時
ホテル出発の約束をしていたので
準備を整えてロビーに降りた。
雨は治まったものの
暗い夜空は稲光が走り風は強いままだった。
ガイドの藤田眞弓さんに船長から電話が入った。
「 どうしても・・と言うなら出港しますが
どうしますか?」と言う内容のものだった。
私達は全員一致で
後日に延期してもらった。
ドライバーさんの了解を得て
急きょ 今日の予定を立てなおした。
「 ジャンピング クロコダイル」を見たかったのと
はやとに「セグウェイ」の乗車体験を
させてやりたかったので
12歳のHAYATOにも体験できるのか
急きょ ガイドの眞弓さんに
調べてもらうことにして
再度 出発を午前9時に遅らせて
一旦 部屋に帰った。
再び ちょっぴり眠った。
準備してもらったお弁当を・・
部屋で食べて
午前9時 ロビーに降りた。
ガイドの眞弓さんは
午後に
植物園でのセグウェイの予約を取ってくれていた。
年齢制限があるのでは・・・と
心配していたが
自転車に乗れるなら大丈夫だと言うことで
みんなでセグウェイを体験することにした。
午前中に
ダーウィンから南に70kmほどのところにある
アデレート川に
ジャンピングクロコダイルを見に行くことにした。
ダーウィン街外れの
道路沿いの公園で
たくさんのワラビーをみかけた。
そ~~と車を降りて
驚かせないようにワラビーを眺めた。
大きな木の根元に鳥の巣が落ちていた。
今朝の嵐が如何に激しかったが伺えた。
さやさやと枝を広げたねむの木に似た大木に
真紅の花が咲き誇り
雨上がりの公園にとても似合っていた。
ダーウインから南に70kmほど離れた
アデレート川に向かって出発した。
ドライバーさんの計らいで
車は途中の市場に止まってくれた。
地元の珍しい野菜や果物は
見て回るだけで楽しかった。
魚は お世辞にも新鮮だとは見えなかった。
( ごめんなさい。)
一個 買いたかったが・・・
食べ過ぎそうなのでグッと我慢した。
何個か 果物を買ってみた。
むきかたにコツがあった。
美味しかった!
ライチ
車はアデレート側にむかって快適に進んだ。
ジャンピング・クロコダイル・クルーズ
(Jumping crocodile cruises)
(運営会社:Adelaide River Queen cruises)
大人4名 子供1名 $210.00
チケットを購入して11時30分からのクルーズに参加した。
シーズンオフなので
観光客が少ない為
ゆっくりと リバークルーズ船に乗船ができた。
川岸には
大きな穴が開いていて
あちこちにワニの棲み家があった。
リバークルーズ船が停泊すると
エサをもらおうとして
大きなワニが船に近寄ってきた。
係員が巧みにエサ(生肉)を操った。
4~5mある体で水面から身を乗り出して
思いっきり生肉に食いつく様子は
迫力満点である。
再び クルーズを続けると
次々と ワニが近寄ってきては
エサに向かって高々とジャンプをした。
クルーズ船はとても安全だったので
スリルは無かったが
大きなクロコダイルがジャンプする姿は見事だった。
約1時間のクルーズを終えた。
無風状態のボートの上は非常に暑かった。
エサを巧みに操ったアシスタントのお姉さんと
乗船場の周りには
小さな可愛い花が咲いていた。
町を離れると
小さなハエのような虫が顔の周りを飛び回り
不愉快だった。
ガイドの眞弓さんは
車を降りるといつも私たちに
虫よけスプレーをする事を進めてくれた。
クーラーのきいた涼しいワゴン車で
車窓見物をしながら
ダーウィン市内へと戻った。
2019年01月30日
ダーウィン FRDS Darwin(零戦の襲撃地) アクアシーン 旅行3日目
1月5日 午後
テリトリー・ワイルドライフ・パークから戻り
ストーク・ヒル埠頭にある
FRDS Darwin
( ロイヤル フライング ドクター サービス)
にやってきた。
駐車場にある
一枚の大きな壁画が目についた。
その翼には
大きな国旗 日の丸が描かれていた。
一目瞭然 その戦闘機が
日本の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)であることは
間違いなかった。
RFDS Darwinの駐車場の壁画を
私は複雑な気持ちで見上げた。
私は日本人である。
私達は事あるごとに日の丸を掲げ
日本人であることを誇りとしていた。
だが
私は今日本人である自分が大きな態度で
この場に立っていても良いんだろうか・・
という思いに駆られた。
私は
長崎の原爆ドームや
広島の原爆ドームを見学し
鹿児島知覧特攻平和会館や
福岡太刀洗平和祈念館を訪ねた。
沖縄ひめゆり平和祈念資料館にも
足を運んだことがあった。
戦争を知らない私だが
死んでいく沢山の若者たちに涙し
追い詰められた少女たちに心を痛め
美談のような様々な戦争映画を
夢中になってみて観てきた。
常に被害者側に立って
戦争を感じ取ってきた。
だが
今回は違った。
私は
この大きな壁画の
日の丸を強調した
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に
すっぽりと大きな幕をかけて隠したかった。
虫が良すぎるかもしれないが
「70数年前の事だから・・・
忘れて欲しい。」と考えてしまった。
ゼロ戦の下で恐怖に怯えているのは
私が心弾ませて遊びに来ている
ダーウィンに住む人々の
ご先祖さま達であるはずだと考えると
大きな顔ができない様に思ってしまった。
RFDS Darwin は
ロイヤル フライング ドクター サービスの歴史と
第二次世界大戦のダーウィン港の
爆破事件についての
資料館であった。
広大な敷地を持つオーストラリアでの
セスナ機を使った医療サービスの実態を
紹介した資料館である。
「ロイヤル フライング ドクター サービス」で
空を飛ぶ救急車として活躍している
セスナ機が展示されていた。
それに加えて
第二次世界大戦中(1942年2月)
日本軍機に襲撃されたダーウィンの様子が
映画化されたリ
ゼロ戦に襲撃されたときの様子が
展示されていた。
館内で上映された20分ほどの映画を観た。
1942年2月19日のダーウィン市への爆撃は
日本がオーストラリア本土に対して行った
最初にして最大規模の攻撃だった。
この日4隻の航空母艦
赤城 加賀 飛龍 蒼龍 は
オーストラリア北西の ティモール海の洋上から
計188機の日本海軍艦載機を発進させた。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)である。
このゼロ戦の襲撃により
ダーウィンで暮らす少なくとも250人ほどの
オーストラリア人の命を奪ったのであった。
当然 町は甚大な被害を受け
数百人の人々が住宅を失ったのであった。
大きな爆音を上げ
船を爆破し
港を襲撃する戦闘機
その羽根には大きな日の丸が描かれていた。
映画を観終わり
明るくなった館内を複雑な気持ちで出た。
私は日本人である。
日本人であることに誇りを持っている。
旅行中によく聞かれる言葉がある。
Are you Japanese?
英語が話せない私でも
この言葉は容易に理解できて
応えることができるのである・・・
Ⅰ am Japanese.
この時ばかりは
私は少し肩身が狭くなった。
罪悪感を伴ったとても複雑な気分で
FRFDS Darwin を出た。
ストーク・ヒル埠頭は
爽やかな潮風が吹き
どこまでも青い空が広がり
港にはゆったりと波が寄せていた。
FRDS Darwin
( ロイヤル フライング ドクター サービス)
の見学を終えてホテルへと戻った
はやとに付き合って
ナッキー通りをとことこと数分歩いて
釣具店へと行ってみた。
いよいよ
明日は楽しみにしていた海釣りの日である。
小さなルアーを買って
シールを貰って帰った。
再びホテルに戻ってから
満潮時を迎えると
海岸に沢山の魚がやってくるので
エサをやることができるので有名な
「 アクアシーン」へと行ってみた。
ホテルを出て
スミス通りをとことこ歩いて20分
ダーウィン ハーバーの満潮時は
数時間の間
大量の魚たちが岸辺に寄ってきて
人間に慣れているので
手からエサ(パン)をとって食べるらしいが
今日はあいにく
波が強く打ち寄せて来ていたので
上から投げてやることしかできなかった。
はやとは
飽きることなく いつまでも遊んだ。
満潮時間が過ぎると魚たちは
ティモール海へと流れに乗って
戻って行くらしい。
帰りは海岸沿いの公園
バイセンテニアル・パークを散歩しながら
ホテルへと帰った。
夕食は近くのベトナム料理のレストランに
入ってみた。
言葉の壁は厚すぎて
とっても とっても苦労したが・・・
春巻きや
シーフードの料理
炒飯などを頼むことができた。
全てが とても美味しかった。
長かったようだが・・・
アッという間に一日が終わった。
明日は 早起きして
釣りに出掛ける予定である。
ガイドの藤田眞弓さんが
朝食をお弁当にしてもらうように
ホテルのレストランに予約をしてくれている。
お弁当を楽しみに
早目にベットに入った。
RFDS Darwinで受けた
複雑なショックが頭から離れなかった。
2019年01月28日
ダーウィン市内観光 テリトリー・ワイルドライフ・パーク 旅行3日目
2019年1月5日
今日はゆっくりと市内観光を予定している。
Wildlife Territory Park
テリトリー・ワイルドライフ・パーク
午前9時
ガイドの藤田眞弓さんと
お迎えの車でホテルを出発した。
今日はガイドさんにお任せの
何の心配もない一日が送れることに
私は肩の荷が下りていた。
まず向かったのは・・
Wildlife Territory Park
テリトリー・ワイルドライフ・パーク
ホテルから1時間弱で到着した。
400haもの広大な敷地は
いくつかのエリアに分かれていて
それぞれの場所で異なったテーマに沿った
生き物をみることができるのである。
チケットを購入して入場した。
広大な公園の中は30分おきに
無料シャトルバスが運行されていた。
いくつかのエリアに分かれているので
自由にシャトルバスを乗り降りて
見物することができた。
ペリカンの餌付けを見たり・・
再びシャトルバスで移動して
バードショーを見物した。
自然の空間の中で
羽根を持つ鳥たちが大空に飛び立って行くことも無く
飼育員の合図で様々な演技をする事に
非常に感動した。
次はどこを回ろうか・・・・
歩いていく?
いや! 暑いよ!
絶対バスを待つ!
ここバス停じゃないけど・・
止まってもらって
次のバスターミナルで降りた。
==AQUARIUM==
夜行性の動物たち
コウモリやポッサム、蛇、などを観察したり・・
==COLLOO SANDBAR==
小さな水族館のような施設では
たくさんの魚、水草、
そしてクロコダイルエイやバラマンディを見物した。
バス停から暑い林の中を歩いたので
館内は冷房が効いていて快適だった。
午前中をテリトリーワイルドパークで過ごし
ダーウィン市内へと戻った。
途中の道端で市が開かれていたので
立ち寄って
軽くおひるごはんを食べることにした。
ちまきによく似た甘いご飯や
果物 ジュースを買って
お腹を満たした。
ダーウィン市内へ戻り
RFDS DARWIN へと向かった。
そこは 第二次世界大戦中に
日本軍がダーウィンを襲撃した資料館であった。
第二次世界大戦中(1942年2月)
日本軍機はダーウィンを攻撃し
少なくとも243人の
オーストラリア人の命を奪ったのであった。
町は甚大な被害を受け
数百人の人々が住宅を失ったのであった。
1942年2月19日のダーウィン市への爆撃は
日本がオーストラリア本土に対して行った
最初にして最大規模の攻撃だった。
2月19日に4隻の航空母艦
赤城 加賀 飛龍 蒼龍 は
オーストラリア北西の チモール海の洋上から
計188機の日本海軍艦載機を発進させた。
これらは
ポート・ダーウィンに甚大な被害を与え
アメリカ海軍の「USS パーリー」を含む
9隻の船舶が沈没した。
こんな遠い国で
こんな平和な国と
日本軍が戦っていたことを
この旅の計画を立てるまで
私は知らなかったのである。

2019年01月25日
オーストラリア ダーウイン到着 旅行2日目
1月4日
私達はオーストラリア ノーザンテリトリー州の
州都であるダーウィンにいた。
小学6年生の孫のはやとは
4年生の時に
脱衣所に張られた世界地図を眺めて
ダーウィンに憧れたのであった。
あれから3年経ったが
はやとの
ダーウィンへの憧れは消えることは無かった。
憧れを現実のものしてあげたくて
今回の旅行を計画してみた。
はやとが憧れ続けてきたダーウィンの街に
じっくり滞在しようと決めて
中心街にあるホテルを選んだ。
RYDGES DARWIN CENTRAL
(リッジズダーウィンセントラル)
ホテルは 街の中心地の
スミス通り・ミッチェル通り・ナッキー通りと
全てに通じていた。
カフェやショップ
レストラン スーパーマーケットなどが立ち並び
街の散策は飽きることがなかった。
さらに
芝や歩道が整備されたビーチ沿いの公園も近かった。
リッジズダーウィンセントラルホテルは
6日間の滞在に申し分なかった。
誰よりも街歩きを楽しんだのは
みいであったことは言うまでもない。
街歩きでショップを把握
朝夕のビーチ沿いの公園で散歩
街に2店舗あるスーパーマーケットに足を延ばし
商品の価格まで比較(さすが主婦)していた。
船釣りや
長距離の観光に同行しないみいは
ホテルのランドリーも利用して
小まめに全員の洗濯も済ませるなど
まるでこの町に住む住民のように
のびのびと6日間を過ごしていたのである。
はやとは
フィッシングのターゲットとして
非常に人気があるバラマンディを
釣ってみたかったらしいが
雨季であるこの地方で
今 バラマンディを釣るのは
ちょっぴり時季外れ・・・と言うことなので
バラマンディ釣りはあきらめて
海釣りを計画している。
が・・・
やっぱり話の種にしたい。
だから
せめて夕食はバラマンディを食べようと
レストランに向かった。
BARRAMUNDI
BARRAMUNDI
レストランの入口にあるのメニューの看板から
「 BARRAMUNDI 」の文字を見つけた。
バラマンディは
ホクホクととても美味しかった。
スープもはやとの口に合って完食。
野菜のドレッシングとセロリは苦手だったみたいで
残してしまった。
私はちょっと違うものを注文してみた。
ハヤシライスのルーのような味で
半熟卵とよくあって美味しかった。
エビフライも 最高に美味しかった。
「 明日も来たいね。 」と言いながら
レストランを出た。
夕食を済ませ近くのスーパーで買い物をして・・・
ホテルへと戻った。
滞在中は
ホテルから徒歩3~4分のスーパーに頻繁に通った。
ダーウィン一日目は美味しい夕食で締めくくった。
空港で
申告をせずに割りばしを持っていたので
「 警告通知 」を渡され
聞き取れない英語で注意されたものの
何とかダーウィンへとやってくることができた。
心底 ほっとして眠りに付いた。
もう 帰るまでは
カンニングペーパーは必要なかった。
広い部屋は居心地がよかった。
ハミガキセット スリッパ はもちろんバスローブもなかった。
パジャマと共に ハミガキセットや
100均のスリッパを持参していたので
困ることは無かった。


2019年01月23日
シンガポール~オーストラリア ダーウィンへ 旅行2日目
シンガポール~オーストラリアダーウィンへ
シンガポール航空共同運航便
SILKAIR(シルクエアー)
Crowne Plaza Changi Airport
午前7時 チェックアウト

快適な夜を過ごしてホテルを後にした。

ここは「ターミナル3」である。
さぁ・・・ どこだ?
シルクエアのチェックインカウンターは・・
実は
あっちへ行ったり
又 振出しに戻ったり・・・
ほんの少し 路頭に迷った が
シルクエアのカウンターで
搭乗手続きを済ませることができた。
スーツケースを預け
チケットを受け取りホット胸をなで下ろした。
Terminal 2
Gate F56
Boarding time 07:50
出発は「ターミナル2」である。
「 ターミナル2 」は
昨日 福岡空港から到着したターミナルである。
とことこと きょろきょろと
案内表示に従って
広いチャンギ空港を移動した。
午前7時40分 ゲートF56にやってきた。
私達が乗る飛行機の準備が整えられていた。
午前8時40分
予定通り シルクエアMI801便は
シンガポールを飛び立った。
4時間40分の飛行時間を経て
到着は14時50分である。(時差の関係上)
機内食は 質素だった。
モニターが設置されていないので
少々退屈ではあったが
機内食を食べたり
ちょっぴり居眠りをしたり
窓の下の大陸(インドネシア)を見下ろしたり
4時間40分は長くはなかった。
ダーウインの上空に差し掛かった。
高い山はなく
河口から流れ出た水は広範囲に海を濁らせていた。
眼下には不思議な光景が広がっていた。
1月4日 午後3時30分
オーストラリア
ノーザンテリトリー ダーウインに
到着した。
飛行機を降りると
免税店を通り
入国審査へと進んだ
シンガポール チャンギ空港出発の際に
チェックインカウンターでもらった
入国カードは
カンニングペーパーを作成していたので
自信たっぷりで何の問題もなく
記入していたはずであった・・・・ が
この後
とんでもないことが起こった。
係員にスーツケースのチェックを受けたのである。
私のスーツケースには
釣りの時に
ボートの上で釣ったを食べるために
割りばしと醤油を入れていた。
実は この割りばしは
入国カードの
オーストラリアに持ち込もうとしている物品の欄にある
「木製品」に当たるため
「 はい 」の欄にチェックを入れなければ
ならなかったのである。
私は係員から
日本語で書かれた用紙を渡された。
それは 警告通知 であった。
オーストラリアには
農業 環境 および人間の健康を脅かす
可能性がある多くの外来の害虫や疾病は
存在しません
オーストラリアを守るため
・・・・・・・
求める質問に答えて
真実の情報を提供することは
すべての人の責任になります。
同法への違反は
現行犯による
420豪ドルの罰金
民事上の罰金
あるいは刑事上の訴追の適応を
受ける可能性があります。
と言う内容のものであった。
全く予想もしていなかったのである。
420ドル x 85円の
罰金を払わせられるところだった。
ホッと胸をなで下ろし
到着ロビーを出た。
4日~9日まで
私達の旅をサポートしてくださるガイドさんとの
出会いが待っていた。
私達の今回の旅はメインが釣りということで
アウトドア派のガイドさんである
シドニー在住の藤田眞弓さんが
日本語ガイドのいないダーウインまで
来てくださったのである。
その気さくなお人柄がにじみ出た笑顔に
私達は一目で彼女の虜になった。
言葉も通じない異国での素晴らしい旅が
スタートしたのである。
2019年01月19日
福岡発シンガポールへ 旅行一日目 ナイトサファリ
平成31年1月3日
オーストラリアダーウインへの
7泊8日の旅が始まった。
(福岡発 シンポール経由ダーウィン)
午前7時 福岡空港
午前9時45分
シンポール航空SQ655便は
予定通り福岡空港を飛びったった。
6時間35分の飛行時間を経て
現地時間 午後3時30分に
シンポールチャンギ空港「ターミナル2」 に
到着した。
ダーウインへの出発は
明日午前8時40分の飛行機なので
今夜は
チャンギ空港「ターミナル3」にある
Crowne Plaza Changi Airport
(クラウン プラザ チャンギ エアポート)
に宿泊する。
荷物を受け取り
入国手続きを済ませ
「ターミナル3」にあるホテルへと向かった。
フロントで係員に
HOTEL VOUCHER(ホテル バウチャー)を渡し
チャックインを済ませた。
英語は話せないが
一昨年利用したホテルなので
勝手がわかっていたため
難なく ルームカードキーを受け取り
7階にある部屋へと向かった。
部屋は窓が大きく開放感があり
清潔で心地良かった。
ドライヤー ハミガキセット タオル・・・・
アメニテイーは全て揃っていた。
窓の下には プールと
空港前の街並みが見えた。
すこしだけ休憩をして
午後5時30分 フロントに降りた。
==VELTRA==で
ワゴン車(定員6名)の
ホテル送迎(日本語ガイド)付き
「夕食ビュッフェナイトサファリ散策ツアー」を
申し込んでいたのである。
ホテルのロビーで
日本語ガイドさんに会った時
ほっと胸をなで下ろした。
オンラインで申し込んだものの
詐欺にあっていたらどうしよう・・・
という気持が
心の奥底に隠れていたから。
==VELTRA ==は
料金の安い
オンライン現地ツアー専門サイトであり
14000種類以上の海外オプショナルツアーが
予約できる。
午後6時
日本語ガイド付きワゴン車で
ナイトサファリ到着
お腹いっぱい食べて
ワラビートレイルや
フィッシングキャットトレイルを散策して
トラムで園内を回り夜行性動物の見学をした。
世界各国から観光客が押し寄せ
園内は熱気であふれていた。
午後9時30分
サファリを出発して
午後10時 ホテルへと帰りついた。
何の失敗も困ることもなく
旅行一日目が終わった。
今日一日の
カンニングペーパーをスーツケースに戻し
明日のカンニングペーパーを
スーツケースから出し
チェックをしてバックに入れた。
ほっと胸をなで下ろし眠りに付いた。
午前6時 電話が鳴った。
「good morning ・・・・ペラペラ・・・」
チェックインの時に頼んでいた
モーニングコール(Wake-up call)だった。
あ! どうしようと声を詰まらせていると
受話器の向こうでもう一度
「good morning ・・・・ペラペラ・・・」
私はカタカナで答えた。
「 グッドモーニング サンキュー 」と。
( こんな時・・・ なんて言えば良いんだ?)
1月4日
異国で新しい一日が始まった。
いよいよ
ダーウィンへの出発の日である。
ダーウィンへの飛行機の出発時間は
午前8時40分である。
私は内心 ハラハラしていた。
問題なくホテルのチェックアウトを済ませ
広いチャンギ空港の中で
シンガポール航空共同運航便である
シルクエアMI5201便に
乗ることができるだろうか。
ターミナル1からターミナル4まである
広いチャンギ空港である。
必死で耳を傾け
単語を拾い集めて何とか言われていることが解るが
私は・・・ カタカナの単語しか話せない。
みんなで 力を合わせ 行くしかない!
度胸だけで 未知の世界へ いざ!!
2019年01月13日
オーストラリア ダーウインへの旅を終えて
オーストラリア ノーザンテリトリー州
ダーウイン空港から
シンガポール経由で
福岡空港への帰路についた。

ダーウイン空港
シンポール航空 シルクエア

15時45分
飛行機はダーウインを飛び立ち
5時間弱の飛行時間をかけて
シンガポール チャンギ空港へと到着した。

乗り継ぎ時間が
6時間30分あったので
ターミナル2にある
アンバサダー トランジット ホテルを
6時間予約していた。


はやとは
シャワーを浴びて
ホテルの前にある展望デッキに
私を誘って出かけた。

3~4分おきに 飛行機が飛び立っていった。
はやとは
いつまでも いつまでも
その場を離れようとしなかった。

シンガポールの熱気は緩み
ふわっと包み込むような風が
優しくそよいでいた。

はやとは 呟いた・・・

「 ばあば 楽しかったね
オレ 帰りたくないなぁ・・・ 」
「 帰りたくないね ばあば 」
私は 胸に熱く優しい感情が込み上げてきた。
思春期の入口にいる12歳の
はやとの胸に込み上げてくる旅情が
愛しかった。

1月3日
福岡空港をシンガポール航空で出発し
シンガポールで一泊
ナイトサファリに出かけ
クラウン チャンギ エアポートホテルで一泊
1月4日
午前8時40分 シンガポールから
オーストラリア ダーウインへと向かった。
1月4日~9日まで
熱い異国の地でダーウインで
楽しい時を過ごした。








私達は
成長していくはやとを見つめて
遠い異国の地
オーストラリア ノーザンテリトリー州
ダーウイン で過ごした。
「 帰りたくないね・・」のはやとの呟きで
その日々が幸せだったと
確信できたのであった。

2019年01月02日
乳がん (ステージⅡB) 手術~退院

12月14日(金) 午前7時30分
主人に付き添われて 家を出た。
乳がんの手術の日である。
玄関の南天がたわわに実をつけていた。
そっと
手を差し伸べて支えてあげたいほどに頭を垂れて
艶っぽく私を送り出してくれたのである。

12月14日(金) 入院日 手術
午前8時10分 病院着
入院支援室で手続きを済ませ
外来窓口へと向かった。
午前8時50分
主人に荷物を渡し手術室へと入った。
1年10ケ月前に
盲腸ガンの手術を受けていたので
勝手がわかっているためか
落ち着いて行動することができた。
午前9時 手術開始
静かに冬の日の時間が流れていった。
意識のない間に
私の身体から病巣が取り除かれたのである。
切り取られた
左のおっぱいと
脇の下のリンパ節(5~6cmを10本ほど)は
主人に説明された後
病理診断検査に出された。
その結果により
術後の抗がん剤治療が方向づけられるのである。
午前11時30分
4人部屋の窓際のベットで
すっきりと意識が戻った。
だが
その後 再び強い睡魔が襲ってきて
夕方までぐっすりと眠っていた。
目が覚めると
枕元にはすでに主人の姿はなかった。
私の体には
酸素吸入 尿の菅 点滴 ドレーンが装着されていた。
窮屈ではあったが
痛みもなく なんの苦痛も伴わなかったので
厄介な病気の手術を行ったように思えなかった。

夕方6時
夕食が運ばれてきた。
普通食であることが 嬉しかった。

ベットに起き上がり
カーテンで仕切られた狭い空間の中で
独りぼっちで 味気ない晩御飯を終わらせ
又
ぐっすりと朝まで眠った。
トイレに行きたかったが
尿管がつけられていたので
尿意を無視して眠り続けた。
「起きなければいけない」ということを
考えなくても良いことが
なんだかとっても幸せだった。




12月15日(土) (入院2日目)
すっきりと目が覚めた。
午前8時
朝食が運ばれてきた。
ふりかけをたっぷりかけて
よ~~~く噛んで
時間を引き延ばして朝ご飯を食べた。
又もや
独りぼっちの味気ない食事だった。
野菜が欲しいな・・・・
味噌汁・・・ 次回入院するときにはだしの素もって来よう・・
なんて
我が儘がむくむくと湧いてきた。






午前10時 点滴と尿管が外された。
体は手術後の痛みもなく
快適なベット生活を送った。
「矢作 直樹」の単行本を読みふけった。




12月16日(日) (入院3日目)
朝

昼

晩

読書を楽しんだり
「大人のぬりえ」に没頭したり
気楽な一日が終わった。




12月17日(月) (入院4日目)
ドレンが外された。

シャワーの許可が下りた。
早速シャワーの順番をとり
シャワーを使い
洗濯を終わらせすっきりと気分爽快となった。
夕方より
左わきの下の感覚がなく
腕の上げ下ろしには影響がないが
しびれているように感じられた。




12月18日(火) (入院5日目)
手術後安定して快復していたので
木曜日に退院が確定した。







12月19日(水) (入院6日目)
傷口のテープを外し
数本だけ 抜糸を行った。
シャワーを浴び 洗濯をして乾燥機にかけた。
お昼ご飯のうどんがとても美味しかった。

相変らず
読書や 塗り絵
タブレットで
退院後に控えている旅行の情報収集に追われた。
最初で最後のリハビリに声がかかった。
アッというう間に時間が過ぎて行った。




12月20日(木) (入院7日目) 退院
朝食を済ませ
荷物をまとめ退院の準備をした。
午前10時30分
入院費が計算されて 退院の運びとなった。
左脇がしびれているが
痛みもなく 元気に自宅に戻った。
庭では山茶花が 咲き誇っていた。


愛犬レオンのいない庭では
金柑がたくさんの実をつけていた。

私が この世から旅立ち
別の世界へと移行したときに
14歳でこの世から旅立ったレオンとも再び会えるのかな・・・
東大病院救急部のトップとして
生と死の現場で命と向き合ってきた医師
「矢作直樹」氏の
究極の死生観は
倒れそうな私の心を支えてくれたのである。
古神道に「中今(なかいま)」という言葉があります。
過去はどうあったにせよ
今を生きることが大切だという意味です。
過去も未来も今の連続です。
時間というのは
今の意識が連続して作り出された集合体です。
だから
過去が 未来が とことさら終着する必要はないのです。
今を楽しむこと
たったそれだけで人生が変わります。
お天道さまに見守られて
私は この命をどこまで全うすることができるだろうか・・・・
退院した翌日12月20日から仕事に復帰した。
12月30日まで主人に助けられながら仕事を熟した。
目覚ましをかけない大みそかの朝を迎え
またまた
目覚まし時計のスイッチを切った元旦の朝を迎えた。
平成31年1月1日
昨年まで
欠かすことなく行ってきた「白岳登山」を
今年の元旦はあきらめた。

(昨年平成30年 元旦 白岳登頂)



残念だが
今年の私の左腕は
この岩場を登るのは無理だった。
12月27日
私はすこぶる快調で診察室を訪れたのだった。
抜糸の為の診察時に担当医の言った
「痛み止めのお薬を出しておきましょうか」という言葉を
受け入れなかったことを
少々公開をし始めている。
日増しに
リンパ節を切除した左脇が痛み始めた。
それと同時に
左胸全体が
歩くことによって受ける振動で
痛みが強くなり始めたのである。
オーストラリア ダーウインへの旅行の出発日まで
二日となった元旦に
二階の屋根裏の倉庫から
主人におろしてもらったスーツケースに
家族の荷物をまとめた。
私は体が思うように身軽に動かなかった。
少しだけ弱気になった気分を
家族に隠し
準備万端 整えた。
パスポート
ETAS証明
eチケット
常備薬
クレジットカード
様々なチェックを済ませた。
一年間の自分へのご褒美の旅は
「 ワクワクと今を生きることの中に
すべての答えがあります。」という
矢作先生を応援する榎本孝明氏の言葉を
見習ってみようと思うのである。
時の流れは早いもので
すでに
平成31年の元旦を過去のものとしてしまった。
旅立ちまで
28時間となった。
白岳の神様
その麓に暮らす我が家族ををどうかお導き下さい。
新しい年を幸せに過ごせますように・・・。

2018年12月14日
乳がん 手術の日
一日が終わった。
夜9時
事務所のカギを閉めて
あたふたと車に乗り込んだ。
私はまだ
仕事が片付いていなかったが
帰って夕食を済ませたかった。
12時間後に
乳がんの手術を受けることになっている。
1週間の入院生活が待っているのである。
手術後は・・・・
痛むのかなぁ・・
痛いんだろうな・・
私はそのことばかりを考えていた。
ネットで検索すればいくらでも情報は飛び込んでくる・・・が
私は
敢えて知らないことにしておきたかった。
そして
忙しい日々が 飛んでいった。
あと8時間で
麻酔のかかった私の体にメスが入るのである。
何だか他人事のように思われてならない。

幸か不幸か
私はものの重大さを理解していないのである。